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無責任な観客、あるいは不能の天使

一、

 むかしの自分の写真を見るときに不思議な感覚を覚えることはないだろうか。そこに写っているのはわたしである。けれど、すでに失われているわたしだ。それは、ふだんほとんど会うことのない親戚に久しぶりに会うときの感覚と似ている。そのひととわたしのあいだにはつながりがある。しかし、そのつながりは理屈を通して掴めるだけで、感覚的には距離を感じてしまう。まるで、赤の他人と会っているかのように。自分の写真であってもそれが昔のものであるほど、このような親しみと隔たりが入り混じった感覚をもたらす。それはおそらく、その写真の持つイメージが自分という輪郭の外にあるものであり、その輪郭が持つ確かさを揺らがせるからだ。
 自分が自分であること。これをもう少しなじみのある言葉で言うと、アイデンティティとなる。Identifyという英単語が「定義する」という意味を持つように、わたしであるということの確かさを感じさせてくれるのは、いまの自分と、記憶のなかにいる過去の自分を同一のものとして、一本の線を描くようにつなぐことができるからだ。わたしというひとりの人間が、過去から現在まで途絶えることなく確かにいること。記憶にもとづいた時間の継続が、そのことを支えている。つまり、わたしがわたしであるためには、わたしに関する記憶が重要なのだ。しかし、ひとは当然かつて経験したことのすべてを記憶することはできない。記憶のなかからこぼれ落ちる出来事がある。むしろ、わたしの記憶のなかに残ることよりも、忘れられ失われる出来事のほうがはるかに多いはずだ。写真は、そのような失われる出来事を保存するものでもある。だから、ひとは祝い事や旅行などの折に写真を撮る。そういった写真をとどめられたわたしが、ふとしたときにいまのわたしの目の前に現れることで、写真は不思議な――そしてある意味で不気味な――感覚をいまのわたしに与えてくる。
 それはさながら、瓦礫の山を前にしたときに訪れる印象のようだ。瓦礫は持続する時間の外にある。いままさに造られていく建物は、進歩や成長といった前進する時間とともにある。それと反対に廃墟は、終わりへと向かう下降形の進行のなかにある。そして瓦礫は、そのすべての外にある。重機や爆発物によって家屋やビルが解体されるとき、その建物たちは一瞬にして瓦礫へと姿を変える。そのことからわかるように、瓦礫を生みだすのは瞬間的に訪れる時間の断絶だ。わたしの記憶にないわたしをとどめた写真の持つイメージは、この点においても瓦礫と近いものだと言える。なぜなら、そこにうつるわたしは記憶の継続によって認識することのできるわたしから断絶しているのだから。
 そのように考えると、人間と建物は似ている。わたしというひとりの人間は、成長という進歩によっていまここにいる姿を成している。そして同時に、その進歩には必ずしも含まれなかった、いまのわたしにつがなることのなかった過去のわたしが無数にいる。そのような失われた無数のわたしが、瓦礫なのだ。
 そのような、形を成すことのなかったものたちについて考えるとき、なにかに「成る」ということの孕む暴力性が感じられてくる。「成る」ということは必然的に、ある程度のまとまりを持った輪郭をなすということだ。輪郭は境界線でもある。だから輪郭のあるところには必ず、その線の内側に含まれない外部が存在している。瓦礫は、そのまとまりのなかから追い出された、「成る」ことのできなったものたちの群れなのだ。
 この「成る」ことにつきまとう息苦しさ。これはもしかすると非常に閉鎖的で、個人的な問題なのかもしれない。しかしいま東京という街に暮らすことは、どこかこのような出口の見えない行き詰まりのなかに身を置くことを強いられることへつながるっているように思える。東京は、たくさんの瓦礫を生み出しながらも、それを通り抜けて、なにかに「成る」ことを強いられている。どういうことか。
 この国では、20歳をむかえた人たちを成人と呼ぶ。この年齢が、大人と子どもを分けるひとつの基準になっている。生まれてから20年という年月を経て、そのひとはなにかに成ったことを認められる。そうであれば、21世紀の東京も、2020年という歳を迎えることで成熟したと認められるようになるのかもしれない。そしてそのことを祝すかのように、2020年の東京には祝祭が用意されている。
 2020年にやってくる東京オリンピックは、いわば21世紀における東京の成人式だ。町のいたるところで再開発が進み、世界中からやってくるひとびとに向けて、世界に飛び出しても恥ずかしくないような大人の都市に成るために、東京は成長している。
 そのこととあわせて、いま東京ではたくさんの瓦礫がうまれている。そこには新しく生まれ形をともなう建物たちがひしめきある背景が見える。けれどもその裏側には、無数に生み出された瓦礫がある。しかし、あくまで2020年にあらわれる東京の姿、その風景のなかで主役になるのは、成就した新しい建物たち、なにかに「成る」ことができたものたちだ。「成る」ことのできなかった瓦礫たちの居場所はそこにはないのかもしれない。そこに現れる東京の姿というのはいったいなんなのか。それは本当に「東京」と呼ぶに立つものなのだろうか。
 ひとりの人間において、記憶のなかに残ることのない時間のほうが、確かに覚えていることよりも膨大であることと同じように、2020年の東京という姿に「成る」段階で、その完成された形に直接結びつくことのなかった要素たちこそが、2020年にあらわれる東京の姿を強く規定するのではないだろうか。そのような、影に隠れるなにかに「成る」ことのできなかったものたちが集まる部分においてこそ、本質が現れるのではないだろうか。
 オリンピックが、成るものたちのための祝祭であるならば、その裏にある成らざるものたちのために祝祭にこそ、眼を向ける必要がある。

二、
 1964年の東京オリンピックのとき、その開催に向けて東京(あるいは日本全体)の開発が進んだように、いまも2020年に向けた東京の変化が起きている。それは、解体され新築されている国立競技場のような、競技に直接関わるような場所だけではない。上野公園駅前の木が伐採されているのも、2020年に向けた東京の変化である。街が整備されてきれいになっていくこのような変化は、一見すると良いこととして受け入れられるのかもしれない。しかし、それは果たしてそのように単純な話だろうか。
 一時期ニュースでも流れていた「ひとを排除するベンチ」と、オリンピックに向けて整備されていく街というのはじつは同じ問題を抱えている。「ひとを排除するベンチ」というのは、背もたれがなく丸太のような形をしていたり、ひとり分の座るスペースが手すりで区切られているベンチなどだ(Google画像で「排除 ベンチ」と検索すると実際にそのようなベンチの写真が出てくる)。このベンチによって排除されている「ひと」というのは主にホームレスである。実物を見れば容易に想像できるが、「ひとを排除するベンチ」の上で眠るために横になることは不可能だ。「整備」といった名目のもと、特定の人々を排除する仕組みがそこにはある。
 きれいに整えられていく広場、道、そして競技場。そういったものの裏側には、必ずそこから排除されるひとたちがいる。キレイに舗装された道よりも、雑多な広場やストリートの方が、多くの人々を受け入れているのだから。東京オリンピックは祝祭である。祝祭は共同体を生む。そして共同体には必ず外/内の区別がともなう。
 しかし考えてみれば、そのような外/内の分割線はいたるところにあるとも言える。ひとは集まりをつくる。そしてその規模は家族、仲間、会社、社会などじつにさまざまだ。そしてその集団のなかでは(もちろんそうでない場合もあるが)、相互に助け合うことがある。それはギブアンドテイクが求められる「交換」ではなく、無償で行われる「贈与」の関係だ。しかしとうぜん、「贈与」の関係性は無限に広げられるものではない(道行く見ず知らずのひとに突然プレゼントをあげたりするひとはいないだろう)。だからこそ、集団には外/内の境界線が発生してしまう。そして「交換」ができない(自分が「持つ」ものがなにもない)ひとにとって、「贈与」を与えられることは手を差し伸べられ助けられることになる。それは集団による保護のかたちだ。
 そのような保護が可能になる空間は、たとえば「アジール」と呼ばれたりする。そして劇場は、富裕層であれ、カウンターカルチャーの担い手たちであれ、社会(外)と一時的に距離を置き人々が集まる場として機能してきた空間のひとつだ。そうした場所を使って、オリンピックとは別のちいさな祝祭が立ち上げられた。Port B/高山明の『ワーグナー・プロジェクト』である。リヒャルト・ワーグナーのオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の上演として行われたこの祝祭は、演劇と聞いてイメージされるものとはかけ離れた上演だった。
 入口を進んで目に入るのは、鉄パイプと黒い板で作られた工事現場の足場のようなセット。そしていたるところに描かれたグラフィティとサイファーを繰り広げるラッパーたちは。これは街中の風景ではない。劇場のなかの様子だ。「9日間のラップの学校」と題された『ワーグナー。プロジェクト』は、そのような空間のなかで行われた。劇場は9日間にわたり各日6時間開場しており、そのあいだチケットを買った観客は出入り自由。そして学校の時間割のように組まれた上演スケジュールは、生徒として参加するワーグナー・クルーのオーディションから始まり、Kダブシャインやダースレイダーなどのラッパーと山田亮太や菅啓次郎といった詩人によるワークショップ、そしてライブなどによって構成されていた。劇場のなかには舞台/客席という区分は明確にはなく、足場のあいだを通る一本のストリートが、通り道と広場の両方の役割を兼ねていた。
 『ワーグナー・プロジェクト』の下敷きとなっている『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、ワーグナー唯一の喜劇オペラである。舞台は16世紀中ごろのニュルンベルク、よその街からやってきた騎士ヴァルター・フォン・シュトルツィングは金細工師の娘エファに一目惚れし、互いにひかれあう。しかしエファは、聖ヨハネ祭で行われる歌合戦の優勝者と結婚するという取り決めを父によってされてしまう。エファと結婚すべく、ヴァルターは歌の師匠(マイスター)であるハンス・ザックスに頼みこみ「歌の規則」を指導してもらう。最初はまったく規則通りに歌うことのできなかったヴァルターであるが、彼を見放すことなくザックスが指導してくれたおかげで、最終的に歌合戦で優勝する。そしてこのオペラは「ハイル・ザックス!」というコーラスとともに幕を閉じる。
 高山はワーグナーが描いた市井の歌い手が、現代においてはラッパーたちにあたると見立てて、ラッパーによる歌合戦の上演を組み立てた。しかし、高山の作品をこれまでも観てきたひとのなかには、高山がワーグナーを主題とすることに驚きを感じるひともいるだろう。というのも、高山は自らの演劇観がドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトから大きな影響を受けていると公言している。そしてブレヒトは20世紀前半において、ナチスと対立した芸術家のひとりだからだ。
 ワーグナーといえば、近代的な劇場をかたちづくった人物のひとりである。彼が目論んでいたのは、自らの思い描く「総合芸術」をあますことなく受容する観客の存在と、そのような受容態度を可能にする劇場空間の創造だ。そのために、当時発展していた舞台照明の技術を用い、ワーグナーは明るい舞台/暗い客席という対比された空間をつくることで観客を受動的な立場へと押しやり、上演に没入させるための劇場空間をつくった。
 そのような没入型演劇と異なる方向を目指したのがブレヒトだ。「異化」というキーワード(この言葉を最初に概念として使ったのは、ソ連の文学理論化ヴィクトル・シクロフスキーである)で知られる彼の演劇は、煙草を吸えるほどリラックスした観客が、自らの考える余地を持ったまま観劇することを重視している。
 大きく異なるふたりの演劇人。両者の対立点をもうひとつあげるなら、それは上演において作者の存在に重点が置かれているか否かだ。ワーグナーにおいては「リヒャルト・ワーグナー」という作者の生み出した芸術がまずあり、それが観客に伝わることが重視される。それに対してブレヒトは、作者の意図以上に観客において思考の余地が生まれることが必要だとしている。それゆえ高山も『ワーグナー・プロジェクト』においては絶対的な作者像を限りなく解体そうしようと試みている。
 たとえば、『ワーグナー・プロジェクト』自体、高山が作成したのは劇場空間の設定とプロジェクト全体の大まかな枠組みであり、そのなかで起こるもろもろの出来事は高山の手を離れしまっている。そしてその構造をさらに強化しているのが、のべ54時間にわたるプロジェクトのなかでときおり行われるラジオ放送だ。劇場の一角に放送ブースが設けられラジオが放送される。ラジオは会場の入口で配られているパナガイド(無線機)で聞くことができる。放送と同時に会場ではつねになにかしらのイベントが行われ、イベントの合間にも突発的なサイファーが発生する。そこで主催者とはいえ、この一連の出来事をすべて把握することは不可能だ。高山は閉じた劇場空間のなかでまずディレクションを行い、『ワーグナー・プロジェクト』全体の構造をつくった。この時点ではまだワーグナーと同じように絶対的な作者の位置に高山は留まっている。しかしそこから、ラジオ放送などで、全体の進行を完全には把握できなくすることで、絶対的な作者という位置を空席にしてしまうのである。
 高山は没入型劇場空間の創始者であるワーグナーのオペラを、「異化」のブレヒトと接続させることで自らの上演をかたち作った。しかしそこにはもう一つ、書くことのできない文脈がある。Port BBはブレヒト(Brecht)のBであると同時に、ベンヤミン(Benjamin)のBなのだ。

三、
 20世紀の批評家ヴァルター・ベンヤミンはユダヤ人であった。それゆえ彼は晩年にはドイツを亡命しナチスの追っ手から逃れる生活を送っていた。そんなベンヤミンが最後を迎えたのが、スペインとの国境間近にあるフランスの都市、ポルトボウである。
 『ワーグナー・プロジェクト』もまた、ベンヤミンの描いたモチーフと分かち難くつながった作品だった。その象徴が、ストリートを見下ろすワーグナーのグラフィティだ。派手な蛍光色で描かれたこのワーグナーは、漂白されていく都市のなかに生きるラッパーを眼差す「歴史の天使」なのである。
 ベンヤミンはナチスから逃れるなか執筆した遺稿『歴史哲学テーゼ』のなかで、パウル・クレーの『新しい天使』という絵画について、以下のように述べている。

  新しい天使と題するクレーの絵がある。そこにはひとりの天使が描かれていて、それは自分が凝視しているものから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。眼は大きく見開かれ、口は開かれ、翼は広げられている。
  歴史の天使はこうした姿をしているにちがいない。歴史の天使は顔を過去のほうへと向けている。わたしたちの眼には出来事の連鎖と見えるところに、かれはただひとつの破局を見ている。たえまなく瓦礫のうえに瓦礫をつみかさねては、かれの足もとに放りだしている破局をだ。できることならかれはその場にとどまって、死者を目覚めさせ、打ち砕かれた破片を集めてもとどおりにしたいと思っている。だが、エデンの園から吹いている強風がかれの翼をからめとり、そのいきおいが激しいために翼を閉じることがもうできなくなっている。この強風はかれが背を向けている未来のほうへと、かれをとどめようもなく吹き飛ばしてゆく。そうしているうちにかれの眼の前では、瓦礫の山が天にとどくほどに高くなってゆく。
  わたしたちが進歩と呼んでいるものは、まさにこの強風なのだ。
(ベンヤミン『歴史の概念について』、pp.54-55

 詩的に描かれたこのテーゼは、文字を追うだけでは何を言わんとするのかつかみがたいだろう。しかしこれは著者であるベンヤミン自身が、自らの命の危険すら感じながら記した文章であることを踏まえると、非常に切実なテキストとして感じられる。ここでいう瓦礫とはまさにベンヤミン自身であり、彼はナチスが描く「歴史」によってまさに失われようとしている。もしすべてを救う神のような存在がいれば、瓦礫たちは救済されるのかもしれない。しかし、そのような力は現実には生じなかったのだ。
 クレーの描いた天使は、天使と言われた多くのひとがイメージするものとはかけ離れた姿をしている。そしてグラフィティのワーグナーもまた、よく見かけるワーグナーの肖像画とはかけ離れた見た目をしている。
 歴史のなかで失われていく瓦礫を見つめる天使。そしてメシア的な救済によって瓦礫たちを救おうとする想像力。思えば『ワーグナー・プロジェクト』に限らず、Port Bの作品はマージナルな存在たちと向き合い続けていたのだ。どういうことか。
 劇場はある意味で、過去と出会いなおす場である。シェイクスピアでもベケットでも、過去の戯曲が上演されるとき、そのテクストが「いま」をともない観客の目のまえに現れる。その点で、劇場とは過去と触れるための場だ。しかし、劇場の外にも、いやむしろ劇場の外にこそ、過去は堆積している。そしてPort Bによる初期のツアー・パフォーマンスは、現実の土地に眠る過去の歴史を参照しつつ作品を組み立てていた。たとえば2007年の『東京/オリンピック』は1964年のオリンピックに関連する場所と人物を、そして2009年の『サンシャイン63』は巣鴨プリズンを題材にしていた。
 これらがおおむね過去を参照しつつ「いま」を捉えるものだったとすれば、2009年秋のフェスティバル/トーキョー(FT)で上演された『個室都市 東京』は、同時代における周縁的な存在を参照しつつ、「いま」と同時に「ここ」を強く意識させるものだった。『個室都市 東京』は池袋西口の東京芸術劇場前にある広場を通る人々にインタビューを行い、その様子を仮設の個室ビデオ店で見ることができる、というものである。そこでインタビューをされたひとのなかにはホームレスのひともいる。さらに2011年の『国民投票プロジェクト』では、福島の中学生にインタビューを行った(彼/女たちには選挙権がない)。
 ここでひとつ意識されるべきなのは、観光客が旅行先の問題とは関わることのない無責任な存在であるように、ツアー・パフォーマンスによって、マージナルとされる人々の存在に触れた観客も、決してそのひとたちを直接的に「救う」ことはできないということだ(ベンヤミンに救済が訪れなかったように)。
 しかし、「救う」とはなんなのか。たとえば『ワーグナー・プロジェクト』に参加したラッパーたちを救うとしたら、それはどういうかたちで可能なのか。少なくとも、最終日に行われたクルーたちのパフォーマンスは、全く救いになってはいなかっただろう。9日間のラップの学校の成果として、最終日にはそれぞれのクルーがパフォーマンスを行った。そこで行われたパフォーマンスを、ひとりのミュージシャンのパフォーマンスとしてみた場合、ほとんどものは決して褒められるものではなかった。しかしここで問題としたいのはパフォーマンスのクオリティー以上に、それに対する観客の反応だ。それぞれのラッパーがパフォーマンスをしたのち、彼/女たちにはもれなく拍手が送られた。しかしその拍手とはなんだったのか。それぞれのパフォーマーに対する敬意の表れだと言えば聞こえはいいが、それは祝福がそもそも前提とされていることの裏返しである。その祝福が、ひとつの「去勢装置」として機能してしまったことが、共同性と演劇へのラディカルな問いかけを実現していた『ワーグナー・プロジェクト』の最大の問題である。「去勢装置」というのは、『ワーグナー・プロジェクト』上演のおよそ半年ほど前、あるシンポジウムにおいて高山が用いた表現だ。劇場はある種の「去勢装置」であり、そこで行われる表現は少なからず抑圧が生じる。だから高山は劇場を出た。しかし一方で高山は、劇場はそのような「去勢装置」としての暴力性を持つものの、一時的にであれ暴力的に線を囲うことでしか保てない多様性があるように思う、それゆえ、最近はもう一度劇場に戻りたいと考えている、と同シンポジウムのなかで述べていた。それから半年を経て、Port Bが日本では8年ぶりとなる劇場での上演を行った。それが『ワーグナー・プロジェクト』である。ゆえにそれは、高山がシンポジウムのなかで提議したふたつの問題への、自分自身による応答なのである。しかし、ワーグナー・クルーたちによる最後のパフォーマンスがなされた空間はにおいてラッパーたちをとり囲む空間は、肯定が先行した不健全な空間になっていたように思う。それでは、『ワーグナー・プロジェクト』は失敗だったのだろうか。そのように結論づけることもひとつの選択肢なのかもしれない。しかしその一方、自体はそんなに単純ではないように思う。このプロジェクトはそのような結末によって結果的に大きな問いを観客を投げかけてはいないだろうか。つまり、演劇(上演)の作者とは誰なのか、という問いだ。

四、
 ある上演が評価されるとき、それは演出家への評価を意味するのか。当然ながら、演劇が上演されるとき、そこには演出家以外にもたくさんの人間が関わっている。演劇の主役は俳優なのか、演出家なのか、こういった問題は歴史的にも何度も繰り返されてきたものだ。作者とは実際、他者からの眼差しでその輪郭がかたち作られるひとつの塑像、効果のようなものにも感じられる。それでも、たとえば法律においてある行為がある人物の行為であると位置づけられ責任や意思という概念が前提とされないと、社会全体が機能不全に陥ってしまうのと同様に、作者や演出家という概念も、無に帰すべきものというわけではない。
 ここでもういちど、ベンヤミンに立ち返ろうと思う。『歴史哲学テーゼ』、ないしはそこに至るまでのベンヤミンの思考において展開されていたのは「メシアなきメシアニズム」とでいうねじれたモチーフだ。ベンヤミンの思考においては、ユダヤ教由来のメシアニズムと、マルクス主義の唯物史観という本来相反するはずの概念が奇妙な融合を遂げている。なぜここでベンヤミンに戻るか。それはベンヤミンの「メシアなきメシアニズム」が、効果としての作者(作者の虚構性)と通底するからだ。そのモチーフを通すと、『東京ヘテロトピア』というPort Bのツアー・パフォーマンスのなかでもいささか特異な作品と、『ワーグナー・プロジェクト』のあいだにひとつの線が引かれる
 『東京ヘテロトピア』がそれまでのツアー・パフォーマンスと一線を画するのは、もはや街のなかを移動する観客の導線に対するコントロールを完全に破棄したことである。それまでのツアー・パフォーマンスが、ツアーで訪れるスポットの設定とあわせてその順路も設定していたのに対して、『東京ヘテロトピア』は設定されたスポットをいつ、どのような順番で回るかが、すべて観客に委ねられている。この点で『ワーグナー』と『東京ヘテロトピア』は共通した構造を持つ。アーキテクチャ(=劇場)の設定まではPort B(高山)によってなされるが、アーキテクチャのなかで起きる現象は、だれの手によってもコントロールされていないのである。
 『東京ヘテロトピア』によって観客が体験するのは、ある種の聖地巡礼だ。アプリに表示される情報にふれるまでは、意味のともなわない風景(あるいはそれは、風景ですらない)のひとつに過ぎなかった場所が、かつて存在したアジアの記憶とつながる場所として立ち上がる。しかしこの作品のなんとも不思議な点が、それぞれの地点に小説の朗読が用意されているという点だ。その小説は、それぞれのスポットにまつわる歴史的な事実をもとに描かれた、そこでありえたかもしれない架空の物語である。小説のなかいる人物を救うことは当然できない。その小説に触れるとき、観客はただ

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