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批評とは、〈偽史〉を生きることである。

真理、正義、存在などなど、その言葉の定義を求めようとすると、それ以上先に進むことのできないアポリアに直面してしまう言葉というのがある。おそらく批評もそんな言葉のひとつだ。しかし批評と、さきに例にあげた三つの言葉、あるいはそれ以外の定義が困難な言葉との間には、ある点において明確な境界線を引くことができる。それは、絶対的な定義をすることが困難(あるいは絶対にできない)という状況そのものが、批評という語においては、逆説的にその特徴を端的に表してしまうからである。なぜなら、批評というのは決して〈正解〉に回収されることのない偽りの歴史を生きることなのだから。どういうことか。

そのことを説明するために、まずは東浩紀が記した『ゲンロン4』の巻頭言を参照したいと思う。「批評という病」と題されたその文章のなかで東は、批評とは戦後日本固有の病であると述べている。この病は、敗戦を経験した戦後日本の言説空間が抱えてしまった病であり、同時に、柄谷行人というひとりの人間が抱えた病でもある。言説空間についていえば、アメリカにもたらされた急速な民主化によって、戦後日本はそれまでの歴史と断絶した新しい時間のなかを生きていくことになった。その時間のなかは、民主化によってスタートした新しい時間と、断絶はされたものの決して清算されたわけではない戦前・戦中の時間が平行的に流れる、「ねじれ」を抱えた時代である。

時代ではなく柄谷という個人の病はどのようなものであったか。それは、「実存と政治、文学と政治、特殊と一般を区別できない混乱=病」であった。それが、英語圏との接触をきっかけに柄谷を襲った「衰弱」ののち、彼が次第に治癒させてしまった病である。

以上が「批評という病」がおおまかに意味することである。そしてここである問いを投げかけたい。柄谷の批評が、あるいは柄谷に代表されるような日本の批評が抱えていた病というのは、本当に戦後日本固有のものだったのだろうか。

 

 

柄谷の経験した病をもう少しかみ砕くと、それは大文字の〈歴史〉に対して、それとは異なる歴史の記述をしていたということになるのではないだろうか。時代の状況について語らないことがむしろ時代に対する批評になってしまうという、病のなかで起きる現象は、熱にうなされて口を出た言葉のように、どこか現実から浮ついたものとして考えられる。柄谷がその病のなかで生み出した言葉の集積は、それ自体がひとつの言説の歴史をつくり、戦後日本の歴史を批評的に見るための参照項となるようなある種の〈偽史〉を形作っていたのではないだろうか。ここで用いている〈偽〉という文字は、間違いや嘘といったことを意味するのではない。それは、多くの人が依拠するような健全な〈正しさ〉には決して回収されえないようなものを意味している。このように考えると、そのような〈偽史〉をつくりだしてしまう病に侵されていたのは、決して柄谷だけではなかったと言える。例えば、ヴォルター・ベンヤミンという人物もまたそのような病に侵されていたのではないだろうか。

ベンヤミンは、ドイツから亡命してナチスから逃れる中で、結果的に彼の遺稿となる『歴史の概念について』(歴史哲学テーゼ)を書いた。ベンヤミンが『歴史の概念について』で試みているのは、歴史の記述からこぼれ落ちてしまったものたちを救い出すことである。ベンヤミンは、人間の行う有限な記述(当然人間は過去や現在において起きたすべての出来事を記述することなどできない)だけでなく、そこから漏れてしまった者たちすらも救い出し認識できるような〈メシア的な力〉というものを仮定する。そして、人間はその〈メシア的な力〉を完全に機能させることはできないが、部分的に機能させることで、過去の歴史記述のなかから見過ごされてしまった出来事を救い出し、その出来事が持っている潜在力を現在において発揮させることができると主張している。少し長くなるが、ベンヤミンのテーゼの一部を引用する。

 

フュステル=ド=クーランジュ〔フランスの歴史家 一八三〇~八九〕は、ひとつの時代を追体験したければ、それ以降の歴史の推移について自分が知っていることをすべて念頭から追い払うようにと、歴史家に勧めている。史的唯物論者が手を切った手法を、これほどよく特徴づけているものはない。それは感情移入という手法である。[…]歴史主義の立場に立つ歴史叙述者がいったいだれに感情移入しているのかと、問いを投げかけてみればいい。かれらは当然にも、勝者に感情移入していると答えるだろう。だがそのときどきの支配者は、それまでに勝利を収めたすべての者の遺産相続人である。それゆえ勝者への感情移入というものは、いつでもそのときどきの支配者の役に立っていることになる。

これだけ言えば、史的唯物論者にはもう十分だろう。今日にいたるまで勝利をさらった者はだれであれ、いま地に倒れている人びとを踏みにじりながら今日の支配者がとりおこなっている祝勝パレードの列に加わって、ともに行進しているのだ。[…]

それゆえ史的唯物論者は、この伝承からできるかぎり距離をとる。かれは歴史を逆なですることを、自分の課題と見なすのだ。(『歴史の概念について』、pp.51-52)

 

この引用のなかには、歴史に対するふたつの立場が記述されている。ひとつは、ベンヤミンが自らを位置づける史的唯物論者の立場であり、もうひとつは、彼の批判対象となる歴史主義の立場である。歴史主義の立場をとるものは、〈普遍的な歴史〉(これはカッコつきの〈正しい歴史〉とも言い換えられる)を信じる。それゆえ、そこからこぼれてしまうものに考えをめぐらせることはない。それに対して史的唯物論者は、そのようなこぼれおちるものを歴史の忘却から拾い上げることを、それが非常に大きな困難を伴うものだと理解しつつも、試みる。

ベンヤミンはこの理論を決して机上の空論として、あるいはお決まりの模範解答のようなものとして主張しているわけではない。この主張は、『歴史の概念について』を執筆した際に彼の身に迫っていた切実な状況とおそらく関係している。それは、ナチスによるユダヤ人迫害だ。

ベンヤミンはその理論においてナチス的なものに対抗しようとしていた。それでは、彼が対抗しようとしていたナチス的なものとはどのようなものだったのか。それは、ハイデガーが哲学の起源を古代ギリシャ語に求め、その思想を正当に継承するのはドイツ語であるという歴史を描こうとしたような、ヒトラーがゲルマン民族こそが優れているという歴史観をつくろうとしたような、当時ベンヤミンの危機の原因であるナチスによってつくろうとされていた〈正しい歴史〉である。

 

 

この〈正しい歴史〉に対抗しようとする動きは、ベンヤミンだけでなく、一般にフランス現代思想という名前でくくられる一群の思想家たちにも受け継がれている。ヨーロッパの哲学という伝統のなかで現れたハイデッガーが、ナチスという歴史的な悪に加担してしまったという事実が、ナンシーやデリダ、さらにはそれ以外の数々の思想家に少なからぬ影響を与えている。もし、近代において再設定された哲学の理性が、想定されていた通りに力を発揮したのなら、ハイデガーはそのような過ちを犯すはずがなかった。しかし、現実はそのようにはならなかった。フランス現代思想の思想家たちに通底していた問題意識は、きわめて大雑把な整理であることを承知で言えば、ハイデガーの功績を引き継ぎつつ、いかにハイデガーと同じ過ちに陥らないか、ということであった。そしてそのフランス現代思想の哲学者たちの思索が、浅田彰、柄谷行人などのニューアカデミズムの担い手、さらにはその後の世代にも大きな影響を与えたことは言うまでもない。

ベンヤミン、フランス現代思想、そして柄谷行人。彼らに共通していたのは、カッコつきの大文字の〈正しい歴史〉を前にして、その〈正しい歴史〉への〈ねじれ〉を抱えているがゆえに、そこから乖離した言葉を生み出したということだ。そしてその言葉は、それ自体が〈正しい歴史〉へのアンチテーゼとして現れるものである以上、それ自身が〈正しさ〉を形作ることはない。

2010年代も終わりが近づいているいま、日本だけでなく、世界でも言葉と現実は大きく乖離してしまっている。2016年6月、イギリスのEU離脱を直前にして、マスメディアのほとんどは、結局イギリス国民はEUに留まることを選ぶだろうと言っていた。同年11月、アメリカの大統領選では、最終的にはヒラリー・クリントンが新しい大統領になると思われていた。しかし、現実はそうではなかった。そこからおおよそ一年半ほどたった今、ふりかえれば、そんなねじれた現実のなかで、健康に投げ出される発言は、どこかグロテスクだ。

〈偽史〉のなかを生きること。それは恐ろしいことでもある。なぜなら、自分ではない誰かにとって、その言説は本当の偽りとして受け取られうる、そして避難もされうるという危惧とつねに向き合うことだからだ。それなら、〈健康な〉言葉で自分になんの疑いも持たずしゃべり続ける方がよっぽど幸せであるかもしれない。しかし、そんな恐怖を抱えることになったとしても、批評は〈偽史〉を描き、その言葉を語るものは自らが作る〈偽史〉のなかを生き続けるべきである。

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