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第「三」者の愛――存在の「軽さ」を背負った者の愛について

もっとも「軽い」存在
 チェコの小説家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』[i]は、チェコにおける共産主義の〈正常化〉の時代を経験したクンデラが、フランスへ亡命したのちに発表した作品である。ニーチェの永劫回帰から始まるこの小説は、古代ギリシャの哲学者パルメニーデスによって提出された人生における存在の「重さ/軽さ」という問題を、トマーシュとテレザという一組の男女の愛を軸に展開していく。
 優秀な外科医であるトマーシュは、彼だけを追いかけて田舎町からプラハへとやって来たテレザと暮らす一方で、多くの愛人がいる。彼は愛人との性愛的友情が発展しすぎないように、自分の中でルールを持っていた。

“「三という数字のルールを守らなければならない。一人の女と短い期間に続けて会ってもいいが、その場合はけっして三回を超えてはだめだ。あるいはその女と長年つきあってもいいが、その場合の条件は一回会ったら少なくとも三週間は間をおかなければならない」”
(『存在の耐えられない軽さ』、P.18

 「三」のルールのもとにいるトマーシュの愛人の中で、彼にとって一番特別なのが、画家のサビナであった。サビナはテレザにとって、プラハでの働き口を紹介してくれた友人でもある。物語の前半はトマーシュ、テレザ、サビナの「三」角関係を軸に進行する。
 しかし、トマーシュを失う恐怖で毎夜悪夢にうなされるテレザを守るために、トマーシュはテレザとの結婚を決意する。この時点で「三」角関係は崩壊し、サビナは二人の関係の外部に、第「三」者として疎外されてしまう。
 思うに、小説の中で問われ続ける存在の「軽さ」を、このとき最も強いられたのはサビナではなかっただろうか。小説を通じて「重さ」と「軽さ」の間で葛藤する姿が描かれるトマーシュとテレザよりも、サビナこそが存在の耐えられない「軽さ」に襲われたのではないか。ゆえに、この小説で本当に問われるべきなのは、第「三」者であるサビナの存在の「軽さ」について、サビナの愛についてなのではないだろうか。

サビナの愛
サビナの愛を特徴づけているものは何か。それは、彼女の実存とも深く結びついた、裏切りである。このことは、小説の第Ⅲ部「理解されなかった言葉」で示される。

“裏切り。幼いときから想像しうるものでもっともよくないことであると、父親や先生にいつもいわれていたことであった。だが、裏切りとは何なのであろうか?裏切りとは隊列を離れることである。裏切りとは隊列を離れて、未知へと進むことである。サビナは未知へと進むこと以外により美しいことを知らなかったのである。”
(『存在の耐えられない軽さ』、P.115-116

 サビナの裏切りは、小説中では全体主義によって象徴される、俗悪なもの(=キッチュ)への嫌悪に根ざしている。雑多な多様性を覆い隠してしまう全体主義を、サビナは受け入れられない。しかし全体主義だけでなく、伝統的なヨーロッパの美も、サビナは受け入れることができない。このことは、物語の中盤で現れるサビナの愛人フランツとのすれ違いで示される(サビナはここでも「三」角関係の中にいる)。計画的に作られたヨーロッパの街の景観を好むフランツと、非計画的に作られたニューヨークの景観を好むサビナには、美的なものに対する認識のズレがあり、二人の間には「理解されなかった言葉」が行き交う。フランツとサビナが共に過ごす最後の夜でさえも、二人はすれ違う。フランツが妻と離婚しサビナと共に生きる意志を伝えた日の夜、サビナはこれまでになく激しくフランツを愛した。フランツはこのことを、自分の決意に対するサビナの同意と受けとめ、それゆえに、彼女の体の上でむせび泣いた。しかし、サビナがそのようにふるまったのは、今日が最後だという意識が彼女を興奮させたからである。

“サビナは自分の決心が不正の最たるものであることはもちろん知っていた。フランツは彼女のつきあった最高の男である。インテリだし、彼女の絵が分かるし、ハンサムで善良だし、だがそのことを意識すればするほど、そのインテリさかげんや、その善良さを力づくで犯し、そのたよりない力を踏みにじってやりたいと熱望した。”
(『存在の耐えられない軽さ』、P.149

 この後サビナは、フランツの前から姿を消してしまう。
 いったい何が、サビナの愛をこのような裏切りへと駆り立ててしまうのか。キッチュなものへの嫌悪という否定的な理由だけでなく、何かもっと強く、サビナを惹きつけてやまないものがそこにはあるのではないか。この愛の内実を知るために、ある哲学者の思索を参照する。その哲学者とは、(サビナと同じように)自らも不倫による「三」角関係とそこからの疎外を経験し、その後に愛に関する著作を残した、ハンナ・アレントである。

第「三」者の愛―サビナ/アレント
 アレントが、マルティン・ハイデガーと一時期不倫関係にあったことは有名である。しかし、当時大学で地位を固めつつあったハイデガーにとって、一女学生であったアレントとの不倫関係は明るみに出て良いものではなく、その後二人は疎遠になり、アレントはカール・ヤスパースのもとで論文を執筆することになる。そしてそのヤスパースのもとで完成させた博士論文が、『アウグスティヌスの愛の概念』[ii]である。
 ここでは詳述を避けるが、『アウグスティヌスの愛の概念』においては、クピディタス、エロス的カリタス、アガペー的カリタスという「三」つの愛が主に扱われる。この愛を『存在の耐えられない軽さ』の登場人物に当てはめたとき、クピディタスはテレザに、エロス的カリタスはサビナに対応する。クピディタスは、俗世の有限な存在者を愛するがゆえにその対象を喪失する恐怖にとらわれるような愛であり、この特徴は、常にトマーシュを失うことを恐れ続けるテレザの様子そのものである。それに対してエロス的カリタスは、無限な存在=神を愛の対象とすることで、クピディタスに伴う恐怖を克服する。サビナが神を愛していた、というのは突飛に感じられるだろう。しかし、サビナが神=超越的な何かに引き付けられていたのだとしたら、彼女の裏切りへの衝動が理解できるように思われる。サビナは自らを惹きつける超越性を感じているために、倫理的に不正な決心であると知りながらフランツを裏切ってしまう。サビナはこの衝動=愛に従うことで、神的なもの、あるいは何かしらの救いに到達できたのであろうか。
 答えは否である。サビナはフランツへの裏切りの果てに逃れ難い憂鬱に襲われる。

“人間のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。(中略)いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重さではなく、存在の耐えられない軽さであった。”
(『存在の耐えられない軽さ』、P.156

 パルメニーデスは「重さ」と「軽さ」では、「軽さ」の方が肯定的だとしていた。[iii]しかし、サビナが自らの裏切りの果てにたどり着いた「軽さ」は、耐えがたいものであった。なぜ、彼女がたどり着いた「軽さ」は耐え難いものであったのか。
 それはおそらく、彼女が志向した超越性は、“~ではない”という否定によってしか定義しえないものだったからである。サビナはキッチュを否定し、伝統的なヨーロッパも否定し、フランツを裏切ることによって、超越性を目指した。ここではサビナ以外の他者の存在が強く否定されている。そしてまさに、アレントは『アウグスティヌスの愛の概念』において、現実の他者に向けられる愛の問題、隣人愛に関わる問題を指摘している。
 アレントは、神対自己に基づくエロス的カリタスにおいては隣人の有意性が無視されていると指摘し、人類の起源を神だけでなくアダムにも求めることで、「天上の国」の理論と「地上の国」の理論を両立させることで、エロス的カリタスを克服した第「三」の愛であるアガペー的カリタスを打ち立てる。アレントの理論においては、これにより人は神=無限と結ばれつつ隣人を愛することが可能になる。
 アレントのこの試みを、サビナの愛に対して応用することは可能であろうか。サビナは、「三」に基づくトマーシュとの「三」角関係においても、フランツとの「三」角関係を裏切った先でも、幸せになれなかった。これほど「三」に翻弄されたサビナは、アレントが示す第「三」の愛であるアガペー的カリタスに至ることで、隣人=他者を愛し、(「三」度目の正直として!)幸せになることができたのだろうか!

 悲しいことに、その答えもまた否である。そしてこの不可能性こそが、サビナの最大の不幸である。

「世界」を愛することの不可能性
 サビナはなぜアガペー的カリタスには至れないのか。なぜなら、アガペー的カリタスにおいては「地上の国」の理論を受けとめることが必要だからである。「地上の国」の理論の受け入れはすなわち、地上の「世界」そのものの受け入れであり、これをサビナという個別的な存在に当てはめたとき、サビナが受け入れるべき自らの存在が根ざす地上の「世界」とは、全体主義下のチェコとなる。自らが根ざす世界をサビナが受けいれようとするとき、彼女が嫌悪するキッチュの象徴たる全体主義が障壁として立ち現れてくる。この点に、サビナが「世界」を愛することの不可能性、サビナの最大の不幸が横たわっている。サビナの愛、存在の「軽さ」の根源は、全体主義にあったのではないか。
 小説の中心であるトマーシュとテレザの関係に対して、第「三」者として描かれるサビナの愛を問うてきた。このような試みは亜流であるかもしれない。しかし、この試みによっても、小説世界を暗く覆い、著者であるクンデラ自身にも大きな影響を与えた全体主義の影が浮かび上がってくる。

[i] 本論考においては、集英社文庫の『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳)を用いた。それゆえ、文中の引用に付記されたページ数も、集英社文庫版に対応している。

[ii] 本論考においては、みすず書房の『アウグスティヌスの愛の概念』(千葉眞訳)を参照した。

[iii] 『存在の耐えられない軽さ』p.9に、「軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?パルメニーデスは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。」という記述がある。

文字数:4224

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