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中道態の世界、いまなお。

中世の人間たちが辿った道のりはさぞ退屈であったに違いない。都から東国へ左遷されるとき、彼らは御車の後ろでただ平坦に通り過ぎていく街道の風景を欠伸なぞしながら見ていた。『十六夜日記』もまたそうした東国への旅路の中で退屈する人間が、その途上での風景を日記文学という形で書き記したものである。作者の阿仏尼は、とある裁判沙汰に巻き込まれて仕方がなく京都から鎌倉へと赴くことになったという。

しかしこうした紀行文を中世の時代に書いていた人間というのは限られていたらしい。というよりか、中世の時代に何かしらの形で物を書くという人間自体が少なかったということもあるのだが、彼らは権力機構に属する人々、つまり公家、もしくは幕府に属する人々、つまり武士であった。権力を握っていた者たちであると言えようが、こうした階級の人間と紀行文というのにはただ文字を書けた/書けない以上のもっと本質的な結びつきがあったのだと自分は考える。

それが「道」の問題である。紀行文と権力者を結び付けるものが道というのは一体どういう論理だろうか。まずはこの関係を明らかにするために、道の種類を分けなければいけない。一口に道と言ってもそこにはいくつかの種類が考えられるからだ。まずは自分たちが普通に思い浮かべることの出来る道、つまり「陸路としての道」だ。それからもう一つ、忘れがちだがこれもまたれっきとした道である「海路としての道」。専ら権力者たちが好んだ道「陸路としての道」の方であった。

世界に話を広げれば、ローマ帝国以来ずっと何らかの堅強な国家組織を作ろうとした者たちはまず「陸路」の整備に力を入れる。日本でも奈良時代、平安時代辺りまでには都の指導者たちによって陸路が整備され、その道は奈良から熊本へ、そして関東の方まで伸びていた。権力者は陸路を好む。それも直線の。というのも国家という巨大な組織を円滑に運営するためには曲がりくねっていて、でこぼこしている道よりも、真っすぐで平坦な道の方が迅速に地方へ向かって情報や物資を運ぶのには都合が良い。合理的な陸路がそこでは目指されたのである。

さて、そして紀行文の話である。哲学者の國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』の中で人類が暇を獲得したのは人類が同じ場所に住むようになったこと、つまり定住革命が起こってからだった、と西田正規の議論を踏まえて書く。それまでの不安定な狩猟生活と違い定住することにより生活のありとあらゆる面で合理的かつ迅速に生活を営むことが可能になった。しかし結果として人類は暇を得てしまい、そして退屈してしまった。

この話を「道」の話にまで広げてみよう。権力者たちは獣道のような未開の場所を情報伝達の合理化、迅速化という至上命題の下でキレイに真っ直ぐに伸ばし、そしてその上を通ることになる。そうすると、そこを渡る彼らはどうなるか。あまりにも直線の道が続きすぎ、そして揺れることも少ないこの道の上で退屈してしまい、そして紀行文を書き始めるのだ。もしこれがデコボコしてて、常にどこで曲がるか分からない危険に晒されている旅であったら、道中に紀行文などを書いている余裕は生まれないだろう。

権力者は合理的な道を作る。しかしその道は安全すぎるが故に退屈で平坦であって、そこから「紀行文」というジャンルが始まった。自分はそう考える。日本における紀行文の始まりが平安時代であり、そしてその平安期に本格的に日本全国に陸路が張り巡らされたことを考えれば、この仮説の裏付けになるだろうか。

とはいえこれは事態の1つの側面しか表すことが出来ていない。つまり最初に考えたように「道」と一口に言っても、陸路と海路の2つがある。今までの話は陸路における紀行文の話しかしてこなかった。というのも文章を書くことの出来た高位の人間たちの関心は専ら平坦で安全な陸路に向いていたからだ。

しかし海路のことを考えたとき、そこには声なき声、もしくは微細な声の存在が浮かび上がることを稀代の歴史学者である網野善彦は示している。彼の一連の著作において彼の主張は一貫している。つまり、日本人とは海民である、ということだ。従来の歴史認識では日本人は農業を中心とする農耕民族であり、海に携わる人間は一部の漁村の人間と社会からのはぐれ者である海賊だけであるとされてきた。しかし、と網野は言って、日本には支配者の論理である陸路とは別に、被支配者の論理として海路の世界、海民の世界が古代から近世にかけて豊穣に広がっていたということを示す。支配者が平坦で安全で直線的で、そして退屈な陸路を通そうとしたのに対して、海路を志向する者たちは海の回路が持つおよそ陸路とは異なる原理を体現するかのように生きていた。

まず、海路は不安定である。そこには波がある。陸のように安定的でなく、神の意向のままその動きを変えてしまう気まぐれな波たちは、度々漁に出たもの、海路を使って移動しようとする者の行く手を阻む。それに陸路と違い、海路はその通った痕跡を残さない。陸路とは支配者の論理であって、支配者とは歴史書や数々の行政書類によってその功績を後世に残そうとするものである。だから通った跡が残りやすく、長くその形をとどめる陸路を支配者は好む。でもその痕跡を残さない海路はおよそ、その日暮らし的であって、毎日その動きを変える波にその都度対応していかなければならない。だから、海民は余裕がない。常にその波と対話し続けなくてはならない。

この対話は、先ほども引用した國分功一郎がまた別の著作で語るある事態と似通っていることを指摘しなくてはいけない。つまり、海の世界とはその絶えまざる波との対話によって、たぶんに中動態的な世界であるということだ。中動態とは何か。それは、能動と受動とはまた別に存在する第3の態であり、かつては能動態と中動態が1つの対関係を成していた。受動でもなく、能動でもない態、それは「私がする/される」といった関係では定義でき得ず、「私がしていると同時にされている」というようなアンヴィヴァレントな状態を表している。

海との対話が中動態的であるというのはこの意味においてである。船乗りが波の中でその船を動かそうとするとき、確かに船頭は海に対して自分の意思で船を動かしているという点において能動的であるかもしれない。しかし一方でその船の動きは同時に波の動きにも規定されていて、船が進む航路は船乗りのかじ取りと波の対話によって決定されているのだから、その点において船乗りは自然の影響を受けざるを得ないという点で受動的である。海の世界に生きるとはこのように、中動態的な度合いが強い世界を生きるということである。

中動態的な度合い、といったのは陸路でも確かに中動態的な要素は認められるからである。國分功一郎も語るようにそれらは、どれぐらいまで受動的であり、そして能動的であるかという度合いによって決定される。だから海路はこの受動の度合いが強く、陸路は能動の度合いが強いということだ。

では、そうした不安定で、痕跡を残さず、その日暮らし的な海民は古代から中世の日本にかけてどのような活動をしていたか。網野の説はラディカルである。いわゆる今まで「百姓=農民」と呼ばれていたその百姓という身分の中の大部分がこの海民であったというのだ。海民のうち、有力なものたちはその地域の神社の神主でもあり、海の民こそが日本の宗教を大きく担っていたのだし、またそうした有力海民は日本全国に物資の輸送網を張り巡らし、日本経済の核を担ってすらいた。日本は農業国家などではない。むしろ海民国家である。そして陸路を通そうとした有力者たちもこの海民の動きには手を焼いたらしい。何度もこの動きを阻止するための政策が成された。しかし、こうした海民の動きが真にやむまでには、およそ1000余年を要し、明治維新になって徹底した陸路政策が行われるまでを待たねばならなかった。

そのようなわけで日本にはこの海路の原理が江戸時代ぐらいまでは根強く残っていた。陸路と海路は戦っていたともいえる。支配者の陸路と、被支配者の海路。もしくはそれは能動-受動と言う安定した世界と、その安定性が崩された不安定な中動態の世界とも言いうるかもしれない。

しかしなぜこの小論を狭義の「道」の話から始めたのか、少し訳を説明しよう。それは先ほども引用として参照した國分功一郎の議論に対する1つの疑問から始まっている。その疑問は『暇と退屈の倫理学』から湧いてきた。先にも説明したようにこの本では人類に発生した「定住革命」によって人類が安定した生活を営めるようになったことから、人間の暇と退屈が始まったとしている。それを日本の話として捉えなおしてみたとき、確かにヨーロッパのように広大な平原が広がり、陸地を専らとする地域ではこの定住革命によって人は暇になるだろうが、一方で日本においてはこうした退屈と言うのはもしも日本が網野の語るように海民と支配者との戦いの軌跡を描いてきたのだとしたら、少々事情が異なるのではないか?

日本人は海民として、江戸時代まではヨーロッパ人よりも暇でない暮らしを営んできたのではないか。もちろん、それは単純な日本礼賛などでは決してない。それは純粋に暮らしの方法の問題であり、もっと言えば自然環境に大きな影響を受けた結果に過ぎない。しかし議論の一つのフックとしてこのような日本人的海民の心性を引き合いに出すことは、更に彼の議論を深めることにつながらないだろうか。國分は『暇と退屈の倫理学』では日本について詳しく書かない。あくまでも西洋の思想家・哲学者の議論を詳細に積み重ねながらその論を組み立てている。むろん、それは彼が主張しようとしていることを世界的な視野で捉えさせようとする意図に他ならないし、その視点自体に偏りがあるという訳ではない。しかしここでは彼の議論に海民の心性を持つ日本人の辿ってきた痕跡を重ね合わせながら、更にその議論を深めていくことを企図している。

だが、ここに大きな障壁が立ちはだかることは既に多くの人が気付いているのだと思う。つまりこの海民の心性とやらは既に現在の日本でもなくなってしまったではないか、と。現在の日本は水運での物流の代わりに、支配者の論理である陸路(そしてそれは現在において強固なコンクリート造りだ)たる道路が張り巡らされ、もはやどこに海の思想は漂っているのだろう。明治維新以来、政府は中央集権化という名のもと強力に支配者の論理を全国的に広げていった。そして戦後になって高速道路が登場してくるにあたり、本格的に陸路の論理が日本を覆う。高速道路こそ現代の物流の要であり、まさに陸路中の陸路、つまりなるべく直線を主として作られ、延々と同じような道が続いていく。それは極めて安全で平坦、まさに支配者が大好きな道路だ。見かけ上、明治維新後の日本において、海路は陸路に負け続けてしまったように思える。

果たして、海民としての日本人の心性はこのような高速道路の建設ラッシュによって潰えてしまったのだろうか?自分はそう考えない。

ところで、高速道路とは現代においてもっとも退屈する道の一つだ。高速道路催眠現象という一種の症状がある。真っ直ぐ、平坦な道が続く高速道路において運転手は知らず知らずのうちに眠くなってしまうというもので、気づいたら寝ていた、気づいたら違う車線を走っていた……というような致命的なミスを犯しかねない症状で社会現象の一つにもなった。眠気とはまごうことなき生理現象であって、それを止めることは出来ない。だとすればその退屈な道である高速道路上でいかにして退屈をしのがせるか?これがその後の高速道路に求められた使命であった。

アメリカをはじめとする西洋諸国は高速道路を大幅に曲げ、運転しにくくすることで運転手を自然に退屈させないようにした。運転手は次に来るカーブが一体どのようなものなのか、常に慎重になりながら運転せざるを得ない。しかしこれは広大な土地がある西洋諸国だからこそのなせる技だ。それに比べると、十分な土地の確保が難しい日本ではこのような大規模な道路改修は難しい。そこで登場したのがサービスエリア(SA)とパーキングエリア(PA)なのである。

SAとPAのようなものは確かに外国にもある。とはいえ日本にはSA、PA合わせて872か所もこの高速道路上のオアシスがあるのだという(2016年2月時点)。この数は密度の問題でいえば明らかに世界で群を抜いている。それもそのはずでPAは15キロおきに、SAは50キロおきに高速道路に設置されている。さらに数だけでなくその内容の豊富さにおいても世界で稀に見る豊かさがそこにある。実際Twitterを始めとするSNS上では日本のSA、PAを訪れた外国人がその内容の豊かさに驚く投稿を行っていることが散見され、外国人が日本のSAに驚きをもって訪れる動画は大きな反響を呼んだ。

高速道路の退屈をしのぐため、西洋は道路自体に手を加え、日本はSA、PAを充実させることによってドライバーを飽きさせないようにする。もちろん西洋にも簡素ではあるがPAはあるのだし、日本でも道路に手を加えることは行っているが、より際立つという点においてこれらの特徴を見出せることが出来るだろう。更に今考えようとしている國分功一郎の議論を重ね合わせるならば、日本におけるSA、PAという存在は中動態的であると言えて、一方で道路を変えて自然とドライバーの退屈を解消させようとする西洋型の高速道路は、受動-能動の関係がそこに見て取れる。どういうことか。

西洋型の高速道路でドライバーは高速道路に乗った瞬間、退屈させられないように、曲がりくねった道路を運転させられる。ここでドライバーは受動的でしか有り得ず、その与えられる道に沿って緊張を持って運転せざるを得ない。というよりか、そのような作りになっている。一方でSA、PAはこのように強制的な選択肢をドライバーに与えるわけではない。そこではドライバーにSA、PAに立ち寄るか、立ち寄らないかの選択が与えられ、各ドライバーはそれぞれの疲労の度合いによって反復的に目の前に現れ続けるこのオアシスを利用することもできるし、無視して通り過ぎることもできる。この点においてドライバーは極めて自発的に行為の選択を行っているかのように感じられるが、しかしその選択要因となる疲労度や眠気は先にも書いたように自らの体内で起こる生理的な原因であり、個人の意思によってコントロールできる類のものではない。その点においてドライバーは生理現象によってSA、PAに立ち寄らせられているとも言いうることができ、ドライバーは自ら選択しているかのように見えて、その実、選択させられているというような極めて中道態的な世界がそこに広がっている。その点において、海民の中動態的な世界がひっそりと、しかしたしかに姿を現しているのである。

そして、この観点から國分功一郎が語ったような『暇と退屈の倫理学』に新しい地平をもたらすことが出来るのではないだろうか。SA、PAは確かに退屈をしのがせてくれる施設である。そしてまた今しがた確認したように中動態的な施設でもある。しかしその実際を見てみると、各PA、SAは決まりきった距離の上に同じような建物が反復して現れている。それらは郊外型チェーンのように同じで、無機質なものであるかのように見えるだろう。事実、外国人たちが賞賛しているサービスはどのSA、PAにも見られるものであって、それぞれのSA、PAに特有の何かではない。だからそれは延々と同じような施設が反復しているかのように見える。しかし本当にそうなのだろうか?

SA、PAをこよなく愛する人間たちによって設立された「日本サぱ協会」という団体がある。高速道路の面白さを発見し、SA、PAの魅力を発信し続けているこの団体は独自の協会員憲章を持っているのだが、その第6条に次のような条項があることは本論にとって興味深く思われる。それが、「サぱ(SA、PA)ではその土地の文化を肌で感じるべし 」という条項だ。わざわざ条項にするぐらい、「日本サぱ協会」はそれぞれの施設にその風土の独自性が宿っていると考え、その魅力を伝えようとしている。僕たちは例えば東名高速道路を運転していたとしよう。その途上でその平坦な道のりに飽きてしまったとする。退屈の発生だ。もしかしたら急な眠気に襲われてしまったかもしれない。そこでそこに現れたサービスエリアに入り込むことにする。そこは確かに見かけ上は、均一な建築が広がっているかもしれないし、提供されているサービスも同じようであるかもしれない。それではまた退屈してしまうかもしれない。どのサービスエリアに入っても同じだからだ。しかしそこで売られている物には微妙な差異があるし、その設備もまたそれぞれのサービスエリアにおいては異なるのである。ネクスコという単体の会社が同じような施設を出したとしても、そこには微妙な差異が存在していて、反復しながらしかし少しずつずれていくという事態が、高速道路上では発生している。

なぜこのような現象があろうことかサービスエリアで行われているのだろうか。例えばコンビニエンスストアや、大手スーパーではこのような差異は際立った形では現れないはずである。その理由こそ、退屈にある。もう一度原点に返ってみよう。なぜ、高速道路はSAやPAを用意したのか。それは高速道路という平板な道で退屈することによって事故が起こることを防ぐためであった。だから、ネクスコはまず事故を減らすためにSAやPAでドライバーを休ませる必要がある。もちろんそのためにはカーラジオでの呼びかけ、もしくは高速道路上での注意喚起の電子看板といった手法もある。しかしそれだけでは不十分である。だからこそ、ここでSA、PAの重要性が浮上してくる。ドライバーに魅力を感じさせ、そこに誘い込むために各々のサービスエリアは徐々に差異化してくる(もちろんこれにはネクスコが国有化の軛を解かれたということも多分に関係している)。そして結果として、同じようだが、少しずつ違う、というような高速道路上のグラデーションが存在しているのである。

ここで重要なのは、SAやPAを突き動かしている原理が、ただ合理的にモノを売ればよい、ということではないということである。なぜならばそれはまず第一に高速道路上で人びとを休憩させなければならないという第1の目的を持った施設であり、そこから逸脱することは出来ないのであって、無目的に人々に対して消費を強いらせるということが発生しないからだ。ここで國分が『暇と退屈の倫理学』で述べたことを参照してみても良いだろう。彼はこの本の末尾でとある目的をただ合理主義的に遂行するのではなく、その目的に向かうための途上にこそ退屈をしのがせてくれる諸要因が存在しているのではないか、と述べた。本を読んでただそこに書いてある結論を読み取るのではなく、その結論を得ようという過程にこそ面白みがあるのではないか、と言ったのだ。確かに高速道路とは今まで何度も繰り返し語ってきたように目的地に最も合理的に到着するための道である。そしてその途上には退屈をしのぐためのPA、SAが置かれることになる。その点において確かにPA、SAは國分が語るような目的に向かう途上に存在しているが、しかしここでは國分の論を独自に読み替えていかねばならない。

既に確認したように、SA、PAは人々を休憩させなくてはならないというある目的を中動態的なやり方で遂行した結果として、個々のPA、SAがグラデーションを描くようにそれぞれに違ったものになっていくのである。そしてそのように発展したSA、PAを楽しむ「サぱ協会」のようなものまで出てきてしまったのである。ここで起こっている事態とはどのようなものだろうか。それは、目的を中動態的に遂行した結果として、暇つぶしに役立つ余剰とも言えるものが出来上がってしまうということである。退屈を解消するという目的を追求しようとする末に退屈とは程遠い多様性に満ちたPA、SAが出来上がるのだ。

日本において、高速道路の退屈を解消するために作られたPA、SAは中動態的な度合いが強い世界をもっていて、結果として地域の風土に根差した多様性がそこには生まれた。それはとりもなおさず海民としての心性を持つ日本人が取った中動態的な度合いが強い対処法であって、かつての空気を能動―受動のパースペクティブが根強く残っている現在においてさえ伝えているようである。しかしそこで起こっている現象は、國分が語るような暇と退屈の乗り越え方をまた違うやり方で乗り越えているようだ。目的を中動態的に追及すること。それがなぜか、退屈しのぎの多様性へとつながっていく。もっと言えば、何らかの余剰を生むという事態へ。これは日本という海と戯れることを長く行ってきた民族の、ある記憶だろうか。しかしそのような想像は安易な国家主義へと至るということを警戒しながら、なおここに観測された一断面をもって國分功一郎が語る世界に対するまた異なる観点を提示することが出来るのではないだろうか。

 

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