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蓮實重彦、鬼畜系、麻原彰晃、あるいは2つの共時性を巡って

1:1983年という共時性
1983年に起こった3つの出来事を並べる。蓮實重彦が『監督 小津安二郎』を出版する。アングラ系雑誌の『Heaven』が主催した「天国注射の昼」というライブが開かれる。そして、松本智津夫が麻原彰晃になる。たぶん3つに直接の関係はない。しかしそれでもなお、この3つの出来事は、1983年に起こってしまった。それはなぜか。
理由の一つ。それはこの三者が有していた「反大衆性」が後に「スカだった」と呼ばれることになる80年代的心性へのカウンターとして機能していたことが考えられる。
どういうことか。一つずつ簡単に見てみよう。

①『監督 小津安二郎』
『監督 小津安二郎』は蓮實重彦が確立した「主題論的批評」を駆使して描かれた最初の本格的な作家論である。「主題論的批評」とは何か。そこではただ画面に映るものだけが批評の対象となる。その細部に徹底的に目を凝らすこと。それが蓮實の言う「見る」だ。白いエプロン、食べること……そんな些細な細部。そこから映画の新しい側面を発見する。しかし重要なことは、なぜ蓮實は見続けるのか、ということだ。蓮實はこう語る。

小津的なものという暗黙の申し合わせの支配から小津安二郎を救い出すためにも、われわれはその作品を見続けねばなるまい。1

小津的なものという暗黙の申し合わせ」。つまり世間の人々が「小津」と聞いた時に思い浮かべる共通のイメージ。蓮實はそれをロラン・バルトに倣って「神話作用」とも呼ぶ。そしてそれを「主題論的批評」によって破壊する。だから彼はこの批評法について「残酷さをともなう快楽」であると語る。本質的にそれは残酷だ。

②「天国注射の昼」
「天国注射の昼」はどうか。この野外音楽イベントは当時のアングラ雑誌『HEAVEN』が主催した。『HEAVEN』は、前身の『JAM』、『X-magazine』と合わせて後に「鬼畜系」と語られる、アンダーグラウンドカルチャーの発端ともなった伝説的雑誌である。「鬼畜系」とは社会が喜んでは語らないような、悪趣味なものを扱う一連の傾向だ。『JAM』や『HEAVEN』の特集を抜き出してみよう。芸能人のゴミ漁り、ドラッグ、天皇、畸形、オカルト、臨済宗まで幅広い。「鬼畜系」のある曖昧さを露呈しているようにも見える。ほぼリミッターが無いこの誌面はしかし、次の一言だけが目的であった。つまり、『JAM』の宣言。

雑誌でパンクをやる。伝統を断ち切る、常識を破壊する、そういう革命を雑誌によって起こす

断ち切られる伝統。破壊される常識。これらは蓮實が断ち切り、破壊しようとしたものに他ならない。つまり「神話作用」。安定した世界のイメージを「鬼畜系」はことごとく破壊する。そしてその最初の盛り上がりの頂点が「天国注射の昼」という音楽イベントだ。当時では注目されなかったミュージシャンなどが出演し、「鬼畜系」カルチャーの1つの頂点を成した。そこにはこの宣言に見られる、「反大衆社会」という主張が色濃く影を落としていたのである。

③麻原彰晃
松本智津夫が麻原彰晃になる。それは後に地下鉄サリン事件などを引き起こすカルト宗教「オウム真理教」の教祖が誕生した瞬間だ。それと共に彼は次のような教義を掲げる。

宗教の本質とは、修行によって「神秘的体験」を得ることにある。ヨーガや密教の修行を実践すると、それまで潜在していた能力が開発され、空中浮遊などの超能力が身につくとともに、人間の魂を支配する輪廻転生の法則を理解できるようになる。[…]麻原は日本で唯一の「最終解脱者」であり、[…]信者たちは、麻原に帰依することによって、その霊性を速やかに進化させることが可能となる。[…]しかし現代の社会は、物質的快楽に溺れて徒にカルマ(=業)を増大させ、霊的な進化を説くオウム真理教を迫害している。2

後半に注目してほしい。麻原にとって現代社会とは、彼の教義に対して明確に迫害を行う。だからこそ、彼はその目的を達成するために邪魔者たる現代社会を抹殺しなければならない。そうして引き起こされたのが、一連の事件である。その事件の詳細に立ち入ることはしまい。重要なのは麻原の宗教的本質が、蓮實重彦と、「天国注射の昼」と同様に「反大衆社会」的な方向に向かったことである。

1983年に起こった3つの出来事。その根底に「反大衆社会」的な方向性が存在した。同じ方向を向いていた三者はしかしその後に大きな転向を向かえることになる。

2:もうひとつの共時性へ
もうひとつの共時性。それは1995年のことだ。つまり、オウム真理教による地下鉄サリン事件と、『危ない1号』の創刊。
『危ない1号』は編集者青山正明を中心として作られた、アンダーグラウンドマガジンである。創刊号の特集は「Drug」。その他にも村崎百郎によるゴミ漁りレポートなど多くの悪趣味な誌面を作り上げた。一見して分かるようにこの雑誌は鬼畜系の延長線上にある。特筆すべきはその「鬼畜系」という名称自体が、この雑誌の編集に関わった村崎百郎によって命名されたということだ。彼は鬼畜系という系譜を作り上げ、一種のブームに仕立て上げた。その系譜では『JAM』や『HEAVEN』が「鬼畜系」雑誌のパイオニア的な存在に置かれたのである。
ドラッグ、強姦、死体、ロリコン、スカトロジー……。あらゆる道徳を破壊し、侵犯する無神論的な態度。彼らはそうした異端の系譜を「鬼畜系」と名付け、自らその極北に立った。
「鬼畜系」がブームとなったその年。地下活動として展開されていた麻原の野望は、地下鉄サリン事件として遂に社会にその姿を現す。それまでにいくつかの犯罪を行っていたオウム真理教だが、この事件により、一連の事件の首謀者がこのカルト団体であることが判明したのだ。宗教の極北。
1983年に起こった3つの出来事。「反大衆社会」的な方向性が、無神論と宗教の極北として1995年に登場する。

では、1995年の蓮實重彦は?
表面的な事例から見てみよう。この未曽有の年度に関して、多くの評論家は様々なスタンスを取った。しかし蓮實重彦は『危ない1号』に対してはもちろん、オウム真理教に関してもほとんど発言をしていない。いや、蓮實自身ほとんど政治について語らないのだ。批評対象は映画から、文学、スポーツまでと幅広いが、それが政治思想に変わることはない。
しかしそれは単に蓮實が政治的話題を忌避していただけではないだろう。そこには何か彼の思想、批評姿勢の根幹の核となる部分が隠れてはいまいか。
それを明らかにするために今一度その他2つの極を見つめてみよう。
鬼畜系カルチャーとオウム真理教は1995年の後、様々な理由によって自壊していく。それらの原因を見つめながら、改めて蓮實の批評的姿勢について考えてみよう。

3:鬼畜系ブームはなぜ自壊したのか
「鬼畜系」ブームは1995年にブームを迎えてから5年ほどで自壊する。雑誌に関わっていた編集者やライター達が相次いで自殺し、ブーム自体が下火になったのだ。創刊に関わった青山正明(2001年自殺)、ねこぢる(1998年自殺)の死、そして村崎百郎は2010年に現実の鬼畜に惨殺された。こうした事情は彼らと共に『危ない1号』に携わった吉永嘉明の『自殺されちゃった僕』という本に詳しい。その中に象徴的なエピソードがある。
創刊から2年後の1997年。神戸連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇事件」。世を震撼させたこの事件の犯人は、『危ない1号』の愛読者だったと言う3。「冗談を冗談と取れないやつが増えてきた」と吉永が言う。現実に「鬼畜」的な行動を行うものが現れ、執筆人たちはその現実の重さに耐えかねるようになったのだ。
ここに重要な単語が浮かび上がる。
それが鬼畜系カルチャーの基本的な構えである「冗談性」だ。
例えば『HEAVEN』のある試み。そこでは雑誌の中の一ページを両面とも白紙のままで出版した。これは編集に関わった近藤十四郎のアイデアで「今までに誰もやったことの無いことを、ということで冗談でやった」と語ったという。
記事自体、扱っている内容の悪趣味さに比べて、軽快かつ冗談じみた文体であった。もちろんこの構え自体が「反大衆社会」性につながっていることは言うまでもない。更にこの冗談性が鬼畜系に見られる執筆陣の立場を曖昧にし、複数化させている。彼らは一方で真面目に安定した社会に対して問題提起をしようとする一人のライターである。しかしそれと同時に、フリークスや死体、ロリコンを愛し、好奇に満ちた眼差しでそれを見つめる人間でもある。
蓮實は鬼畜系について書かない。しかし鬼畜系が持つ複数性については他の題材を用いて言及している。
ロラン・バルトについてだ。
蓮實はバルトについて、「いかなる場所にもとどまるまいとする欲望を欲望しつつあるその場所をもあえて抹殺しようという欲望」4を持っていたと言う。そしてそれ故にバルトは断片的かつ複数的でしかあり得ない。そしてこう書く蓮實自身もまた複数化、断片化への欲望を持っていただろう。もちろんそれは彼が「神話作用」から逃れようとしていたその軌跡に他ならない。映画をめぐるありとあらゆる言説に反することを述べ続け、自らの論旨さえ、覆す(「見ないことも一つの映画批評ではないか」と近年にのべたことは記憶に新しい)。そこには照準が合わない、複数化する蓮實が現れ続ける。具体的にそれはある種の「冗談性」として現れる。女優の顔が丸いという一点張りで論を進めていくフリッツ・ラング論はもはやギャグそのものだ。また三浦哲也が蓮實の文章における否定辞「ない」をめぐるサスペンス、と書くのもこうした冗談めいた錯乱装置の一環であろう5
しかし一方で鬼畜系カルチャーは、「冗談を冗談と受け取れない人間」によって自壊に追い込まれ、その社会的責任の重さに耐えきれなくなった。確かに「フリッツ・ラングの映画に出てくる女優は全員丸顔である」という言説を真面目に受け取ったフォロワーがいる。そしてエセ蓮實的批評が増える。それは蓮實本人も「忸怩たる思い」で認めるところだし、そのことによる映画批評の停滞は否めないだろう。しかしそれが自壊するというような事態は起こらなかった。何よりそれが現実的な問題となって浮上することはなかった。
ここに『危ない1号』と蓮實の映画批評の決定的差異がある。蓮實は一貫して、「表象」、つまり「虚構」を扱い続けた。それに対しあくまでも『JAM』や『危ない1号』は(その真偽は別としても)実録ルポとしてこの雑誌を作っていたことは特筆すべきだ。社会にはこんな世界があるのだと知らしめること。それを現実の話として取り上げていた。しかし構えとしてであっても、現実を相手取るということは、現実に対して、ある責任を負うことだ。しかし彼らはその重みに耐えかねた。『危ない1号』の編集に携わっていた多くの人間は精神を病み、自殺をした。そして鬼畜系カルチャーは圧倒的な現実の重さに耐えかねて、自壊していく。
それに比べれば、蓮實のフォロワーが生真面目に彼の言説を追って、そのように映画を見ようが実社会には影響がない。しかし蓮實の批評は本当に虚構の中に留まるものなのか?現実――虚構というあまりにも明快な二項対立で話を済ませてよいものか?
そのことを、今度はオウム真理教の話に接続させつつ考えてみよう。

4:オウム真理教はなぜ自壊したのか
蓮實は現実に対して、無関心なのか。極めて唯物的ともいえる「主題論的批評」。確かにそれは、現実社会から遊離しているだろう。しかし蓮實自身、この唯物論という言葉をかなり独特の意味で捉えている(今後は蓮實独特の唯物論を「唯物論」と表記する)。

僕が唯物論的という言葉で言いたかったのはむしろそのような自己を温存したままのイメージの交換ではなくて、他のものになることに対する一種のキャパシティみたいなものとしてある。6

とある対談の中で語った一言。「唯物論」とは安定した自己と安定した画面上の表層的な戯れでない。むしろ画面と出会うことにより、現実に自分が何かに変化してしまう経験そのものだ。この「唯物論」は先の引用と違わない。本当に「見ている」ならば、「神話作用」に流されることなどない。大衆の安定したイメージなど関係なく、観客は何かに変化する。虚構に触れることで現実が、思いもよらぬ形で変化する。その時、蓮實は虚構と現実の間に存在する。そしてその変化は個人的なものだ。長くなるが再度引用しよう。先ほどの続きだ。

そのようなものになり得る資質を必ずしも特権的な人間だけが持っているわけじゃなくて、あらゆる人がそのような体験をしているはずなのに、どこかに大きな抑圧が働いていて自分自身や社会が、あるいは学校教育がそれを殺してしまっていたりする。[…]芸術というものが何か刺激をもたらすとしたらば、そういうことへの招きというか、有無を言わさぬ力といったものとしてしかあり得ないはずである。7

変化の体験は特権的な人間のみに許されているのでない。皆に平等にあるはずである。そしてこの「唯物論」の理論にもう一度次の言葉を重ね合わせてみよう。

宗教の本質とは、修行によって「神秘的体験」を得ることにある。ヨーガや密教の修行を実践すると、それまで潜在していた能力が開発され、空中浮遊などの超能力が身につくとともに、人間の魂を支配する輪廻転生の法則を理解できるようになる。[…]麻原は日本で唯一の「最終解脱者」であり、[…]信者たちは、麻原に帰依することによって、その霊性を速やかに進化させることが可能となる。[…]しかし現代の社会は、物質的快楽に溺れて徒にカルマ(=業)を増大させ、霊的な進化を説くオウム真理教を迫害している。
(強調部分、引用者)

オウムの本質は「修行によって潜在的な力を開発する」ことにある。それは蓮實が、唯物論を「他のものになるキャパシティ」と語ることと同義ではないか?変化への欲望、それが両者の類似点だ。自分自身の外に出る、という目的。本来それは極めて個人的な経験のはずである。しかしオウムではその経験が麻原の判断に委ねられていた。修行がどれぐらい進んでいるかは、全て麻原が定めた規則に乗っ取って判定された。複数化ではなく、特権化が行われ、それは全体主義の体制に限りなく近づく。そして麻原が暴走する時、オウムのあの末路は開かれた。
しかし僕たちはここで問わねばならない。蓮實の批評がこの特権性を免れ得ただろうか?と。

5:特権化と複数化の間で

いかにクレジットに無関心であったのか、照明を見ていなかったのか、音声を聞いていなかったのか――強いては、映画館でいかに集中力の欠けた怠惰な時間を過ごしていたのかを訴追される。[…]自分の偏見と先入観を一変させるカルチャーショック、信じられない驚嘆と同様の瞬間が訪れるいわば〈ハスミ・イニシエーション〉を他の学生と同様、私も体験した。8

これは蓮實重彦が東京大学で行った映画学講義を聴講した舩橋淳の回想だ。蓮實の著作なり、授業なりを体験した人間。彼らは決まってそのショックを隠さない。ここでは「イニシエーション」という少々大袈裟な言葉づかいが使われる。蓮實の批評に出会ってしまったらもう戻ることが出来ない。そういう意味だろうか。もしくはその講義は「緻密で、かつある意味、きわめて魅惑的(官能的といってもよい)であるその長回し的な語りで、所狭しと教室に詰めかけている二十歳前後の学生たちを誘惑し続けた」と語られるように、多分に身体的であった。蓮實は、まさに麻原のように特権化される。「イニシエーション」はまたオウム真理教においても重要な宗教的契機であったはずだ。そしてその講義や文章の身体性。それは麻原が按摩師として、信者たちの肉体に働きかけるようだ。もしくは蓮實の映画論自体が「映画自体を模倣するというモーメントを持っていた」。そこでは、蓮實の映画批評に出会うことが、映画に出会うことでもある。しかも模倣されている当の物は、物語ではなく、形式なのである。
頭脳で考える物語ではなく、身体的に享受する細部。それは発話的に言えば、発話内容(=物語)ではなく、その発音される音素や、単語、その配置がもたらす意味である。ロラン・バルトはそれを「エクリチュール」とか「声の肌理」とも呼んだだろう。しかしバルトは先述したように、そうした情報だけを受け取り、思考するのではなかった。一方で物語内容に出会い、一方でその記号とも戯れる。そして蓮實もまたそうした複数化の目論見を持っていたはずだ。
しかし一方で教祖としての蓮實がいる。それはあらゆる意味で複数化する蓮實と対立する。教祖は特権化されている。特権化と複数化の間で、揺れ動く蓮實がいる。彼が『ゴダール革命』のあとがきで述べたようなことを蓮實自身に置き換えればよい。
つまり、第2、第3の蓮實が登場するために、蓮實を特権化しないこと。
そのためには複数化への欲望の強度が上がらなければならない。
鬼畜系カルチャーが、その現実の重みに耐えかねて自壊したような意味では、蓮實の批評が自壊することは有り得ないだろう。しかし、蓮實は先にも確認したように現実と虚構の間に存在している。そうした立場における複数化の欲望にこそ、来るべき第2、第3の蓮實が立ち現れるのではないか。そうなるには、蓮實は麻原に近づきすぎた。その身体的な語りによって、幾多の弟子たちに「イニシエーション」を与え、変化させてきた蓮實。しかしそれは彼自身を教祖化、特権化する結果を招き、彼が本当にその真相に据えていた「個々人が自分自身の外に出て、変化する」という蓮實的「唯物論」の構えを持つ論者の出現を阻害する。そこで後続の論者たちに模倣されるのは、蓮實の目的ではなく、蓮實の方法だけである。
蓮實重彦の罪は、彼自身の身体的な語りそのものにあるだろう。その語りが、彼自身を1つの芸術作品にしてしまった。蓮實に出会うことで、弟子たちは変わった。いや、本来ならば、そうではない。映画に出会って変わるべきなのだ。
その道を、蓮實は自分自身で語りながら、自分自身で閉ざしてしまったのではないか。

6:新たなる希望?
この小論を締めくくるにあたり、では現在において第2、第3の蓮實はどのような形で出現し得るのだろうか?ということについてある事例を取り上げてみたい。
麻原が日本における核戦争第1段階の終了年として特定した2006年。核戦争は起きなかったが、代わりに1冊の本が出版された。
クァンタン・メイヤスーの『有限性の後で』だ。
「思弁的実在論」と呼ばれる彼の思考の端緒となる本書。ここでは世界と私がお互いに関係していて、その中から抜け出せないことを基調に置くカント以来の哲学を「相関主義」と呼び、批判していく。本文を少し引いてみよう。

原化石は、この「秘密の通路」を通って、二世紀にもわたり近現代哲学が不可能として教えてきたものを私たちに手に入れようとしている――自己自身の外に出ること、即自を捉えること、私たちが何であるのか/何でないのかを知ること、である。9
 (強調部分、引用者)

                                                                    

原化石とは、人類が生まれる前に地球の活動があったことを証明する物的証拠のことだ。つまりそれらが、世界との関係の中でしか自己を規定できない、「相関主義」の哲学を超える可能性を示唆するのではないか。強調されている「自己自身の外に出る」とは蓮實が言う「唯物論」に他ならない。つまり、自分自身がそれまでの自分を超えて、「なにか」になること。
「亡霊のジレンマ」という論文では、自分自身が究極的に変化してしまう「死」という問題を考えること(彼はそれを「亡霊の喪」と呼ぶ)にあたり、宗教と無神論の2つでもない第3の道を探すために論理を組み立てる。

無神論と宗教、この二つが真の亡霊の喪に対峙した際に生じるアポリア的な二者択一を、亡霊のジレンマと呼ぼう。[…]無神論と宗教という二重の行き詰まり(=亡霊のジレンマ)から抜け出すような生者と死者のつながりを、いかに思考するべきか、と。10

生者の世界という現実と、死者の世界という一種の虚構の中にメイヤスーは身を置き(=複数性)、その関係を考えている。
『危ない一号』という無神論の極北と、オウム真理教という宗教の極北。その行き詰まり。明らかにこの問題系はポスト1995を生きる僕たちに課された問いでもある。蓮實が1995年に沈黙を続けつつ、虚構を論じている他の平面で、極めて蓮實的な目的の下、メイヤスーはこの問題を哲学者として考えているのである。

蓮實重彦の映画批評は偉大であった。ということを今更言う必要はないだろう。しかしその映画批評における真の目的――個々人が映画と出会うことにより、変化してしまうこと――を真摯に受け止め、思考を続けるものは少ない。一方で蓮實自身の映画的、身体的な語りによって蓮實が特権化され、その目的が疎外され、手段だけが強調されたことは否めない。現実と虚構の間に身を置きながら、個々人が変化すること。そして特定個人の特権化ではなく、複数化の道を辿っていくこと。
第2、第3の蓮實はそうした営みから出現していくのだろう。

脚注
1
蓮實重彦『監督 小津安二郎』、ちくま学芸文庫、1992年、pp.  257-258。
2大田俊寛『オウム真理教の精神史』、春秋社、2011年、p. 21。
3吉永嘉明『自殺されちゃった僕』、飛鳥新社、2004年、pp. 22-23。 
4蓮實重彦『ロラン・バルトまたは複数化する断片』(ロラン・バルト『映像の修辞学』、蓮實重彦+杉本紀子訳、ちくま学芸文庫、2005年)所収、p. 125。
5三浦哲也+入江哲郎『平成生まれのための蓮實重彦ブックガイド』(「ユリイカ 蓮實重彦」、青土社、2017年)所収、p. 409を参照。
6蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』、日本文芸社、1994年、p299。
7蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』、同上、p. 300。
8舩橋淳『蓮實重彦/峻厳な切断』(「ユリイカ 蓮實重彦」、同上)所収、p. 181。
9クァンタン・メイヤスー『有限性の後で』、千葉雅也他訳、人文書院、2016年、p. 51。
10クァンタン・メイヤスー『亡霊のジレンマ』、岡島隆佑訳(「現代思想 2015年1月号」、青土社、2015年)所収、p. 93。

文字数:9150

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