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探歩する越境者~「ちい散歩」から「ちい散歩」を超えて

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これは2006年から放映が始まった散歩番組「ちい散歩」で、散歩人である地井武男が散歩の最後に描いた絵である。訪れた街の中で印象に残った風景を絵葉書という形で地井が描く。それは完全に写実的な絵画ではなく独特の筆致で、俗に言う「味のある」絵だ。「ちい散歩」は地井武男の人柄もあって、人気番組となりその後の「散歩番組ブーム」の先駆けとなった。

2006年~ 散歩シリーズ(ちい散歩⇒ゆうゆう散歩⇒じゅん散歩)
2007年~ もやもやさまぁ~ず2
2008年~ ブラタモリ
2012年~ ぶらぶらサタデー
2015年~ 夜の巷を徘徊する

これは現在放映中である「散歩番組」の開始年度を並べたものである。2000年代以降、「ちい散歩」以後にこうした散歩番組が広く放映されていることが理解できるが、そもそも「散歩番組」とはどのようなものか。社会学者である太田省一が「「お散歩番組」人気の秘密」1に寄せた説明によればそれは「芸能人や有名人がどこかの街を訪れ、特にこれといった目的もなくぶらぶら歩く」というスタイルを採る一連の番組である。
しかしこうした定義を見てから「ちい散歩」を考えると、いささか奇妙に思えてくる。街を「目的もなくぶらぶら歩く」だけであるならば、絵など描く必要は無いのではないか?しかし「ちい散歩」では500枚を超える絵葉書が書かれ、後にはその絵葉書を展示した回顧展も開かれるほど、「ちい散歩」と「絵」は切り離しがたい。「散歩」とは言うまでもなく身体的行為であるが、その身体行為の中に「描画」という想像を多分に用いる行為が挿入される。本稿では「散歩番組」たる「ちい散歩」と「絵」のこの不思議な関係を軸にしながらそこに介在する身体についてまで思考を広げていく。
問うべき問いはただ一つ、「なぜ「ちい散歩」は絵葉書を描くのか?」という問いである。
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しかしながらこうした「散歩番組」は「ちい散歩」をきっかけとして突然登場したわけではない。そもそも芸能人が街をただぶらつく番組は2000年代以前にも見られる2。1992年には「ぶらり途中下車の旅」が始まり、そしてそれよりも20年以上前、1970年には「遠くへ行きたい」の放映も始まっている。
太田省一は前掲した記事の中で「遠くへ行きたい」について次のように述べている。

有名な主題歌の一節「知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」が物語るように、この番組は純粋なお散歩番組とも言い難い。番組自体、当時の国鉄によるキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の一環として企画されたように、日本を再発見しようという外側から見た視線がそこにはある。それに対して、お散歩番組には日常そのものを体感しようという内側の視点があると思えるからだ。

ここで太田がはっきりと二項対立的に挙げているのは、「外側から見た視線」である「遠くへ行きたい」と「日常そのものを体感しようという内側の視点がある」散歩番組である。
2000年代以前の「散歩番組」と2000年代以後の「散歩番組」にはこのような点において差異を見ることが出来る。だとすれば2000年代以降の「散歩番組」を特徴づけるものは何なのだろうか。
太田が「外側からの視点」と述べるとき、それは主に「遠くへ行きたい」や「ぶらり途中下車の旅」が公共交通と深く結びついていることを意味している。「遠くへ行きたい」は国鉄時代からJRがスポンサー企業であり、太田の引用文中にもあるように、国鉄のキャンペーンの一翼も担っていた。また「ぶらり途中下車の旅」ではそのタイトルからも分かるように主役はあくまでも電車であり、旅人と呼ばれる散歩人が電車に乗る姿もしっかりと映し出される。
公共交通の介入は、視聴者を今・ここの日常世界から連れ出す錯覚を与え、これらの番組は「散歩番組」というよりも「旅番組」と形容する方が相応しいように思われる。いわば視聴者を観光しているかのような気分にさせる、そうした番組が1970年~1990年代の街歩き番組には見られたのである。
では「内側からの視点を持つ」2000年代以降、「ちい散歩」以後に登場してきた散歩番組はこれらの番組と具体的にはどのような差異を持っているか。これらの番組の大きな特徴は公共交通機関がその番組中に全く登場せず、散歩番組の名の通り、徒歩移動のみで番組が成立することである。公共交通での移動とは違い、徒歩での移動はダイレクトにその環境世界を体感することが出来る。事実、ちい散歩でも散歩の最初は既に電車から降りたものと想定される駅から始まり、その後に公共交通を使用することは全くない。
大枠で「散歩番組」と括られていた番組を公共交通という観点によって、「旅番組」と本当の意味での「散歩番組」に2000年代を区切りとして区別することが出来る。前者は公共交通で非日常空間に降り立ち、そこからその地でまだ見ぬ出会いを求めて歩き始めるが、後者は最初から徒歩でその世界を体感するように散歩を開始する。
しかしながら太田が2000年代以降の「散歩番組」に与えた「内側から日常世界を体感する」という部分の「日常世界」という表現にはいささかの疑問が残る。なぜならば既にして「番組」という単語が物語っているように、「散歩番組」が「番組」として成立するためには日常空間の中に「芸能界」という異空間からやってきた芸能人が入り込むという日常世界ならざる出来事が必要だからである。
そしてそうした日常世界への異世界なるものの混入は「散歩番組」という形式にだけではなく、演出の面においても同様の構造を、こと2000年代以降の散歩番組には見出すことが出来るのである。例えば2008年から放映が始まった「ブラタモリ」は日常生活でふつうに見ることの出来る街の風景を「地理・地学」という観点から掘り起こし、そこに思いもよらぬ非日常的な歴史を呼び起こす。もしくはマツコ・デラックスの「夜の巷を徘徊する」では散歩番組の典型例であった昼ではなく、敢えて夜に街に出ることで、普段とは違う街の様子を映し出そうとする。
だとすればこうした一連の番組にただ「散歩番組」と命名することは、その実情に即して言えば不十分である。つまり彼らはただぶらぶらと街を歩いているだけではない。番組では絶えずその日常空間の中に、非日常空間を挿入し続けている。ではこうした「散歩番組」を新たに命名するとしたらそれはどのような言葉が相応しいだろうか。
そこで僕が提案したいのが「探歩番組」という言葉である。
「探歩番組」とは何か。
それは散歩する日常生活の中に異和的な様相を発見しようとする番組のことである。ここで重要なのは「探歩者」たちは異和的な様相を発見するのに、敢えて日常生活の中を移動することである。「旅番組」では、公共交通というメディアを通して日常世界から離れ(たことが示され)、異世界へと入り込む。公共交通が「旅番組」において重要なのはそれが距離的な問題に関わりなく(「ぶらり途中下車の旅」はたいていが関東圏の旅である)、異質な世界、ないしは非日常空間に来たことを感じさせるために必要不可欠だからである。一方で「探歩番組」は歩くという直接身体的な動作をのみ用いて、敢えて日常世界の中で異質なものを発見しようとするのである。そして僕はこの「探歩番組」において「探歩」を繰り広げる身体を「探歩者」の身体と呼びたい。
そして「ちい散歩」において「絵」の役割とは「ちい散歩」がただ街をぶらつくだけの番組であることを阻止している。旅の終わりに描かれる絵は地井武男独特の筆致で描かれていることは最初に確認したが、この「絵」こそがその日に散歩した「異世界」を表象するのだ。あの「絵葉書」が書かれることにより、明確に私達が知らない街の様相が地井武男の絵筆によって提示され、その点で「ちい散歩」は「探歩番組」の典型例となる。地井武男の身体は、散歩をすると共に、そこで描画をも繰り広げる「探歩者」の身体としてある。

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前章では2000年代以降、「ちい散歩」を皮切りに登場してきた「探歩番組」について2000年代以降特有の番組形態であることを、それ以前の「旅番組」と比較しながら公共交通という観点で峻別し、そこに見られる「日常生活のただなかに入り込みながら、そこで異質な世界を探し歩く」という「探歩番組」、そしてそこに存在する「探歩者」の存在を明らかにしてきた。
本章ではその「探歩番組」がどのような時代背景の中で生まれてきたかについて考察しながら、その具体的な身体の表れについて更に考察を深めていく。「探歩者」が登場した2000年代、彼らが歩き回る都市の状況はいかようであったか。それは三浦展が「ファストフード化」という単語で端的に表現したような、均質な都市風景が形成されていく途上である。「日本の原風景」なるものが、コンビニやスーパーといった均一な外観と中身を持つチェーン店によって侵食され「全国総郊外化」という現象が起こるのだと三浦は説明する。こうした傾向は日本では1995年以降顕著になっていくのだが、そうした都市状況の中でこそ「探歩者」は誕生する2
均一になっていく都市風景が日常と化していく中で、異和的なものをその内側から発見すること。均一化という現象を目の当たりにした人間たちは徐々にこうした現実に対処するために無意識的に身体を変化させる。1995年に放送が始まった『出没!アド街ック天国』はこうした動向をもっとも敏感に察知して、人々に「探歩」のシグナルを送っていた。毎回紹介されるその街ならではのスポットや隠れた名店など、他の街と区別し得るいくつかの場所をランキング形式で洗い出していく。しかしながらこの番組はまだ実際に「探歩者」を生み出しはしない。番組自体はスタジオで行われる、バラエティショーの形式だからだ。
そして地井武男という「散歩の達人」もとい「探歩の達人」が2006年に「ちい散歩」を開始して本格的に「探歩」する身体は社会に広がっていく。「ちい散歩」は後続の散歩番組を多く生み出しただけでなく、一般社会にも散歩ブームを浸透させたのである。そしてその狙いはもちろん現実に存在する街の中に、異空間を発見するためである。
しかしこの「探歩」にはれっきとした系譜が2000年よりも前に存在する。赤瀬川源平が提唱した「超芸術トマソン」という概念及び彼が率いる「路上観察学会」である。これらは1970年代を通して赤瀬川源平が取り組んでいたプロジェクトだが、路上にある全く役に立たない事物をトマソンと名付け、それを探すというものである。
「路上観察学会」は他にも街中に貼ってあるポスター収集など、現実の街の中から一般的には考えられないような不可解な事物を観察することがその活動内容であり、表面的に見るならばこうした一連の活動は「探歩者」的な活動であると言って差し支えない。したがって2000年代以降に現れた「探歩者」の身体が持つ特徴についてより精緻に考察するためにはこの「路上観察学会員」の身体と何らかの観点で区別をすることが必要なのである。そしてその区別のヒントになるものが、「探歩者」の具体的な身体表象の中に隠れていると僕は考えている。その具体的な身体表象を見つめ直すためにまた「ちい散歩」に立ち返る必要がある。
この論考で始めに提示した問いは「なぜちい散歩は散歩の最後に絵を描くのか?」という問いであった。既に前章の分析でこの問いに対する一部の解答は導き出せている。しかしながら僕たちはこの描画行為からもっと深い意味を汲みだすことが出来ないだろうか。
そしてそこから汲みだされた意味こそが「路上観察学会員」の身体との差異を導く。「探
歩」とは現実の街の中で非日常的なものを探し出すという現実空間を前提とする作業であ
る。一方で作画行為とは純粋にヴァーチャルで想像的な作業であり、そして個人的な作業で
ある。絵葉書で描かれる風景は地井武男の個人的な視点に強く影響を受ける。
だとすればこうはいえまいか。
つまり「探歩者」は2000年代においてしばしばヴァーチャルで個人的な世界とリアルで公共的な世界を行き来するような身体ではないか?
「トマソン」は「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」3と赤瀬川源平によって定義づけられ、写真誌である『写真時代』で全国各地の「トマソン」募集のコーナーが設けられていた。「トマソン」とはそうした読者にとって、共通の「トマソン」としてある。更にそのようにして読者から投稿された「トマソン」は赤瀬川源平によって「トマソン」であるかどうか判定されるのであるから、「トマソン」に対する共通認識は広く浸透していた。つまり様々な人間にとって日常世界の中で発見される異世界的なるものは、赤瀬川の定義という共通認識によって規定されていたのである。
一方で「ちい散歩」は「番組」としてその内容は視聴者に広く共有されるが、敢えて「絵葉書」という地井武男の個人的な視点に強く影響される作業をそこに挿入する。そこには個人的でヴァーチャルな世界と共通の現実空間を越境する身体が見られるのである。そして「探歩者」の概念を更に精緻にするためにこうした身体を「探歩する越境者」と命名したい。
越境する身体について重要なファクターになるのはテクノロジーである。2000年代は「探歩する越境」を手助けるようなテクノロジーの発達でまた特徴づけられよう。例えば2000年代は携帯用音楽プレイヤーが従来の型に比べてより小型化したことにより、音楽を聴きながら街を歩く人間が爆発的に増加したが、これもまた「越境」の極めて理解しやすい例である。そこで「探歩する越境者」は現実の街の中を歩きながら、それぞれの音楽プレイヤーに内蔵された個人的な音楽空間というヴァーチャルな空間にも身を寄せている。「ウォークマンは音の壁を個人的に携帯し、発生することを可能にする装置である」4とは若林幹夫の言葉である。
もしくは2005年に発刊された中沢新一の『アースダイバー』を覗いてみよう。

吉祥寺まで長い散歩に出かけてみることにした。地図を見て、住んでいるところから神田川にそって歩けば、だいたい1時間半の距離とにらんだ。それだとちょっと長めのオペラのCDの全曲を通しで聴くのに、ちょうどよい時間だ。一神教に入れ込んでいたぼくは、迷わずシェーンベルクの『モーゼとアロン』をザックに詰め込んで、神田川にそって歩き出した

『アースダイバー』は「ブラタモリ」にも影響を与えた「街歩き本」の典型だ。この本の中で中沢は東京における縄文時代の土地の歴史から、その光景に新しい世界を見出しているが、彼もまた携帯用音楽プレイヤーでシェーンベルクのオペラ『モーゼとアロン』を聴きながら街を歩くのだ。携帯用音楽プレイヤーを聴く人間はその個々人が聴く音楽で、現実の都市の風景をと想像の個人的な音楽を行き来する、「探歩する越境者」である。
ここまでで初めに提示した問いはすべて解き終えたということが出来るだろう。
なぜ、「ちい散歩」はその旅の終わりに絵を描き残すのか?
それは地井武男の身体が「探歩する越境者」だからである。彼は日常生活の中に徒歩という形態で入り込み、その中に非日常的空間を探し出していく。その時に用いられたのが「絵」という個人的でヴァーチャルな媒体である。「探歩者」をそれ以前の「探歩者」と分かつ、つまり21世紀独特の身体様式にしているのはこの越境性である。すでにアースダイバーの事例も挙げつつ説明してきたようにこのメディアに成り得るのは絵だけではない。
「探歩者」たちは共通的な現実世界と、ヴァーチャルな個人の世界を越境しつつ、現実世界の中を生きていく。ここで重要なのは、ただ現実世界に絶望することでもなく、幻想のヴァーチャルな世界に閉じこもることでもなく、その2つの世界を行き来しながら、街に出ていく態度が21世紀の身体に見られることである。
そして「散歩番組」という形で表れてきた一連の散歩番組はこうした身体の在り方を指し示すのだ。
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そう書いて僕はキーボードを打つ手を止めようとした。
しかしその時にふと僕の脳裏をある疑問がよぎる。ここまでの話をまとめてみよう。「探歩する越境者」は、均質化する現実世界の中で異質な空間を探しながら歩く。しかしそこでは異質な空間として、個人的でヴァーチャルな空間がしばしば参照される。それは「ちい散歩」のように「絵」という原初的な形でもあり得るし、テクノロジーの進化と共に音楽プレイヤーなどでもあり得る。
そう考えてみたとき、こと2017年現在においてこの問題を考えた時に決定的に僕の論考で抜け落ちている視点がある。それが携帯用音楽プレイヤーをしのぐテクノロジーを持つ、AR(拡張現実)とVR(仮想現実)のことだ。現実世界の中に異世界の怪物としてポケモンが現れる「ポケモンGO」は拡張現実の代表的作品である。これは確かにそれぞれのプレイヤーを同じ街に動員させるがそれぞれのプレイヤーで交流はなく(個人的である)、ヴァーチャルで個人的なスマホ画面を元にして、個人的な「探歩」としてヴァーチャル空間と現実空間を「越境」させる。
(ポケモンGOに興じる人々。様々な人間が現実の都市空間の中に集合しているが、個々の交わりはない。)

だからこのように街の中でテクノロジーが使用される例が多く見られるのは、「探歩者」が「越境」をするためにそれを用いるからなのである。こうしたポケモンGOなどのAR(各超現実)に加えて現在考えなければならないのは近年話題になり、家庭での実用化もされたVR、ヴァーチャルリアリティ(仮想現実)である。
ヴァーチャルリアリティというその名称からしてこの新しい技術は既に「探歩する越境者」と深い関係を結んでいるように思われる。しかし表面上で見るならばその実態は今までの話で「ちい散歩」について語られてきたことと正反対である。つまり、VRではVRゴーグルをかけることにより現実世界を完全にシャットアウトし、ヴァーチャルな世界を探索することになるからだ。現実世界を基調にする「探歩する越境者」の身体と幻想空間を基調とするVRを行う身体は根本的に矛盾しているかのように思える。
しかしながらその2者は決して矛盾してはいない。「身体」のレヴェルで考えればこの2つは地続きなのである。
ここで考えたいことは先ほどから対立概念的に書いている、個人的でヴァーチャルな空間と公共的で現実的な空間の対比である。そもそも個人的であることと、ヴァーチャルであるということは同様の意味を指し示さないし、公共的であることとリアルであるということも同様ではない。「ちい散歩」の場合では、それぞれが一致していたが、VRではこれが反対の組み合わせになるのではないだろうか。
若林幹夫が初期のVRについて鋭く指摘するところによれば「(VRは)人びとに一定の規格化された空間経験を与えるものとして構想されている」と共に「(それらは人々を)身体的な感覚やイメージという「個人的な体験」へと還元する」6ものでもあるのだ。つまりVRを経験する人間は、ヴァーチャルな映像で規格化された統一的で公共的な空間経験と現実にある個々人の個別的な身体経験を越境しているのである。事実、VRで人はゴーグルを付けて幻想の世界を視覚的には見ながらも、一方でその身体を思い切り動かしながら極めて身体的に振る舞うのである。そして身体の動作に伴う身体感覚は極めて個人的なものである。


(VRで綱渡りを体験する人間。仮想世界を見ながらも、その身体は実際に綱渡りをする人間の身体そのものである。)

このように「ちい散歩」における身体とVRにおける身体を比較したとき、確かにそこには両方とも「越境する探歩者」の身体を見ることが出来る。そしてその比較において理解できることは、「越境する探歩者」が日常と非日常を行き来しているというよりは、むしろ共通的なものと個人的なものの2つの選択肢を越境しているということである。それが現実の事物であるか否かは既にその身体のレヴェルで言えば問題にならない。その身体にとっては「越境」し、異和なるものを「探歩」することが出来ればそれが現実であろうとヴァーチャルであろうと関係ないのである。
こうして「ちい散歩」から始まる1つの思考は、「ちい散歩」をも超えつつしかし「ちい散歩」を1つの典型として見ることが出来るように「探歩する越境者」の身体における相貌を明らかにしてきた。
2006年の「ちい散歩」に始まり、2010年代のAR、VRに至るまでに広く見られた21世紀初頭の身体は、その容貌を様々に変化させてきたがその根底には「越境する探歩者」として個人的なものと、共通的なものの間を行き来する身体様式が見られるのである。脚注
1太田省一「「お散歩番組」人気の秘密はどこにあるのか」、東洋経済オンライン、http://toyokeizai.net/articles/-/107268参照。
2ここで2006年に始まる「ちい散歩」を2000年代以降の散歩番組として括ってしまうことにはいささかの疑問が伴うかもしれない。これは僕自身の過去の論考とリンクさせるとその理由が明確になるが、「探歩者」の身体とは2005年以降に現れた「読み替え」の時代に対応する身体様式だと僕が考えているからである。「読み替え」の時代についての詳細は「浮世絵とスカイツリー~「読み替え」の想像力をめぐって」(http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/improtanigashira/2229/)を参照されたい。
3赤瀬川源平『超芸術 トマソン』、筑摩書房、1987年、26頁。
4若林幹夫『都市のアレゴリー』、INAX出版、1999年、272頁参照。
5中沢新一『アースダイバー』、新潮社、2005年、8頁。
6若林、前掲書、286頁参照。

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