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折衷としての日本文化論~ラブホテル・国学・ディズニーランド

1:ラブホテル
日本文化とはラブホテルのことである――
と大見得を切ってみる。
ラブホテルの研究はまだ始まったばかりだ。2、3冊の研究書が上梓されているのみで、しかもそれらは経営者の話や、経営戦略論、もしくは全国のラブホテルを巡って様々な事項を調べたものをまとめただけのものである。無論、批判ではない。それどころかこのように陽が当たりにくいラブホテルという分野を丹念に調べたという功績は大きい。
しかし僕たちの課題はその先にある。
つまり、ラブホテルを日本文化に定位させること。そしてラブホテルから逆照射して日本文化の特性を考えること。それこそ、本稿が突き進むべきただ1つの問題である。
ラブホテルから日本文化を考えるには大きな困難を伴う。
なぜならば、「性愛空間」を示す名詞としての「ラブホテル」は大きな変遷を遂げているからである。それぞれの特徴について詳細に語ることはしまい。しかし、「連れ込み宿」から「モーテル」、「さかさくらげ」……などその空間を示す名詞のバリエーションには事欠かない。
ラブホテルは一定していない。時代によって変わる。『ラブホテル進化論』で全国のラブホテルについて詳細な調査を行った金益見は、「ラブホテルは、時代のニーズを敏感に読み取り、形を変え、サービスを変え、中には形態も変えて」きたと指摘する。には、「風呂あります」の看板、90年代、カラオケが出始めたころには「カラオケ有り」の看板で客を呼んでいた。高齢化社会が進む昨今では高齢者カップルにも対応するために、入れ歯洗浄剤をアメニティとして備え付けることもある。
こうした不定性を持つラブホテルを一括りにして語るということは難しい。しかしここでは1973年に開業したあるラブホテルを、典型的なラブホテルと仮定して論を進めてみたい。
そのホテルの名を「目黒エンペラー」という。

(目黒エンペラーの外観)
西洋の古城を模した外観を持つこのホテルはそれまで「連れ込み宿」などと呼ばれて地味な外観で暗いイメージがついていたこうした施設とは違い、都心の真ん中に堂々と出現し、中にある部屋も「イタリアムードのシーソーの間」、「スペインの情熱、野性的ムードの間」など異国情緒あふれる部屋が多かった。
このホテルの出現以後、いわゆるラブホテルといったときに思い浮かぶような、派手な外観や装飾を持つホテルが続々と出現したのである。
「ニューヨーク」や「ナポリ」、「ヴェニス」など外国の都市名を冠したものが増え、外観もまた中世ヨーロッパの古城から、アジアンテイストなものまで世界各国の意匠が取り入れられるようになる。
こうした無/多国籍な意匠の流入は、1970年大阪万博の影響が強いとも言われている。例えば鶯谷はラブホテル街として知られているが、その中を歩いてみれば、仏教的な置物があり、ヨーロッパ彫刻風の飾りがあり、さらにはメルヘンチックな城まであり、無/多国籍の相貌が見て取れる。
こうした意匠は、決して歴史的な重みを持たない。それはただ単に外国、ないしは異国を装ったハリボテでしかないからだ。いわば、こうした全ての装飾は虚構としてのみ、そこにあるのだ。
しかしなぜラブホテルはこうした多/無国籍性を目指したのだろうか。表面的な理由は、日常では味わうことの出来ない、非日常空間を演出して、客を呼び寄せることにあったのだという。非日常空間の演出について、例えば、次のような例は当時のホテルがどれほどまでそうした空間の演出に奔走していたかが分かるだろう。

枕もとのAボタンをおすと部屋が薄暗くなり、甘いムード・ミュージックが流れる。さらにBボタン。音もなくベッドが天井へ向かって動き出す。そして顔が天井にくっつくのではないかと思われるころ、ベッドは止まり、こんどは、これまで1枚と思われていた天井の板が左右に割れ、その間より、星の降るきれいな夜空がのぞいている。さいごにCボタン。ベッドがゆっくりと回転しだす。このころになると部屋の中という意識はなくなり、二人は無我の境地に吸い込まれて行く。 

(週刊大衆1968年11月4日号)
週刊大衆の記事であるが、こうした意表を突くような演出が施された、いわば非日常を演出するテーマパークのようなラブホテルが「目黒エンペラー」以後に続々と建てられたのである。
そして、「テーマパーク」と言ったときに、自ずと思い出されるのが、アメリカ発のテーマパーク、「ディズニーランド」のことである。
2:ディズニーランド
ラブホテルが「性愛のテーマパーク」として「目黒エンペラー」以後に成長を遂げたのならば、ディズニーランドもまた立派な、極めて精巧に作られたテーマパークである。しかし一方で多くの論者が指摘するようにディズニーランドでは「性」や「死」といったモチーフは完全に排除されている。本来ならば死と隣り合わせであるはずのジャングルの中には機械仕掛けの、安全安心な動物たちが永遠に止まり続けることなく生息しているのである。
ここで僕たちは、ディズニーランドとラブホテルという似て非なる施設にいくつかの類似点を見て取れる。
それは、装飾の全てが虚構であり、嘘であること。
例えばこれは専らラブホテルの利用が不倫カップルや若いカップルに多いこと、そしてその部屋の多くに避妊具が備え付けられていることが例に挙げられよう。
ラブホテルで執り行われる性行為はその多くが決して、本来的な意味での生殖活動では有り得ない。むしろ避妊具の使用などにより、快楽を追求することに重きが置かれた、いわば虚構としての性行為が行われている場所であるのだ。
もちろんラブホテルとディズニーランドはどこかで一線を引かれなければならない。
というのも、ラブホテルを日本の文化だとすれば、アメリカの文化たるディズニーランドとの差異を見極めることで、ラブホテルの特異性が理解できるからである。
ディズニーランドとラブホテル。虚構の空間として成立しているその両者の差異を探すためには、ディズニーランドについてのリサーチが不可欠であろう。ラブホテルにあって、ディズニーランドにないものは、「性」であり「死」という概念である。
なぜディズニーランドではそうした概念が排除されているのか。
こうした経緯は能登路雅子の『ディズニーランドという聖地』に詳しいが、その答えはディズニーランドを作った男、ウォルト・ディズニーの幼少期に隠されている。彼が生まれ育ったのはアメリカ中西部。厳しい自然環境の中で農業を営まざるを得なかった中西部住民たちはその自然に対して、強い憎悪を持っていたのだという。そしてその憎悪を他の大人と同様に抱いていたウォルトは、彼のテーマパークで徹底的にそうした「自然」や「性」そして「死」を征服しようとしたのである。
その結晶として出来上がったテーマパーク、ディズニーランド。
それは確かにラブホテルと同じように虚構の空間であるが、「死」や「性」を排除することにより、ラブホテルの空間とは違う極めて清潔で、安全な空間を作り出したのだ。
3:国学
一方でラブホテルには異国情緒あふれる意匠と共に、当然のごとく「性」やそれに伴う「死」というテーマが持ち込まれている。いわば、「性」や「死」をも取り込んだディズニーランドとしてそれは存在するのだが、ではなぜそれはここまで猥雑な様相を呈するようになったのだろうか。
ここで一本の補助線を引いてみようと思う。
国学の話だ。
海禁政策下の江戸時代に発展した「日本的なるもの」を思考するものとしての国学は、しかしその範囲を確定させるのが極めて難しい学問である。その原因の一つは、国学を大成したと言われる本居宣長が国学に与えた定義である。
そもそもうたの本来の性質は、神代の昔から永劫の未来に至るまで、少しも変わることがなく、それはちょうど人間の作為のおよばない、自然のようなものである
(『排蘆小船』より、尚現代語訳は「日本の名著21 本居宣長」を参照した。)
ここで言われる「うた」とは「日本的なるもの」と同義であると捉えてよい。つまり、「日本的なるもの」は、人間の作為が及ばない「自然」であるというのだが、ここで言われる「自然」とは現実の自然ではない。
建築史家の中谷礼仁は「『日本(内部)的』なる思考に、理論としての限定は存在」せず、「『自然』思想の最大の武器は『何も言わない』ことによって、全てを相対化しながら、完結することのないブラック・ホールとしての『内部』を生み出すことである」と述べているが、宣長の言う「自然」とはこのように「何もしない」ことによって生み出される空白としての「自然」なのである。こうした空白、「何もしない」という文化が日本文化の中に浸透していることは、例えば山水画や、茶室の空間構造にも見出せるはずである。そして「目黒エンペラー」の前にあった「連れ込み宿」が、それ以後の猥雑なデザインとは裏腹にただ、性行為のみを行う空間として貸し出されていたことが、ラブホテルの文脈としては思い出される。
しかし問題はこうした「余白としての自然」が、余白であるがゆえに時代状況によっていかようにもその内部にあらゆるものを取り込めてしまうということである。それは本居宣長とともに国学の大成者とされる平田篤胤の思想に顕著である。
平田篤胤は万学に精通していた。儒教、仏教、キリスト教のみならず、様々な言語、そして諸々の自然科学まで、その当時に学びうる学問はほとんど全てを修めていた。そしてその学説もまた極めて幅広く、一つの研究書を成すのに極めて多様な――そしてしばしばそれは雑多、猥雑とも言われて批判されることもしばしばであった――知見をそこに取り入れる。
しかし彼が研究活動を行っていたのは江戸時代。今のように学際的な下地が出来ていたならばともかくとして、海禁政策で西洋の学問さえろくには追求できなかった時代である。そのような中で彼がこうした学際的ともいえる研究を可能にしたのが、本居宣長の「自然」の概念である。
既に確認したように宣長の「自然」とは空虚なものであり、その中にありとあらゆるものを取り込む可能性を保持している。そうした基盤の上に研究活動を始めた篤胤は、その空白地帯を独自の知のネットワークで補填していく。そこでは器としての「日本的なるもの」の中にありとあらゆる異国的なるものが流入する。
この関係を内部と外部の関係としてまとめ直してみよう。
宣長が打ち立てた国学とは、「人間の作為」が及ばない、「自然」のようなものであるとした。こうして定義された内部(=日本的なるもの)はそのために不定性を持ち、外部の影響で容易にその形を変える。そのような典型例として篤胤の国学体系は成立していたと言えるだろう。
そしてこのような切り口で国学を概観したとき、そこにラブホテル的なるものとの類似点を発見できるのである。ラブホテルは、「時代のニーズに合わせて」その形を容易に変え、ほとんど無際限に外国の意匠をそこに取り入れる。そして「性」や「死」もそこにはたぶんに――ある程度は隠されているとはいえ――取り込まれており、篤胤の国学のような猥雑な様相を呈するのである。
国学を一括りにして語ることが難しいのは、ラブホテルを一括りにして語るのが難しいことと同様の事態である。そのどちらもが、不定性を有しながら時代時代の状況によってそのありようを変化させていくからである。そしてそのように考えた時、国学―ラブホテルという日本文化のある流れを汲み取ることが出来るのである。こうした観点で見た時、ラブホテルを日本の文化潮流の中に位置づけて、そして「ラブホテルから日本文化を考える」という作業に着手できる。
4:受動
では、ラブホテルが国学的なるものの流れを汲むのだとすれば、同様に西洋における虚構の楽園たるディズニーランドとの差異を見極めることが、日本文化についての更なる言及になるだろう。ここからは前項でも言及した通り、ラブホテルから日本文化を考えていこう。
先ほど国学について内部―外部の観点で概観をしたが、ではディズニーランドをそのような切り口でまとめるとどのようになるだろうか?
それは、外部を徹底的に征服しようという、能動的な意志である。ウォルト・ディズニーは彼にとっての外部である「自然」や「死」を征服するために、そうした事象が一切入り込む余地のない虚構の楽園を作り上げた。こうした外部の徹底的な征服は、植民地支配という形態にも現れているだろう。
一方で日本文化論において往々にして語られてきたのは、宣長的な世界観、つまり「何もしない」とか「手を加えない」、もしくは「余白を活かす」文化であるという文化観である。
しかし篤胤的国学――ラブホテルを確認してきた我々にとって既にこうした文化論の把握は、事態を一面的にしか捉えられていないことが分かるだろう。篤胤的国学―ラブホテルとは、「余白」を活かすどころかそうした余白の中にありとあらゆる事象を詰め込み、逆にオーバーロードさせるような文化である。
この2極化ともいえる文化の在りよう、これを根底から支えているのは、「外部に対する受動的な態度」である。これは西洋的な(ディズニーランド的な)「外部への能動的な働きかけ(征服)」とは真逆の文化的傾向である。
詳しく見てみよう。
そもそも宣長の国学体系において、「日本的なるもの」を見出すときに批判対象として用いられたのは、外国伝来の仏教・儒教を中心とする「漢心」(からごころ)であった。宣長はこうした日本に流入してきたと思われる「漢心」を明らかにすることで、逆照射的に「日本的なるもの」を明らかにしていったのだ。既にして内部を発見するために外部的なものに依存せざるを得なかったということである。
そして篤胤の国学に至っては、宣長が用意した理論的空白地帯の中を学問で埋めていこうという能動的な姿勢がみられるが、その実を見ると、結局そうした空白を埋めるものである学問が、諸外国の学問の合成物でしかないのである。結果としてその学問体系はよく言えば学際的、悪く言えば猥雑なものになる。
もしくはラブホテルの経営戦略もまた同様である。あの猥雑な建物は、決してそれ自体を目的として建てられたのではない。「他店がやっているからそれを真似して」そのようにするホテルが多いこともそうなのだし、そもそも「性欲」という外部にあるどうしようもない現象を受動的に受け止めた結果としてそれらは建っているのだ。
だからこのようにまとめることが出来るだろう。
日本文化とは、不確定な外部にぶち当たった時に、それを能動的に征服しようとするのではなく、それを受動的に受け入れる文化である。「外部」とは何か。それは僕たちが知り得ることの出来ないものであり、相対的なものである。例えば江戸時代においては外国、という現在の僕たちは当然知っているようなものでさえ、圧倒的な「外部」であったのだし、そして現在の僕たちにとってその「外部」とは「死」であり、もしくはどうしようも出来ない「性欲」と言ってもいいかもしれなし、「災害」もそうであるだろう。
しかし「死」はやってくる。もしくは災害はやってくるし、江戸時代で言えば、「外国」はやってくるだろう。
そうした諸々の外部を征服しようとするのがディズニーランドだとしたら、そうした事象を受け入れて、様々に変化していくのがラブホテルである。
「この世に男と女が存在する限り、必要とされて」いる、とは多くのラブホテルのデザインを手がけた亜美伊新の言葉だ。
不可避な「外部」。人は性行為を止めることは出来ない。それは当然のことである。それを拒否しない。むしろ、その不可避なものを受け入れることで形を変え続けているのが、ラブホテルである。
事実、「目黒エンペラー」で派手な外観を持つホテルが中心となったラブホテルも、シックな外観がブームになり、最近ではそうした貸し間の空間を、性行為以外の用途と合わせて使用する多様な用途が広がっている。そうした変化は、主に女性の意見が反映されているというのが定説だが、ラブホテルはそうした様々な意見に対して、受動的に形を変えていく。
5、折衷
西洋における能動性と、日本における受動性という二項対立を前章で、ラブホテルとディズニーランドを取り上げながら確認した。
しかし、ここで確認したいのは、文化において、完全に能動的であることは可能なのだろうか、という問いだ。
確かに日本文化は、死や、自然と言った外部に対しての受動的態度が強い。とはいえ、ある文化作品が、一つの形として成立するためにはやはり、ある意味での能動性が必要なのではないか。
だから僕たちは、能動性――受動性で捉えた図式を、もう少し深化させて考える必要がある。
もっと言えば、日本文化を、受動的に見せかけているプロセスがあるのではないか。そう考えることはできないだろうか。
ラブホテルの話に立ち返ってみよう。
ラブホテルを最初に問題にしたとき、何が困難であったか。
それは、ラブホテルの不定性とも言うべき事態だ。
ラブホテルの目的は、元々性行為のための空間を提供することであったが、近年になると性行為のためだけの空間ではなくなった。もしくは、過去に遡ればそこは茶屋であり、現在で言う料亭とセットになっているような施設でもあった。
もしくは、目黒エンペラーに続く、過剰装飾を取ってもその不定性は明らかだ。完全に目的(=性行為)を逸脱しながら、非日常を演出するテーマパーク的空間が広がっている。
こうしたラブホテルの不定性が、ラブホテルを語ることを困難にしている。
先程は、ほぼ伝統的な日本文化論である「受動的態度」からラブホテルのこの不定性をまとめたが、この場合の受動的である主体は何だろうか。
それは明らかにラブホテルの経営者、デザイナーである。つまり、ラブホテルを一つの作品として認めた場合の、制作者に他ならない。
しかし、それぞれのラブホテルの特徴を決定付けているのは、本当に経営者、デザイナーだけだろうか?
それは違う。
様々な問題を抱えながら、ラブホテルは、経営者や、デザイナー以外の意見を取り入れながら、形を変えるのである。
例えばそれは、近隣住民による苦情と、その話し合いの結果によって、ラブホテルの看板が小さくされたりといった折衷案によく表れている。
もしくは、ラブホテルのデザインが、目黒エンペラーのような装飾過剰から、シックなデザインに移り変わっているということに対して、それが女性の意見を受けて作られるということもまた一例に挙げられるだろう。
こうして見ると、一つのラブホテルが作り上げられるのには、様々な方面からの力(=意見)が作用しているということが分かるはずだ。そこでは、受動的態度というよりも、欲望に基づいた複数の能動的態度が折り重なり、一つの作品(=ラブホテル)を形成しているのである。
では、なぜラブホテルは受動的に見えるのか。僕たちを錯視させるのか。
それはこうした制作者の力以外の力(ラブホテルの文脈で言えば、利用客や近隣住民、土地柄など)が大きく、相対的に制作者の能動的意志が弱く見えているという事態なのではないか。
一方で西洋は、例えばディズニーランドにおけるウォルト・ディズニーにしてもそうだが、極めて強い制作への意志でもってその他の力を圧倒していく。ディズニーランドでは客は、ウォルトの意向によって「ゲスト」という枠組みに入れられ、非日常空間の中で特定の振舞いを要求される。
一方ラブホテルはと言えば、確かにディズニーランド的空間を形作ることもその歴史の中ではあった。目黒エンペラーはその好例だ。しかしそうした歴史は、ある時代相の中で、その中にいた顧客のニーズや、土地柄、社会情勢などの影響を色濃く受けながら日々変化している。
こうした多様な力の混合を、折衷と名付けても良いかもしれない。
こうした力が折衷することによって様々な文化作品が生成される。
そして折衷という独特な力のあり方から始まる日本文化論は、様々な分野において、独特の光景を照らし出すだろう。

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