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応援上映というスタイルに見る、2010年代の観客の欲望の共有について

 多くの映画において、その作品内の結末は毎回変わるようなことはない。それは好きな作品を何度も見るような観客側からすると、素晴らしき予定調和として見られることもあれば、新たな発見が何度見ても発生する奥深い体験であったりする。しかし、そういった映画体験とは違った形でリピート率の高い映画鑑賞のスタイルが最近盛り上がりつつある。それは応援上映というスタイルだ。応援上映とは、普通の映画館で上映する際に、コスプレや、サイリウムライト、ペンライト、うちわ、お面の持ち込みもOKとされ、掛け声や合唱が推奨される映画上映のことだ。過去にも『ロッキー・ホラー・ショー』といった観客参加型の上映形式はあったが、近年の盛り上がりの一番の差異は作品内の男性アイドル(実写、アニメ)に対する欲望の共有にある。『ロッキー・ホラー・ショー』の際の掛け声の多くはツッコミ的な要素が多く、また、スクリーン前で登場人物と同じコスプレで登場するといった派手な演出をする、映画におけるショー的要素の拡張、お祭り要素の拡張といった側面が強い。しかし、近年の応援上映の方では、同じコスプレでも、スクリーンの前に立つことはなく、あくまで座席に座って応援をする。応援上映は、初期の2007年~2015年の間の上映では、プリキュアシリーズや、有名な『アナと雪の女王』のような低年齢層向けでの上映が多かったが、アニメ『プリティーリズム・レインボーライブ』に登場する男性ユニットにスポットを当てたスピンオフ作品である2016年の『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(以下、『キンプリ』)では、「プリズムショー」と呼ばれるアイススケートをモチーフにしたパフォーマンスショーで、各男性キャラクターの心象風景が描かれ、裸で無限ハグをしたり、お尻からはちみつを出したりする。そして、掛け声用のアフレコの字幕や、キャラクターが直接観客に呼びかけ、それに観客が掛け声で答えたりする。こういった内容はキッズ向けでの作品内でのノウハウの蓄積や、2011年の『映画けいおん!』の時点でも、男女ともに多くの観客を動員していたこと、同年の『劇場版戦国BASARA』というカプコンのアクションゲーム『戦国BASARA』の劇場版で、伊達政宗や真田幸村ら戦国武将をイケメンアニメキャラとして描き、多くの女性ファンを獲得していたことや、2015年の『劇場版プリパラ み〜んなあつまれ!プリズム☆ツアーズ』という小学5年生の女の子がアイドルを目指して歌やダンスに奮闘するアニメーションの劇場版において、多くは男性客であったが、本作のルート4(各ルートはショー形式になっており、歌謡ショーでいう、一場面を一ルートと考えてよい)では、「胸キュン!プリズムボーイズツアー」と称して、男性アイドルの場面もあった。これは『キンプリ』の布石とも呼べる場面であり、男性客と女性客の融合はこうして計画されていった。アニメの応援上映という形式においてはこうした形で、男女でも共有できる欲望の対象としての中性化された男性アイドルを形成していったと推測される。

 ここで、実写における応援上映についてもスポットを当てたい。それは、男性アイドルの一大勢力であるEXILEグループによる一連の『HiGH&LOW』シリーズだ。(以下、『ハイロー』)テレビドラマから始まったこのシリーズは「SWORD」地区という架空の都市内での若者たちの抗争のドラマで、2016年に『HiGH&LOW THE MOVIE』で映画化されており、2017年の11月に最終章と銘打って、『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』が上映されている。『ハイロー』の応援上映における特徴のひとつに、話の展開にツッコミどころが多すぎるので、観客からツッコミを入れることによっておもしろくなるところがある。(前のカットでいたはずの人物が次のカットでいなくなっていた時に「ナオミどこ?」」といったツッコミや、殴られた後に顔を上げ、血を拭うように口を手で拭くところで、「大丈夫、血、出てないよ!」といった掛け声が上がる)しかし、こうした点は過去の『ロッキー・ホラー・ショー』にも同様の点があり、アニメの応援上映の場合にはショーへの同化が求められるため、ツッコミが発生しないのであり、実写の応援上映の場合には、物語への参加が求められるからツッコミが発生するということが言えるのかもしれない。そして、『ハイロー』のもう一つの特徴は、アクションシーンがとにかくかっこいいのだ。キレッキレの運動能力で、アップテンポの曲の中で格闘し続ける若者たちを見ながら、男女関係なくその肉体の躍動に心を動かされるのだ。その時には、男性であろうと女性であろうと、関係なく格闘する彼らを応援するのであり、若き肉体に対して欲望の共有がなされるのだ。

 アニメの応援上映においては、ショーの中で中性化された男性アイドルによって、恋愛の独占欲とは違う形で、めくるめくきらめく世界の中で美しいものを見る感覚で(『キンプリ』がフィギュアスケートを題材としている点の理由はここにある)欲望の共有がなされ、実写の『ハイロー』の中では野性的な肉体と、仲間や家族を大事にする価値観に基づいた行動原理による男性同士の肉弾戦によって欲望の共有がなされる。どちらも経路は違うが、そこには男女の価値観とは違った(超えた)価値観による欲望の共有がなされている。もちろん、彼らがいくら応援したところで、映画の結末は変わらない。その展開は予定調和そのものである。しかし、そこには不特定多数の間で行われるその都度新しいお祭りのような欲望の共有のプロセスが発生する。そのことが応援上映という形態における参加者のリピート率の高さの原因であり、彼らが自らの価値観をよりエスカレーションしていき、そうして劇場内が一種異様な情熱で包まれることとなるのだ。ここで興味深いのは、その応援上映の欲望の対象がどちらも非政治的な男性であることだ。これが女性アイドルの場合には、恋愛感情からくる独占欲をどのように他のファンと欲望を共有していくのかという過程において、昨今ではAKBグループの「総選挙」という極めて政治的なシステムによって、自分の推しているアイドルを上位にさせたいという政治的な目標の過程で、ファン同士のコミュニティが形成され、欲望の共有がなされる。しかも、彼らは応援上映とは違い、本当に応援次第で、結果が変わるのだ。そして、その際の欲望の共有の動機は、見た目やセックスアピールではなく、アイドル自身のキャラクターや、アイドルに対する思想であったりする。(指原莉乃が総選挙を三連覇している理由は、こうした性別を超えた欲望の共有がなされやすい存在であることも理由のひとつと考えられる)アニメや実写の映画館における応援上映には、結果が変わらないからこそ、純粋に応援をしているという側面がある。またそれはスポーツの応援のように勝敗によって、応援の内容も変わってくるような予定調和から外れていく可能性を秘めているスリリングな応援とも違い、あくまで予定調和の中で、欲望の共有の過程を楽しんでいくこと、ひとつのチームのサポーターが形成されていく過程を楽しむ感覚に近い。しかし、その形成されたチーム間が争うことも決してない。あくまで観客は観客として、観客同士がひとつの欲望を共有していく過程を楽しむことが2010年代における応援上映というスタイルなのだ。

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