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蓮沼執太作品の求心性と遠心性と、その先へ

 私が蓮沼執太の作品に初めて触れたのは、2013年12月28日の『エクス・エクス・エクス・ポナイト!!!!!』で、最終演目として蓮沼執太が演奏した時だ。キーボードを弾きながら、弾き語りをするそのキュートな姿と、その蓮沼執太を囲み、彼の演奏を聴く観客とのやり取り。そして、演奏後、プロジェクターで風景が舞台正面に映写される。しかし、映写の表面はまっさらで白いスクリーンではない。それは、ゴツゴツとした色とりどりのスピーカー群に映写されている。風景の映像が映写されているスピーカーから風景の音が流れる。その風景の中にまるでいるような錯角を観客に与える演出ではあるが、上演後、それだけではないことを、蓮沼執太はさらっと明かす。それは、その場所にあったのはスピーカーだけではなく、実はマイクもあり、その場にいた観客が発する音もまた、マイクによって集音し、フィードバックをしてスピーカーから出力していたというのだ。それは、マイクによる環境から音を集める求心性と、スピーカーによる環境へ音を放出する遠心性の相互作用が働く場を築いていたということだ。そして、それは何より私たちの身体の仕組みとリンクする。なぜならば、私たちの神経システムもまた、耳や目による求心性装置からの神経シグナルを脳、脊髄へ情報を集め、手や足といった遠心性装置へと神経シグナルを送り、行動へと移るからだ。この神経システムはそもそも、最終的には行動するために存在している。そして、その蓮沼執太の行動は自らの声といった形で、『メロディーズ』(2016年)で表出する。

 それは蓮沼執太自身の遠心性装置である自らの声で歌うという行動によって、明示されている。そして、作品内でも“RAW TOWN”といった「散歩」という実際の行動に即した作品が収録されている。(本曲は作詞をしているイルリメと蓮沼自身が実際に東京駅で待ち合わせてから移動してフィールドワークをした内容が反映されている。https://www.cinra.net/interview/201602-hasunumashuta?page=2)この時、アルバムタイトルであるメロディーズの主旋律は、他でもない蓮沼執太自身の声である。そして、小沢健二を思わせる“ストローク”では唐突に音が割れているHIPHOP調サンプリング音(ひとつのメロディー)が唐突に介入する。また、最後の曲の“アコースティック”では口笛で始まり、SAKEROCKのような軽快な演奏の中で唐突にアルバート・アイラーのようなサックスの演奏(ひとつのメロディー)が挟み込まれる。そしてこれらの、ひとつひとつのメロディーは決して同時に流れることはなく、唐突に挟み込まれる。こういった唐突と思われるメロディーが、同時に流れ、ハーモニーとなっていたのが、総勢15名のアーティストによる2014年の蓮沼執太フィルの『時が奏でる|Time plays — and so do we.』(蓮沼執太フィル自体は2010年よりライブ活動を行っている)ではないのだろうか。いわば、そのハーモニーの成果を分解し、再構築し、その主旋律に自らの声をおいた作品が『メロディーズ』ということもできるのではないだろうか。そして、その自らの声を主旋律とした行動の先にあるもの、より複雑な思考、認識へと蓮沼執太は向かっている。

 2016年9月27日~10月5日まで、南青山のスパイラルガーデンで展示された『作曲的|compositions:rhythm』では、『ウォーキングスコア』という画面に街を歩く人の後ろ姿と、その音がヘッドフォンから聞こえ、その横にはその歩いた軌跡を載せた地図がある。そして足元に無造作に置かれたマイクは何気なく集音し、その音はヘッドフォンへとフィードバックされている。このような本稿の冒頭で触れた作品に近い、人間の神経システムの求心性と遠心性にリンクすることと関連する作品の中で、『音の回転|sounds will spin』という作品では、複数に配置されている高さが異なるビーズの入った細長い砂時計がゆっくりと回転し、砂時計の中で落ちるビーズの音が鳴っていた。展示名に「rhythm」とあるように、それは一定の周期で鳴り響いていた。この時に、チリの認知科学者であり、オートポイエーシス理論を提唱したことで知られるフランシスコ・ヴァレラが行った実験を思い出した。その実験の目的は、脳における認識を司る部分を発見することにあったが、実験結果では、その場所を特定することはできなかった。しかし、ここでヴァレラは、脳波のスカラー(メロディー)でもなく、複数の場所による調和(ハーモニー)でもなく、複数の場所による周波数の一致(複数のリズムの一致)に着目した。人が認識をする時には、脳内の複数の箇所の脳波の周波数が同期する。このヴァレラの仮説と、前述した蓮沼執太の作品には何かしら関連があるように私には思えてならない。そしてそれは、求心性装置と、遠心性装置の神経システムの、中心にある意識と認識のシステムへと向かっていく蓮沼執太の実験性の証明になりはしないだろうか。

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