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引き裂かれた作家、村上春樹ーー『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』からみる村上春樹論ーー

1、風の歌が聴こえる街から

1-1、村上春樹とイチロー

 

「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」

 

 村上春樹のデビュー作である『風の歌を聴け』の「僕」と鼠の物語はこのような会話から始まる。今、読み返すと、強烈なアイロニーと無意味な数字の羅列、そして過度に洒落たセリフ。なぜ、学生時代の私はこんな小説にハマってしまったのだろうか。今なら、村上春樹がデビューした時の文壇界隈の驚きと反発の気持ちが分かるような気がする。「こんなものは小説ではない」と。だが、そんな周りの反発を背に、村上春樹はどんどん大衆の人気を得ていき、『ノルウェイの森』で一気に国民的作家に。そして、今では毎年、ノーベル文学賞候補に挙がるまでの、世界的作家にまでなった。でも、私たちは似たような境遇で、世界的に有名になった人物を知っている。誰であろうか。

 そうイチローだ。イチローは当初、振り子打法という特殊な打法で注目された日本のプロ野球選手であった。そのようなイチローも、出た当初は「あんな打ち方(振り子打法)で続くわけがない」などと、村上春樹と同様、野球界の大物達から批判され続けた。だが、通算7度の日本プロ野球記録の首位打者(打率がトップ)になり、国民的選手となった。そして、2001年、アメリカのメジャーリーグベースボール(MLB)の一つであるシアトル・マリナーズに移籍し、大活躍。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、世界的選手となった。まさに村上春樹とそっくりではないか。さらに言うと、村上春樹は神戸に、ほど近い、芦屋や西宮に住んでいた(実際、『風の歌を聴け』は芦屋が舞台とされている)。一方、イチローも神戸に本拠地があるオリックス・ブルーウェーブに所属していたのである。そして、村上春樹は1995年に起きた阪神淡路大震災を題材にした『神の子どもたちはみな踊る』、神戸の酒鬼薔薇聖斗事件を題材にしたと思われる『海辺のカフカ』を描いている。一方、イチローは阪神淡路大震災がおきた年に、自身が所属するオリックス・ブルーウェーブを11年ぶりのリーグ制覇に導いたという経緯がある。そんな共通点が多い二人だが、メディアに対する態度も似ている。二人とも(イチローも村上春樹も最近は変わりつつあるのかもしれないが)、メディア嫌いというか、めったにメディアの前では話さない。話したとしても、簡潔なことだけだ。だが、核心はそこではない。核心は村上春樹やイチローを支持したのは、読者や観客であったということだ。そこに注目したい。村上春樹やイチローを支持してきたのは、大衆であったということだ。だが、ここで勘違いしてほしくないのは、私はけっして大衆擁護がしたいわけではない。ただ、いつの時代も、知識人やある業績をなして、地位を得た人は自分の中の大衆性に気付かないor気付かないふりをする傾向にあるということを指摘したいだけだ。東浩紀が先日のゲンロンカフェでの大澤聡と先崎彰容の対談の中で柄谷行人や浅田彰といったニューアカを代表する知識人たちは、ある時期から過剰に教養主義に走り、大衆を見ないようにしたといったような趣旨の話をしていたが、そのように考えると、柄谷や浅田、蓮實重彦がなぜ、あれほどまでに村上春樹を批判したのかが分かってくる。要するに、村上春樹の大衆性が気に食わなかったのである。だから、あれほどまでに、過剰な批判をしたのだ。だが、時代は村上春樹に味方をした。ニューアカ勢は味方だと思っていた時代に裏切られたのである。時代というのは何と皮肉なことか。そして、今や村上春樹は世界的な作家となった。まさに日本のローカライズが世界に届いた好事例である。しかし、それは、村上春樹を日本の文学から切り離された特殊なもの、アメリカ文学の影響を受けた日本の若者がアメリカ文学を日本語で書いた例外的な作家という見方を強めることとなった(例えば、それは同じ村上を名乗る美術家の村上隆の受け取られ方とも似ている)。しかし、私たちはここで、そのような従来の見方ではなく、日本文学の正統な後継者としての、村上春樹をみていきたい。それを本稿では、詳しく考察していき、世界的作家となった今の村上春樹の作品よりも、むしろ初期の作品、ここでは『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を中心に、日本文学としての村上春樹を考えていこう。

 

僕と同じ道を歩んでいないわけですから、ほかの人に“分かってくれよ”というのは無理ですよ。もちろんこちらから分かってほしい、とも思わないけど

(小西慶三『イチローの流儀』、イチローのインタビューより)

 

1-2、村上春樹とはっぴいえんど

 

 村上春樹が1979年に『風の歌を聴け』を発表する10年前、一つのバンドが結成された。「はっぴいえんど」である。「はっぴいえんど」は、大滝詠一、松本隆、鈴木茂、細野晴臣の四人で結成された。この名前を挙げれば、このバンドがいかにすごいものだったか分かるだろう。大滝詠一はその後、月9の『ラブ・ジェネレーション』の主題歌でミリオンヒットとなった『幸せな結末』など良質のポップスを作り続ける。また、松本隆はKinKi Kidsの『硝子の少年』など数多くの作詞を手掛けている。細野晴臣は言わずもがなであるだろうが、坂本龍一と高橋幸宏と1978年に結成したイエロー・マジック・オーケストラで一世を風靡する。そのような音楽界において、多大な影響を与えた人物が揃った「はっぴいえんど」が、1971年にリリースされたアルバムに『風街ろまん』がある。その中に収められている、『風をあつめて』は日本語ロックを代表する名曲である。これは、映画好きの方には、ソフィア・コッポラが注目されることになった『ロスト・イン・トランスレーション』に使われていた曲だといえば、ピンとくるだろう。そのような、『風街ろまん』の『風をあつめて』だが、村上春樹の『風の歌を聴け』というタイトルに限りなく似ている。村上春樹がどこまで、このアルバムと曲を意識していたか、していなかったかは分からないが、そこに流れている空気やメッセージは、とても似通っている。『風をあつめて』は、1964年の東京オリンピックによって失われていく「古きよき日本」と「東京」を「風街」という架空の街にみるというテーマになっている。これは、村上春樹の「芦屋」という「二度と戻ってこない青春」を「架空の年代記」によって描くという方法と似通っている。また、全体的に漂う気だるい空気感もそっくりだ。だが、ここで大事なのは、村上の『風の歌を聴け』と「はっぴいえんど」の『風をあつめて』が徹底的に非政治的、非社会的なことである。1971年という時代において、『風をあつめて』がここまでも、非政治的、非社会的だったことは、驚くべきことである。なぜなら、この時期の音楽は政治や社会と結びついたものが多かったからだ。では、なぜ、この両作品がここまで非政治的、非社会的だったのか。それは、おそらくアメリカ(「はっぴいえんど」においては、イギリスもだが)との距離の取り方だと思われる。村上春樹は『風の歌を聴け』をはじめ、英語で書き始めたというエピソードは有名だが、村上春樹において、英語およびにアメリカを代表する作家(村上が愛してやまないフィッツジェラルド)の影響は計り知れない。それは、日本語ロックの先駆けとなった「はっぴいえんど」においても、明らかである。ロックというものは、元々、アメリカを発祥とするロックンロールから始まっており、「はっぴえんど」が結成された60年代後半においては、「サマー・オブ・ラブ」に象徴される政治と結びついた音楽が主流であった。それは、日本においても例外ではなかった。そこから、距離を取るというのは、かなり異質なものだったと言わざるを得ない。しかも、それを日本語のみでやるというのは、かなり革新的な試みだったと思われる。事実、それは、「日本語ロック論争」となり、かなり問題となったらしい。これは、村上春樹がデビューした当時の状況とかなり似通っている。このように日本音楽の鬼子であった「はっぴいえんど」であったが、解散後、それぞれの活動において、大衆に受け入れられていき、国民的音楽家となっていく。このプロセスも村上春樹とそっくりだ。ここまで、イチローと「はっぴいえんど」に在籍した大滝、松本、細野という、日本において、国民的人気を得てきた人物及びにグループをみてきたが、もうひとり、村上春樹と違う分野で、似通った人物がいる。それは、富野由悠季だ。

 

街のはずれの

背のびした路地を 散歩してたら

汚点だらけの 靄ごしに

起きぬけの路面電車が

海を渡るのが 見えたんです

それで ぼくも

風をあつめて 風をあつめて

蒼空を翔けたいんです

蒼空を

(はっぴいえんど『風街ろまん』、『風をあつめて』より)

 

1-3、村上春樹と富野由悠季

 

1-3-1、富野由悠季の場合

 

 1979年、村上春樹がデビューした年に一つのアニメの放送が開始された。富野由悠季による『機動戦士ガンダム』である。放送当初でこそ、低視聴率で話題にならなかった本作であるが、再放送によって、社会現象になるまでの大人気作品となった。その影響力の大きさは、こちらも社会現象となった『新世紀エヴァンゲリオン』や数多くのロボットアニメをみれば、明らかなことだろう。また、ここで特筆すべきことは、『機動戦士ガンダム』によって、視聴者層の幅が広がったことだろう。今までは、例えば、『鉄腕アトム』をはじめとするロボットアニメは、視聴者層が主に中学校に入るまでの、低年齢層に限られていた。それが、この作品により、一気に中高生、下手をすれば、社会人までに広がった。これは、注目に値する。だが、ここで一番、重要なことは、『機動戦士ガンダム』によって描かれた「宇宙世紀」という設定である。これが村上春樹の『風の歌を聴け』の「架空の年代記」にそっくりなのである。これは、すでに批評家の大塚英志などから指摘されていることだが、大塚が言っているのは、「構造」が似ているということに留まっているが、ここでは、さらに論を深めたい。それは、富野由悠季の『機動戦士ガンダム』における「宇宙世紀」と村上春樹の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』の「架空の年代記」は役割においても似ているのである。どういうことかというと、架空の歴史を打ち立てることで、公を語っているということである。このようにいうと、混乱する方もいるかもしれない。私は前項において、「はっぴいえんど」の『風をあつめて』と『風の歌を聴け』の共通点は非政治的・非社会的なところにあると言った。確かに、『風の歌を聴け』は一見すると、非政治的・非社会的に読めるし、一般的には、そちらの方が主流だ。しかし、私たちは、むしろそのような、非政治的、非社会的な態度こそ、公について語っているのではないかと考えるのである。それを象徴するものが、村上春樹の『風の歌を聴け』における「架空の年代記」である。そして、この「架空の年代記」こそが、富野由悠季の『機動戦士ガンダム』に出てくる「宇宙世紀」と同様に非政治的・非社会的な方法によって、公を語っているのである。富野自身が語っているように、当時、アニメを描くということは、それだけで、社会の主流派、知的階層から逸脱した営みであった。国民的作家であった手塚治虫などは、特別中の特別な存在であったのだろう。それでは、実際に『機動戦士ガンダム』における「宇宙世紀」というのは、どういうものであったか、みていく。

 

0071 12月 サイド7建設のため、ルナツーを月の反対側の軌道へ移動させる。

      公国軍、ミノフスキー粒子散布下における新兵器の開発に着手。

      小型熱核反応炉完成。

      ギレン・ザビ、優性人類生存説を発表。

 

 このような具合である。なぜ、ここまでも詳細な設定が必要であったか。それは、やはり「虚構」のなかにおいての「リアル」を追求した結果だと思われる。例えば、その後の『機動戦士ガンダムZZ』の主題歌である『アニメじゃない~夢を忘れた古い地球人よ~』の「アニメじゃない アニメじゃない 現実なのさ」という歌詞からも見てとれる。ちなみに、その時の作詞をしたのが、「おニャン子クラブ」で有名になり、のちに「AKB48」を手掛けることとなる秋元康だ。ここから、話を広げていくことも出来るだろうが、散漫になってしまうので、今回はしない。このように、富野由悠季は、アニメという「虚構」のなかで、「宇宙世紀」という設定を詳細に描くことによって、一つの「リアル=現実」を描きだしていったと考えられる。これは、アニメという本来は、非政治的・非社会的な表現方法が、「宇宙世紀」という架空の歴史を描くことによって、逆説的に公について語るという一つの表現方法であったといえるだろう。では、次項で村上春樹における「架空の年代記」とはどのようなものであったかをみていく。

 

認めたくものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを

(『機動戦士ガンダム』、シャアのセリフより)

 

1-3-2、村上春樹の場合

 

 村上春樹の『風の歌を聴け』の物語は1970年の8月8日から始まり、18日後の8月26日までを描いている。簡単にあらすじを説明しておくと、主人公である僕は大学の夏休みを故郷の芦屋?に帰省し、友人である鼠と「ジェイズ・バー」のバーテンであるジェイたちと、とりとめのない会話をして過ごすという話だ。だが、この小説でみられるのは、村上春樹の数字に対しての執着だ。例えば、

 

煙草を吸い終わってから10分ばかりかけて女の名前を思い出してみようとしたが無駄だった。第一に女の名前を僕が知っていたかどうかさえ思い出せない。僕はあきらめてあくびをし、もう一度彼女の体を眺めた。年齢は20歳より幾つか若く、どちらかといえば痩せていた。僕は指をいっぱいに広げ、頭から順番に身長を測ってみた。8回指を重ね、最後に踵のあたりで親指が1本分残った。158センチというところだろう。

右の乳房の下に10円硬貨ほどのソースをこぼしたようなしみがあり、下腹部には細い陰毛が洪水の後の小川の水草のように気持ちよくはえ揃っている。おまけに彼女の左手には指が4本しかなかった。

(『風の歌を聴け』より)

 

 このような具合である。柄谷行人はこのような数字の羅列を、歴史を「空無化」をめざすものとしたが、そうではない。むしろ、それは歴史の裏側を描き出すもの、正確にいえば、もう戻ってはこない歴史に対しての一種のノスタルジーであったといえる。その意味で、柄谷が村上を、保田與重郎を始めとするロマン派の一極に据えたのは、正しい。しかし、村上は、ロマン派が試みた歴史の乗り越えを意図したわけではなかった。むしろ、村上は歴史に対しての自己の敗北、分裂してしまった自己を描き出していたのだ。だから、村上は数字などの記号の羅列によって、歴史を乗り越えようとしたわけではないし、歴史が回復するものとも考えていなかった。あくまでも、自分が時代から取り残されていくものとしての、ノスタルジーを描きだしているのだ。そして、それが1970年の8月8日から始まり、18日後の8月26日という「架空の年代記」を取り入れることによって、歴史の裏側、つまり歴史に敗北した人々の生活を浮かびあがらせる事によって、逆説的に公を語っているのである。「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」と。だから、浅田彰が村上春樹の作品を「田舎くささと貧乏くささに耐えられなくて」と評するのは正しい。なぜなら、一般的な印象と違い、『風の歌を聴け』を始め、村上春樹の小説は、けっして「おしゃれ」で「クール」な作品ではない。それは、徹頭徹尾、大衆の文学なのだ。だから、私が冒頭に述べた、読み返したときの嫌悪感に近いものは、自分の「大衆性」に対してなのだ。それも、このような作品を「おしゃれ」で「クール」なものと思ってしまう、自分の「大衆性」に対してだ。だが、東が先ほどにも挙げた、先崎と大澤の対談のなかで、「大衆とは、知識人の別人格である」と話していたが、浅田が村上の「田舎くささと貧乏くささに耐えられなくて」というのは、浅田自身の「田舎くささと貧乏くささ」という「大衆性」に自ら「耐えられない」と語っているのと同義である。だから、『風の歌を聴け』の中で、「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」という言葉と対照的な架空の作家ハートフィールドの小説のタイトルが印象的だ。『気分が良くて何が悪い?』。これは、村上が経験していく80年代の消費社会という享楽と、「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」という正しさの間で引き裂かれていく作品なのだ。だから、村上春樹は柄谷がいうような自身を特権的に扱うようなことはしていない。引き裂かれたままの自己を作品で描き出しているのだ。これは、村上春樹の二面性を表している。では、このような二面性のひとつである「大衆性」はいつの時代から来ているのだろうか。それを次項よりみていく。

 

金持ちであり続けるためには何も要らない。人工衛星にガソリンが要らないのと同じさ。グルグルと同じところを回ってりゃいいんだよ。でもね、俺はそうじゃないし、あんただって違う。生きためには考え続けなくちゃいけない。明日の天気のことから、風呂の栓のサイズまでね。そうだろ?

(『風の歌を聴け』より)

 

2、文学の歴史からみた村上春樹

 

2-1、日本近代大衆文学の起源

 

 大衆の問題を論じるには、一旦、明治維新までさかのぼる必要がある。明治維新により、近代化を迫られた日本は、急速に西洋文明を取り入れていくことになる。その中で、英語のように話し言葉と書き言葉を一致させるという言文一致運動というものが起こるようになった。その中心には、『浮雲』によって言文一致の文体を完成させた二葉亭四迷などがいた。それまでの日本においては、江戸時代から続いていた通俗小説などの戯作文学などが主流であったが、それらは言文一致運動の過程において、排除されることになる。だが、ここに今の大衆文学であるライト・ノベルやエンタメ文学の起源がある。なぜ、日本のオタク文化に江戸的なモチーフがよく使われるかというと、明治時代の言文一致運動によって、江戸的な大衆文学が切り捨てられたからである。だから、純文学からこぼれ落ちたものとしての、サブカルチャーの起源を辿っていくと江戸時代に辿り着くことになる。そして、この時すでに、ハイカルチャーとしての純文学に対して、サブカルチャーとしてのライト・ノベルやエンタメ文学の対立の萌芽がみてとれる。ここから、日本の文学は分裂した主体を抱えていくこととなるのだ。このように考えると、村上春樹の『風の歌を聴け』が、当時の純文学作家から評判が悪かったのも、納得がいくだろう。村上春樹の小説は、アメリカ文学の影響を受けながらも、明らかにサブカルチャーの影響を受けた「大衆文学」だったからである。事実、村上の現時点での最新刊である『騎士団長殺し』も上田秋成の『雨月物語』を題材の一つにしている。上田秋成といえば、江戸時代に活躍した作家であり、『雨月物語』は、江戸時代を代表する読本の一つであった。のちの、滝沢馬琴などの作家たちに多大な影響を与えた作品でもある。このように村上春樹においても、江戸的な「大衆文学」の影響はみることができる。

 話を戻そう。このように、言文一致運動によって、江戸的な劇作を排した二葉亭四迷らの文学はヨーロッパなどから影響をうけた自然主義文学となって、そこから公との距離をとった私小説というものが成立していく。これが、今の純文学となっていく。そのため、純文学といえば、公について語らず、ひたすら自分のことについて語る文学だと思われている雛形がここで完成する。一方、そのように言文一致運動によって、切り捨てられた江戸的な大衆文学だが、大正になって復活を遂げる。それが、1920年(大正9年)に創刊された『新青年』だ。そこから、江戸川乱歩、横溝正史といった大衆的作家が誕生していくこととなる。二人の作家、特に江戸川乱歩は「エロ・グロ・ナンセンス」といった近代化によって忘れ去られたものや、サブカルチャー的なものを扱って、人気を博していくこととなる。そして、ここで注目をしたいのが、江戸川乱歩、横溝正史といった二人が書いた小説が「推理小説」、「探偵小説」だったということだ。ここで、ピンときた方もいるかもしれないが、村上春樹もレイモンド・チャンドラーの「探偵小説」ものから影響を受けており、「探偵小説」風の作品も多い。それが、蓮實重彦が批判した『羊をめぐる冒険』だ。なぜ、蓮實があれほどまでに『羊をめぐる冒険』を批判したのかというと、蓮實には、この大正時代風の「大衆文学」が許せなかったのだろう。蓮實をはじめとする、柄谷や浅田らは、大正的なものが「外部」を失った時代だと批判する。半分は当たっているかもしれないが、1990年代後半の京極夏彦などの新本格などの「推理小説」や「探偵小説」につながる「大衆文学」の可能性を見落としていたのである。そして、それが大正時代から、エリートを代表する岩波書店と対立する大衆文化の象徴であった日本雄辯會講談社(にほんゆうべんかいこうだんしゃ)を前身とする講談社から刊行されていたのは興味深い。ちなみに、村上春樹の『風の歌を聴け』を始め、多くの小説も講談社から出されている。また、最初の賞も、講談社が主催する「群像新人賞」であった。このように考えるとやはり、村上春樹の小説は「大衆文学」なのである。

 

2-2、日本現代文学の起源

 

 都甲幸治は、村上春樹の『風も歌を聴け』が刊行された1979年は「日本現代文学の起源」と言えるのではないかと述べている。なぜなら、ここで村上は新たな言文一致の文章を試みていたからではないかとする*1。どういうことかというと、前項で触れた二葉亭四迷が、言文一致の文章を作り出す際、一度、ロシア語で書いてから、翻訳を通して日本語で書いていた手法と、村上春樹が一度、英語で書いてから、翻訳を通じて、日本語に直していった手法が同じだからである。だが、都甲は日本の近代文学が導入したのは、近代的自我における「内面」であったのに対して、村上は近代的な自我や内面を信じていないことから、そこに切断点があるとし、村上の『風の歌を聴け』を「日本現代文学の起源」とする。では、都甲のいう「日本現代文学」とは、どのようなものであろうか。それを、ここではみていく。

 それは、純文学が、かつて日本が近代化するために切り落とした想像力であるSF、ファンタジー、ハードボイルドなどの他ジャンルとの垣根が崩れ、同列に扱われるようになった文学のことだ。それが、都甲のいう「日本現代文学」だ。確かに村上春樹の作品には、SF的要素(異界)、ファンタジー的要素(羊男)、ハードボイルド的要素(チャンドラーの「探偵小説」風の物語)に満ち溢れている。そして、「日本現代文学」は、村上が影響を受けたアメリカの作家ジョン・アーヴィングの作品を「苦悩や苦悩の欠如に依存しない」として、評価したように、日本の近代文学が持っていた「内面性」や「近代的自我」を描かないとことに、特徴がある。だが、東は『ゲーム的リアリズムの誕生』で、そんな村上の作品を今までの文学とは、全く異なった「寓話的で幻想的でメタ物語的なポストモダンの実存文学」として読めるのではないかと記している*2。確かに、村上自身も「どれだけスタイリッシュに小説を書いていこうと前もって決心していても、書いていくうちに内部から否応なく湧き出てくるものというのはやはりあるんですよね」と述べていることからも分かる通り、当時、村上の作品が若者たちに人気があったというのは、何か彼らの実存に届くものがあったということだ。しかし、それは、今まで近代文学が描いてきた実存ではなくて、全てが等価で、自分たちの生を根拠づけてくれるような物語もなく、ただ、消費社会という目の前の欲望に満たされていくといった人間にしか分からない実存かもしれない。そして、村上はそのような人々の実存を、「内面性」や「近代的自我」を描かないことで、描いていたのだ。

 何度もとり挙げて申し訳ないが、東は先日の先崎と大澤の対談で、「村上春樹がデビューした年の前後はライト・ノベルの先駆者となった新井素子がデビューし、柄谷行人が『近代日本文学の起源』を出した」時代だったとして、「文学が崩壊した年」だったと語っていた。このように考えると都甲のいう1979年が「日本現代文学」の起源というのは正しいと思われる。だから、柄谷行人は近代「文学が崩壊した年」だったからこそ、『近代日本文学の起源』を書いたのだ。ということは、村上春樹は「近代文学」である「純文学」の作家ではなく、都甲が指摘するように、「日本現代文学」である「ポストモダン文学」の作家だったいうことだ。

 

2-3、日本文学とアメリカ文学のはざまで

 

2-3-1、アメリカ文学から

 

 突然だが、みなさんの中には村上春樹を日本文学のカテゴリーというよりは、アメリカ文学のカテゴリーに入れた方がすっきりするのではないかと考えている方もいると思う。確かに、村上春樹にとって、スコット・フィッツジェラルドやレイモンド・チャンドラー、『風の歌を聴け』であれば、カート・ヴォネガットの影響は絶大である。例えば、2011年に兵庫県立図書館活用講座で開かれた『村上春樹文学誕生の秘密』では、次のような箇所をヴォネガットと村上春樹の類似点として挙げていた。

 

まずは、カート・ヴォネガットの文章。

 

小男のアメリカ人は、ダイヤモンド、エメラルド、ルビーといった宝石類を一クォートほども持っていた。ドレスデン市内の地下室で見つかった死体の山から頂戴したのである。そういうものだ。

(『スローターハウス5』より)

そのあたりのどこかで、哀れな中年のハイスクール教師エドガーが、地下墓地からティーポッドをもちだしたところを逮捕された。容疑は窃盗であった。彼は裁判にかけられ、銃殺された。そういうものだ。

(『スローターハウス5』より)

 

次に、村上春樹の文章。

 

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックスシーンの無いことと。それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。

(『風の歌を聴け』より)

僕は夏になって街に戻ると、いつも彼女と歩いた同じ道を歩き、倉庫の石段に腰を下ろして一人で海を眺める。泣きたいと思う時にはきまって涙が出てこない。そういうものだ。

(『風の歌を聴け』より)

 

 指摘の通り、ヴォネガットの文章にそっくりである。このように、村上作品に、アメリカ文学の影響を見出すことは容易い(だが、ここでアメリカの作家でも、ヘミングウェイやフォークナーなどの作家ではなく、あくまでも大衆文学である作家に影響を受けていることは注目したい)。しかし、私たちは、ここで、冒頭に述べたように、村上春樹を日本文学の正統な後継者という位置づけをしたい。それは、明治期に成立した私小説としての近代日本文学の後継者としてではない。前項で述べたように「日本現代文学」の「起源」としての村上春樹であり、それこそが本来、日本文学が持っている伝統に連なっているからだ。そのヒントが海外の村上のインタビューに答えたものにある。例えば、村上がなぜ小説を書き始めたかについて、海外のインタビューに答えたものを、少し長いが引用する。

 

何年かのあいだ、一日十時間ジャズを聴き続けたのは事実です。だからもしかしたら僕は、こういった音楽に深く影響を受けているのかもしれません。――リズムや即興や音やスタイルにね。でも確かに、ジャズクラブを経営していたせいで書こうと決心できた部分もあるんです。ある夜クラブのバーカウンタ―を見たら、黒人のアメリカ兵たちが泣いてるんです。アメリカがあまりに恋しいってね。そのときまで僕は西洋の文化にどっぷり浸かっていました。十歳か十二歳ぐらいのころからです――ジャズだけじゃなくて、エルヴィスもヴォネガットもです。父親(日本文学の教師でした)や日本の正統派への反抗心からこうしたものに興味を抱いたということもあったと思います。だから十六歳になると日本の小説を読むのを止めて、ドストエフスキーやスタンダールやバルザックなど、ロシアやフランスで読みだしたんです。四年間英語を学んで高二になると、古本屋に並んでいるアメリカの本を読み始めました。アメリカの小説を読んでいると、孤独から逃れて他の世界に入れたんです。最初は火星を訪れているみたいでした。でも、だんだんと居心地が良くなっていきました。けれどもその夜、泣いている黒人の男たちを見て気づいたんです。どれほど西洋の文化を愛したとしても、僕にはこの兵隊たちにとってほどの意味は持ち得ないんだって。僕が書き出した本当の理由はこれですね。

(The Review of Contemporary Fiction)

(都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』より)

 

 これは、一般的に私たちが知っている村上春樹像と異なっている。私たちが知っている村上の小説を書き始めたきっけは、神宮球場にヤクルトの試合を見に行った際に、デイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を打った瞬間に小説を書くことを思い立ったというエピソードだが、海外では全く異なったことを答えているのである。どちらが本当なのだろうか。だが、村上春樹風にいえば、「どちらも、YESであり、NOである」ということになるだろう。また、國分功一郎の「中動態」という概念を借りれば、一般に日本の読者が知っているエピソードは結果であり、海外のインタビューは過程を説明したものであるということになるだろう。だが、ここで重要なことは都甲が『偽アメリカ文学の誕生』の中で述べているように、村上文学の起源に西欧文化への断念があったということだ。だから、村上春樹の小説は西欧文化、特にアメリカ文学に影響を受けているが、相対的なものであるということだ。そこで、村上春樹はアメリカ文学と日本文学という引き裂かれた自身を描いていくことになる。そして、それは、前項でみてきた通り、明治期において、言文一致の文章を試みた二葉亭四迷らが辿ってきた道である。その伝統に村上春樹も沿っているのである。それを次項からみていく。

 

2-3-2、日本文学から

 

 村上春樹の小説は日本文学が持っている伝統に連なっている。どういうことかというと、村上は日本の近代文学である私小説を脱構築することで、日本の文学を引き継いだのだ。以下に村上の発言を引用する。

 

最初の二冊で僕がしようとしたのは、伝統的な日本の小説を脱構築することです。脱構築とはつまり、中身を全部抜き出して、骨組みだけをのこすという意味ですね。そして、なにか新鮮で独創的なものでその骨組みを満たす必要がありました。

(The Paris Review)

(都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』より)

 

 ところで、引用文にある最初の二冊。つまり、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』は長い間(2015年まで)、アメリカを含む英語圏では出版されていなかった。村上自身が認めているように、故意で出版を止めていたのである。この事実は、一般的な評価とは違い、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』は、日本文学を無視して、アメリカ文学を目指して書かれたものではなく、むしろ徹底して、日本文学を意識して、作られたものであったことの証左であろう。だから、日本の小説を脱構築するために、アメリカ文学を徹底的に利用したのだ。だが、ここで気を付けなければならないことは、引用文の「伝統的な日本の小説」というのは、明治以降の私小説の流れをくむ純文学のことであり、それ以前の日本の小説、例えば、江戸時代の読本などを小説とするならば、そのような「伝統的な日本の小説」の歴史には、連なっているというのが、私たちの考えである。というのは、村上春樹の両親が国語の教師であったことは、よく知られているが、小さい村上春樹に対して、日本の古典文学をかなりスパルタ的に覚えさせていたからだ。例えば、「ぼくが小さいころね、(父親が)『枕草子』とか『平家物語』とかやらせるのね。」というエピソードからも窺いしれる。また、子供の頃の食卓の話題は『万葉集』だったらしく、その結果、村上は大人になってからも、『徒然草』、『枕草子』、『平家物語』を暗記しているらしい。このようなエピソードから分かる通り、村上春樹の日本の古典文学に対する教養はかなりのものであると思われる。実際、『1Q84』にも、登場人物のふかえりに、『平家物語』が好きだと語らせているように、『1Q84』は『平家物語』の構造をかなり意識している。それは、福嶋亮太が『復興文化論』のなかで、『平家物語』は「捧げ物としての物語」の性質を有していると述べていたが、『1Q84』の中に出てくる「空気さなぎ」という、物語のキーとなっている小説も、福嶋がいう「捧げ物としての物語」の性質を有しているからだ。このように、村上春樹の小説は日本の文学の歴史において評価されるべきであり、村上春樹こそが、正統な日本文学の継承者なのだ。では、次項からは、「伝統的な日本の小説を脱構築すること」を目論んだ『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』について、詳しくみていく事とする。

 

3、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』

 

3-1、青春

 

 村上春樹の『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』は「青春」をテーマにしている。村上春樹は「青春」に対して、次のように語っている。

 

青春あるいはアドレセンスというものは所詮ある種の虚構性の上に成立しているものであり、そこにリアリティーをこじつけようとする試みは必ず失敗に終る。必要なのはリアリティーを描くことではなく、リアリティーを的確に示唆することである。

(『キネマ旬報』1980年3月下旬 第782号 親子間のジェネレーション・ギャップは危険なテーマより)

 

 このように語っていることからも分かる通り、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』には、直接的なリアリティーが描かれるということはしない。だから、それを示唆するような言葉に満ちている。例えば、次のような文章だ。

 

三人目のガール・フレンドが死んだ半年後、僕はミシュレの「魔女」を読んでいた。優れた本だ。そこにこんな一節があった。

「ローレンヌ地方のすぐれた裁判官レミーは八百の魔女を焼いたが、この『恐怖政治』について勝誇っている。彼は言う。『私の正義はあまりにあまねきため、先日捕らえた十六名はひとが手を下すのを待たず、まず自らくびれてしまったほどである。』」(篠田浩一郎・訳)

私の正義はあまりにあまねきため、というところがなんともいえず良い。

(『風の歌を聴け』より)

 

 ここでは、三人目のガール・フレンドが死んだあとの、「僕」の心理描写を一切しない。ミシュレの『魔女』を引用して、示唆するのみだ。この三人目のガール・フレンドは、柄谷の指摘を待つまでもなく、「直子」のことである。のちに、村上を国民的作家に押し上げた『ノルウェイの森』で正面から取り挙げることとなった「直子」である。村上春樹にとって「直子」、あるいは、「直子」的な存在がいかに、村上の心を占めていたか、『ノルウェイの森』を呼んだ方なら分かるだろう。それが、『風の歌を聴け』では、ほとんど直接的に描かれることはない。『1973年のピンボール』では、今度は「三人目のガール・フレンド」ではなく、「直子」という固有名を与えられて登場してくるが、ここでも、「直子」を正面から描くことはしない。「直子」に関する断片を語るのみだ。ただ、『1973年のピンボール』を呼んだ読者は、「直子」が「僕」にとって、大切な存在であったことは分かる。これは、良く指摘されることだが、村上の作品はアニメーション監督の新海誠作品の特徴に類似している。新海誠は、自身が村上春樹のファンだということもあり、意識的に村上春樹的なテーマを作品に反映させていると思われる。一番、象徴的なのが、『秒速5センチメートル』である。この作品では、幼馴染の男女がお互い心を惹かれ合っていながら、離れ離れになっていくというストーリーだ。だが、ここで重要なのは、女の方は、他の男と結婚して、男の方が独身を貫いているという点だ。これは、今でも、心を惹かれ合っていると思っているのは、男の妄想に過ぎず、その方がリアリティーを持つかもしれないということだ。だが、作品の中では、それを描くことはせず、お互い心を惹かれ合っているという可能性を残して終わっていく。これが、『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』でも、示唆されている。「直子」と愛し合っていたと思っているのは、「僕」の妄想にすぎないかもしれないからだ。だから、「青春」は「ある種の虚構の上に成立」するものである。だとすれば、そのような「直子」を直接、描くことは、かえってリアリティーを欠くものになるではないか。だからこそ、村上は「リアリティーをこじつけようとする」ことはしなかったのである。だが、そのような描き方でしか表せないリアリティーがあるのではないか。そのリアリティーを『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』は描いているのである。

 

3-2、友情―『風の歌を聴け』―

 

3-2-1、ジョン・F・ケネディーから

 

 『風の歌を聴け』は友情を描いた小説でもある。突然、こんな事を言われて、驚く人もいるかもしれない。しかし、『風の歌を聴け』は徹頭徹尾、「僕」と「鼠」という友情の話なのである。どういうことであろうか。詳しくみていく。物語の中盤、「小指のない女の子」が登場してくる。この女の子がキーになる。

 ある日、「僕」はいつものように「ジェイズ・バー」で飲んでいて、顔を洗うために、洗面所に行く。すると、床に酔っぱらっている「小指のない女の子」が転がっていることに気付く。そして、その「小指のない女の子」を介抱するために、彼女のアパートまで連れていき、そこで朝を迎えたところから、「小指のない女の子」の話は始まる。ところで、この「小指のない女の子」は、おそらくは、鼠の彼女ではないかと思われる。なぜか。

 ジョン・F・ケネディーがヒントになる。「僕」が「小指のない女の子」を介抱する前に、鼠が女と会話しているシーンがある。このようなシーンだ。

 

「私が間違っていたと思う?」女がそう尋ねた。

鼠はビールを一口飲み、ゆっくりと首を振った。「はっきり言ってね、みんな間違っているのさ。」

(中略)

「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られている。」(筆者注:鼠のセリフ)

「誰の言葉?」(筆者注:女のセリフ)

「ジョン・F・ケネディー」(筆者注:鼠のセリフ)

 

続いて、「僕」と「小指のない女の子」との会話。

 

「ねえ、昨日の夜のことだけど、一体どんな話をしたの?」

車を下りる時になって、彼女は突然そう訊ねた。

「いろいろ、さ。」

「ひとつだけでいいわ。教えて。」

「ケネディーの話。」

「ケネディー?」

「ジョン・F・ケネディー。」

彼女は頭を振って溜息をついた。

「何も覚えていないわ。」

 

 偶然にしては出来すぎているだろう。話の流れからすると、この鼠の話していた女と「僕」が話している「小指のない女」が同一人物と考えることが自然だ。では、なぜこのような話が友情に繋がるのだろうか。

 それは、「僕」の「小指のない女の子」に接する態度から分かる。「僕」は「小指のない女の子」に、なぜ介抱する時、アパートまで送り届けたら、帰らなかったのかと聞かれる。それに対して、「僕」は「僕の友だちに急性アルコール中毒で死んだのがいるんだ。」と説明しているが、「ずいぶん親切なのね?」と言われるように、見ず知らずの他人にそこまで親切にするのは、どう考えても不自然だ。また、『風の歌を聴け』を読めば分かるが、「僕」はそこまで、他人に親切にするタイプでもない。では、なぜか。それは、「僕」が「小指のない女の子」を鼠の彼女だと知っていたためだと考えるのが自然である。つまり、親友の彼女だったから、親切にしてあげたのだ。このように考えると、「僕」の鼠に対する友情の深さが分かるだろう。

 しかし、ひとつ見落とせないことがある。それは、「小指のない女の子」は妊娠していたが、おそらく中絶したことだ。それは、「小指のない女の子」が「僕」に「手術したばかりなのよ」言ったときに、「僕」から「子供?」と聞かれて、「そう。」と答えたことからも分かる。では、父親は誰か。それは、やはり鼠と考えるべきだろう。小説の中にヒントがある。

 

それは「ミッキー・マウス・クラブの歌」だった。こんな歌詞だったと思う。

 

「みんなの楽しい合言葉、

MIC・KEY・MOUSE。」

 

確かに良い時代だったかもしれない。

 

 なぜ、村上春樹は「MICKEYMOUSE」の間に「・」を入れたか。日本語に訳してみると分かる。「MIC」はひとまず、置いておく。では「KEY・MOUSE」はどうだろうか。日本語に訳すと「鍵・鼠」である。これは、「鼠」が「鍵」だと示していると考えられる。だとすると、「鼠」が「鍵」ということを踏まえて、「MIC」に私なりに補足してみると、「Mouse Is Children」。つまり、「鼠は子供」、「子供」と「鼠」を入れ替えると、「子どもは鼠」となる。ここから、村上は「小指のない女の子」の子どもの親は鼠とヒントを与えるために「MICKEYMOUSE」の間に「・」を入れたと考えられないだろうか。そもそも、なぜ鼠というあだ名なのだろうと考えると、鼠は繫殖能力が高い。だから、「小指のない女の子」との関係を示すために、村上春樹は鼠というあだ名を付けたのではないかと考えられる。さらに、鼠の書く小説にもヒントが隠されている。それは、鼠の書く小説には、「セックスシーンの無いこと」と、「一人も人が死なないこと」が特徴であった。なぜ、このような特徴を持っているのだろうか。察しのいい方はお気づきかもしれないが、それは、鼠が「セックス」の結果、出来た子供を「死な」せてしまったからに違いない。だから、鼠は自身の小説では、「セックスシーン」を描かないし、人を「一人も死なせない」のだ。

 では、「小指のない女の子」が妊娠していたこと、その親は鼠であったことは「僕」は知っていたのであろうか。おそらくは知っていたのであろう。だから、「小指のない女の子」が「手術したばかりなのよ」と言ったときに、すぐに「子供?」と聞くことが出来たのであろう。また、「小指のない女の子」は「僕」に一週間、旅行に行くといって、中絶手術を受けている。その一週間と、鼠が「僕」に明日、女に会ってほしんだと頼んで、結局、会うのをやめた一週間が重なっている。つまり、鼠は「僕」に「小指のない女の子」を紹介して、結婚するつもりだったのだろう。だから、鼠はわざわざ、「僕」に「スーツとネクタイ持ってるかい?」と尋ねたのだ。ただの、彼女の紹介であったら、スーツやネクタイまではいらないはずだ。それほど、大事な(結婚し、親になる)話だったに違いない。だが、「小指のない女の子」はおそらく鼠に内緒で中絶手術を受けてしまった。そこから、鼠の苦悩は始まるのである(この頃、鼠が読んでいた本はカンザキスの『再び十字架にかけられたキリスト』だ)。

 だが、「僕」は鼠を責めることや、問いただすことはしないし、それは、「小指のない女の子」が対しても同じだ。それを、「無責任」ととる考え方もあるが、やはり、鼠のことを大事に思っているからこそ、また、鼠の気持ちが分かるからこそ、責めることや、問いただすことはしなかったのである。そのように考えると『風の歌を聴け』は友情について書かれた小説と読むことができる。だが、そう単純な話でもない。「僕」の側には、複雑な感情が巡っていたからだ。それを次項よりみていく。

 

3-2-2、『こころ』へ

 

 「僕」の側の複雑な感情とはなにか。そのヒントとなる小説がある。それは、夏目漱石の『こころ』だ。読者の方々も、学校の授業などで一度は読んだことがあるだろう。そのような『こころ』のどこが、ヒントとなるのだろう。それは、『こころ』における先生 ― K ― お嬢さんという三角関係であるというところだ。これが、『風の歌を聴け』にも当てはまる。『風の歌を聴け』においては、僕 ― 鼠 ― 小指のない女の子という三角関係になっているのだ。だが、前項では、「僕」は鼠のことを親友と思っていた。だから、鼠の彼女である「小指のない女の子」に対して、親切にしたのではないかと。確かに、それは事実だ。しかし、それと同時に「小指のない女の子」に「僕」が惹かれていたのも、事実だ。例えば、このような描写。

 

彼女は乳首の形がはっきり見える薄いシャツを着て、腰まわりのゆったりした綿のショート・パンツをはいていたし、おまけにテーブルの下で僕たちの足は何度もぶつかって、その度に僕は少しずつ赤くなった。

 

 気のない相手にこのような描写を描いたり、態度を取るだろうか。さらに、決定的なのは、「小指のない女の子」に「私とセックスしたい?」と聞かれて、「うん。」と答えている。確かに、この時は、「小指のない女の子」は中絶手術したばかりだから、「僕」もセックスが出来ないことは知っていただろう。しかし、そのような嘘をつく必要があったのだろか。また、冬に街に戻ってきたときも「小指のない女の子」に会いにいっている(会えなかったが)。そのように考えると、やはり「僕」は「小指のない女の子」に惹かれていたと捉えるのが妥当である。では、なぜ村上春樹は『こころ』のような三角関係を描く必要があったのだろうか。それは、日本の私小説の最高峰だと思われている(少なくても学校関係者には)『こころ』を脱構築するためである。

 2-3-2項の村上のインタビューの引用を思い出してほしい。村上が『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』でしようとしたことは、「伝統的な日本の小説を脱構築すること」であった。だから、村上は日本を代表するような、それも村上が一番、嫌いな「近代的自我」の「内面」を描いた『こころ』を脱構築するために、このような三角関係を取り入れたのだ。だが、その中身は似て非なるものだ。『こころ』は、日本の私小説的な「心理描写」を書いていたのに対し、村上は「心理描写」をほとんど描くことなく、またその素材もアメリカ文学からの引用によって脱構築したのだ。そのようにして、村上は『風の歌を聴け』で友情を描きつつも、『こころ』という「伝統的な日本の小説」を脱構築することによって、日本の文学の刷新を図ったのだ。

 

3-3、死と再生―『1973年のピンボール』―

 

 ここからは『風の歌を聴け』の続編である『1973年のピンボール』について、みていこう。ずばり、この小説の主題は死と再生である。それを今から、みていくこととする。

 『1973年のピンボール』は、村上春樹の2作目の長編小説で、タイトルにもある通り、1973年が舞台となっている。これも、1-3-2項で考察したように、『風の歌を聴け』と同じく「架空年代記」ものとなっている。小説は、「僕」のパートと鼠のパートの二本立てになっており、のちの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「僕」と「影」のパラレルワールドに似た構成となっている。そのような小説のあらすじだが、「僕」は東京で友人と翻訳を専門とする小さな会社の共同経営者として働いていた。だが、ある日、目覚めると、ベッドの両脇に双子の女の子がいた。一方、鼠は「ジェイズ・バー」のある街に留まり、苦悩の日々が続いていた。新しい彼女も出来たが、この街を出ていこうか思い悩んでいる。そういった話である。

 ある日曜日の朝、電話局の男が「僕」の家に訪れて、配電盤の取り換え工事を行う。その際に電話局の男が置き忘れた「古い配電盤」を、「僕」は、どうしても気になって仕方がない。なぜだろうか。それは、「古い配電盤」に過去の記憶の塊をみたからである。実際、『1973年のピンボール』の中には、そのような描写が数多く書かれている。例えば、このようなものだ。

 

左手の遠くには巨大な港があった。何本ものクレーン、浮ドック、箱のような倉庫、貨物船、高層ビル、そういったものが見渡せる。右手には内側に向かって湾曲した海岸線に沿って、静かな住宅街やヨット・ハーバー、酒造会社の古い倉庫が続き、それが一区切りついたあたりからは工業地帯の球形のタンクや高い煙突が並び、その白い煙がぼんやりと空を被っていた。

 

 そのような過去の記憶の塊として、象徴的なものが、後半に出てくる「3フリッパーの「スペースシップ」のピンボール」だろう。だが、それは、「古い配電盤」の葬式をして後から本格的に描かれるようになる。さて、そんな「僕」は、双子の女の子に促されて、「古い配電盤」の葬式をすることになるのだが、それには、どのような意味があるのだろうか。それは、やはり「過去の記憶の塊」の葬式であっただろう。なぜ、そのような葬式をしなければ、ならなかったか。それは、前作の『風の歌を聴け』でも語られ、今作でも語られる。三番目の女の子、つまり直子の葬式である。実際、1973年の5月、「古い配電盤」の葬式を行う前に、「僕」は直子が住んでいた街を訪れている。何の目的か。それは、「髭を剃り」、「ネクタイをしめ、新しいコードヴァンの靴をおろした。」と書いてあるように、ささやかな葬式のような儀式を行うためであったと思われる。だが、それは、「でも忘れることなんてできなかった。」、「結局のところ何ひとつ終わっていなかった」と書いてあることから、うまくいかなかったのだ。だから、その再演として、「古い配電盤」の葬式を行うことになる。それは、もちろん、直子だけでなく、村上がこだわり続けている「1969年」という時代と、それに代表される精神に対しての葬式でもある。そして、その葬式の後、「僕」は「3フリッパーの「スペースシップ」のピンボール」に再び心を奪われていくこととなる。

 では、「3フリッパーの「スペースシップ」のピンボール」とは、何だろうか。それは、直子の分身である。「僕」はピンボールを通して、直子と会話をするのである。だが、「古い配電盤」の葬式をしたのではないかと思われる方もいるかもしれない。しかし、「僕」が「3フリッパーの「スペースシップ」のピンボール」に再び心を奪われるようになったというのは、「僕」がはじめて直子と直子の死に向き合えるようになったということを意味するのだ。だから、今までは、「僕」の独りよがりというか、本当の意味での直子の死と向き合えていなかったのが、「古い配電盤」の葬式を経たことによって、直子の死と向き合えるようになったのである。それが、「古い配電盤」の葬式の後で、「3フリッパーの「スペースシップ」のピンボール」が登場してくることの意味である。そして、ゲームセンターから「3フリッパーの「スペースシップ」のピンボール」がなくなり、「世界の果て」のような倉庫での再会によって、「僕」はきちんと直子に別れを告げることができる。正しく死者を死なせることで、「僕」は再生することができるのだ。そのように『1973年のピンボール』とは、死と再生を描いた小説なのである。

 

4、まとめ

 

 以上のようにみてきた通り、村上春樹は通常、私たちが考えているより、日本の文学というのを、かなり意識して小説を書いているということが分かって頂けたと思う。しかし、それは明治期から始まった私小説のような純文学を引き継ぐということではなくて、今のポストモダン文学と思われている大衆文学、それの起源である江戸時代の上田秋成に代表される読本や、その再建である大正時代の江戸川乱歩の探偵小説などの伝統を引き継いでいるという点で、日本文学の正統な後継者であり、同時に日本現代文学の起源者でもあった。だが、これは、村上作品の大衆性を表すものであり、明治から続いてきた知的エリートによる純文学という歴史から引き裂かれている。また、私小説が公から距離をとることで成立したときに抱えていた、政治と文学の解離という問題を、架空年代記という方法を取り入れることで、一見、非政治的、非社会的と思われている村上の作品は解消しようとしているのであった。だが、そのような方法は、あくまでも、政治と文学が引き裂かれているという前提のもとでしか、有効に機能しない方法である。この意味でも、村上の小説は、公というものから、引き裂かれている。さらに、村上は2-3-1項でみたように、アメリカ文学に近づいたが、けっして、自分のものにはならないと自覚したときに、アメリカ文学というアメリカ文化と日本文学という日本文化の間で引き裂かれている。このように、村上春樹は三重の意味で引き裂かれた小説家なのだ。東は「日本に生まれるということは引き裂かれた自己を抱えて生きることである」と語っていたが、その意味で、村上春樹は、明治期から続く、知識人と大衆、政治と文学、外来文化と日本文化という引き裂かれた自己を描き出した小説を描いているという点で、日本が抱えている矛盾を体現している作家であり、日本文学の正統な後継者なのである。

 


注釈

*1 都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』水声社、76~82頁。

*2 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2――』講談社現代新書、289頁。

 

 

 

文字数:21912

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