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90年代を代表する作家はどう10年代と向かいあったのか

 序、

 宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』が2008年に出版されてから、9年がたった。その間に世界と日本の状況は目まぐるしく変わった。日本では2009年に民主党政権に代わり、今までの既存の政治からの脱却して、日本が良くなると信じられていた。また、アメリカでも初の黒人の大統領にバラク・オバマが選ばれ、世界は多様性に富んだリベラルな社会に変わっていくかに思われた。しかし、日本では2011年3月11日に東日本大震災が起き、同時に福島第一原子力発電所の事故が起きた後から、日本に閉塞感が広がりはじめる。世界でも、イスラム国による自爆テロがさかんに起こるようになり、一気に排他的な社会に変わり始めた。そのような中で、日本では安部政権が長期政権を樹立し、イギリスはEUから離脱する事を国民投票で決定し、アメリカでは排他的な主張を行うドナルド・トランプが大統領に選ばれ、世界は混乱をきたしている。技術面でもスマートフォンが普及し、TwitterやFacebookなどのSNSが流行り、誰でも情報を発信できる事によって、世の中が良い方向に変わっていくと期待されたが、実際は他人の顔色を窺って、共感を得やすい情報ばかりを発信し、人と違う意見、考え方を表明しようものなら、すぐ炎上するような閉鎖的なものになってしまった。このように書くと希望もなにもないじゃないかと思われそうだが、日本では、2019年に今の天皇陛下が退位され、新しい元号と新しい天皇陛下によって迎えられる2020年の東京オリンピックに向けて、『10年代の想像力』を総括する事は、20年代の想像力を育むうえで重要な事である。それでは、『10年代の想像力』をみていこう。

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 今、現在、「強い女性」が求められている。日本では、東京都知事の小池百合子、辞任してしまったが、将来の総裁候補であった前防衛大臣の稲田朋美。世界では、あと一歩で大統領の座を逃したヒラリー・クリントン、ドイツのメルケル首相、イギリスのメイ首相、フランスの大統領選挙で善戦した国民戦線の党首であるルペンなど世界では「強い女性」が活躍している。そのような世界の情勢の中で、日本や世界の映画やドラマやアニメでも。その傾向が出ている。日本では、NHKの大河ドラマで、10年代に入ってから。『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『花燃ゆ』(2015)、現在放送中の『おんな城主 直虎』と女性を主人公にした物語が占めている。海外でも、韓国で2010年に放送された主人公である女官のトンイを中心に繰り広げられる王宮内での権力争いを描いた『トンイ』やこれも王宮内での権力争いを描いた『奇皇后』(韓国では2013~2014)などのドラマで女性が主人公を務めているし、アメリカでも最近の『スターウォーズ/フォースの覚醒』(2015)では女性である主人公のレイがフォースに目覚め、活躍する。ちなみに、敵役である男性のカイロ・レンはダース・ベイダーに憧れているが、ダース・ベイダーほど強くなれないと悟ってしまっており、どこか小物感がある。また、日本のアニメであるが、決定的なのは、『ヱヴァンゲリヲン』の劇場版の最新作である庵野秀明監督の『ヱヴァンゲリヲン新劇場Q』(2012)においてである。そこでは、碇ゲンドウ率いる「ゼーレ」に対して戦う「ヴィレ」のトップが葛城ミサトや赤木リツコという女性が占めている設定になっている。さらに、「ヴィレ」が保有する戦艦「ヴンダー」の整備長である伊吹マヤに至っては「これだから若い男は」と言わせている。実際、作品においても活躍するのは、式波・アスカ・ラングレーや真希波・マリ・イラストリアスなどの女性である。主人公の碇シンジは「ヱヴァ」に「乗らない」ように促される始末だ。これは、宇野のいう『新世紀エヴァンゲリオン』が代表していた「引きこもり/心理主義」を経て、ゼロ年代を象徴する「決断主義」までもが否定されているのではないか。正確にいえば、「女性」の「決断主義」は否定されておず、「男性」の「決断主義」が否定されているのではないか。まるで「男性」は「決断」したところで、「ろくな事」にならないから、手を出さないでと言わんばかりのような。そのようなメッセージを読みとる事が出来る。このように10年代は「強い女性」を描く作品が占めた時代であった。また、それは時代の要請でもあった。では、次にもう一つの特徴についてみていく。

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 もう一つの特徴とは、「百合」である。「百合」といっても、女性だけの日常を描くだけのものから、恋愛関係やそれに近い関係を描くものまで様々ある。ここでは、そのようなライトなものから、少しヘビーなものまでみていく。まず、「百合」のポップカルチャーで一番に出てくるのは、『ゆるゆり』(2011~2015)だろう。これはタイトルからわかる通り、恋愛関係などは描かず、女の子達が仲良く学校生活を送る日々をゆるく描いたアニメである。どちらというと日常を淡々と描く「日常系」や「空気系」と呼ばれるものに近いかもしれない。こちらは三期まで続いていることから、「百合」のポップカルチャーで一番、先に挙げるのは間違いではないだろう。他にも、10年代に入って「百合」を描いたものとして、『きんいろモザイク』(2013~2015)、『ゆゆ式』(2013)、『ご注文はうさぎですか?』(2014~2015)などのアニメがある。このように日本のアニメでは「百合」を描くことが10年代は主流となっている。また、海外のアニメでもディズニーが初のダブルヒロインを描いた『アナと雪の女王』(2014)は「百合」を描いているようにも考えられる。また、国内に戻すが、是枝監督の映画『海街diary』(2015)も男性も登場し、男性との恋愛も描かれているが、メインとなるのは、四姉妹のやりとりであって、一種の「百合」的世界を描いていると考える事も出来る。だが、ここまでは女性同士の恋愛関係やそれに近い関係は描かれておず、先程、『ゆるゆり』のところで述べた通り、「日常系」や「空気系」と呼ばれるものに近い。だが、そこから、かなり踏み込んだ内容を描いた作品も10年代には存在する。

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 まず、一番に挙げられるのが、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカーー[新編]叛逆の物語ーー』(2013)である。こちらは、アニメで放送された、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)の続編である。簡単にアニメ放送された物語を説明しておくと、ある日、主人公の鹿目まどかは転校生の魔法少女である暁美ほむらに襲われていた謎の生命体キュウべえを助け、「僕と契約して魔法少女になってほしいんだ。」と言われる。しかし、話が進むに対して、次第に魔法少女が戦っていた魔女がかつては同じ魔法少女であった事、キュウべえは魔法少女が絶望して、魔女になる際のエネルギーを集めている事が明らかになってくる。そこで、暁美ほむらは自身の能力で何回も時間を巻き戻して、鹿目まどかが魔法少女にならないように止め続けている事がわかる。それを知った鹿目まどかは負の連鎖を断ち切る為、自ら魔法少女になる事を決断し、その見返りとして「全ての魔女を過去も未来も含めて、生まれる前に消し去りたい」と願う。そして、願いが叶えられた鹿目まどかは人間としての実体をもたず、神に近い概念として存在する事となった。そのような物語である。その続編である『~[新編]叛逆の物語』は暁美ほむらが概念となった鹿目まどかを人間に戻すため、魔女を通り越して、悪魔となり、まどかを人間に戻すという物語である。その際に暁美ほむらは「人間の感情の極み。希望よりも熱く、絶望よりも深いもの、愛よ。」と言い放ち、鹿目まどかに対する感情が愛だと告げる。これは、先ほどまでにみてきた作品とは違い、かなり踏み込んだ内容になっている。ここに『10年代の想像力』がみてとれる。このような特徴をもった作品としては、スタジオジブリの『思い出のマーニー』(2014)も挙げられる。これはジブリでは定番のボーイミーツガールは描かれずに、主人公の少女である杏奈と少女マーニーの交流の話に終始している。そのような作品の中で『10年代の想像界』で重要だと思われる作品が岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016)と幾原邦彦監督の『ユリ熊嵐』(2015)である。
 岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、『~[新編]叛逆の物語』でみてきたような女性同士の恋愛関係が描かれている。物語は、主人公の皆川七海は結婚するが、姑の策略により、離婚させられてしまう。そこで、路頭に迷った七海は収入を得る為に、結婚式の代理出席のアルバイトをすることになる。そこで、同じバイトに来ていた里中真白と出会う。そして、ひょんなきっかけから、二人はオーナーが不在の屋敷の維持をするために住み込みで働く。しかし、実は屋敷は真白のものであり、七海と一緒に暮らす為に、嘘をついて、七海を屋敷に住み込みに来させた事が分かる。その事を知った七海は戸惑いつつも、次第にお互いを理解するようになり、お互いに愛するようになる。そのような物語である。そこでは、岩井俊二は女性同士の恋愛をしっかりと描いている。『リリイ・シュシュのすべて』(2001)など微妙な心理描写を描くことに定評のある岩井俊二が10年代にこのような映画を撮った意義は大きい。
 次に幾原邦彦監督の『ユリ熊嵐』(2015)だが、幾原らしく難解な作品であるが、タイトルからも分かる通り「百合」がテーマとなっている。物語の舞台はクマが人を襲うようになった地球。主要キャラクターである椿輝紅羽の通う嵐が丘学園に、これもまた主要キャラクターであるクマの百合城銀子と百合ヶ咲るるが人として、転校してくるところから始まる。転校してきた初日から、銀子は紅羽に異様なまでに執着する。そのような中、紅羽と「スキ」を確認し合った仲である泉乃純花がクマに食べられ、姿を消す。同じくクマである箱仲ユリーカの策略によって、紅羽は銀子が純花を食べたのだと信じ、銀子を殺そうとする。しかし、物語が進むつれ、純花を食べたのは別のクマであった事が分かり、さらに、銀子と紅羽は幼い頃に出会っており、その際に銀子を人にしてもらう代わりに「スキ」をすてる=銀子の事を忘れる事を願ったのを思い出す。その事を思い出した紅羽は女神のクマリア様に自分をクマにして欲しいと願う。クマになった紅羽は銀子と「約束のキス」を交わし、ラストを迎える。このように幾原は岩井俊二の『リップヴァンウィンクル~』と同様に女性同士の恋愛をしっかりと描いており、『少女革命ウテナ』(1997)において、女性の社会的立場や内面を描いた幾原がこのような作品を作ったのは興味深い。
 以上が10年代の二つ目の特徴である「百合」である。精神科医の斎藤環は「関係する女、所有する男」と言ったが、10年代に入って、男性も女性的な関係性が描かれた作品を求めるように、変わってきたのではないだろうか。

 結、

 これまでの考察で、『10年代の想像力』の特徴が「強い女性」と「百合」であった事をみてきた。宇野は『ゼロ年代~』において、ゼロ年代の特徴である「決断主義/サヴァイヴ系」というのは、「セカイ系」に代表される90年代の思想が政治と文学の解離を前提としているのを、新たな定義で政治と文学の一致を図ろうとしているのではないかの述べているが*1、そうして『10年代の想像力』を考えた時に二つの特徴である「強い女性」というのは政治と文学が重なっている事を、「百合」というのは、政治の文学の解離しているという事を示しているのではなかろうか。そこで、注目したいのは、「強い女性」と「百合」という10年代の特徴を代表する作家として挙げた庵野秀明、岩井俊二、幾原邦彦という三人が90年代を代表する作家だという事だ。庵野秀明は『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)、岩井俊二は『リリイ・シュシュのすべて』(2001)*2、幾原邦彦は、『少女革命ウテナ』(1997)と90年代の想像力を代表する「引きこもり/心理主義」、「セカイ系」を描いている。そのような90年代の想像力を代表する作家が『10年代の想像力』を象徴する作品を作った意義は大きいのではないだろうか。


注釈

*1 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』ハヤカワ文庫、2011年9月、432頁。

*2 作品の公開は2001年だが、本作は90年代の想像力である「引きこもり/心理主義」の特徴を有しており、本作を90年代の想像力の代表作と言っても、差し支えないだろう。

 

 

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