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グローバル化した世界が多神教の国家だとするなら、 日本はそのモデルケースになり得るか?

父の病室で『水戸黄門』のBS再放送を観ていた。昭和から続いてきた国民的時代劇シリーズの西村晃主演版である。この回を観たのは恐らく初めてのはずなのだけど、恐ろしいまでに既視感があった。日本中を旅する水戸光圀は真面目に織物を生産する貧しい青年と知り合い、その青年が作った織物が強欲な商人と悪代官によって騙し取られていることを知る。青年には結婚を約束した相手がいたが、その娘すらも商人に奪われようとしていた。光圀は配下の者と共に戦い悪を成敗する。そして、青年は幸せになりました。めでたし、めでたし。

いま、この時代劇を「国民的」と書いたが、既に地上波からは消えている。昨年復活した新シリーズは、BS放送となっているのだ。1969年から松下電器産業(現在のパナソニック)一社提供で月曜夜8時に放送されていたが、2011年7月にシリーズ中止が決定される。理由はもちろん視聴率の低迷だが、その年に何があったかを考えれば、もう少し深く検証してもいいかもしれない。

 

2011年と言えば、東日本大震災とそれに起因する原発事故があった年だ。その被害が日本の大手電機企業の収益に与えた影響は確実にあった。だが、それだけではなく世界的な状況の変化が確認された時期でもある。例えば、先に書いたパナソニックは、2008年のリーマンショック以降、経営難に陥っており、2011年度末(2012年3月末決算)には、7721億円の最終赤字を報告している。他にもこの年には、ソニーが4567億円、シャープが3761億円、NECも1101億円の最終赤字となっている。そこには韓国や中国に代表される新興国企業躍進の影響があった。人件費の安い新興国に対抗するため、日本の大手電機でもリストラが急務と言われていた。

パナソニックは2015年2月に「日本型雇用」の廃止を決断する。創業者の松下幸之助は「従業員は家族と同じ、企業は従業員とその家族の面倒を死ぬまで見る」と言い、「年功序列」「終身雇用」という言葉で代表される日本型雇用を打ち出し「経営の神様」と呼ばれた。しかし、1989年4月、昭和天皇を追うかのように幸之助は亡くなる。そして、グローバル化が進んだ現在には日本型雇用も許されなくなった。そもそも2008年に行われた松下電産からパナソニックへの社名変更もグローバル企業に相応しい名前をとの理由からだった。それは既定路線だったのだ。従業員は新しい神様を探す必要に迫られた。

 

現在、社会学者の大澤真幸が「第三者の審級の撤退」と呼び、思想家の東浩紀が「大きな物語の失墜」と呼ぶような状況がある。私たちが生きる規範や、みんなに共通する価値観の効力が弱まっているのだ。女性専用車両に乗り込み抗議の声をあげる男性だっているくらいだ。その一方で、経済合理性だけを追求する者は後をたたない。「お金の神様」だけが支持を世界中から集めている。しかし、誰もがお金持ちになれるわけではないはずだ。俗なる「お金の神様」に対抗できる聖なる「救済の神様」の存在が必要とは言えないだろうか?

 

『水戸黄門』は私が指摘するまでもなくワンパターン・ドラマの代名詞だった。ワンパターンだと誰もが気づきながら、それでもなお(だからこそ?)42年間続いたわけだ。これは驚くべきことではないか? 『水戸黄門』が発信するメッセージは明確だった。真面目に働く者のことを誰かが見ていて、そのような善良な人々を苦しめる悪は必ず成敗されるというものだ。

視聴者はこのメッセージを信じていたのだろうか? 恐らく、信じていなかったはずだ。昭和の時代にも悪事を働く奴らのニュースは数知れずあった。であるなら、視聴者はこのドラマに何を求めたのだろうか? 「悪は必ず成敗される・・・そんな世の中であればいいなあ」、そう考える者が多数存在することを確認するためではなかったか。視聴率の高いこのドラマを見ることこそが安心に繋がった。

『水戸黄門』を観ることで、ある時期までは安心を得られる人々がいた。水戸光圀のように、どこかで、誰かが見ていてくれる。実は、水戸光圀は「天皇」の代わりだったのだ。それは山口昌男の言葉で言えば、「放浪の王」だった。であるなら、それが終了した2011年には、視聴者は「放浪の王」を必要としなくなったのだろうか?

 

実はそうではない。「放浪の王」は現実の存在として日本国中を回ることになった。国民に寄り添う今上天皇は、3月11日の震災以降、前原子力委員会委員長代理、警察庁長官、放射線被曝専門医、日本赤十字社社長、海上保安庁長官、日本看護協会会長などから説明を受け、情報取集を行い、3月30日からは自ら避難者への御見舞に出向かれている。4月、5月には、埼玉県加須市、千葉県旭市、茨城県北茨城市、宮城県南三陸町、仙台市、岩手県釜石市、宮古市、福島県福島市、相馬市、など被災地へ御見舞の訪問をされている。

もちろん、日常の公務や来賓との謁見も変わらずある中での行幸であった。多忙を極めたわけだが、その状況は82歳となった2016年にも変わらず、ついに生前退位の「お気持ち表明」となった。虚構の中の「放浪の王」は必要とされなくなったが、まるで入れ替わるかのように、現日本の「王」は全国を飛び回る存在になっていた。そして、自ら体力の限界を表明するまで追い詰められたのだ。

 

標準語がテレビを媒介にして広がったというのは、よく知られている。それだけではなく、規範や価値観もそこから伝達されているはずだ。『水戸黄門』に限らず、人気ドラマの主人公はある種の規範に沿って行動する。刑事、医師、弁護士、教師などの主人公が、みんなそれぞれの「悪」と戦う姿を見せる中で、視聴者は規範を確認するのだ。これらのドラマが人気を得るのは、人々が生きていくための規範を求めているからなのだろう。規範とはパーソンズによれば、文化体系の一部を構成し、「内面化」を通して人格体系へ、「制度化」を通して社会体系へそれぞれ定着し、人間の社会的生活の連続性、一貫性を保証する、と説明されている。

であるなら、規範はどこで身につけるものなのだろう。家庭はもちろんそうだろうし、次に学校がある。だが、既に書いたように「大きな物語」は失墜しているのだ。子供たちは先生の言うことを正しいと思って聞くだろうか? 規範を伝達する存在は、両親でも、先生でも、神様でも、王様でもいい。それらは沢山いて、そのどれかから身につければいい。スポーツ選手でもいいし、アニメ作品でもいいし、アイドルからでもいい。

「国民的」と呼ばれる人々。オリンピックで金メダルを取った選手は、その人物の物語が繰り返しテレビやマスメディアで流され、たゆまぬ努力の大切さを国民に伝達する。また、国民的アニメ作家は登場人物の成長を通して、生きて行くために必要な知恵を伝達する。もしくは、人気アイドルは47都道府県をコンサートでまわり、それぞれの地域でファンに全力で楽しむことの素晴らしさを伝達する。それぞれの分野で「国民的」と呼ばれる人物たちがポジティブなメッセージを伝達する。

 

しかし、私たちはついにポジティブなメッセージを発し続けたヒーローが負ける姿を目撃する。SMAP解散のことだ。以下の章で、平成という時代の終わりが告げられたのと同時に解散を表明した国民的アイドル・グループについて考えて行く。

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