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昭和91年、SMAP解散!

2016年8月の天皇とSMAP

現行天皇は2016年8月8日、生前退位の意向を示す、いわゆる「お気持ち表明」を行った。現行天皇が即位する前、昭和天皇が1988年9月に大量吐血し、重体であることが発表されたときには、かなりの緊張感がテレビ、新聞などからも伝わった。明仁天皇もそのときのことを思い「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」と語っている。

安倍内閣は困惑の表情を見せもしたが、しかし、国民の反応はまったく静かなものだった。例えば、読売新聞が3日後に発表した世論調査においては、「よかった」が93%となっている。82歳という高齢を気遣う反応が多かったようだ。その年、月25日公務をこなす日もあり、ネット上には「ブラック日本の象徴」という言葉も飛び交った。

「お気持ち表明」の2日後、人気アイドルグループSMAPが、所属事務所の社長・ジャニー喜多川に解散の意思を表明している。翌日、ジャニーズ事務所の役員会議において、年内での解散が正式に決定。そして、8月14日には報道機関にもその内容が伝えられた。このとき芸能界的事情によってコントロールされたマスメディアは別にして、その解散を巡りネット上には様々な意見が噴出した。「SMAPはなぜ解散することになったのか?」「悪いのは一体誰なのか?」。日本国民統合の象徴であるはずの天皇よりも、平均年齢40歳を超えたアイドルの解散に強い関心が集まったのだ。一体、この現象は何だったのか?

例えば、アイドル評論家の中森明夫は、自著『アイドルにっぽん』(07年、新潮社)で「天皇は日本国のアイドルである」と書いているが、SMAP解散を目前にした12月には以下のように語っている。

 

ー(SMAP解散の影響は)単なるショービジネスにとどまらないということですか。

 そういう存在ではないですよ、SMAPいうのは。アイドルというのは日本国憲法第1条の天皇陛下のように、国民統合の象徴です。国民を「ファン」と言い換えてもいい。だから、時代の、大衆の、いろんなものの象徴なんです。アイドルがどういう終わり方をするとか、ファンに及ぼす影響って、ものすごく大きい。『毎日新聞』(*1)

 

アイドルとはそこまで大きな存在なのだろうか? もちろん、SMAPは史上最も成功を収めたアイドルに違いない。20数年に渡ってトップを走り続けた破格の存在ではあるだろう。しかし、それでも日本国民にとっての一大事と言えるのだろうか? 中森の発言で「ファンに及ぼす影響」というのは「謝罪」の件だ。発端は2015年1月に発売された『週刊文春』(1月29日号)に掲載されたジャニーズ事務所・副社長、メリー喜多川5時間インタビューだった。「(娘と)対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい」という発言が、SMAPを育てた飯島三智マネージャーに向けて宣告された。これは高齢となった創業者2人の跡を誰が継ぐかという話で、メリーの娘・ジュリー景子と飯島の2人が候補に上がっていた。飯島は野心がないことを強調したが、メリーの発言以降、自らとSMAPの移籍先を探すことになる。

 

しかし、その移籍は失敗に終わったことが2016年になって判明する。メンバーの木村拓哉がジャニーズに残ることを決め、移籍先との契約条件であるSMAPとしての移籍が不可能になったためだ。そして、そのことを『週刊新潮』(2016年1月21号)が記事にすることを知ったジャニーズ事務所が、飯島の退社とSMAPの解散危機を『週刊新潮』発売前にスポーツ新聞にリークする。SMAP解散が現実味を帯びたのはこのときだった。しかし、火消しは即時に行われた。1月18日にフジテレビ系『SMAP×SMAP』においてメンバー5人の生謝罪が行われる。全員黒いスーツを着ての謝罪は、ネット上で「公開処刑」と呼ばれている。一種異様な光景だったのだ。

SMAPは独立を企て、それに失敗してジャニーズ事務所に謝罪。そして、その姿が生放送で公開された。視聴率は30%を超えている。テレビのワイドショーやスポーツ新聞などは、この謝罪によりSMAPの解散は回避され、事態は収拾されたと報道している。しかし、視聴者はそれほど単純に受け止めなかった。ネット上にはジャニーズ事務所や「裏切り者」木村に対する批判が噴出する。このショックが心に刻まれ、2016年末の解散以降も影を落とし続けている。

だが、ここで注目したいのは、「このショックとは一体何であったのか?」ということだ。SMAPが所属事務所に謝罪をすることは、それほどまでにショックな出来事なのだろうか? もちろん、契約更新を断って事務所を移籍しようとしたタレントが、視聴者にわからない力によって公開謝罪に追い込まれるというのは普通のことではない。だが、それだけではない。ここで彼らに好意的な人々が大きなショックを受けた理由は、SMAPすらも芸能界的な約束事から「自由」でないことを知った衝撃からだろう。今となってはそれも当たり前のように思えるが、「謝罪」の前まではSMAPが「自由」であると多くの人が信じていたということだ。

 

では、なぜSMAPは「自由」だと思われて来たのか? それは1996年に起きた事件が関係している。この年にはバラエティ番組『SMAP×SMAP』(フジ系)がスタートし、木村拓哉主演ドラマ『ロングバケーション』(フジ系)が大ヒットを記録している。SMAPが国民的アイドルへの道を歩み始めた年だ。ところが、ここで木村の独立騒動が起きる。既にNo.1スターになっていた木村の年収は「推定二千数百万」(*2)と寂しいものだった。木村は実父を社長に据えた個人事務所を設立し、独立を計画していたと言われている。実際にこの年に出版された木村の写真集はその個人事務所の制作で発売されている。

結果としては、このとき事務所と話し合いがもたれ、SMAPメンバーの収入が飛躍的にアップする。当時は高額納税者が公表されていたが、97年の木村の納税額は8千万円を超えている。この件があって以降、SMAPと飯島マネージャーはジャニーズ事務所からの力を受けない、独立した部署としてファンに認識されるようになった。また、この事件に加えSMAPには「王」としてのストーリーがある。シングル『はだかの王様〜シブトクつよく〜』から『らいおんハート』において、はだかの王様が家族を持ち本当の「王」になるというストーリーが描かれている。詳しくは筆者のブログ『ハノイの日本人』内「ジャニーズの教科書」第3章8で解説している(*3)。

とにかく、「謝罪」によってSMAPが事務所の力を受けない「自由」なグループという幻想は打ち砕かれた。「王」のストーリーは虚構に過ぎなかったのだ。それ故、ファンはショックを受けたと言える。だが、私はまさにそのためにこそSMAPの謝罪は行われたと考える。つまり、テレビに出演するタレントに「自由」など存在しないという表現だったと考えるのだ。そして、その「不自由」を考えるときに、ある人物のことを思い浮かべる。もちろん、天皇のことだ。

 

1988年、昭和天皇とSMAP

実は、SMAPのみならずジャニーズ事務所のアイドルには、天皇を連想させる要因がある。事務所社長のジャニー喜多川は、朝鮮戦争に従軍して日本に来た日系二世のアメリカ人だ。その彼が戦後、代々木の在日米軍宿舎ワシントンハイツに住み、その敷地でスタートさせた少年野球チームのメンバーから最初のグループ、ジャニーズは誕生している。太平洋戦争に敗戦後、象徴天皇制がアメリカによってつくられたように、ジャニーズもアメリカ人によってつくられているのだ。

また、ジャニーズ事務所には「トップグループ制」とでも言うべきシステムがあり、1962年結成のグループ、ジャニーズを初代に、フォーリーブス、郷ひろみとトップが受け渡され、その8代目トップがSMAPとなっている。SMAPは70年代生まれのメンバーで構成されているが、他にもTOKIO、V6が同年代のグループとして存在する。その中で唯一18歳以下でデビューし、「少年から大人へ」というストーリーをシングル・レコードのなかで表現する。異性との出会いから始まり、成長の過程を見せ、最後にセックスを通過儀礼として体験し、大人になる。その成長ストーリーを見せるのがトップグループなのだ。これも筆者のブログ『ハノイの日本人』内「ジャニーズの教科書」第1章で解説している(*4)。

 

◉ジャニーズ事務所の歴代トップグループ

  初代トップ ジャニーズ

 第2代トップ フォーリーブス

 第3代トップ 郷ひろみ

 第4代トップ Johnny’s ジュニア・スペシャル(JJS)

 第5代トップ 川崎麻世

 第6代トップ 近藤真彦(一時期、田原俊彦と2トップ)

 第7代トップ 光GENJI

 第8代トップ SMAP

 第9代トップ 

 第10代トップ Hey! Say! JUMP

 

このトップが受け渡されて行くというストーリー自体が、天皇制のシュミレーションに見えなくもない。恐らく、それに気づいた誰かが昭和天皇をシュミレートするアイドルというアイデアを思いついたのだろう。もちろん、そのグループがSMAPである。彼らが結成した時期の出来事を観てもらう。

 

1987年1月31日 渡辺プロダクション創業者・渡辺晋、死去

     8月19日 光GENJIデビュー

1988年4月某日 SMAP結成

     9月20日 昭和天皇、大量吐血により重体と発表

1989年1月7日 昭和天皇、崩御(87歳)。皇太子即位、翌日元号を平成に

     2月9日 手塚治虫、死去(60歳)

     4月27日 松下幸之助、死去(94歳)

     6月24日 美空ひばり、死去(52歳)

     8月10日 幼女連続殺人事件、宮崎勤、逮捕報道

1990年11月12日 明仁天皇、即位礼正殿の儀

     12月31日 NHK紅白歌合戦で植木等出演

1991年1月1日 SMAP初ライブを武道館で行う

     9月9日 SMAP、CDデビュー

 

SMAPが結成した1988年の前年には、60年代、70年代に芸能界を制していた渡辺プロダクションの創業者、渡辺晋が亡くなっている。実はジャニーズ事務所の最初のグループ、ジャニーズはナベプロに属してテレビ出演を果たしている。そして、SMAPは「音楽と笑い」をテーマに「平成のクレージーキャッツ」を目指してバラエティの世界に進出する。クレージーキャッツとは、ナベプロが生んだ昭和を代表する国民的人気グループだ。

 

冒頭にも書いた通り、昭和天皇が重体になって以来、国内には「自粛」騒ぎなど混乱が少なからず起きた。陛下を慕う人々は皇居に集まり、そこに用意された記帳所に並んだ。その中で、評論家・大塚英志は、以下の文章を書いている。

 

 ところで聖老人へのお見舞いが〈記帳〉の形をとるのは、民族学的にいうと〈セイギトウ〉の一種ということになる。病の平癒を願って近隣の人々が集まって共同で祈願する行為をいい、千人祈願、千人講ともいう。要するに多勢の力で、病によって不安定な状態にある病人の魂を肉体にとどめようというものである。(中略)しかし、〈記帳〉が始まった直後の何日かは、〈セイギトウ〉などという悠長なものではなく、〈魂呼び〉に近かったような気がする。肉体から離れようとする魂を強引にこの世に呼び返そうという儀式が〈魂呼び〉である。(大塚英志『少女たちの「かわいい」天皇』角川文庫に収録)

 

これは大塚が評論家としての出発点の一つと語る文章の一部だ。そこで、記帳の列にいる、その場に不似合いな少女たちに大塚は注目する。もちろん、少女たちは天皇制を支持してその行動にでたわけでもないし、これまでその存在を意識していたわけでもなかった。では、なぜ病床の天皇に対して、強い関心を持ったのか? 「少女たちのまなざしに映った聖老人はどのような姿をしているのか」を大塚は問題にした。

 

 傷つきやすく、無垢な〈少女〉としての私がいる。その〈少女〉である私は〈かわいいもの〉に囲まれた無垢なる空間でしか生きられない。それが今日の少女たち(あるいは子供たち)の自己像である。(中略)

 不敬、を覚悟で言おう。少女たちは聖老人の姿の中に傷つきやすくか弱い自分自身の姿を見ている。東京の中心にある聖なる森に住む聖老人は、少女雑貨に囲まれた部屋にこもる少女たちと共振する。(同書)

 

大塚は、先の文章で〈魂呼び〉のような行為がそれ以前にも行われたことに言及する。少女による〈魂呼び〉の儀式とも言うべき行為は、昭和の末期に2度あった。86年にアイドル歌手の岡田有希子が自殺したときには、現場に集まった少年少女が円陣を組み、彼女の名を叫びながら泣き叫んだ。また、87年にロックシンガー尾崎豊が覚醒剤取締法違反で逮捕されたときには、再起は難しいという空気がある中、ファンからのリクエストがラジオ局に殺到し、さながら〈記帳〉を思わせたと書かれている。執行猶予がついた尾崎は、88年9月にアルバムの発売と東京ドームでのライブを開催し、復活を遂げた。昭和天皇と岡田有希子と尾崎豊・・・

 

それでは、この三者に共通のイメージとは何か。結論から言うと、それは〈弱さ〉あるいは〈傷つきやすさ〉とでも表現されるあるイメージである。あるいは、そこに〈孤独〉や〈無垢〉といった要素が加わるかもしれない。(同書)

 

SMAPが結成された昭和の末期にはそのような出来事があった。そこで思い出されるのは、もちろん『世界に一つだけの花』の購買運動のことだ。解散騒動の中、SMAP存続を願ってファンはお金の限りそのCDを買い続けた。この行動も、大塚が言う〈魂呼び〉なのかもしれない。SMAPのファン層の中心は40代女性と言われるが、それは昭和天皇の「記帳」の列に並んだ少女たちの28年後の姿かもしれないのだ。もうしばらく天皇についての大塚の文章を見て行こう。

 

確かに昭和天皇は〈戦争責任〉という「民衆の怨念」を引き受けることで天皇たりえた生贄としての神であったし、ぼくたちは戦後の消費社会が生み出したケガレを昭和天皇(時にはその複製である力道山や美空ひばりや手塚治虫に代行させたケースもあったが)に手渡し浄化してもらうことで生き延びてきたのである。(中略)

 しかも「国民とともに歩む」平成の天皇は、例えば〈戦争責任〉というケガレを投げつけるにはあまりに普通の人である。だが放置しておくとケガレは増殖し続ける。(同書)

 

当時、昭和天皇というカリスマがいなくなることで、国民を統合するような存在がなくなることを危惧した人々がいた。さらに、昭和天皇崩御の後、それぞれの分野で「天皇」や「神様」と呼ばれた人たちも次々と亡くなった。マンガ・アニメ界の天皇、手塚治虫。歌謡界の天皇、美空ひばり。経済界の天皇、松下幸之助。昭和が音を立てて崩れて行く姿があった。

昭和天皇の時代には国民が天皇陛下の写真を御真影と呼び、祈りを捧げることもあった。しかし、敗戦があり、戦争責任の議論も行われる中で、次の天皇の時代には、その存在を感じる機会はさほど多くなかった。昭和天皇は戦前と連続した昭和天皇であることで特別だったが、次の代にはあくまでも「象徴」であることが求められた。

 

そもそも天皇制が急造されたのは、明治維新後、近代化した欧米諸国に対抗するため、日本も近代国家をつくる必要に迫られたという背景がある。「国家」などという概念を持たなかった「国民」に、明治天皇を唯一神として据え、その神の子として「国民」が存在するという天皇制をつくったのだ。だが、太平洋戦争で連合国側に無条件降伏し、アメリカによる占領を受ける中で、日本国憲法とそこに規定される象徴天皇制が作られた。それが作られた理由は、アメリカの占領政策を天皇陛下の「お気持ち」として伝えることで、「国民」の動員を容易にするためと推測される。しかし、現代においてそのような「国民の統合」は必要とされているのだろうか?

 

SMAPと宮﨑勤

実は、もう一つ昭和天皇の死後に大きな事件があった。89年8月、東京都西多摩郡に住む宮﨑勤が、幼女連続殺人事件に関与したとして逮捕された。それは「おたく」という言葉が一般にも知られることになった最初の事件だった。大塚はこの事件の犯人に奇妙に自分を重ね、その困惑を「おたく」の名付け親である中森明夫との対談において素直に表明している。そして、共同体なきあと、通過儀礼もなくなり、どのうように少年は大人になればいいのかを考えるのだ。

 

 なぜ、M君の「趣味」を擁護しておかなくてはならないかというと、そういうロリコンでも、ホラーでも、何でもいいんだけども、M君の部屋に象徴されるものっていうのを、やっぱり、必要とする子供みたいなものが、これからあとにも、どんどん出てくるっていう気がするんですよ。『Mの世代』(89年、太田出版)

 

また他の書籍でも宮崎の事件について語っている。

 

 宮崎事件のときから通過儀礼の個人化ということをぼくは個人的な倫理の形成の問題としてずっといってきた。個人化に失敗すると「人を殺す」ことで「充」を求める通過儀礼型殺人になるわけです。だから「倫理」が必要になる。 大塚英志・宮台真司『愚民社会』(12年、太田出版)

 

 だからといってぼくは通過儀礼的主題を持つ物語に接しその「かたち」を自らの成熟のための心理ドラマの準拠枠として採用することで、わたしたちが生きるこの時代の根源的な困難さともいえる「成熟の不可能性」という命題に解答し得たなどとは決して思っていない。それはあくまでも対処療法的な措置であると考える。だが同時にその一方で、この時代におけるわたしたちの「成熟」はこのような対処療法的なふるまいの集積としてしかあり得ないような気がしてならない。近代社会の一つの到達点としてわたしたちは高度消費社会を体験したが、そこで流通し消費された物語・モノ・流行の多くが実はそういった「対処療法」的な役割を果たしていたのだ、という思いもある。『人身御供論』(94年、新曜社)

 

バブルの末期から「成熟」のあり方は、深刻な問題として浮上して来た。中森は、大人になる、成熟する、というモデルがない時代に、下の世代に向けてどのようなことを言えるかを大塚に問うている。「民俗学的な考え方というのが応用可能なんだろうか?」と聞くのだ。

 

 民俗的な儀礼が復活するとはぼくは思えないんですよ。ただ、同時にイニシエーション、通過儀礼をやらなきゃいけないみたいな意識というのが、子供らの間で、世代が下にいけばいくほど異常に強くなってきてるんですね。それは一つ、問題だと思うんです。とりあえず成長しようとしてる意思みたいなものがあるんだけれども、その意思の受け皿が存在しない。『Mの世代』

 

 結局、たぶんもう空論でしか言えないんだろうけども、やっぱり通過儀礼が終わったあとの大人像なり家族像なるものを、誰か犠牲になって、嘘でもいいからつくっていく(笑)。犠牲になって、身を挺して、というあたりが重要だと思うんだけれども。(同書)

 

「犠牲になって、身を挺して、というあたりが重要」と書かれている。そこで注目されるのはジャニーズのトップグループが描く成長のストーリーだ。SMAPは知ってか知らずかその役割を引き受けることになった。SMAPのシングル曲では少年から大人へのストーリーと、さらに男女関係はどうあるべきかが模索されている。さらに、繰り返し異性とのコミュニケーションで失敗する姿が描かれる。木村拓哉のドラマでも、まずはコミュニケーションに失敗するとこから始まっていたのを思い出す。

 

 この国の近代は村上春樹が『海辺のカフカ』のなかで、夏目漱石の『坑夫』を教養小説的物語を留保する小説として作中で言及したように、漱石だけでなく、川端康成から村上春樹、あるいは手塚治虫から梶原一騎、宮崎駿まで、教養小説的な構造を援用しながら、しかしその最後で主人公が成熟を拒否したり、留保したり、頓挫することで教養小説の機能不全を意図して起こさせてきた。

 それはネガティブな言い方をすれば「成熟の拒否」であり、ポジティブな意味を見出せば、「国民」化の拒否である。いずれにせよ、その拒否の一貫性が日本の文学やサブカルチャーをポストモダニズム的に見せてきた、といえる。 大塚英志『感情化する社会』(16、太田出版)

 

ここで大塚が言っていることはこう言い換えることが可能だろう。3・11以前に唯一、成熟を目指した表現はSMAPによって行われていたのだと。

 

日本国民の「父」であった昭和天皇が崩御する。そして、「平成のクレージーキャッツ」ことSMAPが誕生する。そこには、渡辺晋、酒井政利、阿久悠、萩本欽一などが作り出した、数々の「昭和」のサブカルチャーが動員された。それはアメリカへの憧憬を隠さない文化の数々だった。「昭和」はSMAPによって生き延びた。そのグループを誕生させたのは数々の人気アイドルを生んだ天才ジャニー喜多川に加えて、評論家・大塚英志の存在があったと筆者は考える。

 

2016年、SMAPと生前退位

大塚はSMAP解散についてどのように発言しているだろうか? 星海社のサイト内において「角川歴彦とメディアミックスの時代」というタイトルでいくつかの文章を書いている。そのなかの一つで大塚は気になる文章を書いている(*5)。ネットメディア『cakes』に自著『感情化する社会』についてのインタビューを受け、そのなかでインタビュアーがSMAP解散についてもコメントを求めていたのだ。

 

 あなたはインタビューでSMAPの解散と生前退位という「終わり」を重ねて質問したけれど、ぼくはそれに戸惑いました。平成の終わりはSMAPの終わりくらいの重さなんだって。そういう何がない時間感覚のなかにそれこそぼくはああこれがポストモダンなのか、って思います。天皇は宮田登的にいえばヒヨリミやヒジリ、つまり、時間を統治する職能でしょう。天皇が代替わりしたり元号が変わることで時間=歴史を更新するっていうのが天皇制っていうシステムだったはずでしょ? でも代替わりしてもSMAP解散したしね、くらいの喪失感なら、その時点で天皇制、否定されるじゃん。でも君、インタビュー中、ずっと「天皇陛下」って言ってたよね。インタビューがそのまま流れるわけじゃないのに「陛下」って言ってるってことは多分敬愛してるからだと思うけど、大きな問題が終わったはずなのに、なぜ天皇制は必要とされるのか。

 

この発言は一見、SMAP解散と天皇の生前退位を重ねて語ることを非難しているように見える。しかし、そうではない。大塚の『感情化する社会』を読めばそれは明らかだ。大塚はその本に書かれた内容を繰り返して伝えているに過ぎない。さらに、そこでは天皇制を廃止すべき理由も書かれている。

 

 事実、天皇は「機能」として国民の感情を快適化することを局面局面で求められ、しかも、政策的提言や実践は許されず、感情労働のみが求められる。例えば被災地におもむき、彼は、感情を汲みとる。しかし、それは復興制作には少しも反映されない。

 ぼくはっこでだから天皇が政治にコミットすべきだと言っているのではない。そうではなく、彼らの一族をある意味で徒労である「感情労働」からいいかげん解放してしかるべきだ、と言っているだけだ。『感情化する社会』

 

以前の大塚は、暴走しかねない内閣よりも上位の存在として天皇がいることを認めていた。しかし、2003年4月に以下の文章を書いて以降、天皇制に反対の立場を取っている。

 

 天皇制を今、改めて問題化しようと考えたのは当然、明確な理由があります。それは私たち個々人が自分に望むにせよ望まないにせよ帰属する行政単位としての「国家」に委託した自己の責任を自明のものとして引き受けるためには「天皇制」という政治制度をやはり断念するべきだ、とぼくは考えるからです。『少女たちの「かわいい」天皇』

 

現行天皇の「お気持ち表明」も、自分に関係があることとして受け止めた国民はほとんどいなかった。天皇制への私的発言もスルーされている。それでも天皇制は必要なのだろうか? ちなみに、大塚がこの文章が発表されたのは、SMAP『世界で一つだけの花』がシングルで発売された頃だ。『君が代』の代わりとなる国歌をつくろうとしたのだろうか? そういう解釈もできなくないが、ここでは考えない。

 

「アメリカの影」とSMAP

サブカルチャーを使ってアメリカと天皇制について考える試みは、文学においても繰り返されてきた。批評家の加藤典洋は『アメリカの影』(85年、河出書房新社)において、文芸批評家・江藤淳が村上龍『限りなく透明に近いブルー』(76年、講談社)を全否定し、田中康夫『なんとなく、クリスタル』(81年、河出書房新社)を評価したことに注目した。それについて大塚は、以下の文章を書いている。

 

 加藤典洋は江藤が、村上が欠き田中が持つと考えるこの批評精神は「サブ・カルチュア」という自らのあり様に向けられているのではなく、「占領被占領」という隠蔽された日米関係に基づく、「アメリカなしではやっていけない」という「日本文壇」の屈折した感情を逆撫でするかのように村上龍は余りに無邪気に描き、他方、田中康夫は巧みにその機微を描いた、その差なのだという。批評精神の有無とはそのような問題に対する感受性に帰結すると加藤は『アメリカの影』の中で論じた。ぼくは加藤が示す「サブ・カルチュア」である、ということは極めて戦後的な問題である、という視点には同意する。ぼく的な言い方をするならば、「サブ・カルチュア」とは戦後的な言語や表現空間と相似であり、だからこそそれが、サブカルチャーが「全体」を擬態したり、人々から「全体」を代行することを望まれる理由である、と考えている。その意味でも田中は、「サブ・カルチュア」である日本への機微にとんだ批評を行った、と江藤には好ましく映ったのだろう。『江藤淳と少女少女フェミニズム的戦後』(01年、筑摩書房)

 

これは文学について書かれた文章であるが、それは他のサブカルチャーにおいても有効な批評のあり方だ。マンガ、アニメなどのサブカルチャーについて語られる時、日本独自の表現と賞賛して「クール・ジャパン」という言葉が、なんの屈託もなく使われたりもする。しかし、そう単純ではないはずなのだ。例えば、批評家の東浩紀は、以下のように書いている。

 

ここで想起しなければならないのは、オタク系文化の起源はじつは、アニメにしろ、特撮にしろ、SFにしろ、コンピュータ・ゲームにしろ、そしてそれらすべてを支える雑誌文化にしろ、戦後、五〇年代から七〇年代にかけてアメリカから輸入されたサブカルチャーだったという事実である。(中略)

 オタクたちは確かに江戸文化の継承者なのかもしれないが、その両者は決して連続していない。オタクと日本のあいだには、アメリカがはさまっているのだ。『動物化するポストモダン』

 

SMAPで天皇制をシュミレーションするというアイデアにも「アメリカの影」は存在している。と言うか、そのものなのだ。ここでもう一度、SMAPの「謝罪」について考える。SMAP「王」の物語は「謝罪」によって終了したと既に書いた。メリー喜多川に従った木村拓哉の人気は急落している。SMAPはアメリカに勝てなかった・・・ だが、第二次世界対戦に敗戦した後、大日本本帝国の君主である昭和天皇の戦争責任はアメリカの都合によって不問にされた。「謝罪」は行われていないのだ。評論家の高澤秀次は昭和を代表する作詞家・阿久悠の作品を評論した著書『ヒットメーカーの寿命』(09年、東洋経済)の終章において、大人になれない日本人について書いている。

 

 おそらく阿久悠は、「日本人は精神年齢十二歳」というマッカーサーの侮辱的メッセージに、だから早く大人になりなさいではなく、だけどお前たちは十二歳のままでいいのだよ、いつまでも子どもでいなさい、という邪悪な意図を読み取ったのではないか。

 

晩年の阿久は彼のバトンを受取り歌い継いでくれる歌手探しを諦め、『書き下ろし歌謡曲』(岩波新書)において歌われる宛てのない歌詞100篇を発表した。その中にあったのが『コーンパイプの魔のけむり』だ。コーンパイプとは連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが愛用したパイプのことで、それを使う姿が写真などで流通しており彼のトレードマークとなっていた。「♪コーンパイプの魔のけむり ぼくらを 酔わせて 眠らせた」という歌詞を取り上げ、「その幻術とは、日本人の精神的な『虚勢』、つまり、一億総『幼児』化による国民的な無力化ではなかったのか」と高澤は書く。

日本人は敗戦後、ずっと眠って来た。アメリカに従っていれば、思考停止していても構わないと思って来た。しかし、3・11東日本大震災を境に、このままではマズいと気づき始めている。天皇陛下の「お気持ち表明」に対して国民の反応が薄かったのも、天皇の後ろにはアメリカが存在したからなのだろう。

いや、実際にはテレビを観ている視聴者がどれほどそのことに意識的であったかはわからない。しかし、SMAPは「謝罪」によってそれを見せつけた。アメリカに敗戦し、謝罪する姿を見せつけたのだ。これは日本の戦後をやり直すという表現だった。

 

昭和が終わる日

2016年12月26日、SMAPのメンバー5人が揃ってテレビに出演する最後の日が来た。番組は18:30から23:15まで約5時間にわたり放送されている。1996年にスタートしたこの番組には、数々の名場面があった。お笑いのアイドルを成立させたコントの数々、ビストロSMAPに出演した海外タレントとの交流、そして、SMAPが生んだ数々のヒット曲、それらが次々と映し出されて行く。番組の最後にはSMAPの5人が登場し代表曲『世界に一つだけの花』を歌い上げた。そして、黒いスーツに身を包んだ5人は、幕が降りるまで無言のままただただ頭を下げ続けた。5人は最後まで言葉を交えた挨拶をしなかったのだ。それが5人が歌う最後の姿となった。

おかしなことは『世界に一つだけの花』が歌われる前にもあった。歌の直前、再び過去の名場面が10分以上に渡って流されたのだ。こちらはSMAPの歴史を振り返る内容で、結成からの出来事をイベントやライブの映像を交えて、ほぼ音声なし、バックにはオルゴールの音色があった。昭和天皇が亡くなった時には、テレビ局がこのような昭和天皇在りし日の姿を繰り返し流し続けた。SMAP在りし日の姿。これは「王」の崩御を連想させる演出だった。SMAPは既に死んでいたのかもしれない。もちろん、それを発案したのはフジテレビではなく、ジャニーズ事務所だろう。歌い終えたSMAP5人の背景には、葬儀場の祭壇を思わせる花が飾られていた。SMAPによって「昭和」が続いていたとすれば、2016年は昭和91年となる。SMAPは1991年にデビューし、昭和91年に解散した。

SMAPは昭和天皇のシュミレーションとして誕生し、戦争責任を取ることで解散させられた。そして、「天皇」のいない世界をこれから私たちは生きることになる。自らの頭で考え自らの人生を生きるのか、それとも新たな「天皇」を迎えて生きることになるのだろうか。

 

余談として

最後に余談として、SMAP解散についての私見を書いておこうと思う。私はSMAP解散に反対しない。5人それぞれの思いはあったと思うが、やはり、SMAPを続けることの限界もあったと思うのだ。中居正広が14年の『FNS 27時間テレビ』の45分ノンストップメドレーで見せた「座り込み」や吉本芸人との水泳対決での敗戦。17年1月末で全員が40代に入ったSMAPメンバーの体力的な限界もあり、かっこつけられるうちに解散するのがいいと考えてもおかしくなかったはずだ。メンバーからのメッセージははっきりとあったと思う。

 

♪ よそ行きの服をしまって 違う街へ思いを向けた

  思い出す古い記憶を触ってははねのける

  自分のために生きて 結果誰かのためになった

  それだけのことなんだ 悪くはないだろう

  答えが 正しいか間違ってるかなんて

  考えたって僕らは このままじゃ 日々を 捨てる

  忘れるために過ごすの 強がっては傷増やすの 嫌だから

  Are you ready

  I love you I love you 愛が止まるまでは

  I love you I love you 言葉で気取って

  I love you I love you 愛が振れるまでは

  I love you I love you  

 

SMAPのラストシングル『愛が止まるまでは』(15年)はデビュー記念日に発売された。これが結果的にラストソングになったわけだが、聴けばわかるようにラストに相応しい名曲となっている。もっと早くこのメッセージを受け止めるべきだった。ここにメンバーの思いのすべてが詰まっている。作詞、作曲は川谷絵音、編曲は鈴木Daichi秀行。『Otherside』と両A面として発売されている。デビュー曲は『Can’t stop!!-LOVING-』であったから『愛が止まるまでは』はそれと対になっていることがわかる。

これはまだ飯島マネージャーが在籍したときに制作された曲だ。CDに収録された他の2曲も「終わり」を示している。つまり、SMAPの解散はそれなりに準備されたものだったのだろう。5人旅(*6)も、座り込みも、木村拓哉の裏切りも、メリー喜多川の5時間インタビューですらも・・・すべては虚構のなかにあったのかもしれない。(おわり)

 

 

(*1)『毎日新聞、SMAP解散」研究:中森明夫さん(2)消える統合の象徴「2016」は時代の分岐点になった』

http://mainichi.jp/articles/20161213/mog/00m/040/016000c

 

(*2)週刊『AERA』1997年3月24日号でのジャニー喜多川インタビューの記事より。

(*3)ブログ『ハノイの日本人』は著者のブログで、2010年にSMAPと嵐のトップ交代について書いたあたりから「トップグループ制」について考えだしている。電子書籍でも何度か発売しているが、2015年に無料公開したのが『ジャニーズの教科書』になる。

『ジャニーズの教科書』第3章「SMAP、そして父になる」6

http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150921/1442805451

 

(*4)(*3)のリンク先に同じ。

(*5)2016年11月24日にアップされた大塚英志の文章

http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/post-1057.html

 

(*6)2013年4月に放送された『SMAP×SMAP はじめての5人旅スペシャル』。結成25周年を記念して行われた。

 

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