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歌のディズニーランド 50周年を前に -「アイドル」にとっての1970年と2011年-

 「アイドル」誕生と「アイドル戦国時代」

2010年代の日本の大衆文化が振り返られるとき、「アイドル戦国時代」はどのように語られるだろう? この言葉は2010年5月から使われだし、そこからアイドル・ブームが本格化したと言われている。しかし、流行を表す言葉の使われだした時期がはっきり特定できるのはなぜか? 『激動! アイドル10年史』(洋泉社)というムックにはライター岡島紳士の文章として以下の記述がある。

 

そして5月30日、NHKの音楽番組『MJ』でアイドル特集回が放送される。AKBブレイク以降のグループアイドルシーンの活況を象徴する放送となったこの回の出演者は、AKB48モーニング娘。アイドリング!!!ももいろクローバースマイレージ東京女子流バニラビーンズの7組と、MCのPerfume。「アイドル戦国時代」という言葉は、このニュースを報じる際にいくつかのメディアで用いられたために拡散し、定着したものだ。

 

Perfumeが司会を務めるNHKの音楽番組『MUSIC JAPAN』から、「アイドル戦国時代」がスタートしたと書かれている。実は番組に先立ち記者会見も行われた。『MJ』はNHKで毎週日曜深夜に放送されていた40分番組だが、その5月30日に放送される特集の告知のために記者会見まで行われている。ここで1998年の大ブレイク以降アイドルのトップに君臨していたモーニング娘。と、2007年『ポリリズム』の大ヒットで新たなトップに立っていたPerfumeに代わって、AKB48を頂点とする「アイドル戦国時代」という物語が始まる。結果として、その仕掛けは大成功となり、現在、日本全国に3000組とも言われる女子アイドルが存在している。

AKB48の運営が、どのような策を講じたか詳しく触れないが、CDの売上が右肩下がりの状況にあり、レコード会社、レコード店、音楽雑誌などを救済する方策が必要とされたことは想像できる。歌って踊るよりも、CDの対面販売が重視された(もちろん販売コストは増大する)。ここで注目すべきは『MJ』ではない。それは世間への告知に過ぎず、それまでに何が行われたかが重要と言える。

 

 2010年4月 アミューズさくら学院が開校(そこからBABYMETALが生まれる)

 2010年5月 エイベックス東京女子流『キラリ』でデビュー

 2010年5月 スターダストももいろクローバー『行くぜっ! 怪盗少女』でメジャーデビュー

 2010年5月 ハロプロのスマイレージ夢見る15でメジャーデビュー(後にアンジュルムに改名)

 2010年5月 NHK『MUSIC JAPANでアイドル特集。

 

簡単なリストではあるが、その意味をわかってもらえるだろうか? アミューズは、国民的人気バンド・サザンオールスターズ、星野源、Perfumeが所属する大手芸能事務所だ。次に、エイベックスは、trf、安室奈美恵、浜崎あゆみ、EXILEなどを大ヒットさせてきた大手レコード会社。スターダストプロモーションは、柴崎コウ、北川景子、小松菜奈、山崎賢人、窪田正孝など若手人気俳優が所属する大手芸能事務所だ。最後に、モーニング娘。を筆頭とするハロープロジェクトからも新しいグループがメジャーデビューしている。ここに70年代から数々のアイドルを生んで来たソニー・レコードがないのが気にはなるが、『MJ』で告知される前に大掛かりな準備がされたとわかる。それだけではない。

 

 東京女子流『キラリ☆』 ♪ 物語はここから始まる

 ももいろクローバー『行くぜっ! 怪盗少女』 ♪ 制服脱ぎ捨て華麗に変身! その名も怪盗ももいろクローバー

 スマイレージ『夢見る15歳』  すごい恋 夢見てる 15歳(フィフティーン)

 

2010年5月にデビューした3組の歌詞を観れば、「アイドル戦国時代」というプロジェクトに「アイドル」誕生からの40年を研究した誰かが事前に制作サイドを指導したことがわかる。ちなみに、アイドルの誕生時期には諸説あるが、ここではテレビというメディアによってつくられた「アイドル」について語る。それは1971年に誕生した。そして、その誕生については後で明確に示す。

たまたま偶然、同じ月にこのような歌詞のデビュー曲が制作されたなどということはあり得ない。これから「このような歌詞」の中身を観て行くわけだが、実のところ「アイドル」は歌詞の分類によって大きく2つのタイプに分けることが可能だ。

 

1つ目はCBSソニーのプロデューサー酒井政利が考案した「私小説路線」で、1971年デビューの南沙織を筆頭に、郷ひろみ、山口百恵というスターを誕生させている。酒井は自著『プロデューサー』(時事通信社)において、タレントの「生地」を活かして行く方法で、タレントの成長に合わせて歌詞で描かれる人物も成長して行くと語る。「私小説路線」の大まかな流れは、異性との出会いからスタートし、次第に性的な関係が描かれ、最後にセックスを体験することで「大人(スター)」になるというものだ。東京女子流『キラリ☆』とスマイレージ『夢見る15歳』の歌詞は共に、これからファンとの関係が始まると書かれている。彼女らが「アイドル」である以上、恋愛対象である「君」はファン以外にあり得ない。つまり、「私小説路線」は「疑似恋愛型」と言える。

2つ目の手法は昭和の大作詞家・阿久悠と盟友の作曲家・都倉俊一が完成させた「非日常のエンターテイメント路線」で、1972年に『どうにもとまらない』を大ヒットさせた山本リンダを筆頭に、フィンガー5、ピンクレディーでそれぞれ社会現象とも言われる大ブームを巻き起こしている。例えば、ピンクレディーはデビュー曲『ペッパー警部』で、土居甫による股をパカパカと開く大胆な振付でいきなり大ヒットを記録。さらに『UFO』では宇宙人かもしれないあなたと恋愛し、『サウスポー』ではプロ野球のピッチャーに変身して王貞治と対戦。『モンスター』『透明人間』など子どもが好きなキャラクターを次々と歌の中に登場させた。ピンクレディーは架空世界に登場するキャラクターだった。阿久はイラストレーターの和田誠との対談において、その架空をディズニーランドから発想したと語っている(『A面B面』)。「非日常のエンターテイメント路線」は「変身型」もしくは「歌のディズニーランド」と言い換え可能である。

 

「アイドル」が誕生した1971年には、日本語ロックにとっても画期的な出来事があった。はっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』が出た年だ。現在でも名盤と言われるこのアルバムは、ディズニーランドではないが、オリンピックによる開発で消えた東京の街をイメージした架空の都市「風街」が歌われている。関東大震災、東京大空襲、そして東京オリンピック。その度ごとに街は生まれ変わった。その歌詞を書いたのは、このバンドのドラマーであり、後に近藤真彦や松田聖子らの歌詞を書き、80年代アイドルで大ヒットを連射した松本隆だ。

 

「アイドル」が誕生した1971年はどんな年だったか?

1971年が「アイドル」誕生の年だとして、なぜその年だったのだろうか? これは少女マンガの影響からだと推測されている。1969年に『週刊マーガレット』で連載がスタートした本村三四子作『おくさまは18歳』は、1970年9月に岡崎友紀主演ドラマとして放送され大ヒットする。詳しくは宮台真司著『サブカルチャー神話解体』(ちくま文庫)を読んでもらいたいが、戦前的な「性から隔離された身体」としての〈少女〉から、全共闘運動の時代を通過して、「子どものままなのに性的身体」を持つ〈少女〉が「かわいい」という言葉と共に出現する。さらに、そこからカウンターカルチャー的文脈が抜け落ち、「みんなに好かれる」全方位的な意味での「かわいい」がアイドル第一号の天地真理によって使われるようになったと宮台は語る(『日本的想像力の未来』東浩紀編、NHKブックス)。

また、「変身!」という流行語をつくった特撮ヒーロー『仮面ライダー』がスタートしたのも1971年4月だ。さらに、手塚治虫のマンガを原作としたアニメ『ふしぎなメルモ』も10月にスタートしている。精神科医の斎藤環は『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫)において、以下の文章を書いている。

 

 手塚治虫のアニメ『ふしぎなメルモ』は、戦闘的美少女ものならぬ性教育を意図した啓蒙作品であった。少女がふしぎなキャンディをなめて成熟した女性に変身する過程は、「変身」の意義を端的に明かしてくれる。そう、「変身」とは「加速された成熟の過程」にほかならないのだ。

 

つまり、シングル曲を使って数年単位で成長を表現する酒井政利の「私小説路線」も、1曲ごとにいろんなキャラクターに変身してみせる阿久悠の「非日常のエンターテイメント路線」も、共に「成長」を表現していることに替わりないということだ。つまり、「アイドル」とは誕生したそのときから「成長」をテーマにしたエンターテイメントであることがわかる。再び『A面B面』(ちくま文庫)の阿久悠と和田誠の言葉を引用する。

 

 A そう、北原ミレイという(大人の)歌手がいて、十四の年代の子を歌うというのはなんでもないんですね。ところが、アイドル歌手は何が困るかっていうと、主人公と歌い手とが同じなんですよ。もう、見るほうも聴くほうもね、やっぱり同じで聴いてしまう。

 W そうですね。北原ミレイの場合には北原ミレイという歌手がそういう物語を歌っているのだと。

 A そうなんですよ、語り手になれますけどね。

 

これは「私小説路線」について説明した発言とも言えるだろう。テレビに登場する可愛い少女が「私」の物語を歌う、それが「アイドル」の誕生だったのだ。「アイドル」がテレビというメディアによってつくられたというのは、そのことを意味している。「私小説路線」の最初の歌手・南沙織が最初の「アイドル」となった。阿久は翌年、72年に森昌子、73年に桜田淳子という「私小説路線」の「アイドル」をデビューさせる。この2人と山口百恵を入れた3人が「花の中3トリオ」として人気を呼んだ。

 

阿久悠には自ら創り出した「作詞家憲法15条」というヒット曲制作の指針が存在する。作詞家になる前には広告代理店で働いていた阿久は、70年代初頭に早くもヒットの本質を掴みそれを作詞に取り入れる。

  

 15. 歌は時代とのキャッチボール。時代の中の隠れた飢餓に命中することが、ヒットではなかろうか。

                          『生きっぱなしの記』(日経ビジネス人文庫)

 

最後の項に書かれた「時代の中の隠れた飢餓」という言葉が目を引く。変身型アイドルによる「歌のディズニーランド」は高度成長時代の豊かさの象徴として出たものではなく、「飢餓」から導きだされた手法なのだろうか? 70年代になって「変身」を時代が求めた理由はなんだったのか?

 

1970年、大阪万博開催

1970年には「人類の進歩と調和」をテーマに、日本万国博覧会が大阪の千里丘陵で開催されている。美術評論家の椹木野衣は『戦争と万博』(美術出版社)において、そのイベントが、日本の悲願であったと書く。万博誘致において立案を担当した建築家の浅田孝は、戦中、海軍設営隊長として呉にいた。そして、原爆投下直後の広島で救助活動を行った人物だった。

 

 つまり、原子爆弾によって壊滅した都市は、そこにふたたび建築を再建するだけでは再生しない。なぜなら、「原爆時代」が克服されないかぎり、それは何度でも同じように破壊されるだろうから。したがって、浅田が「原爆時代」は「原子力時代」によって正しく克服されなければならないというとき、後者は、「建築の超克」というよりは、むしろ「ポスト建築」のことなのだ。としたら、新たな都市はやはり、建築からではなく都市計画(=復興)のプロセスから再生するのでなければならない。ここから、実体としての建築よりも、生命の代謝活動に発想を得たメタボリズムの建築=都市論までは、あと一歩である。

 

浅田の影響を大きく受け、万博において設計の中心的な位置にいた建築家の磯崎新は、自著『空間へ』(鹿島出版会)において、体調不良により万博開幕当日その場にいれなかった理由「心情的に脱落」について書いている。その部分を引用した上で椹木は以下のように記す。

 

(前略)「日本の風土においては、これだけの規模のプロジェクトは、戦争をのぞいてなかった」と語る磯崎は、ここで、みずからをかつての十五年戦争の戦犯であるかのように書いている。

 

日本は1945年に敗戦し、そこから近代化に邁進して成長を遂げた。そして、1964年の東京オリンピックで先進国になったことを世界にアピール。だが、1970年には、急速な近代化の矛盾として、学生運動や70年安保闘争、公害問題などが噴出していた。磯崎はその矛盾の責任を自らに課し倒れた。さらに椹木は、万博が、日本の近代化がとりあえずの目標を達成し、生産の時代から消費の時代への転換点にあっただけでなく、「日本の前衛」の終わりであったと指摘している。

 

 会場いっぱいに繰り広げられたスペクタクルの渦の中で、かつて五〇年代には「前衛」の旗手であった岡本太郎は、実験工房の山口勝弘や秋山邦晴は、具体美術協会は、ネオダダの吉村益信や三木富雄は、メタボリズムの黒川紀章や粟津潔は、もの派の関根伸夫は、『砂の女』の安部公房や勅使河原宏は、グループ音楽の小杉武久や一柳慧は、いったいどのようにして前衛から万博芸術へと変貌したのか。もちろん彼らばかりではない。他にも数多くの前衛芸術家たちがこぞってそこに参加していたことを考えるとき、万博こそは、戦後「日本の前衛」がいっせいにそこに集結し、みずから歴史のフロンティアたる前衛を武装解除した「歴史の終り」であったことがわかってくる。

 

消費の時代のはじまりであり、「日本の前衛」の終わりでもあった1970年の次の年に「アイドル」が誕生しているのだ。それは偶然に過ぎないのだろうか?

 

歌のディズニーランド

70年代後半、「歌のディズニーランド」によってピンクレディーは大ブームを起こし、他の音楽ジャンルにも影響を与える。ピンクレディーは素通りを許さなかった。サザンオールスターズは『勝手にシンドバット』でデビューし、大瀧詠一はアルバム『Let’s ONDO AGAIN』でピンクレディー『渚のシンドバット』をカヴァー、YMOは後頭部の髪を刈り上げて中国人に変身した。

70年代には歌詞の中での変身が中心だったが、80年代になると予め変身した状態で登場するにテーマ性を持ったグループが目立つようになった。顔を靴墨で塗って黒人に変身したシャネルズや、学ランを着たツッパリとして登場した横浜銀蝿、ランドセルを背負って小学生に変身した戸川純も人気を呼んだ。その中で注目したいのが83年にデビューしたチェッカーズだ。それは「歌のディズニーランド」をアイドルを売り出すための戦略として活用した最初のグループだった。鎌田慧著『一億みんな芸能人』(朝日新聞社)から引用する。

 

 七人のメンバーが久留米市(福岡県)から上京したのは、八三年三月だった。秋山道男(三五)が彼らと会ったのは、その直後である。

(中略)

「ひとりずつでは不十分だ。しかし、断片(ピース)が集まって大きな吸引力をだす」

 ジグソーパズルの精神による商品化である。秋山は、可愛らしさをコンセプトにして、ディズニーのイメージで売りだすことにした。生活感とファンタジー、不良性と善良性のあやういバランスをうちだしたのである。

 秋山はメンバーにチェックの洋服を着せ、リーゼントを刈り込む方針をだして、スタイリストとヘアデザイナーを手配した。販売元のキャニオンレコードは、中森明菜の「少女A」をヒットさせたコンビ、売野雅勇(三三)の作詞と芹沢廣明(三六)の新曲を準備していた。

「イスラエル映画の“グローイングアップ”のような、ナチュラルで、昔風な青春、恋もあれば危険もある、笑いもあれば涙もある。こんな男の子たちがうちの学校にいたらなあ、そういう参加意識を狙いました」(吉田就彦キャニオンレコード、ディレクター)

 

チェッカーズは「楽しい学校」という虚構をテレビの中に出現させ、人気アイドルになった。「断片(ピース)が集まって大きな吸引力だす」は大人数グループ・アイドルの誕生を意味している。ここには「キャラ消費」とも言うべき事態が準備されたことが証言されているのだ。

実のところ「アイドル」において女子と男子を分けて語る必要はない。基本的に同じ手法を使っているからだ。チェッカーズはキャニオン・レコード(現在のポニーキャニオン)に所属していたが、そこから次にデビューするのがおニャン子クラブだ。女子高生の彼女たちは「架空の学校」の課外活動としてテレビの中に出現した。フジテレビ系の夕方5時からの番組『夕やけニャンニャン』のコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」では、メンバーの増員が行われ伝説のオーディション番組『スター誕生!』のパロディとして、阿久悠の位置には番組の構成作家であり作詞家でもある秋元康が座った。

80年代ポニーキャニオンの集大成とも言えるアイドルが、ジャニーズ事務所の光GENJIだ。おニャン子と入れ替わるように87年8月にデビューしている。ローラースケートを履いてステージを疾走するアイドル光GENJIは大ブームを巻き起こす。人気ミュージシャン、チャゲ&飛鳥によって制作された『STAR LIGHT』『ガラスの十代』『パラダイス銀河』で、まさに「歌のディズニーランド」と言える世界観をつくりあげる。人気は爆発し、89年にアイドルとして初めて東京ドームでのライブを開催する。しかし、90年2月に発売された『荒野のメガロポリス』で、今度は「歌のディズニーランド」の崩壊が歌われ、その曲で光GENJIの人気は急落している。

 

2010年「アイドル戦国時代」開幕

ラッパーのライムスター宇多丸が雑誌連載してきたアイドルソング評をまとめた書籍『マブ論CLASSICS アイドルソング時評2000-2008』(光文社知恵の森文庫)に、吉田豪との対談が収録されている。プロインタビュアーを名乗る吉田は、「アイドル」に精通していることでも知られている。

 

 吉:Perfume バブルで地下が活気づき出して、AKB&ももクロで層が異常に広がって、2010年から異常に面白くなっていった。で、よく言われるのは「人は弱っているとアイドルにハマりやすい」ってことなんですけど、それって世の中全体でも言えると思うんですよ。不況だとみんなアイドルにハマりやすい。だから、バブル景気でアイドル冬の時代になって。だから、ちょうど東日本大震災があったのも大きいんですよね。あれでみんな弱ってアイドルにハマった。

 宇:2011年の震災後、アイドルブームが本格的になったのは、まさにそういうことだと。

 吉:そうなんですよ。アイドルに勇気づけられる人が異常に増えた時期ってことです。で、アイドル側も意識的に元気を与えようとし始めた時期。

 

吉田は2010年代のアイドル・ブームに、2011年の東日本大震災が影響したと語っている。そのことは即ち福島第一原発の事故とも関係しているということだ。日本のエネルギー政策は根本から問いなおしを迫られた。71年の大阪万博によって日本の急速な近代化の矛盾が隠蔽されたように、「アイドル戦国時代」によって、日本の原子力政策の失敗が隠蔽されたと言えるだろうか? 「歌のディズニーランド」による「サプリ」的効果と忘却の促進。そについては次章以降で考えていく。

70年代につくられた2つの手法がアップデイトされ現在も生き続けている。現在では、「疑似恋愛型」と「変身型」の両方を取り入れたグループが普通だが、それでもどちらに比重を置くかで分類可能だ。例えば、2010年代に最も成功したグループの一つももいろクローバーZには「週末ヒロイン」というキャッチフレーズがあった。「変身型」の代表ピンクレディーを連想させる「ももいろ」とジャニーズ事務所で最初のアクロバットを得意としたグループ、フォーリーブスを連想させる「クローバー」が付けられたグループだ。彼女らが大成功した過程についてここでは説明しないが、5年連続でスタジアムライブを開催した唯一の女子アイドルとなっている。その記録は現在も継続中だ。

ももいろクローバーZは、2017年8月に味の素スタジアムのライブで2日間、10万人を動員した。「ももクロとスポーツの融合」をテーマに、聖火台も用意され東京オリンピックを意識させるものとなっていた。オリンピック出場選手や芸能人などを交えて、ハーフマラソン、100メートル走、棒高跳びなどなど、歌とスポーツのテーマパークと呼ぶに相応しいものだった。ファンはメンバーカラーのTシャツを着て、公式のペンライトを振り、一緒に踊る。家族連れも増えていると言う。

ディズニーランドそのものをモデルにしてライブを行っているのはSEKAI NO OWARIだ。『スターライトパレード』『眠り姫』『Dragon Night』などファンタジー要素の強い楽曲を得意とするロックバンドだが、ライブにおいても曲にあわせたスケールの大きなセットを用意することで知られている。ライブのディズニーランド化、テーマパーク化は進化し続けて来た。だが、テーマパークを数日のライブのために用意できる人気グループは限られている。そこで人気を集めているのがロックフェスだ。沢山のバンドが出演するフェスはロックファンのためのテーマパークと言えるだろう。ロックバンドのTシャツを着て、リストバンドを装着し、直射日光を避けるための帽子を冠り、数あるステージ目指して歩き回る。そして、あらゆるバンドのファンをひとつにするため、ジェットコースターに乗る替わりに4つ打ちの曲に乗って数万人が飛び跳ねる。

2016年の「FUJI ROCK FESTIVAL」(注3)に学生グループSEALDsの奥田愛基が参加することが発表され、「フジロックの政治利用」「音楽に政治を持ち込むな」などネット上で炎上騒ぎになる事件があった。ロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正史は「フジロックに政治を持ち込むなって、フジロックのことを知らない人が言ってるよね。これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージで繰り返してきたわけだし。(後略)」とツイート。他にも数々の識者がこの論争に加わった。後藤の主張はまったく正しいが、フジロックの参加者の間でSEALDs奥田の参加に対する反発があったことは、もっと別の意味があったのではないか? ロックフェスがテーマパーク化していることの意味についてだ。テーマパークは社会と切り離されたものであり、その場に相応しいキャラとして振る舞う必要があるというような。

 

2020年東京オリンピック開催

1971年に「アイドル」が誕生したということは、2020年がちょうど50年目ということになる。その中で一番の変化は、インターネットの誕生というテクノロジーに関わることだろう。それ以外はどうか? 1971年に「アイドル」が誕生したときには、「成長」をテーマに歌われていた。しかし、2010年代には「成長」よりも「社会との隔絶」という機能が求められているのではないか?

例えば、来年20周年を迎えるモーニング娘。には、「卒業」というシステムがある。メンバーがある程度の年齢に達すると、女優や、モデルなど、別の分野に移行する。そして、メンバーが減ったグループには、新しい人員が補充される。グループにおける新陳代謝(メタボリズム)だ。卒業公演や新しいメンバーの発表は、儀式としてイベント化されている。この「卒業」というシステムは、グループの平均年齢が断続的に下げられることを意味し、新しいファンを呼び込むことにも機能している。メンバーは数々のライブをこなし「成長」を遂げるわけだが、「卒業」によってグループはいつまで経っても「完成」しない。そのことによって「永遠」に応援することが可能となっている。「アイドル」を中心にしたネバーランドの完成だ(ディズニー化について書く文字数は残されていない)。

2020年はスポーツ界のみならずエンターテイメント業界においても重要事項だが、その先には大阪万博と同じく「廃墟」が広がっているのではないか? スポーツライターの杉山茂樹は、『スポルティーバ公式サイト』において「新国立競技場にサッカーファンの疑問。スタンドがなだらかすぎないか?」で疑問を呈している。新国立はオリンピック後、球技専用スタジアムに改修されることが決まっている。だが、球技専用にも関わらずスタンドの傾斜がゆるく競技が観づらいという致命的な欠陥を既に露呈させているのだ。以前の国立は陸上トラックがあるにも関わらず観やすい競技場として知られて来た。開発は「成長」を意味するとは限らず、それどころか「成長」が国民に求められているかすらもわからない。東京オリンピック後、経験を活かさない国「日本」はどうなっているのだろうか?

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