印刷

居眠りについてのいくつかの問題提起

1、居眠り

 「居眠り」がほとんど日本人特有の現象という話を初めて聞いたのは今年の6月。京都のゲーテ・インスティチュート・ヴィラ鴨川で開かれたシンポジウム「Creators@Kamogawa」で、同館滞在中のドイツの美術家ニカ・ラディッチは「日本でたくさんの人が電車の中で眠っているのを見て大変驚いた。ドイツでは人前で眠るのは、とても恥ずかしいこと」という旨の発言をしていた。

 イラストレーターの安西水丸が月刊誌「マリ・クレール」の1995年1月号で「私は世界中を旅してきましたので、電車内で一番よく眠っているのは日本女性だと断言できます」と書いている。外国人の間に、「日本人は居眠りをする」というイメージが、少なくともここ20年ほど存在するようだ。

 オーストリアの日本学者ブリギッテ・シテーガは、約20年に渡りこの日本人の特性を研究した。その網羅的な成果の中で、彼女は「INEMURI」を「眠りの深さとか、夢を見ているかどうかとは無関係で、傍目には何か他のことをやっている間の睡眠のこと」と定義した1。ここで、二つの疑問を投げかけてみよう。本当に日本人だけが居眠りをしているのだろうか。日本人はなぜ、居眠りをするのか。

 シテーガは眠りのタイプを大まかに3つに分けている。夜に眠り、昼間に働く「単相睡眠」タイプ、スペインのシエスタなどに代表される長めの昼寝をとる「二相睡眠」タイプ、不規則なその都度の眠りを取る仮眠タイプの3つだ。単相睡眠は北・西欧やアメリカに多く、二層睡眠は南欧や南米、中国に分布、日本を含むアジアの諸国が仮眠タイプにあたる。

 現在でも単相睡眠が西欧・米で盛んなのは「8時間睡眠」という考え方がイギリスの産業革命勃発に由来しているからだ。厳しい工場労働が働き手の睡眠時間を著しく削りつつあった頃、1817年にイギリス人社会主義者ロバート・オーウェンは「作業員は8時間工場で働き、8時間眠り、そして残りの8時間は他の活動をするべき」というキャッチフレーズのもとに労働運動を展開した。

 日本には明治維新と同時に、社会の中に所謂「時計の時間」が導入され、社会が数値で計ることができる時間の基準で稼働し始めた。つまり、8時間を正確に計れるようになった。そして1930年ごろまでには、日本の労働運動も1日を8時間ずつ仕事、余暇、睡眠に三分するスローガンを生み出した。それから70〜80年代の経済発展に伴って、活動的に余暇を過ごすことが社会的に良しとされるようになったこと、また現在でも国外からは「勤勉」、国内では「ブラック企業」と揶揄される日本人の労働観の完成によって、睡眠時間は80年代の終わりまでに余暇と仕事の両方から削られるようになった。居眠りの原因の一つは夜間の睡眠が十分でないからだ。

 シテーガの分析によればもう一つの居眠りの原因は、睡眠の環境にある。日本には西洋式の据え置きのベッドというものがなかった。約一千年の間、日本人は畳の上に木綿布団を敷いて寝る文化の中にあった。布団が片付けられるポータブルな寝具であるため、一つの部屋を居間にも、寝室にも多目的に利用できる生活スタイルが出来上がった。

 長い労働時間、ポータブルな寝具が日本人に居眠りを身近にしている。では、日本人はなぜ居眠りをするのか。冒頭に引用した安西の発言は「どういうわけか、日本はとても安全なんですね。そう考えれば、睡眠中の女性は日本という国の平和のシンボルということができるでしょう」と、続く。本当にそうだろうか。この発言が雑誌に掲載された1995年1月、阪神淡路大震災が起こった。

 シテーガはこの安全論を退け、動物学者堀寛の説、居眠りをする動物は安心しているのではなく、常に身の危険があるから熟睡の代わりに居眠りをしているに過ぎないという説を採用する。日本人が居眠りをするのは、日本が安全な場所ではないからだ。確かにこの国は、いつどこで地震が起こるか、火山が噴火するか、台風がやってくるかわからない。幾度となく公害や放射能による染を経験した日本という場所はいつも安全ではなかった。

 日本に四季があることも睡眠にとってはときに大きな危機となる。睡眠の重要な機能の一つに、体温の調節がある。寒いところで寝てはいけないと言われたり、眠るときに毛布をかぶるのは、私たちの体の保温機能が睡眠時に一度オフになるからだ。近年、アメリカで急激に盛んになっている睡眠医療の見解では、安眠への最短経路は毎日同じ習慣で生活を続けることだ2。そのためには、毎日同じ時間に同じように体温が推移するように体のサイクルを保たなければいけない。温度変化の激しい地域ほど、こうした習慣の維持は難しくなるだろう。

 アメリカで盛んな睡眠医療はとりわけビジネスパーソンに人気が高い。彼らの関心はいかに覚醒中によりパフォーマンスを向上させるか、にある。適切な睡眠サイクルの構築は単相睡眠の時間感覚と表裏一体だ。では、仮眠タイプの日本人にふさわしい住まいとは、あるいは寝室とはどのようなものだろうか。

2, 市街劇と、

 「日本人は昔から山の蔭とか谷間とか、丘のふところとかね、低いところばかり好んで家を建てる癖があった(……)それには理由があるんだな。日本は地震が多いと台風も多い。木造建築は高いところでゆさぶられたり、強い風当たりを受けると弱い。だから、そういう危険の少ない場所を、選んで家を建てたんだ。(……)たしかに日本人には木造建築が合っているけれど、民族の性格までそれに順応して、持続性のない薄弱な人間ばかりになっても困るからね3

 黒澤明『どですかでん』(1970)の一節だ。本作は山本周五郎の「季節のない街」(1962)を下敷きに貧民街の暮らしを描いた群像劇だが、作中にリアリズムへの志向性や直接的な社会性はほとんど見当たらない。実態は、黒澤がマルク・シャガールをイメージしてデザインした箱庭的な舞台セットの中で繰り広げられる浮世離れした人々の不条理喜劇だ。そして、興行的には大失敗に終わった。

 冒頭に引用したのは、本作に登場する廃車になったシトロエンの中で暮らす物乞いの父子の会話の一部だ。父親は西洋的なコンクリートと鉄でできた丘の上の立派な家を建てる妄想にとらわれているが、その横で息子は体調を崩して死んでしまう。息子の死はこのつかみどころのない映画に結末を与えるための貴重なチェックポイントになっている。この父の言っていることはもっともらしいが、その行動や結果を鑑みると、自分の言っていることを全く自覚していない。彼こそまさに「持続性のない薄弱な人間」の一人なのだ。

 映画の公開は1970年。当時、公害対策基本法(`67)の成立や東京五輪に向けた全国の交通網の整備を背景に日本の都市開発は急激に進められていた。それは、日本の不安定な土地を堅いコンコリートで覆い隠すように機能はしなかっただろうか。これから、開発を進めようという時代にあって、西洋的な石やコンクリートの建物が日本に馴染めないことを言い当てたこの台詞は当時の多くの人の胸に響かなかった。しかしそれは今、ある種の時限爆弾として機能しうる。

 1970年代の貧民街として黒澤がフィクション化した風景は、彼がそのキャリアの初期に『酔いどれ天使』(`47)や『野良犬』(`48)で描いた戦後直後の日本の風景と酷似している。そしてそれは、`95年の阪神淡路大震災以降、度重なる地震や台風、自然災害の危機によって日本は、そこが安眠の許されない危険な場所であることを思い出す。災害に見舞われ、家を失った人たちの仮設住宅としてその風景のイメージを反復する。

 現代の文化芸術のいくつかは、かつてあった災害を忘れないためにではなく、これからいつ起こるかわからない災害に備えるために作られている。本稿で、日本人の居眠りに適した寝室とはどんなものか、という問いは建築に向けられてはいない。ここで問いたいのはいかに住まうべきかではなく、いかに宿泊すべきかという問題だ。そこで、仮設住宅のように一時的に建てられるだけの(『どですかでん』のように)舞台装置のような表現にその問いを向け、以下で3つの事例を検討する。

 1つ目。6月、ヴィラ鴨川でのシンポジウムに出演していた日本側のアーティスト、ファッションデザイナーの津村耕祐はラディッチ氏に自身のブランド「FINAL HOME」を紹介した。津村のブランドを象徴する全身を覆い隠すナイロンコートは「もし、災害や戦争、失業などでいえをなくしてしまったとき、ファッションデザイナーである私は、どんな服を提案できるか、またそんな服は平和なときにはどんな姿をしているのだろうか」というコンセプトから始まったという4。そこには非常食や医療キット、防寒用の新聞紙などが内蔵され、服であると同時に家であることを強調している。不安定な自然の中で暮らす日本人にとって、家とはあくまでテンポラルなものでしかない。津村の発想は「服というよりも家」、ではなく「家とは服のように脆いもの」という日本人的な発想に由来するのだろう。

 2つ目。黒澤が『どですかでん』を発表した数年後、寺山修司は市街劇『ノック』を発表する。住民票と引き換えに阿佐ヶ谷の町の地図を入手した観客は、18箇所の個別の展示を探索訪問する。現代においてこの市街劇の系譜を受け継ぐのが、Port-Bの高山明だ。2009年、「フェスティバル/トーキョー」のプログラム『個室都市 東京』で、高山は、池袋西口公園に鑑賞可能なDVD、ドリンクバー、カップヌードルやランチデリバリーのシステムを備え付けた個室ビデオ店を一週間仮設した。同時に、同地で学生やサラリーマン、路上生活者やナンパ師らを対象に30の質問を投げかけ、それを映像収録し、個室でそのインタビュー映像のDVDを鑑賞できるようにした。発案者は、その公演記録で、可能であれば宿泊施設で、性欲処理の側面にも踏み込みたかった意欲も見せている5。この試みは翌年に京都で、その翌年にはウィーンで再演がなされた。寺山も高山も自らの市街劇の試みを古代ギリシャの劇場や、リミニ・プロトコルに代表される先鋭的な現代ドイツ演劇のの延長上に位置付けるため、これらは決して日本特有のものではない。しかし、いかに公共空間が創出しうるかという彼らの西洋的な発想をここでは、いかに日本人は家の外で寝泊まりするかという問題、に読み替えてみたい。

 3つ目。シテーガは、80年代に余暇が日本人の睡眠時間を削り始めた時期、一方では睡眠そのものが余暇の一つになった事例をあげている。アメリカから帰国したヒーリング音楽の作曲家宮下富実雄は80年代後半から眠りや瞑想をテーマに「眠りのコンサートを」20年近くにわたって開催した。シンセサイザーが作り出した鳥のさえずりや小川のせせらぎを模した音楽で多くの聴衆を熟睡させた。シテーガの調査によれば、一部の観客は帰宅後もこのコンサートのことを思い出すと熟睡することができるようになったという。

 常に不安定な気候の元で居眠りをする日本人に適した寝室とはどのようなものかを検討するため、ここにいくつかの例を提示した。この中のどれか一つをただ一つの正解として選ぶことはしない。津村の例は寝具を衣服として持ち歩く路上生活者のそれであり、高山の例は常に宿泊先を転々とする観光客や家出少年・少女、転勤族のためのカプセルホテルかネットカフェといったところだろう。

 一方で、宮下の例だけが浮いて見えるかもしれない。宮下の例は、もう一つ別の問題を提起するためにここに並べた。いくら日本が安全ではない自然環境に囲まれた場所とはいえ、そこで暮らす人がいつまでもふらふらと彷徨い続けるわけにはいかない。私たちはいつか老いて彷徨い続けられなくなる。市街劇の舞台装置が仮設住宅ならば、劇場は熟睡を許す老人ホーム、あるいはシェルターといったところだろうか。日本人にとっての寝室は、過酷な自然環境の前で持続性のない弱いものでありつづけるかもしれない。その一方で少子高齢が一層加速する中、私たち日本人は、どうやって安らかに眠るかというのが切実な課題についても、その重要性を強調したい。

1ブリギッテ・シテーガ著「INEMURI 世界が認めた日本の居眠り」阪急コミュニケーションズ、2013

2西野靖治著「スタンフォード式最高の睡眠」サンマーク出版,2017

3黒澤明監督「どですかでん」1970

4Final Home Abouthttp://www.finalhome.com/ABOUT

5「広場と演劇の交わるところで」:https://www.asahibeer.co.jp/csr/mecenat/artsquare/files/journal/uploads/ARJ_01_AkiraTakayama.pdf

文字数:5249

課題提出者一覧