印刷

【予告】スーパーフラットからハイパーフラット、そしてアンフラットネスへ

0-00 はじめに

 本論では東浩紀を起点とする、いわゆる「ゼロ年代批評」の更新を試みる。なぜ今「ゼロ年代批評」の更新が必要なのか?
 ひとつにはあらゆる対立・参照関係が錯綜したままとなっているゼロ年代の批評を整理することが必要であると思われるからである。本論では「スーパーフラットの領域の拡大」という視座でもってこれを行なう。
 もうひとつにはゼロ年代から来るべき20年代へと至る橋渡しをしつつ、未だ完成されていないテン年代、そして未だ書かれていない20年代の文化的可能性を思考することは決して無意味ではないからだ。
 「スーパーフラット」というモデルが自壊を迎える時代を捉えきれなくなるであろう来るべき20年代のために、我々は「スーパーフラット」についてもう一度考えるところから出発しよう。

 

目次

Ⅰ.【前史編】

1-00 データベース化するゼロ年代

 導入。「データベース消費」について。「スーパーフラット」について。「郵便」について。

1-01 自己言及するゼロ年代

 「データベース消費」に見られる「文化的自己言及性」、「ゲーム的リアリズム」に見うけられる「メディウム的自己言及性」について。「パラフィクション」について。
 ヤウスの「受容理論」との比較によって明らかとなる、「作品による過去作品群の参照方法」の変化について。

1-11 自己生成するゼロ年代

 村上祐一『ゴーストの条件』について。
 「ニコニコ動画」(UGC)について。

Ⅱ.【現代編】

2-00 他者参照するテン年代

 「日常系アニメ」における外部的諸文化の参照について。
 デジタルメディアのハイパーフラット性について。ゲーム『NieR:Automata』における複数のメディウム性の混在について。およびポストシネマについて。

2-01 ハイパーフラットの新しい不安

 デジタルメディアのハイパーフラットは本当にフラットなのか? オブジェクト指向存在論OOOについて。

Ⅲ.【未来編】

2-00 オブジェクト化する20年代のために

 スーパーフラットが領域を「記号」から「オブジェクト」まで拡大させた結果生じるスーパーフラットの自壊について。アニメ『宝石の国』の質感表現や杉本憲相作品に表象される「破壊される可能性を持った実体的キャラクタ」について。「タイムライン系作画」とその是非について。

2-01 デコボコとしたセカイ

 VR/ARと基底現実との関係性について。亀裂と闘争について。「アクターネットワークセオリー」について。「脱人間中心主義」の諸思想について。

文字数:1048

課題提出者一覧