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セカイを聴く時 ――近藤譲と幽霊的ポリフォニーについて

 ――誰かの声が聴こえた。ずっと昔、もう思い出せない誰かの声。もしかしたら私はその誰かのことなど始めから知らないのかもしれない。別の声が聴こえると同時にそれはよく聴こえなくなる。懐かしさすら湧かぬほどに風化した記憶。精神に刻みこまれ、もう何度も上から傷が上書きされた記録。けれど、たとえどんなにかき消され、認識できないほどに小さな音になっても、それは世界の終りまで鳴りつづけている。                                                       fine


 この論考は現代「日本音楽」についての論考ではない。
 この論考は日本「現代音楽」についての論考である。
 「現代音楽」。これはジャンルの名前である。「現代音楽」は、グレゴリオ聖歌(あるいは古代ギリシアの音楽)より続く西洋芸術音楽の系譜に属する先端的(今日的)な音楽を指す。
 「コンテンポラリークラシカルミュージック」という呼称を用いればその由来がより分かりやすいだろう。
 つまりこれは「現代の、日本音楽」ではなく「日本の、現代音楽」についての論考である。
 しかし現代音楽の起源が西洋にある以上、「日本の、現代音楽」には何らかの問題が発生せざるをえない。

 かつて美術批評家である椹木野衣は日本を「悪い場所」と呼んだ。彼の著書『日本・現代・美術』によれば、冷戦中アメリカの核の傘の下で吹きさらしの歴史から守られ、世界史に参加することなく戦後民主主義という近代化を受動的に安定させた日本は自発的なモダニズムの熟成を未完にしたままポストモダンの時代に突入したという。つまり前衛――この言葉は政治的なニュアンスを含んでいる――としての(進歩史観と結びついた)「モダニズム芸術」及びその精神の発展とその自壊を経験することなく、直線的な歴史を持たずハイカルチャー/サブカルチャーの階級的垣根のない世界観を獲得してしまったのである。そこでは「日本」なるものは分裂しており、それらを統合しようとする試みは失敗し続ける。そして村上隆などはこのような日本文化の在り方を「還元」という方法で我々に提示する美術家であるという。
 椹木の論の正否はともかくとして、日本文化の不可能性について論じたこの論が「日本文化論」として美術界に対して効力を持ったことは重要である。
 そう、問題は近代以降、日本も含め世界の芸術の中心が「西洋芸術」となり(なってしまい?)、にもかかわらず日本は西洋のようになることを失敗した(あるいは失敗したということになっている)というところにある。それゆえに「日本文化論」を――否定神学的にではなく――語ることが不可能となっているのではないだろうか?

 しかし、椹木の捉えるこの「悪い場所」という葛藤すら生じない程の不毛の地を同じ「日本」に「現代音楽」という形で見出せるとしたらどうだろう? そしてその不毛の地に、逆説的にある普遍に到達した、肯定的に語りうる特異な作家が誕生していたとするならば? そうだとするならば、それは音楽論の射程を超え、モラトリアム的障壁を抱え続けるこの日本という場所に自身の近代以降の文化を物語る道を見つけさせることになるだろう。

 

 

 では日本のコンテンポラリークラシック界が抱える問題とは何なのだろうか? そのことを明らかにするためにまず20世紀の西洋音楽史について話そう。ここでも美術の領域を補助線として。

 アーサー・C・ダントーを引くまでもなく、現代アートにおいて「芸」の「術」としての美術や平面固有の視覚性の探究=モダニズムは60年代初期にはもはや主流派ではなくなっている。エドゥアール・マネから始まり抽象表現主義へと至るモダニズムは60年代のコンセプチュアルアートやミニマリズム、ポップアート、アルテ・ポーヴェラなどによって前衛の主流派としての座を奪われ、現代アートの多くは(それが視覚の快楽を伴うものであっても)思想的・哲学的表出不在で存在することを許されなくなった。つまりモダンの終りとしてポストモダンが到来したということである。

 しかし、音楽は違った。
 モダニズムの誕生は美術と酷似している。19世紀末の新ウィーン楽派以降、音楽は機能和声を離れて新しい音の秩序(楽譜の秩序と聴覚の秩序)の探求を始める。やがてそれは音列を用いて作曲を行なう「セリエリズム」へと収斂し、音高・音価・強弱の全てを「各パラメーターの数列」を用いて時間を構築する「トータルセリエリズム」や、より自由で複雑な操作を「列」にほどこす「ポスト・トータルセリエルズム」へと発展した。前者の代表作を挙げるならばピエール・ブーレーズ(1925-2016)による《構造Ⅰ (1952)》であり、後者の例を同じくブーレーズから挙げるのならば《主なき槌 (1955)》、別の作曲家から挙げるならばルイジ・ノーノ(1924-1990)の《中断された歌 (1955)》などとなるだろう。このピエール・ブーレズ、ルイジ・ノーノに加えてカールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)、いわゆる「ダルムシュタット三羽烏」らによってセリエリズムの探究は推し進められた。(ノーノはタイトルや音列の中に暗号的に政治的主題を組み込む作曲家であるが、その音楽はあくまで純音楽、つまりモダニズムの系譜にある)。

 無論、美術と同じくこれらのモダニズムに対して批判を加える者は現れる。その最たる者がアメリカから現れたジョン・ケージ(1912-1992)だろう。彼は音楽に「偶然性」の概念を持ちこんだ。例えばそれは、《プリペアド・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲 (1951)》のようにコイン投げや易経によって作曲をしたり――「作曲家→楽譜」の過程に働く偶然性――、《変奏曲Ⅰ (1958)》のように抽象的な図形の書かれた透明版を演奏者が自由に重ね合わせながら演奏を行なう曲であったり――「楽譜→演奏者」の過程に働く偶然性――、《創造の風景第4番 (1951)》のように演奏の際にラジオ受信機を用いる作品であったり――「演奏者→音響」の過程に働く偶然性――、《HPS-CHD (1969)》のような聴き手が楽譜に従って再生装置を操作する音楽――「音響→聴き手」の過程に働く偶然性――といった形で導入された。
 彼は著書『サイレンス』の中でセリー技法に対して以下のような批判を展開している。

非常に興味深いことに12音のシステムには0が含まれていない。(中略)無は用をなさないのだ。(ジョン・ケージ『サイレンス』  p141)

 彼にとって偶然性とは技法の問題ではなかった。
 彼の音楽は明確に、楽譜の秩序と聴覚の効果の探求というモダニズムから外れるものだった。
 今や多くの者が知っているだろう、かの有名な無響室の小話――無響室に入ったケージは無音のはずのその部屋で自身の血管を血が流れる音や神経が働く音を聴き、無音が存在しないことを知った。そして彼は言う――「私が死ぬまで音は鳴っている。そして、死んでからも鳴り続けるだろう。音楽の未来について恐れる必要はない」――。
 しかし、『サイレンス』に記されたこの文章には重要な続きがある。

しかしこういう大胆な気持ちが生まれるのも、わかれ道に立って、音は意図しようと意図しまいと起こるということに気がつき、意図しない音の方へ向かった場合にかぎられる。この転換は心理的なものであって、はじめは人間性に属するすべてを放棄すること――音楽家にとっては、音楽を放棄すること――のようにも思える。この心理的な転換は自然界へとつながっており、そこでは、人間性と自然とが切り離されることなくこの世界で一緒に存在していること、すべてを奪われたとしても失うものは何もないということが、じょじょにあるいはとつぜん理解されるようになる。事実、すべてが獲得されているのだ。音楽について言えば、あらゆる音が、どのような組み合わせでも、またどのような連続性の中でも起こりうる。(同上 p26)

 彼にとって、偶然性とは「作られた音楽」の「零度」――決してそれは無音ではない――に、そして「自然」に至るために必要な「運動」だった。かの有名は《4分33秒》以後も彼が音楽を作り続けていた理由はここにあるのではないだろうか。「意図」しないためには逆説的に何度も何度も偶然性の音楽を繰り返す必要があったのかもしれない。
 対してブーレーズやシュトックハウゼンといった作曲家は偶然性の音楽に対して、それを「管理された偶然性」という矛盾を含んだあり方で受容した。例えばシュトックハウゼンの《ピアノ曲Ⅸ (1956)》では曲の部分が別の部分と交換可能となっている。またブーレーズの《プリ・スロン・プリ (1957-1989)》という連作では限られた範囲での不確定なリズムが許容されている箇所がある。
 ブーレーズはケージの偶然性における(ブーレーズの言うところの)「東洋趣味的な哲学」について「作曲技法の根本的な脆弱さを隠してくれる」ものだとした上でそれを「職人的な技巧のあらゆる芽を摘み取ってしまう猛毒の芽」、「怠惰による偶然性」と糾弾した。
 そしてブーレーズの《プリ・スロン・プリ》は改訂の度に偶然性の要素を薄められていき、音楽は制御されたものとなっていった。
 このようにヨーロッパの作曲家たちは偶然性を技法の問題として扱うことによってアメリカから新しく現れた音楽のコンセプチュアルな側面を無効化した。そしてヨーロッパ芸術音楽は閉じたアカデミズムとしてのハードコアを保つこととなったのである。一般的にこの時期におけるこのようなヨーロッパとアメリカのコンテンポラリークラシックの差異を区別して、前者を「前衛音楽」、後者を「実験音楽」という。前者は主に音楽大学で、後者はしばしば大学外の在野にて発展していく(とはいえアメリカにもアカデミアにはミルトン・バビットのような高度に理論武装されたモダニズムを追求する人物がいたし、逆もまた然りであることを述べておかなければならないだろう)。
 ヨーロッパにおいて後にセリエリズムを乗り越えることとなった新たな潮流は、ケージのようなそれではなく、音塊(クラスター)書法と呼ばれる作曲技法であった――これはセリエリズムが持っていた楽譜上の秩序と聴覚上の秩序のズレを解消する形で登場した音響の美学である。これは作曲において一音符を最小単位とせず音の塊を一単位として音響効果を構築していく作曲法である。そこでは楽譜上の「構造」は重視されず、すべてが聴覚上の音響効果として扱われる――。これは、それがあくまで技法の問題にとどまっているという点において、いまだモダニズムの産物といって問題ないだろう。
 また、楽譜上の秩序と聴覚上の秩序のズレを音塊書法以前に認識していたクセナキスが、確立や統計という全体性でもって響きを制御していく作曲技法を用いたというのは象徴的な話である。
 作曲技法における「確立」の導入は「偶然」を飼いならすということに他ならない。ケージは『小鳥たちの沈黙』というダニエル・シャルルとの対話の中でクセナキスの音楽、そして自身の用いる偶然性について聞かれ以下のように述べている。

私が望んでいるのは、どんなものでも何かが不意に起こるのを見られることです。(中略)私が用いているような偶然は、私がそれを支配したり、私がそれに支配されたりしなければならないものではありません。(ジョンケージ『小鳥たちのために』  p144)

 なぜヨーロッパのコンテンポラリークラシックの多くはモダニズムを保ち続けているのだろうか? たしかにヨーロッパでもその後「ポストモダニズム」と形容される作曲家は現れた。しかし、ヴォルフガング・リーム(1952-)の調性への回帰やアルフレッド・シュニトケ(1934-1998)の多様式主義などのそれらは作曲技法上の話である。
 これは音楽の媒体的性質――つまり、美術や物語のように何らかの具体的な「意味」を指すことを「音」は得意としないためコンセプチュアルな方向性に向かない――ということに加えて音楽における「モダニズム」がグレゴリア聖歌から続く音楽技法の発展に位置づけられる、ある種伝統的なものであったことに起因するのかもしれない。
 ヨーロッパの芸術音楽は、聖歌における声部や和音の拡張から古典派音楽に至り、またそこからロマン派、そしてロマン派の最終形態としての表現主義に至る不協和音の使用の拡大(調性の崩壊)の極北として12音技法(「Do」から「Si」までの12の音を等しく用いる)に達し、それはセリエリズムに繋がっていった。新ウィーン学派は切断線ではなくひとつづきの音楽史に穿たれた巨大な点である。
 実際、新ウィーン楽派の代表的人物であるアーノルド・シェーンベルク(1874-1951)は初期には《浄められた夜 (1889)》のような表現主義的な作品を作曲していたし、また完全なる無調性や12音技法に進んだ後も彼は古典的な形式感をいかに音楽に導入するかを考えていた。
 彼の著書である『作曲の基礎技法』が徹底した古典派の作曲技法を作曲徒に説いていくスタイルであったことは示唆的である。また、ブーレーズが自身の初期の作品12のノタシオン(1945)を晩年になってオーケストラ版に編曲した際の、巧みである種古典的なモチーフの拡大について注目しても良いだろう。
 つまり西洋芸術音楽におけるモダニズムとしての前衛音楽とは、あくまで西洋におけるクラシックという名の「西洋民族音楽」の発展形なのではないだろうか。
 リゲティ・ジェルジュ(1923-2006)――彼は前述した音塊書法を代表する作曲家の一人である――には、彼が1998年に武満徹作曲賞の審査員を担当した際受賞者を一人も出さず、応募者に対してハイドンのスコアを勉強することを勧めたというエピソードがある。

 

 ヨーロッパのコンテンポラリークラシックの多くが高度でかつ西洋固有の伝統に基づく「芸」の「術」を捨て去っていないとすると、それを規範としている日本の音大アカデミズムの現代音楽はどのように位置づけられるのだろうか。
 前述した「『日本・現代・美術』の中で述べられていた「日本」は、それがいささか否定的に響くものであろうと、特異性を持つものであった。しかし、それはそのような日本の特異性が思想的な背景をもって表出されるからに他ならない。
 しかし、「芸」の「術」としての西洋音楽を追求する日本のコンテンポラリークラシック界においてはそのような特異性が曲中に入り込む余地はない。そして前章で述べたように音楽におけるモダニズムが西洋の民族音楽でしかなかったのならば、日本は西洋という本場から見た亜流でしかなく、グレゴリオ聖歌より続く伝統を前にして西洋に追従するしかなくなってしまう。
 このような大それたことを述べてしまう時にはいつも気が引ける(しかし批評や研究とはそういうものであり、自身が批評対象の内部に関わっている場合でも、自身のことを「棚上げ」することが必要であることもある)。
 事実(前述した音楽的ポストモダンも含む)モダニズムとしてのコンテンポラリークラシックにおいて、ほとんどの主流な潮流は西洋(ヨーロッパと「ケージ的でない」アメリカの諸楽派)から発生しているといって良いのではないだろうか。(きっと音楽愛好家ならばすぐに反論を思いつくことだろう。例えば日本に限って言ってもノイズミュージック界で世界的に評価される俗に言う「ジャパノイズ」はどうなのか……など。しかし残念ながらそういった独創性を音大アカデミズムは退けてしまう。そもそも狭義の「ノイズミュージック」自体、音大のコンテンポラリークラシックにおける「電子音楽」ではほとんど扱われない)。
 辺境である日本を含む各国に残されたことは、結局のところ西洋音楽に日本の古楽のテイストを載せるということぐらいだったのではないだろうか。このことは今年の夏に行われた音楽祭「サントリーサマーフェスティヴァル2017」が良い例となっている。
 例えば、第27回 芥川作曲賞選考演奏会において、審査員の酒井健治から幾度か批判的に発せられた「クリシェ」(常套句)という言葉を思い出してみよう。あるいは、このフェスティヴァルにおける企画「片山杜秀がひらく」における各演奏会のタイトル及び演奏された音楽について。(各タイトルのうち「戦後日本と雅楽」、「戦後日本のアジア主義」などはあまりに典型例である)。
  また、おそらく世界で最も評価された、コンテンポラリークラシックの日本人作曲家である武満徹は幾度も「能」からの影響を公言している。
 (とはいえ、武満徹や細川俊夫といったいわゆる「日本音楽」との関連で語られることの多い作曲家をこのように総括してしまうのは誤りだろう。それぞれの作曲家について詳細に研究、検討を重ねれば必ずこの「型」から漏れる芸術性を見出せるはずだ。しかし、本論では話を明確にするためおおよその「型」や「傾向」の話を展開している。)
 音大における西洋への憧憬(それはもちろん心理的なものだけでなく実質的問題を伴っているのだが)は作曲科に限らず凄まじいものがある。アカデミズムで活躍する音楽家に西洋へ留学したことのない者が、そして西洋の流儀から外れる者がどれほどいるだろうか。

 西洋音楽において外部としての日本は亜流として在り続ける他ないのか。あるいは西洋音楽的な「作曲」など捨て、真の「在野」に出るしかないのだろうか。

 

 

ⅰ.【世界について】

1970年代の終りごろ、ニューヨークに10か月ほど滞在していた近藤譲はケージとしばしば話をしたという。
打ち捨てられ、もはや使われなくなった高架道路についてケージは言う。
「美しいでしょう!」
目を細め語るケージ。その表情はケージが石などの自然を愛でる時と同じものだった。
後に近藤はこう総括する。

彼が愛でる「自然」とは、いわば、人がその中で暮らす「世界」のことであり、そこには、自然の生成物(あるいは自然現象)も、人工のものも、共に含まれている (『聴く人』 p16)

しかし近藤も述べるようにケージは「人工」の日常を生きる我々が「自然」をそのままに受け入れることを言葉で説き、それで良しとしたわけではなかった。
そう、《4分33秒》ですら4分33秒間という時間が切り取られ「作品」となっている。
ケージは「世界」を「作品」に引き入れることによって逆説的に「自然」と「人工」の区別をなくしていこうとしたのである。

 
ⅱ.【他者について】

音楽を作曲者から聴き手へ何らかの「内容」を伝えるコミュニケーションと考える時、その伝達の際に生じるあらゆる偶然性は取り除かれなければならないものとなる。
それは音楽は「意味」を持たず、音楽の内容は「形式」つまりその構造、あるいはフォルムであるとする形式主義者の視点に立ったとしても同じことである。
近藤はケージの音楽をこのようなコミュニケーションのモデルとは無縁なものであると論じる。
近藤は言う

こうした「偶然性」(不確定性)の音楽」では、その作曲者も聴き手も、どちらも同じ立場で、訪れてくる音響(そこでの表現の実質、すなわち、「音楽〔曲〕」)に出遭う。つまり、その「音楽〔曲〕」は、
確かに人工物ではあるのだが、あたかも雷鳴や虹といった自然現象のような、人の(作曲者=聴き手の)外に存在する客体である。

ケージの音楽は聴き手や演奏家だけでなく、ケージ自身にとっても他者の音楽なのだ。
そこには閉じた「作曲者の意図」は存在しない。
これこそがヨーロッパのモダニストたちとケージを分かつ最大の相違点である。

 

 

 キミは近藤譲(1947-)という作曲家を知っているか。東京芸術大学の作曲科を卒業した後、コンテンポラリークラシックの作曲家として世界的に活動し、東京芸術大学やエリザベト音楽大学、お茶の水女子大学などで教鞭をふるい、ハーバード大学のレジデンスアーティストやドナウエッシンゲン音楽祭での講義の経験すらある彼は生粋のアカデミズム人と言えるだろう。ケージの著作の翻訳なども行っている彼であるがケージのような徹底された「偶然性」は音楽に取り入れていない。
 しかし、彼の音楽や著作に少しでも触れれば分かるように彼はいわゆる前述したような「モダニスト」とは少し違うように思える。どういうことか。
 1989年11月6日に東京大学表象文化論研究室の公開講演会として行われた公演で彼は自身の作曲法について以下のように語っている。

 最初の音がとにかくどれかに決まると、それを繰り返し何度も聴く。聴いているうちに、二つ目の音を思いつくわけです。そこで、最初の音のあとに2つ目の音を書く。これはばからしいほどあたり前のことだと思われるかもしれません。ともかく、私は、二つ目の音を思いついたらこんどは一つ目と二つ目の音を聴いて三つ目の音を、三つ目の音を思いついたら一つ目、二つ目、三つ目を聴いて四つ目の音をというふうに、いつも必ず初めから聴いて、順番に一つ一つ音を前に足していくというやり方で作曲していきます。この作曲方法には、何の体系も何の規則もありません。ただ聴いて、思いついた通り音を並べていくわけです。しかし、その音の思いつきが、純粋に無前提の直感のみに頼ったものかというと、実は、そうではありません。例えば、最初の音のあとに二つ目の音を何か置いたとする。そうすると、その二つの音の間には、当然、何らかの相互関係が生じます。その関係性に着目するというのが、私の作曲の方法なのです。

 引用を続けよう。

 私が関心を持っている音相互間の関係性というものは、特に目新しいことではなくて、むしろ非常に伝統的な種類のものです。それは、例えば旋律とかリズムとかあるいは調性とかいった、非常に伝統的な音楽の構造の諸要素を成り立たせているのが、そうした関係性にほかならないからです。(中略)三つの音をそれぞれABCと呼ぶとすれば、AとBによってできる関係が、BとCによってできる関係によって裏切られるように音を繋いでいくわけです。そしてさらに、四つ目の音Dを書く際には、ABCによってできている関係が、Dによって裏切られるように音を置いていく。そんな仕方です。つまり常に何らかの関係性が成立してはいるのだけれど、しかしいつもその関係性が曖昧なものでしかないという状態(『現代音楽のポリティクス』 p158,160-161)

 この「曖昧さ」という言葉は重要である。彼の注目する「関係性」は極めて西洋音楽における伝統的なものであるが、彼の音楽においてはそれは「曖昧」にしか現れない。彼は主著『線の音楽』の中で自身の音楽を「線の音楽」と呼び、同じく「曖昧」について言及している。近藤の著書『線の音楽』に記された《オリエント・オリエンテーション》の作曲法によれば、15の音を選び出した彼は乱数表を使ってそれをランダムに並べ、その後に作曲=操作(そしてそれはおそらく聴くことでもあだろう)を始めたという。この偏りのあるランダム性は核音(中心音)が現れては消え、また違った音として現れては消える感覚をもたらす。しかもそれは聴き手ごとに異なっているという。

 ではこのような西洋音楽的な「構造」が現れては消える「曖昧さ」がもたらすものについて、より具体的に理解するために、彼の作品歩く WALK(1976)の冒頭の簡単なアナリーゼを試みる。

 


( 近藤譲 《歩く Walk:》 peters 1976 p1)

 

 

 



 あまりに簡素な楽譜……。しかし、それ故に各音のグルーピング(関係性)がはっきりと見て取れる。2つの声部があるがそれは実質的にひとつの旋律から導き出されている。
 冒頭は「Do」の音のユニゾンによる反復から始まる。これは4小節で1セットと考えてよいだろう。楽譜上には赤の括弧でそれを示している。連続する「Do」は4小節目で途切れ、そこでグルーピングも終了する。この途切れは前の引用で近藤が述べていた「裏切」りの最も単純な形に他ならない。次にまた4小節が同じように繰り返される。ここでまた高次の(4小節単位の)反復が生じる。しかし、次の小節でそれは異化される。水色の括弧で示したのがそれである。「Do」が2回続いた後の10小節目で音が途切れてしまうのである。これを契機として「Do」の反復は崩れ始める。
 13小節目から始まる旋律に書き込んだ緑(フルート)と紫(ピアノ)の四角い枠を見てほしい。ここは疑似カノンとなっている。ここの疑似カノンにおけるズレは2重のものである。ひとつにまず、カノンとしてのズレ。カノンにおいては一つの旋律が描いた軌跡の記憶をそれを模倣する(同じ)旋律が喚起する……と同時に初めの旋律は次の軌跡を描き始める。ここにはズレの関係性を聴く西洋に伝統的な聴取の快楽が存在している。しかし、《Walk》においてはそれだけでなくもうひとつ、フルートの声部に挿入された16部音符単位のズレが存在する。このズレにより軌跡の記憶は参照先をかわされ、聴衆は主体的にカノンを聴取しようとすることによってのみ、それをカノンとして聴くことができる。ここでは我々の「カノンを聴く耳」、「聴いてきた耳」が試されているのだ。このように断片化されたグルーピングはボクたちが無批判に身に付けてしまった西洋音楽の「聴き方」を焙り出す。
 アナリーゼを進めよう。紫の枠の終わりには「Re」→「Do#」の目立つ跳躍が見られる。この跳躍は一種の疑似モチーフとして2小節先の「Re」→「Si」やその次の小節の「Re」→「La」につながるものだが、共通点は跳躍というだけであると同時に、その現れに規則性がみられないため、これはあくまで私の西洋音楽的にモチーフを聴こうとする耳が聴いた繋がりに過ぎず、他の耳がどう聴くかはわからない。音楽は意図的に「曖昧」である。また、ここの黒い丸で囲んだ小節は「Fa」、「A」、「Do」の各音がありヘ長調のように聴こえる。そのように聴こうとすれば「Do」の連打はあたかもいわゆる「属音連打」の亜種のようにも聴こえるし、先のカノンに現れた「Si♭」もヘ長調に属する音だったことがわかる。しかし、この聴取もまた絶対的なものではない。紫の枠に現れた「Do#」はヘ長調の音階に含まれる音ではないからだ。ヘ長調としてここまでの音楽を聴こうとする者はこの「Do#」をその次の「Do」へ繋ぐオクターヴ違いの倚音として聴くだろう。無論、それもまた聴き方の一つである。
 19小節目から再びカノンが始まるのだが、それは下段にかかれた(だいだい色で囲んだ)「Stop!」(おそらくフェルマータの効果を意識したものだろう)という指示によって途中で、未完のまま断ち切られてしまう。これもまた「曖昧」さである。
 この後に始まるピアノの「Si♭」→「Do」→「Re」……は先のカノンの途中で現れた音形と類似のものである。ここでは疑似的にモチーフが回帰している。その後それに重なる形で「F」→「La」→「Do」が現れる。ピアノ左手の8分音符のパルス(だいだい色の丸で囲ってある)は後に再び現れる疑似モチーフの一つである。楽譜における囲みや矢印を見れば分かるように、この単純な小節にはさまざまな系列の関係性が流れ込んでいる。ここで何を聴くかは聴き手によって異なるし、私が発見していない何かがまだあるかもしれない。アナリーゼはここまでにしよう。

 装飾のない純粋なグルーピング。しかし曖昧なグルーピング。
 その曖昧さを聴いていくことはボクたちに集中的聴取を要求する。そしてまた、その関係性が曖昧であるが故に、ボクたち一人一人が違った音の関係性を聴くことになる。近藤譲の音楽における「曖昧」さは聴き手が主体性を獲得する契機なのである。

 このようにボクたちが自発的にそれぞれの音を聴きだす時、そこに働いているのは主体性であると同時に、自らに内面化された「聴き方の型」、つまり個人がそれまで触れてきた西洋音楽の総合でもある。過去の他者(曲)たちは現在のボクに「聴取の技法」を与えてくれる。あるいは疑似共有するといってもいいかもしれない。その約束はあらかじめ交わされているものではない。このような形で回帰することによってのみ、別のものに「対する」反復によってのみ、内面の他者が意識され立ち現れるのだ。この時自己の行為の中に自己と西洋化された日本の歴史が、また、あの簡素な楽譜の中に無数の音楽とそれを作った無数の他者の声が、時には数千年の時を超えて響いてくるのである。あの簡素な楽譜はそれゆえに脱人間化、脱中心化されたテクストであり、様々な他者に開かれている。
 そしてこれは作曲時に近藤が行なっていることでもある。先の公演で彼は作曲に「体系」や「規則」を持ち込まず、ただ「聴くこと」を重視していた。近藤がその内面において聴いた他者の声を、ボクたちは聴く。しかし、その時に聴く他者の声は別々ものなのである。近藤は彼の著書と同名のLP(後にCD化)『線の音楽』の自作解説でこう述べる

 これは拒絶の音楽を探し求める旅のひとつの道程である。拒絶の音楽は、音楽の拒否を意味するのではない。それは音楽がもつ一つの態度――作家が音と音楽とに対してとる特定の態度のもとで作られた音楽が、作家自身、奏者、そして聴衆に対して一様に示す作家の態度――が人に対して示す拒絶、音楽への人の参加の拒否である。この度は、音楽を人間中心主義者の手から切り離すためのものなのだ。(『線の音楽』 ALM RECORDS

 彼の「体系」や「規則」に対する批判的な態度はケージの「世界」を聴くことという意識にもつながるものである。近藤は言っている

 例えば伝統的な旋律のような、非常に明確にまとまって聴こえるようなものを書くと、聴き手は、その旋律を捉えたとき、もう音そのものは聴かなくなるのです。つまり、聴くのは旋律のほうであって、それを構成
する一個一個の音には、もう誰も関心がなくなるわけです。(『現代音楽のポリティクス』 p162-163)

 近藤の音楽において一音一音は「曖昧な関係性」のネットワークによって逆説的にその固有性を再発見され、一つのオブジェクトとしての音そのものが他の音に働きかけるアクターとなるのだ。そして、その音は他者の声を呼び寄せる。
 そして近藤の音楽で先端化されているこのような他者性は、その他のすべての音楽に立ち会う際にもその「聴き方」を意識し主体的に「先を読む」ことによって再現可能なものである。ボクたちは以前は持っていなかった――より正確に言えば、持っており用いてもいたが決してそれが意識に立ち現れることはなかった――近藤的な耳を本当の意味で手に入れ、洗練させていくことができるのだ。

 

ⅲ.【セカイと自己について】

 近藤譲は一見伝統的な「作曲」という行為を行ないながら、前もって用意された作曲者の意図のようなものをそこから消し去り、他者の声を聴き、他者の声をボクたちに聴かせる。
しかしケージと違って、それを内的な自己の「世界」において行うのである。
ボクは、この固有で内的な「世界」を、「セカイ」と呼びたい。

 

■Coda

   ――Metaphysics for Jo Kondo.

 かつて美術批評家である椹木野衣は日本を「悪い場所」と呼んだ。
 もし、西洋音楽という伝統的な文化領域=場所に近藤譲を位置づけてしまうのならばそれは単純に脆弱で亜流な偽物として目に映るかもしれない。無限の声を持ってしても、鍛え上げられた一の技法には対抗できないように思えることだろう。しかし、近藤の音楽に「場所」はなく、その音楽が響くのは「セカイ」である。近藤は自身のセカイで自身の他者と出遭い、ボクたちはそれを通してボクたちのセカイでまた別の他者と出遭う。近藤の他者とボクたちの他者が衝突する時に音楽という事象が生まれる。それが起こる非-場所こそが、そのセカイこそがボクたちの世界であり、「リアル」は「リアリティー」であり、そこに偽物と本物の区別は存在しない。西洋音楽という場から見れば偽物でしかないボクたちは自身のセカイにおいては本物である。セカイとは自身であり他者である。近藤は言っている

 音楽は、「聴く人(homo audiens)」としての主体――聴き手だけでなく、作曲者も演奏者もまた「聴く人」である――の主観にもとづく解釈によって、特定の意味内容としての形をとって噴出し、あるいはまた、どのような特定の意味内容としても形づけられないままの、観分節で(すなわち抽象的で)力動的な可能態の意味場として、輝出するのである。(『聴く人』 p158-159)

 「意味場」が非ー場所としての場所であることは言うまでもないだろう。
 近藤の音楽は場所=空間ではなく時間である。音楽自体が時間芸術である以上これは当たり前のことを言っているように思えるかもしれない。しかし、西洋の現代音楽の歴史をひとたび眺めれば話は変わってくる。例えばブーレーズの音楽を聴くとき、それが楽譜上厳格な秩序を持ったものであるにもかかわらず、ボクたちはその秩序をその秩序として知覚することができない。その秩序が聴覚性を超え出ているが故に最悪の場合それはその瞬間の音響――グルーピングなき音の集まりの質感――として響くだろう。近藤は言っている。

 ぼくは、当時のブーレーズの衝撃というのを、非常に具体的に言えると思うんです。それは非組織的組織あるいは組織的非組織というものの衝撃ですね。彼は徹底的に組織的に音楽を作った。だけど聴こえる結果はほとんど非組織だった。(中略)つまり、これは組織の極限だと言ったわけです。組織の極限がカオスになるということの衝撃だと思うな。(『現代音楽のポリティックス』 p27)

 また、先に述べたように音塊技法はこの矛盾に注目し音を音響として扱う方向に先端化していった。
 ブーレーズのような楽譜の秩序――聴取という時間性から離れた「目」と空間の秩序――ではなく、また音塊技法のような音響という音を全体化する技法でもなく、彼は音楽に音の一つ一つを順に聴き、それを束ねていくような「時間」をもう一度呼び起こしたのだ。
 そして関係を聴くときにそこに流れる「時間」について、先に引用した近藤の公演にて、司会を務めた小林康夫は言っている。

 これはぼくのスペキュレーションなんですが、一番最初の音を置いて、その次に何の音が来るかと考える――そうやって作っていく方法論ということは、よくわかります。そこで、もし裏切りというなら、ひょっとしてそこで作曲家としての近藤さんが求めているのは、最初の音の前の音だというように考えてみたらいかがなんでしょうか。(中略)一方は時間を進めるけれども、進めておきながら、なおかつ裏切る、つまり逆行する。ここから先はまったくスペキュレーションなんですが、その逆行というのが最初の音の前にあるべき、そして絶対に耳には聞こえない、音を求めて行くのではないか――、非常にメタフィジックですが。(『現代音楽のポリティックス』  p189)

 
 関係性による時間というのはある種古典的な、音楽的な意味で古典派的なものかもしれない。しかし近藤の場合それが「曖昧さ」を持つことによってそれは作曲者の意図を離れ、個人個人の主体的な聴取となる。そこでは小林の言うような遡行する時間と流れる時間という線だけでなく、セカイに満ちる様々な「過去に流れていたかもしれない時間」と繋がるのである。これはきっと音楽の話であり音楽の話ではない何かだ。近藤譲のように聴くことは、近藤譲のように在ることだ。たったひとつの、曖昧で、今にも消え入りそうな旋律の中には無数の透明な旋律が響いている。

 

ボクはこれを幽霊的ポリフォニーと呼んでいる。
 

 

   ――Alternative contemporary classical after “music of line”

 本論で語るべきことはすでに語り終えた。しかし、近年の近藤はさらに新しい道へ歩き出しているようだ。そのことについて少しだけ話をしよう。
 せっかくここまで読んでくれたんだ。もううんざりかもしれないけれど、あと少しだけ付き合ってくれてもいいじゃないか。「キミ」ならばきっと分かってくれるはずだ。
 近藤譲の近年の作品には「対比」という一種の「作家の特色」のようなものが生じ始めている。これは他者に開かれていたはずの近藤譲という作曲家の後退を意味するのだろうか。
 今年2017年の3月にピアニスト井上郷子(1958-)による近藤譲作品のピアノリサイタルが行われた。そこで演奏された曲の内のひとつ《間奏曲 INterlude (2017)》に近藤譲自身が寄せたプログラムノートの一部を引用してみよう。

 井上郷子さんからの委嘱によって、今夜の演奏会のために、この一月に書き下ろされた作品。この作品は、基本的には、私のこれまでの作曲と同様に、一本の旋律線(或いは、一筋の時間の流れ)から成り立っている。だがその「線」は、広い音域への散開や、強弱の対比などによって、いわば、引き裂かれている。
 どれほど一元的に形成されたものであっても、一度それが形のある全体として姿を現わせば、そこには、たがいに対比的に区別される諸部分が認識される。というのも、「形のある全体」には必ず内部構造があり、そしてそこでの構造とは、区分された諸部分間の相互関係性に外ならないからである。逆に言えば、内部に対比的な諸部分を含まないような全体といったものは無い。この《間奏曲》の基礎となっている「一本の旋律線」が諸種の対比によって引き裂かれているように見えるのは、最近の私が、そうした不可避的な構造の対称性をことさらに強く意識するようになったからだろう。(「井上郷子 ピアノリサイタル#26 近藤譲ピアノ作品集」 プログラムノート)

 近藤は決して「作家の意図」に退行したわけではない。彼は関係性をつむぐ際のグルーピングという思考に留まったまま、飛躍したのだ。例えば「Do」の音が3回続く、次に「Re」の音がくる。このとき、まず3回の「Do」の反復を聴き、次に「Do」を期待していたボクたちは「Re」の音によって裏切られる。そして3つの「Do」とひとつの「Re」にそれらは分節される。この「Do」と「Re」の在り方の「間」が関係性である。つまり関係性には一つの音やグループが他のグループと区別されて認知され、それらが少しでも「対比」される必要があるのである。
 彼はこのグルーピングというものが持つ、形而上学的前提に至り、その前提をもって「線の音楽」を更新したのだ。
 事実、彼の新しい音楽は、その引き裂かれ=関係性によって「曖昧に」散らばっており、他者への開かれは損なわれるどころか増している。
 同演奏会にて演奏された《リトルネッロ》などにみられるブロック間の対比の「形式」もブーレーズ的なそれではなく、線の音楽の延長線上にあるものなのだ。

 日本という場所に生まれた彼は、西洋-日本という場から離れ、西洋化された自己のセカイに下っていくことによって曖昧な線の中に無数の他者の声を発見した。
 そして彼はその曖昧な線をちぎってみせることで無数の他者の声を霧のようにセカイに散らせるのである。
 彼が到達した地平は聴取というものに含まれる「普遍」に根差すものだった。
 彼は「非作家的」な態度から始めて「作家性なき作家性」とでも呼び得るものを獲得した。否定神学的にではなく、である。
 「亜流」という障壁を抱えながらも、否、抱えていたからこそ近藤は他者へと遡行し、西洋がまだ見たことのない形で普遍の地平へと旅立った。
 西洋音楽において日本は障壁を抱えている。それはある種ポストモダンの中にある美術界のそれよりも大きく厚い、「伝統」という壁である。しかし、むしろ、だからこそ彼はヨーロッパの作曲家が手放さない「作家性」の呪縛を抜け出し、他者へと開かれることによって新たなる普遍を作ったのである。
 彼の開いた可能性、「セカイを見つめ、普遍を探し出すこと」は逆説的に日本文化論の可能性を提示している。

 

 彼の内面にあった西洋音楽の耳。それは始めは偽物だったかもしれない。亜流でしかなかったかもしれない。
 けれど近藤譲の聴いた「セカイ」は、そこに流れる「時間」は、到達した「普遍の地平」は、絶対に「悪い」「場所」なんかじゃないのだから。

 

 

 

 

 

 

…………

 近藤譲の音楽を聴くことは自身の音を聴くことだ。とはいえ少し喋りすぎたようだ。もう時間はあまり残されていない。
 本当にこれでおしまいにしよう。まがいなりにもひとりの音楽徒として作曲を学んでいるボクが最も敬愛する作曲家である近藤譲について、一つの論考という形で思考をまとめることができたことをとてもうれしく思っている。
 この文章は徹頭徹尾自身のために、正確に言えば今ここにいて、けれどずっと遠い先にいる、「セカイ」でずっとボクを待ち続けている、存在しないボクのために書いたものだ。それゆえ(ここも含め)ある部分などはとても恥ずかしい性質のものとなっている。とはいえ当然、他者に読まれる配慮をしなかったわけではない。むしろその逆である。なぜならば、セカイとしての自身とは他者に他ならないのだから。
 もしもこのテクストが、偶然の風にさらわれた紙飛行機のよう空を切り、遠い遠い青の向こう、ボク以外の他者にも届くのならばこれほど嬉しいことはない。

 最後に近藤譲のステートメントを引用したい。
 キミとボクのセカイが異なり、変容を続ける以上、いつの日か、世界/セカイが終わるその日までその声は響き続けるだろう。音楽の未来について恐れる必要はない。

 

 

作曲とは「聴くこと」であり、「聴くこと」を通して、自己を外へ、他者へと開く行為なのだ。(『聴く人』 p78)*

 

*Long long “Fermata” until when the worlds ends.

 


 
参考文献

 ジョン・ケージ『サイレンス』   柿沼敏江訳 水声社 1996原1961

 ジョンケージ『小鳥たちのために』 青山マミ訳 青土社 1982 原1976

 ピエール・ブーレーズ『ブーレーズ音楽論』 船山隆・笠羽映子訳 晶文社 1982

 小林康夫編『現代音楽のポリティクス』 書肆風の薔薇(現水声社) 1991

 近藤譲『線の音楽』 復刊版 ARTES 2014

 近藤譲『聴く人 homo audiens 音楽の解釈をめぐって』 ARTES 2013

 椹木野衣『日本・現代・美術』 新潮社 1998

 庄野進『聴取の詩学 J・ケージからそしてJ・ケージへ』 勁草書房 1991

 松平頼暁『現代音楽のパサージュ 20.5世紀の音楽』(増補版) 青土社 1995

 CD 『線の音楽』 プログラムノート ALM RECORDS 2014

 サントリー芸術財団 「サマーフェスティヴァル 2017」小冊子 また特設サイトhttp://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2017/

 「井上郷子 ピアノリサイタル#26 近藤譲ピアノ作品集」 プログラムノート

 

D.C.

 

文字数:17583

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