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キャラクターを見守る眼差し 〜参観者としての観客の創造〜

人気アニメの映画化による「アニメーショナルな」オープニング

 

澄みきった快晴の朝、小綺麗なマンションのキッチンで体格のいい青年が目玉焼きとソーセージを焼いている。その彼が朝食の支度ができたと男性の名前を呼ぶ。

どうやらふたりは新生活をはじめたばかりでルームシェアをしているらしいということがわかる。しかし呼ばれた方の男性は返事をしない。不思議に思った彼がその男性を探すと朝食を作る彼に比べれば痩身なものの、それでも引き締まった体つきをした筋肉質の青年がベランダに立っている。もう一度彼がその青年に声をかけると突然、突風が発生しベランダに立っている青年の衣服を吹き飛ばしてしまう。半裸になった青年はしかし、競泳用の水着を下半身に身につけている。青年は腰を落とし、競泳のスタートのポーズを取る。しかしそこはマンションの高層階。彼が必死で止めようとするもタッチの差で間に合わず、青年はベランダから外へと飛び込んでしまう。

すると、それまでの景色が一変し、外の景色はたちまちプールへと様変わりする。そして、青年が飛び込んだ先のプールに、映画のタイトルがあらわれる。

河浪栄作監督『特別版Free! ——Take Your Marks—』(2017年、以下『Take Your Marks』)は、本編の冒頭からこのような、アニメーションらしいファンタジックかつコミカルな場面からスタートする。この作品は、おおじこうじ作のライトノベル『ハイ☆スピード!』を原案として京都アニメーションが製作したアニメシリーズ『Free!』の劇場作品である。

まず、このアニメは2013年と14年のそれぞれ7月にテレビアニメの1、2期が放送された後に、2015年12月に原案の『ハイ☆スピード!』のアニメ化である『映画 ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-』が劇場公開され、テレビアニメ版を再編成した『劇場版 Free!-Timeless Medley-』の『絆』『約束』2作が2017年4月、7月にそれぞれ公開されている。そして、劇場作品4作目となる『Take Your Marks』は、2018年に新たにテレビシリーズ3期の放送が決定したため、3期の内容とそれまでの内容との橋渡し的な位置付けとなっている。

『Free!』というアニメシリーズの存在自体を知らないという人のために本作がどのようなアニメなのか、まずはその立ち位置を確認しておこう。『Free!』は、そのファンのほとんどが女性である。それ以前に女性人気をきっかけに爆発的な人気となり、2、5次元舞台などのさまざまなメディアミックスが行われている『テニスの王子様』(テレビアニメ2001年放送開始、以下放送開始年)や『黒子のバスケ』(2012年)、『弱虫ペダル』(2013年)、『ハイキュー』(2014年)などが男子中高生の部活動を舞台にしてきたのと同様に、この作品でも高校の水泳部を舞台に選んでおり、登場人物のほとんどが男子高校生となっている。また、水泳というスポーツの特性上、登場するキャラクターたちの半裸の姿が絶えず画面に映し出されることになるため、ファンの女性たちに対して「サービスの行き届いた」アニメであるといえよう。

では次に、肝心のシリーズの物語の概要を記しておく。物語は小学生時代に同じスイミングスクールで競泳リレーのメンバーだった幼馴染の4人を中心に展開されていく。岩鳶高校2年の七瀬遙、橘真琴、そして1学年下の葉月渚は通っていたスイミングスクールが取り壊されると聞き、廃墟となったそこへ侵入する。するとそこに小学校を卒業後、オーストラリアに競泳留学へ行っていたはずの松岡凛が現れ、日本に帰って水泳部強豪校の鮫柄高校へ転入したということを告げる。それをきっかけとしてかつてのリレーメンバー4人は、競泳への情熱を取り戻し、岩鳶高校の3人は廃部となっていた水泳部をふたたび創設し、鮫柄高校の凛は転入したものの入部せずにいた水泳部への入部を決める。

 

「テレビっぽさ」を残した演出による「断片」の創出

 

本文の冒頭で本編の最初の場面を記した作品の、サブタイトルになっている「Take Your Marks」とは、競泳のスタート時の掛け声のことであり、『Take Your Marks』では、テレビアニメ1期で2年生だったキャラクターたちが高校を卒業し、それぞれの進路へと歩むためにスタートの準備段階が描かれている。4人の中で唯一学年が下だった渚は3年生になり、3人になってしまった水泳部でふたたびリレーで大会に出場することを目標としており、4月の新入生歓迎会で新入部員を募集するための勧誘動画を完成させるために奔走している。また、凛は鮫柄高校を卒業後、ふたたびオーストラリアへ留学するために寮の荷物をまとめ、留学や全寮制の高校を選択したことで小学校卒業以降、あまり時間のとれなかった家族との時間を大切にすごしている。そして、岩鳶高校を卒業した遥と真琴は東京の大学へ進学し、東京での暮らしを始めるための準備を始める。本編の冒頭に登場するふたりの男性は、面倒見がよく、朝食の支度を買って出た真琴と、いつでも服の下に競泳用水着を着ている遥のふたりだったのである。しかし次の場面で実は、これは東京へと向かうバスで真琴が見ていた夢であったということがわかり、早々と新居を決めた真琴が付き添って、いつまでも決められない遙の東京での部屋を探すという物語が始まることになる。

しかし、この「物語」というものも奇妙な形で進行していく。『Take Your Marks』では、約100分の本編が4分割され、分割されたそれぞれ小話にタイトルが付けられているのだ。そのため、小話ひとつあたりの時間は約25分となり、これだけでも30分のテレビアニメからOP・EDそれぞれの曲とCMを切り取った時間と相似するため、「テレビっぽい」演出であるといえよう。しかしこれだけでなく『Take Your Marks』ではさらに、小話が半分にさしかかったあたりで、キャラクターと映画のタイトルが描かれたイラストが挿入され、そこに描かれているキャラクターがサブタイトルである「Take Your Marks」というセリフを発するというCMまたぎを連想させる演出もされているために、この「テレビっぽさ」が意図的なものであることがわかる。

ではなぜ、『Take Your Marks』ではこの「テレビっぽい」演出がなされたのだろうか。これは、この映画がひとつの物語を観客に与えるものではなく、あくまで物語の断片をいくつか提示するものにすぎないというということを強調するためのものであると考えられる。

テレビアニメでは、12話程度で完結するものがひとつの「大きな物語」として存在するため、その中の1話で物語のすべてを描きだすことは定義上不可能である。そのため、テレビアニメの1話はシリーズを通した「大きな物語」の「断片」でしかありえない。その「断片」を積み重ねることによってのみ僕たちは「大きな物語」を受け取ることができるのだ。そして『Take Your Marks』は、徹底してこの「断片」のみを提示している。その姿勢は東浩紀が『動物化するポストモダン』(2001年)で示した「データベース消費」の変異と受け取れる。

キャラクターはあらかじめ登録されているデータベースから各要素を出力したものである。このような「データベース消費」の考えは『Free!』に登場するキャラクターにもあてはまり、天才肌で天然な性格を持つ遙、しっかりもので面倒見の良い真琴、かつてと違い冷たい性格となってしまった凛、1学年下で天真爛漫な弟キャラの渚と中心的なキャラクター4人に限っても、しっかりとしたキャラ分けがなされており、それに伴い髪型や体格に加えて目つきや歯型までもがそれぞれのキャラクターに沿った描き分けがされている。そしてそれによって、アニメのストーリーを直接見なくとも、キャラクターを見ただけで性格がある程度わかるようになっている。

このような単純化されたキャラクターに感情移入を強めていく行為を東は「キャラ萌え」と呼ばれているものであるとしている。そしてこの「キャラ萌え」を喚起させる創作物は、消費者にとってはオリジナルなものと二次創作によって作られたコピーとの区別がない。つまり、「物語A」を生きる「キャラクターA」に対して二次創作による別の「物語a」を与えれば、それは別の可能世界を生きる「キャラクターA」の物語となり、そこに公式や非公式といった意識を消費者は持たないというのだ。

 

キャラクターの晴れ舞台としての映画体験

 

しかし、『Take Your Marks』のキャラクターたちはテレビアニメ的な構成によって、すでに無数の断片化された物語を生きている。またその「断片」はテレビアニメのように積み重ねられることなく、「断片」のまま存在し続ける。そして、部活動の勧誘、新生活、海外への留学、上京といったことの他にも、温泉旅行、取り立ての免許での運転、公園で出会った少年との交流、ささいな勘違いが大事へと発展していくさまなどの無数の「断片」を提示し続けることは、観客一人一人の実生活との交差点を作り出し、アニメで提示される「キャラクターA」とは別のそれぞれ固有の「キャラクターa」を出現させる効果を持っている。「キャラクターa」は観客の数によって無数に誕生し「キャラクターa、a’、a’’、a’’’……」となる。そして、「キャラクターA」はその観客だけが知っている「キャラクターa」の一面をスクリーンで披露しているにすぎない。

「キャラクターa」という眼差しを持った観客は、まるで取るに足らないような日常をも生きている「キャラクターa」の「晴れ舞台」を見にいくかのような気持ちで映画を観に行く。それは、映画を「鑑賞」するというよりは、子どもの運動会を見に行く母親のような体験に近い。事実、僕が『Take Your Marks』を観た回は、女性二人組という客層が圧倒的に多く、信じられないことに上映中に隣の連れと会話をしているという組が、1組ならず多くいたのだ。しかし、これも彼女たちが運動会での子どもの活躍を見るかのように映画を観ていると考えれば納得ができる。彼女たちはスクリーンに投影された同じ「キャラクターA」を見ているのではなく、それぞれ別の「キャラクターa」「キャラクターa’」を見ているのだ。このような観客の新たな視聴方法は「データベース消費」とも少し違った、「キャラクター参観」とでもいえる行為であるといえる。

 

メタ視点を欠いた舞台挨拶

 

『Take Your Marks』を観る観客たちはデータベースの出力によって生まれた「キャラクターA」ではなく、それぞれの鑑賞体験によって生まれた「キャラクターa」の晴れの舞台として映画を観ている。『Take Your Marks』では、それを強調するような仕掛けがさらに施されているのだ。

僕が本文の冒頭で描出したシーン。このシーンを僕はこれまで「本編の冒頭」というように説明してきた。なぜ「この映画の冒頭」であったり、そのまま「冒頭」といった表現をせずに「本編の」といった形容をしてきたかといえば、それにはワケがある。『Take Your Marks』では、公開から4週間限定で物語の本編が始まる前に「キャラクター舞台挨拶」動画が挿入されるのである。

「キャラクター舞台挨拶」と聞いてもピンとこない人がほとんどであろう。その人たちのために説明をすると「キャラクター舞台挨拶」とは、映画の舞台挨拶で出演者たちが映画の上映の前後にスクリーンの前に登壇し、撮影時の秘話などを語ったりするかのように、『Take Your Marks』に登場するキャラクターたちが語るというアニメーション映像のことなのである。その映像の中には、フォトセッションというものまで入っており、動画の撮影や、フラッシュを用いた撮影は禁止であるなどの諸注意がアナウンスされた後、スクリーンにイラストが映され、それを観客がスマホなどで撮影を行う。そしてその画像はSNS等にアップすることが許されているため、下の写真のようにInstagramやTwitterでその個人が撮影した、そのイラストを見ることができる。

Instagramで「#takeyourmarks」と検索するとこのような投稿を見ることができる。上の段中央と、下の段両端がフォトセッションによって撮影された画像
筆者が鑑賞時に撮影した写真。誤ってフラッシュを使って撮影してしまったが、前に座っている観客も撮影をしていることがスマホのライトでわかる

 
しかし、やはりこのような説明をしたところで、この「キャラクター舞台挨拶」とはなんとも奇妙なものである。それは舞台挨拶がアニメキャラクターの動画によってなされていることだけではない。それ以上に奇妙なのは、舞台挨拶に登場するキャラクターと本編に登場するキャラクターは全くの同一人物であるということだ。

通常の舞台挨拶に登壇する俳優は、バーチャルな物語の登場人物を演じた生身の人間である。この二重になった身体が存在するおかげで、俳優たちは映画の内容に対してメタ的な視点に立った発言をすることができるし、画面に映し出される映像は撮影という行為を通して作られたものであるという前提のもとに、そのときの秘話などを語ることができる。しかし、キャラクターはそのような二重性を持たない。そのため通常の舞台挨拶のようなメタ語りをすることができない。しかし、この問題も「キャラクター参観」という視聴方法を考えれば、理解できよう。

キャラクター舞台挨拶に登場する「キャラクターa」たちは、その晴れの舞台である映画の本編で描かれている「キャラクターA」には含まれない。そのため、ふたたび運動会の比喩を使えば、キャラクター舞台挨拶は運動会から帰ってきた子どもが夕食の際に保護者席では見ることのできないことや、徒競走を走る前の緊張を語るというような形になる。そしてこのキャラクター舞台挨拶によって本編で描かれる「キャラクターA」がそのキャラクターの一面にすぎないということを確認し、そのさらに奥に観客固有の存在である「キャラクターa」を見出すのである。

キャラクター舞台挨拶は現在確認しうる範囲では『Free!』シリーズの劇場版3作でしか行われていないが、これは今後さまざまな女性向けアニメ、もしかしたら男性向けアニメにも拡大していくことだろうと予想できる。

 

「私たち」としての『Take Your Marks』

 

以上のように『Take Your Marks』は、観客とキャラクターとの接触のしかたを考える上で特異点となる作品であるといえよう。しかし、この作品は土居伸彰が『21世紀のアニメーションがわかる本』(2017年)で紹介しているような「アニメーション・ドキュメンタリー」とは正反対の、むしろ虚構を描くという伝統的なアニメの語り方の延長線上にあるといえる。しかし、「現実的なものと空想的なもの混ざりあった中間的な領域を『記録』するための方法」としての「アニメーション・ドキュメンタリー」と同様に、『Take Your Marks』では物語の「断片」を提示し続け、またキャラクター舞台挨拶によってアニメーションに本来であれば存在しない「外部」を作り出すことで、観客とキャラクターの接点を創出するという点を考えれば、これらが同じ方向性を目指していることがわかる。

2017年の新語・流行語大賞で年間大賞に選ばれた「インスタ映え」という言葉が示すように、現在の大衆は他人の物語よりも自分の体験をより重視する人びとであるといえる。そのことを考えればキャラクターと観客をいかに「私たち」として融合させるかを考えてきたという、土居による21世紀のアニメのあり方の提示は時代に沿った正しいものであるといえる。そして『Take Your Marks』も土居のそのような歴史観に正統に登録されるべき作品であるといえよう。また、『Take Your Marks』という特異点によって過去のアニメ史を否定することによってではなく、肯定した上でアニメをアップデートすることが可能になるだろう。

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