南北・双極性J-POP障害
「心に深い傷を負う度に北上するのは止してくれ」と北国出身の知人が言っていた。なるほど『津軽海峡・冬景色』(1977年、阿久悠、三木崇、石川さゆり)然り、日本の歌謡曲において、人生を大きく左右するような悲劇に遭う人はそっと涙を流しながら列車で、連絡船で、北上するのがセオリーになっている。代表格の歌詞を引用してみよう。
北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り こごえそうな鴎見つめ泣いていました
さよならあなた私は帰ります 風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色
直接的にどのような悲劇が歌の主人公を襲ったのかは明示されていないが、余程の辛い出来事があり、人生を諦め、絶望感に打ちひしがれながら北上しているのは確かだ。兎にも角にも日本の歌謡曲で、悲しみを背負う人は北へ向かう。それでは南はどうだろうか。南を歌ったJ-POPの代表格『青い珊瑚礁』(1980年、三浦徳子、小田裕一郎、松田聖子)を引用する。
あゝ私の恋は南の風に乗って走るわ
あゝ青い風切って走れあの島へ
素肌にキラキラ珊瑚礁 二人っきりで流されてもいゝの あなたが好き!
花びら触れて欲しいの 渚は恋のモスグリーン
二人の頬が近づいていくのよ あなたが好き!
サビからの歌い出し、恋のときめきに胸を躍らせて止まらない躍動感、そして何より「あなたが好き!」という屈託のない告白!まさに人生の春、幸福の絶頂である。『青い珊瑚礁』の他にも南という方角と恋の喜びを結びつけて歌い上げたJ-POPは枚挙に暇がない。J-POPの南側にはなんと喜びが満ち溢れていることか!
このような「南」と「喜び」を組み合わせた歌謡曲は昭和初期から存在する。1943年(昭和18年)の『南の花嫁さん』(藤浦洸、任光、古賀政男、高峰三枝子)も、いつまでも続く幸福の予感が散りばめられた名曲である。2002年には遊佐未森によってカバーされ、今でも人々に愛されている歌詞はこうなっている。
ねむの並木を お馬のせなに ゆらゆらゆらと
花なら赤い かんなの花か 散りそで散らぬ 花びら風情
隣の村へ お嫁入り
『おみやげはなあに』『籠のオーム』
言葉もたったひとつ いついつまでも
驚くべきは、これが戦時中のヒットソングということだ。当時の人々にとって鸚鵡が生息しているほどの南方といえば、憧れの要素もあったろうが、落下傘部隊が降下し爆撃が炸裂したという場所でもある。その上で戦意高揚とは完全に無関係の牧歌的なこの楽曲は、花咲く南国の結婚式という幸福な光景を歌い上げる。この場合、楽曲の舞台が南方である必然性はどこにもない。温暖な気候を思わせる植物が詩の中に登場するが、喜びを花など植物で表現しようとする場合、別段、カラフルなパンジーやビオラでも構わない。清らかな梅や桜でも、鮮やかなポインセチアでも、燃え上がる紅葉でも、黄金色の稲穂でも、要は豊かで華やかであればどんな植物でも幸福なイメージに似つかわしい。それなのに敢えて「南」と「永遠の幸せ」を結びつけ、しかも戦時下においても規制されることなく民衆に愛され続けた『南の花嫁さん』は、日本人の、南という言葉やイメージに対して不自然なまでに喜びを見出したがる習性を如実に教えてくれる。
一方で、悲しげな北を表す楽曲にも同じ現象が観察される。1961年のヒット曲『北帰行』(昭和36年、宇田博、小林旭)も、歌詞は次のようなものだ。
窓は夜露に濡れて
都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり
涙流れてやまず夢はむなしく消えて
今日も闇をさすろう
遠き想いはかなき希望(のぞみ)
恩愛我を去りぬ
夢が破れても、挫折して故郷に帰るのでも、そういった状態にある人々がみんな、南下してきた北方出身者では当然ありえない。
北半球に暮らす者であれば、北の気候から寒さが、そこから寂寥感や淋しさが連想され、南の気候からはその逆ということもあろう。とはいえ日本人はバブル期ごろから気ままに海外旅行を楽しむようになった。以来、日本人にとって南北にまつわる感覚やイメージは、もう国内規模ではない。もちろん今でも日本人にとって海外旅行はごくありふれている。そして、北方への旅行といえば『アナと雪の女王』(2013年、ディズニーアニメ)の世界のような豪奢な氷の建造物があったり、北欧の雑貨といえばデザインの最先端を行く、洗練された知性と楽しさに満ちていたりする。街並みも優雅で治安も良い。美しいオーロラまで鑑賞できる。フィンランドにはムーミンがいて夢に満ちあふれ、ロシアだって料理はなんでも美味しいし、芸術だって超一流だ。逆のことは南方にも当てはまる。気候は暖かいと言うより暑苦しい。しかも都市のインフラが整い切っていないため、快適な室温を保てるエアコン付きの宿は少なく、常にジメジメと汗ばみながら不快な思いをすることが多い。充分なシャワーを浴びるだけのお湯は水道から供給されないし、治安もあまり良いとは言えない。交通も不便なことが多く、食べ物だってお腹を壊しやすい。街角には物乞いがいて、不衛生から病気や怪我が悪化しやすく、疲れ果ててベッドに入ればシーツじゅうに虫がいる。南方の全てがそうというわけではないが、発展途上国と呼ばれる国や地域は地球の南側に多い。そんな中でも、南方の先進国に海外旅行先の定番、オーストラリアがあるが、そこだって北半球とは季節が逆であるだけで、インフラが整備された豊かな都会でありながら常夏の楽園、というわけでは決してない。北は寒くて厳しい悲しみの世界、南は暖かくて楽しい喜びの世界といった日本の歌謡曲のイメージは、全く実状にそぐわない幻想であると、今は誰でも知っている。
振り返ってみれば、物悲しい北の歌である『津軽海峡・冬景色』や『北帰行』、喜びに満ち溢れた南の歌である『青い珊瑚礁』や『南の花嫁さん』などは、ヒットした時期がバブル景気の前であり、当時の日本人にとって海外へのレジャーはあまり馴染みのないものであった。だからこそ、ありもしない幻想に依拠しながら、北へ、南へ、想像力を膨らませ、虚構のイメージを作り出すことでヒットを果たした。しかしバブル景気をとうに終えた現在でも、時代遅れな南北の歌詞イメージはそのまま更新されることなく、未だにJ-POPの世界では、例えば『南風』(2005年、藤巻亮太、レミオロメン)のように、「南」と恋などの喜びを結合させた楽曲が人気を博し続けている。
仮に、どうしても南というものに暖かいイメージが付きまとうのだとしても、今では世界中を飛び回ることが身近である日本人が愛好する音楽であるならば、ヤシの木陰で熱病に伏せり、愛する者から見捨てられて孤独に死を待つ人物の哀惜を歌い上げる演歌であるとか、暑さで気だるい中、雨季のため気分がますます沈み、それでも諦められない何かを求めて一人止まないスコールに打たれながら号泣するJ-POPであるとか、そういったものがヒットランキングの上位に並んでいそうなものだが、そんな現象は特に見当たらない。白い砂浜で亡くなった恋人が好きだったトロピカルジュースを飲む演歌がなぜ未だに存在しないのか。もしくは、幸福の絶頂のグループデートとしてのバスツアーで訪れた夕張のメロン熊に笑う君がますます愛おしいといったラブソングは。ここに、内容を伴わないまま思考停止して形骸化しているJ-POPコンテンツの有り様と、それがJ-POP業界の業績不振の一因となってしまっている関係性が見て取れる。こうまで徹底して、北を悲しく、南を楽しく描く日本の歌謡曲やJ-POPのそれは、もはや病気だ。障害だ。
こんなことをいうと、南の地域と悲しみを融合させた大ヒット曲の『島唄』(1992年、THE BOOM)があるではないか、といった声が聞こえてきそうだ。ただしこれは琉球民謡のテイストや沖縄戦の記憶を引用しながら作られた、いわば異色作とも呼ぶべきものに過ぎない。念のため詩を確認しよう。
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来たウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
無粋ながら若干の解説を添える。でいごの花が咲く季節に米軍の沖縄攻撃が開始され、ウージの森(サトウキビ畑)の地下にあるガマで、捕虜になることを恐れた親しい者同士が殺しあうといった出来事が起きた。そして、沖縄では海の向こうにニライカナイと呼ばれる、いわば天国のような場所があるとされる。「大勢の死者たちはニライカナイへ、悲しみは本土へ届けて欲しい」という祈りでこの楽曲は締めくくられる。
周知のように沖縄は、先の大戦で「捨て石」とされた地域であり、今なお米軍基地問題が続く諍いの焦点だ。つまり『島唄』は「南」ではなく、敗戦や沖縄の特殊性に注目した楽曲であるため、ただ沖縄が日本の南方に位置しているからと言って、安直に南を歌ったとは位置付けられない。
昨今、日本の歌謡曲やJ-POPといえば、幼稚な恋愛の歌ばかりでつまらない、幼いアイドルのイメージ戦略ばかりで飽きたと風説されるばかりでなく「CD不況」なる造語まで生まれている。実際、日本レコード協会の発表によれば、音楽ソフト・有料音楽配信の売上推移グラフは軒並み右肩下がりとなっているように、ここ数年ずっと衰退し続けているジャンルだ。その理由には、本稿で明らかにしたように、南北のイメージや扱い方だけに注視しても、戦時中やバブル前という時代の成功例を反復するばかりで、時代感覚にそぐわないまま縮小再生産を続けていることも挙げられる。
しかし、それで良いのではないか。もちろん海外にもJ-POPファンは多くいるが、J-POPは文字通り、日本から生まれ出て、国内をめぐる娯楽コンテンツだ。クラシックのようにワールドワイドなものではない。しかしJ-POPの土壌には、日本に顕著で独特なアイドル文化がまず存在する。ジャニーズ然り、AKB然り、未熟さを肯定して愛でるという、清少納言のエッセイにまで遡及可能な幼さへの楽しみ方は、人間の成熟や技術の高さを最善とするヨーロッパなどの価値観とはなかなか相容れない。日本の歌謡曲、J-POPを歌うアイドルの代表格、ジャニーズの原型は少年野球であり、AKBのイメージは未成年が通う学校だ。どちらにも共通するのは、未成熟の中にある可愛らしさを拾い上げて鑑賞しようという欲求であり、下手を打てばショタコンだのロリコンだのと揶揄されかねない。もし、成熟こそ善とするヨーロッパの美意識が標準だとしたら、もしかしたら日本のアイドル文化、それと密接な日本の歌謡曲やJ-POPは、規範意識と反発し合うかもしれぬ危うさを常にはらんでいる。もちろん日本の歌謡曲やJ-POPの全てが幼さを愛でる楽曲というわけではなく、年配者にしかわからない人生を歌うものだって多くある。だが諸外国のポピュラーミュージックと比べた場合、日本のそれはどことなく幼さを漂わせていることが多いのも事実である。
そんなJ-POPだが、わざわざその呼称が生まれた1980年代から数えても、既に30年以上の月日が経っている。となると、世界全体の音楽事情からは切り離された別個の文化として成立していると言っておかしくない。ワールドワイドではない音楽であるJ-POPは当然、海外からはあまり人気が高いと見做されてはおらず、既にほとんど日本だけでガラパゴス化している。しかし、日本が世界に誇る娯楽コンテンツ、マンガやアニメ、ゲームなども、そもそも幼さを肯定しながら愛でる傾向を持つガラパゴス化したものであった。それらは、海外から「稚拙なもの」として毛嫌いされていた時期もあったが、次第に受け入れられ、今では2020年東京オリンピックの公式ライセンス商品にアニメのキャラクターが並ぶほどである。かつて、日本のマンガやアニメ、ゲームを愛好する者がまるで幼児への犯罪予備軍のように嫌われ、マンガ、アニメ、ゲームは子供たちに悪影響を与える悪者とされていたことなど、悪い夢であったかのような変貌ぶりだ。
こうした変化は、これらコンテンツが国内で、幼児性を肯定しながらガラパゴス化してゆくと同時に形式美、様式美の要素を強めて行き、結果的にかなり徹底した形式美、様式美と相乗関係を築きながら洗練を続けることでもたらされた。だからこそアニメなどは、単なるガラパゴス現象を超えて品質を高め続け、没落を免れた。
今現在、J-POPは「単なるガラパゴス現象」に過ぎないものとして劣化や縮小をしているかもしれないが、北を悲しみの世界、南を喜びの世界として扱うなどのステレオタイプを敢えて更新せず、そのまま形式美、様式美にまで徹底させ、一足先にアニメなどがやって見せたように昇華させれば、まだ幼さを残すアイドル達による歌唱が多くあったとしても、未成熟を良くないと見做す価値観を超えた、日本にしか作れない芸術の域にまで達することができるかも知れない。クリエイトの喜びとは、何もかもを新しく更新や開発させる興奮ばかりではなく、古めかしいものを慈しみ、保ちながら熟成させることでも花開くのだ。
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