ある凡人の手紙――百年前の先生へ
風もすっかり冷たくなった師走の始め、冬の空からはしかしなおも明るい光が差し込んでいます。朝方には薄曇りがちだったのがいつの間にか晴れ渡り、冬の透き通った青空から降り注ぐ陽光は正午にかけて暖かさを増すのです。例えば百年前のこの頃の時節にも空は変わらずこのようであったのだろうと往時に思いを馳せて幾ばくか胸の熱くなるのを覚えるのでした。
迫る〆切にいつものように焦りながら、私はいつものように己の書き綴るべき題材と趣向を未だ決めかねたまま無為に過ごしていました。いや、先生のとある小論を題材に拙いなりに言葉を連ねようかと思ってはいたのですが、これで良いものだろうかといういつもの小心にこれまたいつもの怠惰が割り込んで手を動かすのを阻んでいたのです。
そんななか、あるときどこかで見かけた短い文章がありました。「ある思想家の手紙」と題したその文章は秋雨降る或る日の様子から始まり、続いてひとときの先生の、人類愛をめぐる思索の様子を描き、続いてすぐあとご家族で食卓を囲んだひとときに起こった「それは何でもない小さい」、「しかし私の心を打ち砕くには十分」な「出来事」を述べ、先生の思索あるいは逡巡、自己否定と自己肯定との葛藤の報告へとなだれ込むのでした。
現代にこの文章を読むとき、一言二言で価値がないと片付けるのはその気になればたぶん難しいことではないのでしょう。しかしいま私は、この文章について思うところを綴ってみたいと思います。
この文章を簡単に要約すれば、先生の思索の実相、利己感情(「イゴイズム」)とこれを克服して自己研鑽と他者への愛、人類への貢献を目指す志向との相克葛藤の様子を率直に描き述べているものと思います。と同時に、ある意味では率直に過ぎ、またある意味では率直さが足りないのではないか、あるいはまた、言い訳がましく愚痴のようですらありそれでいて説教がましいのではないか、教養主義など自己批判の自己目的化と権威の正当化ではないか、などと思えてしまいます。
生それ自体の幸福を感じ「すべての人をこういう融け合った心持ちで抱きたい、抱かなければすまない」との思いに至り、「自分に近い人々」の幸福への貢献を誓い、さらに「まだ見たことも聞いたこともない種々の人々」、「ことに血なまぐさい戦場に倒れて死に面して苦しんでいる人」にまで思いを馳せる……なるほどこれが人類愛かと思う一方、見ず知らずの人々の境遇まで人は的確に思い描くことができるのか、できたとして恵まれぬ人々を助けることできるのか、何をどうしたら助けたと言えるのか、近しい人への助力に限っても存外容易くはないのではないか、などと思いを巡らせます。すぐあとに先生が直面したという、食卓を囲むひとときでの先生の孤高な思索の様子が幼児に与えた不安、そのすれ違いから始まった小さな諍い、……先生が自らを恥じたのは親として大人として当然と思われます。「大きい愛について考えていた父親は、この小さい透明な心をさえも暖めてやることができませんでした」「……すぐその場で自分に最も近い者をさえも十分愛してやれないくせに、そんな事を考え続けたって何になるでしょう。しかもそれが、その運命に対しては無限の責任と恐ろしさとを感じている自分の子供なのです。不断に涙をもって接吻しつづけても愛したりない自分の子供なのです。極度に敬虔なるべき者に対して私は極度に軽率にふるまいました。羞ずかしいどころではありません」とは仰るとおりです。
そしてこれを手始めとして先生は己の逡巡葛藤を述べるのですが、私にはその逡巡葛藤変遷が、気まぐれな心変わりやら想像力の限界やら要するに巷でもよくあることであって、そんなに足下も覚束ないようでは大いなる理念を語る人として似つかわしくないのではないかとつい思いもしてしまうのです。ですがまた、その反感は浅薄なる私の卑しい嫉妬心から来るものであるのでしょう。先生にあっても日常はそのように思い煩ったのか、日常と思索とはそのように様々な形で齟齬を来たしてしまうものなのかと思うと実のところ少し安心する私もまたいるのです。
そしてまた、その逡巡煩悶、心持の揺れ動きの率直な吐露に私が幾許か共感を覚えてしまうことから少し考えると、その一見醜いとも言える実情を吐露する率直さというものが、結果として先生の志向の正しさをより一層強く印象付けるようにも思えます。実際先生は自己批判を繰り返します。「自己を育てようとする努力に際して、この努力そのものがイゴイズムと同じく愛を傷うことのあるのを知」った、また「ある思想に拠って行為を非難」し「時には自分の行為もまた同じように非難せられなければならない事を忘れてい」る、等々。しかしまた、このような自責、自らの悪の自覚そしてその告白こそが、結局のところ免罪符となり得てしまっているのではないか、より強い自己肯定をはじめから目指すが故の自己批判でしかないのではないかとも思えます。先生はこの文章に「ある思想家の手紙」と題しています。これは自分が思想家であるという自己規定の、社会に向けての表明でもありましょう。「私は自分の思想感情がいかに浮ついているかを知りました。私が立派な言葉を口にするなどは実におおけない業です。罵っても罵っても罵り足りないのはやはり自分の事でした」とまで仰るのなら、「人が、そんなにノラクラしているくらいなら、と思うのも無理はないと思います」と仰るように、 いっそ思想家など辞めても良かったのではないかとすら思ってしまうのです。
あるいはまた、これを率直と呼ぶならば、その率直なるものは真に率直であるか、如何ほど率直であるかと思い至ります。どういうことかと言いますと、まことに下世話極まりないのを承知であえて申せば、先生はまず家計とか金の話をしていない。生業としての思想家または物書きの実相を語っていない。それに親としての子への愛は切々と語るけれども奥様、お連れ合いとの仲、深い遣り取りの話は出さない。大変信頼されていることは端々に出てきて分かりますし、知人の悪口を並べているうちにふと空しくなってお連れ合いの顔を見たら、非難か悲嘆か何らか恥じ入らせる視線を感じたという話はありますが。私が何を言いたいかと言うと、卑しいことと言われる金銭やら色事やら、またはもっと身も蓋もなく些細と言えば些細な人と人とのやりとりのすれ違い、例えば近しいが故にすれ違ってしまうといった些末な雑事にこそ多くの人々は日々煩わされ、思索や思慮の意義を忘れついには忌み嫌いイゴイズムに堕してしまうのです。そのような些末だけれど遍く力持つ諸々についてどう受け止めるのか、または語り得ないなら語り得ないという限界について何がしか述べているか、ということなのです。
さらにまた、このような倫理を巡る逡巡葛藤を読者に読ませる文章として延々と書き連ねることに、さきにも触れた言い訳がましくそれでいて説教がましいという嫌いを感じてしまうのです。しかもその挙句、書き連ねていく内に陰鬱な心持ちが晴れてきて元気が出てきた、書いただけで意味があった、読み手のあなたも喜んでくれることだろう……と大団円で終わるあたり、そんな厚かましさのだめ押し、またはだめ押しの厚かましさすら感じます。やはりこれが往年の教養主義か、といささか素朴とも皮肉とも限らぬ感慨すら覚えます。
あまり執拗に揚げ足を取るような論難を連ねてすみません。私のこうした論難が先生を思ってのことではないのは明らかです。先生はもう半世紀以上前、私の生まれるより前に亡くなり歴史上の人物となっているのですから。先生のこの文章を読もうとする他の誰かのことを思ってのことでもありません。要するに私自身の勝手なのです。
とは言え一つ次のようなことを書き添えておきたいと思います。この文章が書かれ発表されてから百年後のいま、電子的情報通信技術環境の日本のみならず世界的な普及によって、一介の読者も一言を不特定多数へ向けて手軽に瞬時に発信公開することができてしまいます。そして昨今の傾向から推し量るに、仮にこのような文章がいま(日本語で、とさしあたり限定します)書かれ発表された場合、多くは残念ながらそもそも注目されず埋もれてしまう恐れもありますが、仮に何かのきっかけで注目を集めた場合、さきに連ねたような意見がどこからともなく真夏の通り雨のように激しく降り注ぐかも知れないように思えるのです。こうした傾向はこの新世紀の始め頃から情報通信技術環境の発展普及とともに浸透し、ここ数年でさらに激化し爆発的な力を持っているように思えます。
しかもその力の向かう先は言わば気まぐれで、良かれ悪しかれ特定の意見の方向を作り出すこともあれば、解決すべき問題について様々としか言いようのない意見が噴出しどうまとめたら良いかも分からないような有様になることもあり、いずれにせよ当事者は少なからぬ負担を強いられます。こうした社会的条件により、百年前に二十代の先生が書かれたこのような、ある種純朴とも青臭いとも言える文章は世に通じにくくなっているのかも知れぬと思うのです。無論それ以前に、単純に百年間という歴史の、そして無意識やら政治性やらほか諸々の思想の蓄積から、このような素朴と言えば素朴な見方が難しくなった、幾重にも裏読み深読み斜め読みが思い付いてしまうという面もありましょう。先生もその後ご存知の、帝政日本の敗戦とその後いまに至る米国の影といった事柄がこの場合どれ程関わるか否か分かりませんが。ともかくもこのような歴史の事情のなかで、先生が体現された教養主義なる伝統も、いつも間にやら根こそぎ消え去ってしまっているのです。
以上のように論難ばかり書いてきましたが、そうであるならなぜ今風の人間である私はこの文章に注目するのか。それは結局、このような否定的な、斜に構え捻じれに捻じれた見方が去来しながらも、やはり通読して幾許かの力強さ、清新さといったものをなおも感ずるからです。もしかしたら、かつて学校の国語の教科書で読んできた幾つかの文章が私に伝えていた教養主義の残滓のようなものへの個人史的郷愁も幾許か感じているのかも知れません。いや、しかし、そんなこんなの取り留めもない解釈はさて措いて、やはり様々なる迷いを努めて率直に描き述べるあり方、そしてうねうねと迷い巡った挙句それだけでも幾らか気が晴れた、また進んで行けそうだという前向きなあり方に何らか共感を感じるのです。私は最早無意識や政治性といった裏読みの実感を忘れることはできますまい。また個人の心情の素朴率直な表出が現在の社会および技術環境においてしばしば望ましからざる帰結をもたらす恐れも幾らか意識しているつもりです。しかしだからと言って先生がかつて書き記したようなこうした率直さ、前向きの感じ、純朴さといったものを根こそぎ否定することはできない、例えば精神の進化といった言い方を採るとしてそれは斯様な否定ではあるまいと思うのです。
失礼を省みずいろいろと勝手に書き連ねてしまいました。非礼をお詫び申し上げます。しかしこうして書く内に少しは気持ちも晴れてきたように思います。いつの間にか夜も更けて〆切があと数分まで迫っています。拙い文章ですがこれを以て答案としたく思います。百年後の不肖の者より謹んで感謝申し上げます。安らかにお眠りください。
参考文献:
和辻哲郎「ある思想家の手紙」青空文庫所収
http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/card49877.html
文字数:4714