「MUSIC VIDEO」について私が感じた二、三の事柄
[Introduction]
ミュージックビデオ(MV)は、プロモーションビデオ(PV)とも呼ばれるように、
新作ポップソングの宣伝という明確な目的の下に制作され、普通その楽曲に合わせて映像を作り流していく形式を採ります。
そのようにMVがそもそも他の作品に基づいて付随的に作られるものであるなら、
それには映像作品として固有の存在意義やおもしろさはあると言えるのでしょうか。
このことを考えるうえで、最近話題を呼んだ岡崎体育の楽曲MV「MUSIC VIDEO」は示唆的であるように思えます。
このMVは今年4月19日にYouTubeで公開されてから4日間で42万回以上再生されたと言われています。
[A]
楽曲「MUSIC VIDEO」は題名そのままに、MV一般で多用される表現手法をひたすら並べるだけでほとんど歌詞が成り立っています。
自主制作したアニメ『寿司くん』で好評を得た「寿司くん」こと小山拓也が岡崎の中学校の先輩であり、MVの撮影監督を務めました。
MV全編にわたって岡崎本人が主演し、一見カラオケの本人出演ビデオのようでもあります。
ほかにドラマ形式の各場面で数名、またBメロ「仲良い人とかお世話になってる人を別撮りで歌わせる」の部分で
それらしき人たちが別に数名と、必要最小限の出演者数です。
個々の映像は商用映像としてそれほど高度な技術を使ってはいないようです。
全体的に低予算で作られたことがうかがえます。
歌詞の内容を忠実に再現し、各場面とそのつながり・転換まで曲調ともよく調和してテンポ良く進みます。
そのせいか不自然な安っぽさは感じません。
楽曲が終わって最後の「はいカット!」の声とその直後までカメラは回り、
岡崎が「これも使ってるんでしょ? ……そういうのようあるんすわほんまに……」とにやついた調子で言って終わるあたり、
揶揄まで含めて「あるある」ぶりを徹頭徹尾周到にねらっているようです。
[Episode] ――「ミュージックビデオにおける女の子の演出講座」って突然出てくるけど……あれって結局さ、MVじゃ若い女の子を飾り物に使ってますっていう、性役割的にはツッコミどころだよね。 ――そうそう、「泣かす」「踊らす」「音楽聴かす」「窓にもたれさす」「倒れさす」だもんね。 ――だいたい岡崎体育って、ルックスがさ……。 ――まぁそれ言っちゃ(苦笑)。 ――ていうか、ミュージシャンは男が多いってのがあるのかな。 ――でも女のミュージシャンもけっこういるじゃん。 ――でも有名なミュージシャンとかバンドって男が多いし、女がやるとアイドルとかガールズロックとか歌姫とか、そういうレッテルわりとついちゃうよね。しかもだいたいルックスいいし。男の有名ミュージシャンってイケメンばっかでもないじゃん、それこそ岡崎君みたいに(笑)。 ――んーそっか……。女のミュージシャンのMVで男の子にそういうのやらせたら新しいかな。女のミュージシャンでかわいい男の子が好きだって言ってる人けっこういるんじゃない? ――新しいかもしんないけど、男の子が泣くって自分苦手だなー。 ――そんなこと言ってるから結局MVもそういうふうになるんじゃん。 ――そんなぁ……一人の好みだけで決まってるわけじゃないでしょ(苦笑)……「踊らす」とか「音楽聴かす」とかはありかな……ただしイケメンに限る(笑)。 ――女の子だってMVに出てくるのだいたいかわいい子ばっかだよねー。……あ、思い出した、「泣かす」と「倒れさす」はさ、ゴールデンボンバーの「女々しくて」って、あれ男でやってない? 一番初めのとこ。 ――あ、そうかも……「女々しくて」だからかなー。「踊らす」もちょっとやってるかな、終わりのほう。でも主に踊ってるのは本人と、あと女の子何人かだよね。 ――細かいとこ観てんなー。 ……ところでさ、うちらって何者?
[B1]
歌詞の内容をMVで忠実に再現していると述べました。
それで考えてみると、この作品の際立った特徴にあらためて突きあたります。
普通の歌は、よくある話や紋切り型であるにしても、私小説的なものを含め一応は固有の作品世界があって、
そこからいくつかの場面を描き出し物語を採り出している、という形になっています。
そのようなさしあたりにしても固有の作品世界が、この歌にはまったくないように見えます。
岡崎体育の私小説または疑似ドキュメンタリーのようなものとみなせるかもしれませんが、
そういう固有性・同一性は際立っていないようにも思えます。
一つひとつの歌詞/場面は、ただただ一般的に見受けられる典型例、「あるあるネタ」を並べているだけです。
私がこのMVを初めて観たとき、おもしろいと思うとともにふとこう思ったのです。
この歌は最初からこんなMVを作ることを前提に作ったのだろうか、と。
最初からこのようにMVまで作ろうとして歌を作ったと考えればいろいろと辻褄が合うように思えます。
つまりこの歌はMVを作るためのマニュアル/台本で、それに従って作ったのがこのMVである、というように思えてきます。
[S1]
はじめに述べたように、MVは一般に、制作意図も制作形式も新作楽曲に基づいており、制作コストも低く抑えられがちです。
そのように制約が多いなかでジャンルのお約束の技法が蓄積されるのは必然でしょう。
そうしたMVのお約束の蓄積から楽曲を作り、その楽曲を基にMVという総合表現作品として完成したのが
この「MUSIC VIDEO」だと言えます。
そしてまた、この場合、楽曲とMVとの関係が普通の場合とは逆転しています。
すなわち〈楽曲のための映像〉から〈映像のための楽曲〉へ、です。
そうした転倒がこのMVのおもしろさの根底にある、と見ることができるでしょう。
[C]
……と書きながら私は、
この文章をいま私が書くことの意味について次第に疑わしく思いはじめ、映像表現の形式を言語表現の形式として模倣するというそもそもの課題設定の難易度にもいささか疑問を抱き、しかし蓮實重彦はかつてそれを実行しおおせたというし、だが蓮實と私とでは執筆も映像受容も経験量が桁違いであることは明白であり、とはいえ或る人間の為したことは他の人間にもできるかもしれず、また「MUSIC VIDEO」の批評性が卓越していることも明白であるから私自身がいずれ拙くもそれについて書ければと思ってはいたし、ではこのビデオをどのように論じたら批評たりうるかと考え、このビデオが話題になっているのを知って最初に観たとき思ったことをあらためて思い起こしてみると、そのときはこれがMVなるものの終焉を告げるのではないかと大げさに思いもし、だがしかしそのあとに観たいくつかのMVもその前に観たいくつかのMVも依然としてそれはそれで愉悦を感じ……
[B2]
この歌とMVは一般的な例を並べただけで固有の作品世界・物語は特にない、と述べました。
とはいうものの、冒頭からAメロ・Bメロを通り、そしてCメロというか転換部の不条理表現ネタまでを経て、
サビに至ったとき感じるものは、どうも楽曲とMVとの関係の逆転といった理屈の妙によるものだけではなく、
物語的感動、つまり登場人物や作品世界に感情移入して感じる類の感動もまた含んでいるように思えます。
結局は音楽だから、詞よりも曲が聴く者の情動を突き動かしているから、という面もあるでしょう。
洋楽や、日本語の歌でも詞が聴き取れない場合はままあることからもわかるように、
特にポップソングにおいて「詞はどうでもいい」という面はたしかにあります。
ただ、この歌のサビで、「音楽と〔……〕映像が 毎回 絡まり合い 手を取り合い」と一つのMVの成立について、
また「作り手の願い」と「受け取り手の想い」について手短に語られるとき、
ごく一般的な話なのに、何らか固有の物語めいた、感情移入の対象めいたものが感じられてしまうのです。
岡崎の別の楽曲「Explain」は、「MUSIC VIDEO」での音楽と映像との関係と同じことを
詞と曲との関係としてさらに明確に提示したものですが、同時に今述べた一般性と固有性の絡み合い、
言わば〈ありふれた固有性〉についてもずばりそのままに語っています。
「俺はまだ歌ってるんだよって みんなに届いてほしくて
でも歌詞にはメッセージ性なんて全く無くて ただ説明してるだけ 曲を説明してるだけなんだよ」といったように。
そしてそんな「Explain」にも私は、〈ありふれた固有性〉の物語的感動をいくらか感じてしまうのです。
[S2]
固有の作品世界・物語のない、よくある例を並べたり説明したにすぎないもの、
月並みな紋切り型のありふれたものにそれでも固有の物語を感じ感情移入してしまうのか、という話をしてきました。
考えるに、物語においても本質的には、全体構造も人物や描写など個々の要素も既存の紋切り型を利用せざるを得ず、
そうしたものを組み立てることでそのつど限りの固有の情動を触発するほかないでしょう。
さらに言えば現実の経験も、痛覚に端的に表われるように、一方で当人やそのつどの状況に固有であるとともに、
他方でその構造は一般的、つまり特定の条件の下では誰でも痛みを感じうると言えます。
感覚の構造が一般的でなければ共感も、そして共感を触発して成り立つものとしての表現もその存在が危ぶまれます。
こうした〈ありふれた固有性〉が表現なるものを支えているのであり、
「MUSIC VIDEO」はそのことをきわめて自覚的に先鋭化し提示したと言えるのではないでしょうか。
岡崎自身がこの作品の発表直後にTwitterで述べた
「誰のこともディスってないし、バカにしてるわけでもないし、否定してるわけでもない」という言葉もまた、
そうした認識の下にあるはずです。
[Postscript]
今回は、基にした作品の、1フレーズ1カットが過半を占めるわかりやすい小気味良さと組み立てを、
最近のウェブ/メールでよくある平坦で癖の少ないですます調の文体で置き換えてみようと試みました。
(いやぁ……うまくいってるかなぁ……)
最後までお読みくださりありがとうございました。
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