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ビートメイカーは新世紀批評の夢を見るか

本稿は批評再生塾第1期における吉田雅史の論稿の総括を目指している。批評再生塾第1期において、最終的に総代に選ばれるまでの吉田の一連の論稿をその象徴的要約の一例とみなしうると考えるからだ。

1.各課題提出論稿:語彙と文体

第1期は全18回構成、最終課題を除くと第2回から第16回まで15回の課題が課され、吉田はそのすべてに論稿を提出し、各回の優秀者3名にはじつに10回にわたり選ばれている。その最初、東浩紀による第2回課題「[批評]ポスト昭和はどこにあるのか」に応える吉田の論稿は「速度喪失、残響創出」と題し次のように始まる。

目を閉じる。聴覚だけで、この空間のおおよその見取り図は描ける。高さ数十メートル、幅も奥行きも数百メートルほどの巨大な空洞。あるいは地下都市。〔中略〕

目を開ける。地下都市は雲散霧消した。聴覚からイメージしていた風景と、いまここに視えている風景の違いにおののき、自分の居場所をフォーカスできない。〔中略〕

以上の記述は、白昼夢の類いではない。〔以下略〕

「速度喪失、残響創出」

冗長な語末辞や接続語を避け短文で畳み掛けるように語り出す文体。具体例の状況描写といった事情もあるとはいえ、批評または論説文と聞いて人々がぼんやりと思い浮かべる文体の類とは異なるのではないか(近年は事情が違うのかもしれないが)。歯切れ良く快活なリズムを刻むこのような書き出しから批評再生塾生/批評著者としての吉田雅史の歩みは始まっている。以後テーマとそれを描き出す内容の複雑さに応じて論述的な文体が多くなるものの、吉田の文体の基調は以上の引用部に集約されていると見てよい。さらに付言すれば、引用部からも分かるとおり、「速度―」の冒頭2段落は一見創作作品か何かのフライヤーのコピーと見紛うもので、以後スマホアプリが実現する拡張現実という事例の説明に同稿前半を費やしている。課題に応えたテーマ設定が明らかになり始める(敗戦の廃墟から幸福な未来への一元的速度での逃走=昭和、およびその一元速度志向の喪失)のはちょうど同稿中間部になってからである。一見コピーめいた言葉を並べる冒頭の掴み、延々と引っ張った末に明かされる中心テーマ……こうした流れは無論吉田自身のもともとの関心傾向に基づくだろう。と同時に、東が課題説明文に付した、消費される娯楽週刊誌のコラム風に万人へ届く論理的かつ簡潔な文章という形式の要請に応えたものでもあるだろう。「速度―」のやり方は当該課題への唯一解ではないが、同回の他の提出論稿を概観して同稿の導入は異色とも言える。

第3回課題「[映像]『ポスト映画の世紀』に、『映画(批評)』は再起動できるか」は従来の批評の伝統から何を/如何に継承できるかという問いと言える。これに対し吉田は「排便」という相当に唐突なキーワードを挙げて「映画的なもの」―「映画的でないもの」の分割を試みる。このキーワードの唐突さもまたキャッチーだが、バタイユやゴダールといったこれまた古典的とも言える固有名を目印に導線を引き、形式化して射程を確立する。第4回課題「[映画]サスペンスフルな批評」に対しては「構造は、あなたを何度裏切るか?」と題し、ミュージックビデオの作家性の両義性・メタ/パラ構造(主要なのは楽曲か映像か)について、塾長佐々木敦が近年提唱したパラフィクションの形式で論じている。

以上の3回で以後の一連の論稿に共通する要素、言わばデータベースの傾向はおよそ出揃っている。第16回までの全体傾向を列挙すれば次のようになる。

第一に、ヒップホップを中心とした音楽と関連分野の知識。これは吉田のホームとも言える分野であるとともに、従来の〈批評〉というジャンルとはあまり交流がなかった分野だろう。しかしその出自上非常に論争的・批評的性格の強い分野でもあり、その片鱗は一連の論稿でも度々見てとれる。

第二に、ヘーゲル、ヒュームからニーチェ、フッサール、そしてボードレール、アガンペン、ゴダール、ケージなど西欧近現代の思想・文化、そして関係者の佐々木敦・東浩紀をはじめ、柄谷行人や古くは九鬼周造など日本の思想・批評界の固有名と概念、言ってしまえば〈批評〉〈現代思想〉の伝統的・古典的な知識。

加えて、〈超越性〉への関心。〈神〉、語りえないもの、意味をなさないものの意味といった主題をたびたび取り上げている。第4回では論稿の中盤で題材のミュージックビデオから意味不明に見える(が受け手の解釈を誘う)独り言を指摘して「神の言語」と呼び、以後このパラフィクションのキーワード終息への導線としている。その後、第6回「『音響』という視座から新しい視点や解釈を与えること」への論稿「あなたが見ているその「  」は、聞こえますか? ~ギャングスタ―と高柳重信の響きかた~」では書記/音声言語における〈空白〉に注目している。そして最終課題の前の第16回「[思想]現代社会に神はいるか?」に応えて〈神の声(を聞く)〉=〈無音を経験する〉をめぐる論述を展開する。

さらに、〈越境性〉への関心。第15回で批評の〈越境性〉をキーワードに選び、またその論稿の形式は人格の解離的〈越境〉に至るフェイクドキュメンタリーの形を採る。少々長いがその内容を語る部分を引用しよう。なお以下引用部で「吉田雅史」の別人格として記される「MA$A$HI」は吉田の音楽活動における名義である。

吉田雅史(以下、吉):〔中略〕そこでキーワードとなるのは「越境」ですが、これは単に多様なジャンルを跨いで対象を選択すれば良いという話ではない。ある対象を論じることで、その対象の外部へと「越境」して論じることになる。そのような「越境性」を如何に担保し伸張できるか。そこで今回この共同討議を対話形式で考えるにあたり、前述の状況を考慮して所謂文学ではなくヒップホップという批評の対象として取り上げられることの稀有なジャンルの住人である、ラッパーのMA$A$HIさんをお迎えしました。MA$A$HIさん本日はよろしくお願いします。

MA$A$HI(以下、M):こちらこそよろしく。早速だけど今の吉田くんの説明に補足するなら、批評の「越境性」を考えるときにマストなことの一つは、扱う対象の外部に議論を展開できる方法を探ること、つまり批評の中に多様性なり偶然性を持ち込むかという点だよね。そのとき持ち込まれる「偶然性」というのは、ヒップホップにおけるキーターム。

「「批評は韻を踏みうるか?」に関する報告 – 2016年1月7日」

吉田の論述手法は全般的にヒップホップ関連の語彙群と現代思想の語彙群との往還を基調とする。その前提として「ヒップホップ」が「批評の対象として取り上げられることの稀有なジャンル」であるという明確な認識がある。また第2回および第5、8、10、14回では文化翻訳(近代欧米の日本への導入)を主題とする。第13回では題材の一つとして、アイスランド出身で英語圏の歌手として地位を確立したビョークの(もともとの母語ではない)英語歌唱の変遷を音声学的に分析している。第11回のスレイヤーとベビーメタルの対照もアメリカ―日本、へヴィメタル―アイドルという二重の越境性への注目を含んでいる。第9回では、高度なITデータベース化の普及による音楽制作の条件変化のなかでアナログ/フィジカルな手法をあえて要請する音楽制作イヴェントの意義を「ノイズ」を軸に探っており、語句としては用いていないものの〈越境〉が隠れた主題と言える。第12回では藤田嗣治の戦争絵画の一つ『ソロモン海域に於ける米兵の末路』の批評という課題に応え、ドラクロワ、ボードレール、J.J.グランヴィル、さらに死刑囚の辞世の句集という多岐にわたる題材を補助線として越境的に用いている。さらに言えば、メタまたはパラへの関心は第4回および第15回のみならず形を変えて幾度も表われているが、これは〈超越性〉と〈越境性〉への融合関心である。たとえば第7回では山尾悠子の小説『傅説』を読解し、作品世界内の「愛人達」(中心人物)―「群衆」(周辺人物)―「憂愁の世界」(作品内舞台)と「読者」―「読者のメタ意識」―「言語化された絵画的イメージ」とのメタフィクショナルな相似性・並行関係を取り出している。

以上のごく大雑把な概観からあらためてまとめると、吉田の語彙と文体には次のような特徴を見出せる。一方で、吉田自身のホームであるが批評界とは従来距離があったアメリカ起源の〈ヒップホップ・音楽・文化〉。他方で、思想・批評の分野で伝統的・古典的とも言える欧米および日本の固有名と概念。吉田の論稿はこの両者を往還しながら各課題に応じて映画・近代日本文学(特に詩歌)・絵画などを参照項に加え、内容上も形式上も超越・越境といった(メタ)テーマに基づいて論述を進めている。もう少し詳しく言えば、ヒップホップ/ラップという従来の批評にとって多分に他者性を帯びた、しかしじつは豊かな批評的ポテンシャルを持った題材を伝統的な批評の固有名・概念で語り直し提示している。ヒップホップ関連の語彙が現れない場合は日本と欧米との文化横断や日本語韻文文化から何がしか材料を採っている。加えてその分析にあたり、音声学・音響分析の手法を採り入れるなど必要に応じて定量的データを論拠に挙げ、素朴印象論にとどまらない論述を展開する。

吉田は従来読書はしてきたが批評を書いたことはないと言う。そして「ヒップホップという批評の対象として取り上げられることの稀有なジャンル」をホームとしている。しかし繰り返すが、ヒップホップというジャンルそれ自体が論争的・批評的性格を色濃く持っている。そして吉田の論述の語彙と文体は一方でヒップホップ関連に依拠しながら、他方で思想・批評界の伝統的な知識にも支えられている。アメリカの移民社会の矛盾を背景に登場し、〈神〉〈越境〉をしばしば志向し、現にアメリカを飛び越え日本をはじめグローバルに越境的に発信されつつあるヒップホップの論争的・批評的リリック。それは従来の批評の言葉とは論理的には親和性がありうるし、批評の側から見ると、馴染みの言葉で説明されればむしろそのもの珍しさが歓迎すべき新奇なもの、さらに言ってしまえば〈越境〉の範例としてふさわしいとも考えうる。振り返れば批評再生塾の共催者と言えるゲンロン代表東浩紀は前世紀末、〈オタク(キャラクター)文化〉―〈現代思想・批評〉を越境できる当時としては稀有な書き手として論壇に登場したのだった。そして当時の東は日本語の語末辞・接続語句、時枝誠記の言う「辞」の力を警戒し、それへの依拠を排した文体を自覚的に採用していた。さらに思い起こせば、塾長の佐々木は音楽レーベルの運営者であり、ヒップホップを含む現代流行音楽について従来から盛んに論じてきた。佐々木にはもともとヒップホップへの一定の理解があったはずである。そのことも鑑みれば、吉田雅史の知的・文化的背景はもとより批評に、そして批評再生塾に親和的だったと言えるのではないか。

2.修了論文

最終課題「『昭和90年代』の『批評』」に対し、吉田は所定の提出方法に則り、まず6千字弱の修了論文「冒頭」を、そしてのち2万字を超える修了論文「本編」を提出している。両者を対照しつつまとめれば以下のようになる。

題名「漏出するリアル 〜KOHHのオントロジー〜」は変更していない。当初の「冒頭」では平成生まれの日本語ラッパーKOHHの新しさ、昭和からの切断という主題を端的に提示する。そして「リアル」をキーワードに、またバタイユによる二つの「現実」概念を補助線として、アメリカでのヒップホップの誕生と初期の発展の陰影を追う。それを承けてKOHHにおける「リアル」を探る方途を示して「冒頭」は終わる。これだけで全体の流れを確定することはできないが、素朴に読めばアメリカでのヒップホップの始源から一直線にKOHHの作品・作風分析へ至るという予想が成り立つ。

この大筋の流れはのち「本編」において大きく変わる。「本編」は序章として、1926年=昭和元年にニューヨークのハーレムを背景に生まれた詩集『The Weary Blues』をヒップホップの一つの先駆として提示する。ここでブルースからヒップホップに連なる精神的核心として「悲哀」と「反撃」をさりげなく提示する。序章を除くと5章構成の「本編」では、まず第1章で「日本語ラップ」の一つの達成、アメリカと昭和からの継承と切断としてKOHHを考察する旨を表明する。第2章では、「悲哀と反撃の象徴としてのヒップホップに相応しいモメントが刻み込まれている」「初めて「リアル」について目配せした」ことを根拠に日本語ラップの誕生を1989年のいとうせいこうによる『MESS/AGE』と評定する。そしてJ-POPの流れと接近するJ-RAPとそれを表層的と難ずるハードコア・ラップの対峙、ハードコア・ラップの普及と東京=渋谷帝国主義への反抗、さらにラップ技術の深化を描き出す。その上で、初稿の「冒頭」の内容の大部分が第3章に移動し、ヒップホップ初期の発展において「リアル」が物語化し桎梏となる破滅的逆説を指摘し、加えてそうした構造に抵抗するKOHHのリリックの内容を分析する。第4章ではまず押韻に着目してKOHHのリリックの形式分析を行ない、3章で取り出した文脈・背景・物語のない現実=「リアル」の肯定という基本認識を確認する。さらに日本語リリックのまた別の方途として志人の作品を採り上げ、最後にKOHHのリリックの語彙の定量分析を示す。第5章では結論として、アメリカのハーレムで生まれたもともとのヒップホップの「リアル」に対し「悲哀と反撃」という核心を受け継ぎながら日本語ラップは「リアル」への探求の道を如何にたどったかをまとめ、いとう以後久しく「反撃」のみに駆動されてきた日本語ラップにおいて、KOHHや志人が私小説的な「私性」を手放すことで「悲哀」を呼び戻し、「「悲哀と反撃」から「悲哀と独歩」への転回」をもたらした、それはまた「昭和90年から、平成27年への転回」でもある、と結ぶ。

初稿「冒頭」からのちの「本編」への更新の特徴を(前述した部分から全体を推測することの不確定性は措いて)まとめれば、KOHHという一アーティストの批評から日本語ラップというジャンル全体の批評へ問題設定を一般化したこと、それに伴って日本語韻文・日米文化翻訳・社会情勢といったさらに一般的・普遍的な論点を巻き込んだこと、批評がらみの固有名への依拠が相対的に減じたことが挙げられるだろう。「漏出するリアル」はより深く多角的な考察へと更新されている。

3.総括

2015年末刊行の『ゲンロン1』に、佐々木は「グルーヴ・トーン・アトモスフィア――『ニッポンの思想』と『ニッポンの音楽』の余白に。或いはテクノ/ロジカル/カラタニ論」と題する小論を寄せている。1982年初めに書かれたと推測される柄谷行人の小論「リズム・メロディ・コンセプト」が(YMOなどでの活動を通じて)「日本の音楽シーンの最先端にして中枢部に位置していた」坂本龍一と細野晴臣の発言に依拠することから出発し、「ゲーデル的問題」「形式化の諸問題」をめぐる当時の柄谷の理論的逡巡について検討している。細野の発言を参考に、リズムやメロディは大事だがそれを基礎として「コンセプト」=「アイディアの領域を越えた内からつきあげてくる衝動のようなもの」が重要だと柄谷は説く。他方で柄谷は坂本の発言から「テクノロジー」の発展変化=文化活動の環境条件変化をそのつど現状認識として能動的に受け止める重要性をも指摘する。柄谷の限界を実際に解消したのが「テクノロジー」ではなく「コンセプト」だったことを指摘した上で、佐々木は「コンセプト」(創作を支える内的衝動)の成立要件たる「テクノロジー」(時代の環境条件)の重要性をあらためて説き、さらにその30年後の今日のキーワードを「グルーヴ・トーン・アトモスフィア」と要約する。「グルーヴ」=「単なる拍の連鎖ではない〔…〕ミクロな揺らぎを孕んだノリ」、「トーン」=「情動を操作する旋律性よりも、生理学―心理学的なフェティッシュを起動する音色/音響」、「アトモスフィア」=「内奥からつきあげてくる思考の胚胎以上に、雰囲気=空気=コンテクストを精確に読んで即座に最適値を出せる聡さ」。強引に言い換えれば「グルーヴ」=「語と文のリズム」、「トーン」=「知的データベースからの語彙と文体の選択と布置」、「アトモスフィア」=「課題やさまざまなレヴェルの背景にそのつど適した、そして越境的な思考」……? ともかくも吉田雅史はこの2015年という時代、批評再生塾第1期という場、そして自身の親しんできたヒップホップと読書という条件(テクノロジー)において先の新たな三条件を十分に満たしたのだ、と言っては強引すぎるだろうか。

約9ヶ月間のなかで、吉田雅史は自身の知的データベースを駆使し越境的に知識を連結させそれぞれの論稿を綴ってきた。そして修了論文においてそのホームであるヒップホップに立ち戻り主題とした。彼の新しさは何かを否定したのか? そうではないように思われる。彼の新しさは日本(語)圏のヒップホップ/ラップを批評の言葉で語り直し、それを通じてより広い問題設定への可能性を示したことにあるだろう。またはもし、誰かが批評の何かを否定しまたは終わらせるとしたらそれはどのようなものか? 一つ考えられるのは批評のデータベースの更新である。しかしそれは言い換えれば坂本龍一―柄谷行人―佐々木敦が指摘した「テクノロジー」の更新にあたる。「コンセプト」は固有名/人物に帰することができようが、「テクノロジー」は環境条件であり固有名に帰することができない。誰かがコントロールできるものではないのであり、だからこそ精確な現状認識に基づく「能動的受容」が要請された。もっともその変化を精確に察知し、それに依拠し、言わば波に乗って新たな仕事を成せばそれは固有名に帰するのかもしれない。では吉田は……? だが今後彼がどう振舞うのか、何を考え何を書くのかは言うまでもなく彼自身の問題である。「悲哀と反撃」から「反撃」を手放して「悲哀と独歩」へ、と吉田は結んだ。結局のところ吉田であれ誰であれ「独歩」で考え書くのであり、私たち読者はそのつどそれぞれの(未)達成を受け取るほかないのである。

文字数:7523

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