擬日常論とフクシマ/福島
1.『擬日常論』に見捨てられたもの
上北千明によって書かれた『擬日常論』という批評文がある。批評再生塾の最後に出された課題「昭和90年」をテーマに作成し、提出したものだ。上北は課題のすべてが点数化される批評再生塾の中で際立ってよい成績を残してはいなかったが、修了論文講評会で講師陣から全体的に高い評価を獲得し、結果的に商業誌掲載の権利を勝ち取ることになった。
そんな素晴らしい評価でデビューする上北の作品はどんなものであるか。少し内容に触れてみよう。上北は『花と奥たん』『デッドデッドデデデデデストラクション』という現在も連載が続く漫画2作品を「擬日常」という言葉をテーマに、東日本大震災からスマートフォンまで幅広い視点から切り込んだ労作である。上北はこの中で「擬日常」という言葉を「非日常からから日常に戻ることができず、しかしそれでも日常を生きていかなければならない社会。それをここで「擬日常」として捉えようと思う」と、このような形で提示している。この「擬日常」という言葉は3.11以後の日常と非日常ついての捉え方に対し、非常に多くの示唆を与えてくれるものだ。
しかしながら、筆者はこの『擬日常論』に初めて目を通した時、「擬日常」という言葉に深く感心する一方、ひとつ強い違和感を覚えた。それはこの『擬日常論』の中で「福島」について触れられていなかったことだ。たしかに震災については数多くの記載があり、この「擬日常」という言葉も、「気仙沼と、東日本大震災の記憶―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史―展」を歩いていた時に思いついたものだと、その関係について書いている。だが、マクロに東日本大震災にについて触れていながら、最も「擬日常」的状況にあるだろう「福島」についてミクロに触れていないのは疑問に感じざるを得なかった。
筆者はこのことを非常に不思議に感じ思索するなかで、ひとつ違和感の正体(かもしれないもの)に気がついた。「福島」は「擬日常」的な状態に陥ってはいないということに。
ここから筆者の考える「なぜ「福島」は擬日常的な状態でないのか」という問いから、この『擬日常論』について改めて考察していこうと思う。
2.「フクシマ」とは何者なのか?
箭内:「フクシマ」とカタカナで書かれるのも、福島の人にはとても苦しい。終わってしまった場所の象徴としてレッテルを貼られたように感じてしまう。
倉本:僕も言われました。あのヒロシマ、あのオキナワ、あのフクシマ……。一つの差別です。現地の人は「カタカナのフクシマは俺の故郷(くに)じゃねぇ」って言う。
箭内:僕自身、震災や原発事故が起きる前は、広島や長崎をカタカナで書いたことがあります。自分の故郷で起きて初めて気づき、複雑な思いにかられました。
脚本家の倉本聰とクリエイティブディレクターの箭内道彦は対談の中で、「フクシマ」とカタカナで書かれる/言われることの苦悩についてお互いにこう述べている。「福島」に住む人にとっては「福島」=「フクシマ」ではなく、それどころか「フクシマ」は放射能のように目に見えない形で外部から「福島」を侵食する脅威のような存在であり、侵食されたら最後「カタカナのフクシマは俺の故郷(くに)じゃねぇ」と絶望するしかないのだと言うのだ。そう、3.11後の「福島」は「フクシマ」に飲みこまれていたのである。あの時の津波のように、福島に襲い掛かる驚異となって。
福島の外部にいる私たちは(福島県出身だが、現在は住んでない筆者も含め)、福島の問題を扱う際、地震や津波による犠牲、放射能による身体への影響、農作物の被害など放射能を中心とする問題ばかりクローズアップし、肝心の「いま」「ここ」にいる福島の人を置き去りにしてしまったのかもしれない。その結果として「福島」を「フクシマ」として、過去のもののように、終わったもののように扱ってしまい、「福島」の人たちの新たな苦しみを作りだしているのではないだろうか。
しかし、なぜこの「福島」と「フクシマ」の差異が生まれてしまったのか。これは倉本と箭内の対談を引用せずとも、一般的にカタカナ表記の「フクシマ」は「ヒロシマ」「オキナワ」と同じように日本にとってトラウマになるようなネガティブな問題が起きている場所に適用されているのはわかるだろうが、これとはまた別に「ヒロシマ」「オキナワ」と異なる引力をこの「フクシマ」は内包しているよう感じる。
最初は大方の人が「過剰反応」する。「無視」できる人は少なかった。ただ、時間が経つと、だんだん「過剰反応」に疲れてくる人が、「福島の問題は難しい・面倒くさい」と、「無視」する側に流れてくるようになってくる。そして、「過剰反応」 している人も、かつてしていた人も、いまだに3.11直後の過剰反応のもとで形作られた認識のフレームのもとで思考を続けようとばかりする。
社会学者の開沼博は『難しく・面倒くさい 福島の復興』という記事の中で、3.11直後の「過剰反応」で形作られた認識フレームをもとに思考してしまう問題をこのように書いている。「フクシマ」の内包している引力の正体は、まさにここで開沼が語るように「福島」の外部の認識フレーム/思考そのものではないか。そして、結果的に「過剰反応」する人も「福島」の問題は難しい・面倒くさいと思う人も「福島」ではない「フクシマ」を受け入れるようになってしまう。つまり、「フクシマ」という存在は外部の誤ったフレーム/思考によって作られた幻想なのだ。
3.「擬日常」という幻想
話を『擬日常論』に徐々に戻そう。
開沼は被災地外から被災地内の問題を扱う時の注意として、次のように指摘している。
被災地外から被災地内の問題を扱う時、私たちはしばしば、そこに非日常や特殊性を求めがちだ。「こんな酷い」「こんな大ごとが起こっている」と言いたがるし、3・11周りに鬼の首を取ったように「復興が遅れている」と言い募りたがる向きもこれだ。
ただ、非日常や特殊性は持続性がない。非日常は遅かれ早かれ、必ず日常に戻るし、特殊性は時間の経過のともに普遍性へと接続していく。持続的な復興、持続的な支援にとっては、非日常・特殊性の中で被災地に関わろうとすることのみならず、日常生活の中で関わることが重要だ。
ここで開沼が取り上げていることはまさに『擬日常論』の本質的な問題点に他ならない。要するに、「被災地内/内部/福島」の「擬日常」的な状態は持続しないのである。上北が『擬日常論』の中で「福島」についてあえて扱わなかったのは、無意識的(もしくは意識的)にこの問題点を認識していたからではないだろうか。そして、この問題を掘り下げてみると「擬日常」的な状態が持続しているのは、むしろ「被災地外/外部/フクシマ」ではないだろうかという問いが立つ。
上北が『擬日常論』で取り上げた2作品は、それぞれ謎の宇宙船、謎の巨大植物という外部からわけのわからない不条理なものが突然現れるという設定に共通性がある。たしかにそのような状況ならば「擬日常」という状態も考えられなくはない。実際、上北はテリー・イーグルトンの悲劇の分類を引用し、「破壊的な出来事が突然外から侵入すること」と「袋小路のような絶望的な状態が持続すること」を挙げているが、これらがこの2作品の内容に当てはまっていることは疑いの余地がない。
しかしながら、現在社会で起きている問題は袋小路のような絶望的な状態が持続してると言い切れるだろうか。例えば仮に、福島の避難区域内に家があり今も避難されている方を例にしても、現状放射能や原発が既に多くの人(特に福島の人)にとってわけのわからないものでない以上「擬日常」ではないと言える。
現在の日本において「擬日常」と言えるものは、「被災地外/外部/フクシマ」的なものに対して、誤ったフレーム/思考によって作られた幻想である。理由は明確だ。「擬日常」は「フクシマ/外部/被災地外」で起きているからだ。
さらに付言すると「擬日常」という言葉は「フクシマ」的なものを生み出す装置としての役割を担ってしまう危険性がある。上北が「擬日常」を「非日常からから日常に戻ることができず、しかしそれでも日常を生きていかなければならない社会」として定義し、人やシステムのレジリエンス(またはヒーリングや拡張)の可能性を閉ざしてしまい、結果的に「被災地外/外部/フクシマ」的な想像力に距離を置いてしまっているからだ。「擬日常」と向き合うならば、レジリエンス(またはヒーリングや拡張)の可能性に言及すべきではないだろうか。
4.「福島」と「フクシマ」、そして「批評再生塾」へ
批評再生塾の主任講師である佐々木敦は、批評再生塾第1期のメッセージの中に次のようなことを述べている。
批評とは本来、外の言葉である。たとえ或る領域の内部にあるとしても、絶えず外部の視線を導入して考え、語ることにより、その領域を構成する者たちと共振し恊働し共闘し、遂には領域自体の変化と進化を促すこと。
この言葉を借用して今までの内容を振り返ると、「たとえ被災地内/内部/福島の領域にあるとしても、絶えず被災地外/外部/フクシマの視線を導入して考え、語ることにより、その領域を構成する者たちと共振し協働し共闘し、遂には領域自体の変化と進化を促すこと」と言えるだろう。「被災地内/内部/福島」が「擬日常」でないとしても、「被災地外/外部/フクシマ」をあえて取り入れる。そして、「被災地内/内部/福島」と「被災地外/外部/フクシマ」の射程を短くすることで、新しい「被災地内/内部/福島」がオルタナティブとして誕生し、「擬日常」的想像力を受け入れられる力を手に入れられるはずだ。
批評再生塾も同様に「被災地外/外部/フクシマ」的なものを取り入れ、射程を短くすることで、新しい「被災地内/内部/福島」的オルタナティブの誕生を目指すべきだ。そして「福島」がさらなる復興を遂げた時に以前と同じ「福島」ではなくなっているように、批評再生塾も批評の再生ではなく新しい批評を創造する場所になるように進化を促していきたい。これからの批評再生塾の営為に筆者は期待し、また微力ながら貢献していこうと思う。「福島」の未来を想うように、「批評」の未来を想う。
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