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ホームドアの批評宣言
TPP離脱や壁の建設強調 トランプ氏、施政方針演説
 トランプ米大統領は28日夜(日本時間3月1日午前)、議会上下両院の合同会議で、就任後初めてとなる施政方針演説を行った。不法移民の強制送還や環太平洋経済連携協定(TPP)からの即時撤退など選挙中の公約履行を強調。オバマ前政権が進めた「医療保険制度改革(オバマケア)」は「撤廃して置き換える」と議会に協力を求めた。
 トランプ氏は冒頭、「米国は、自国のインフラがひどく崩れている一方、海外で数兆ドルものカネを費やしてきた」と述べ、「米国第一主義」を説き、行動する必要性を訴えた。
 特に治安改善や雇用確保のため、選挙公約に掲げていた不法移民の強制送還に着手した実績を強調。新たな移民制度の導入により、「(米国労働者の)賃金を上昇させ、失業者を助け、我々の社会をより安全にする」と述べた。メキシコ国境での壁建設も改めて表明。「麻薬や犯罪に対する非常に強力な武器になる」と語った。
(朝日新聞デジタル 2017年03月01日 12時24分)
近頃、駅のホームドアの設置が増加している。 ホームからの転落を阻止するために設置されているのだが、通勤・通学などで少々厄介でもある。電車のドアとホームのドアが二重にあるせいで駆け込み乗車ができないのだ。もちろん、駆け込み乗車はドアに挟まれる可能性があり危険なため避けなけばならない。しかし、多くのサラリーマンや学生にとって遅刻というのは死活問題である。遅刻のせいで単位がとれなかったり、評価が下がったりするのだ。また、日本の場合、電車は正確な時刻に来るため余計に質が悪い。遅刻イコール本人の問題になる場合が多いのだ。だが、もちろん例外もある。一つは天候である。大雪や台風の場合は電車が止まるケースがあるため、堂々と遅刻することができる。もう一つは人身事故である。事故が起きた場合は電車を止めざるを得ない。完全自殺マニュアルによると線路への飛び込みは首吊りや高層ビルからの飛び降りに匹敵するほどの手軽さで自殺ができる方法とのことだ。確かに、首吊りのためのロープや大量の睡眠薬を用意する必要などない。ただ、駅のホームに立ちあとは電車が来るタイミングで線路に飛び込めばいいだけだ。現に5月のゴールデンウィーク明けは必ずと言っていいほど線路への飛び込み自殺が多い。ただ、これからは毎年の風物詩も無くなりそうだ。なぜなら、長年自殺の名所であった新小岩駅にとうとうホームドアが設置されることになったからだ。新小岩駅にホームドアを設置したところで別の駅で自殺者が出るだけだという意見もあるだろう。ただ、飛び込み自殺の象徴である新小岩駅にホームドアが設置されることには自殺を阻止しようとする鉄道会社の強い意志が感じとれる。JR新小岩駅以外にも2020年度末までに、58駅のホームドア設置を完了させると計画を発表し、今後ホームドアは増え続けるだろうと考えられる。もしかしたら、これまでが牧歌的に過ぎたのかもしれない。自殺だけでなく、酔っ払いが誤って落ちたり、もしくは悪意をもった人物に突き落とされる可能性さえあるのだ。ただ、自分が事故の当事者になる可能性はかなり低い。日本は世界的に見ても治安の良い国だし、酔っ払いが転落するのは自業自得だ。自分の大切な人が巻き込まれない限り、いちいち、赤の他人が死んだところで多くの人にとってはどうでもいいことだ。多くの駅の利用客が恐れることは自分が事故の目撃者になってしまうことだろう。多くの人はばらばらに砕け散った死体など見たくない。また、鉄道会社にとっては転落事故を防ぐことは乗客の運搬の効率性の向上や駅員の人件費の削減にもつながる。ホームドアの設置は利用客の不快感と鉄道会社の経済効率性による共犯関係から設置されると考えられる。
ところで、ホームドアはスクリーンドアとも呼ばれることがある。確かに、偶々なのだろうが駅のホームドアは安全性を殊更強調するかのように白い場合があり、白という色は清潔感や純粋な感覚を想起させる。例えば、映画館に投影された影とそれに自己を投影する観客どんな色も投影することができる。実際、映画のスクリーンは白だからこそ写し出すことができるのだ。そして、映画を見る観客が感情移入することができる。2016年は感情移入の問題について一つの大きな転機があった。あるアニメ映画について考えたい。
『KING OF PRISM by Pritty Rhythm』(以下キンプリ)は2016年に公開されたアニメ映画だ。主人公の一条シンがOver The Rainbow という3人組男性アイドルグループのライブに憧れ、エーデルローズというアイドル養成学校に入学し仲間とともに人気アイドルを目指すという物語だ。この映画は応援上映という社会現象とともに語られてきた。応援上映とは映画館の劇場内でアイドルライブさながら声援を送ったり、歓声を上げたり、サイリウムを振って盛り上げることを言う。また、スクリーンにアフレコ用の字幕を表示することで、観客が声に出して盛り上げてくれるように制作側が促している演出もある。その様子はテレビでも大きく取り上げられ興行収入は8億円超を記録した。ここで問題になるのは観客が何を期待して映画を観ているのか、スクリーンに向き合っているのかということだ。応援上映的な試みは『KING OF PRISM by Pritty Rhythm』だけではない。例えば、2014年には『アナと雪の女王』は劇中歌である『レット・イット・ゴー』を劇場内で歌うというイベントがあったり、『キンプリ』 と同年公開の映画『HiGH&LOW』でも応援上映があり多くのファンを動員した。劇場内には、露骨な物語と一体感の共有がある。応援上映に一人で参加したとしても、制作側の仕掛けによって自然と声援を送ったり、サイリウムを振ることで気付けば、全く知らない観客と簡単につながってしまうのだ。 応援上映という形式はこの映画以前よりも存在していたが、あまり定着はしていなかった。映画館での視聴体験というのは本来孤独なものである。同じ劇場内にいるのも関わらず、それぞれの体験は異なるもののはずだ。そうでなければ、映画批評というジャンルは成立しないし、さらに映画の鑑賞後に近くの喫茶店やファミレスに入って感想を言い合ったりなどということもないだろう。しかしながら、『キンプリ』の応援上映は宣伝スタッフが事前に応援上映の動画を公開したり、映画館のスタッフが応援の仕方を「指導」したことで、爆発的な人気獲得し新しいジャンルとして定着させた。特筆すべきは、アテレコのシーンである。劇中でアイドルライブが展開されるときに、途中で「プリズムジャンプ」と呼ばれるイメージビデオ的な演出がされ、自転車で二人乗りをするシーンが挿入される。自転車を漕いでるのはアイドルの一人であり、後部には彼女と思われる女性が乗っていて自転車を負漕いでるアイドルにソフトクリームを食べさせている。その際、スクリーンには「はい、ソフトクリーム」のアテレコ用字幕が映し出され、恋人設定の彼女の顔は真っ黒な影で覆われていて観客には顔の輪郭しか見えない。見ようによっては背後霊のようでもあるのだが、女性の顔が影に覆われているおかげで、より観客は自己を投影することができるのだ。もはや、そこには前述のように孤独な視聴体験などなく、周りの観客と一つになりさらに言えば観客がスクリーンの中に入り作品と一体化することを望んでいるように感じられる。そこには、観客との一体感、作品との一体感を追求する「参加」の態度があり、劇場に孤独に「鑑賞」する人間の居場所は無くなりつつある。では、そのような劇場から脱出できる可能性は私たちに残されているのだろうか。この問いに答えるためにもう少し視野を広げて考えたい。それは現実からの脱出。つまり、自殺者についてである。
もう一度、ホームドア、スクリーンドアの話に戻る。ホームドアの設置は、セキュリティの向上に寄与するものである。さながら、応援上映のスクリーンのように、利用客の願いから生まれたものである。安全性の向上は思わぬ死を未然に防止する。また、副次的な効果として経済の効率化にも通じる。ホームからの転落がなくなるため、的確に乗客を運ぶことができる。また、二重にドアを設けることで駆け込み乗車をフィルタリングできる。一方で、交通の正確性は社会の閉塞感につながる可能性も十分あるだろう。自殺する自由がなくなることだ。大前提として、自殺者の数が減ることはとても良いことだと考えている。本当はもっと生きたかったのに不慮の事故や病気で亡くなる人たちがいることもわかっているつもりだ。私は自殺を勧めるために今回の文章を書いてる訳では全くない。しかしながら、誤解を恐れずに言えば、自分で自分の人生を終わらせる権利はあるはずだ。自殺はいけない、ただ、どうしても耐えられなくなる現実は確実に存在するとも思う。完全自殺マニュアルの著者鶴見済は次のように書いている。
僕の知人に、それを飲んだら平気でビルから飛び降りちゃうほど頭のなかがメチャメチャになっちゃう“エンジェル・ダスト”っていう強烈なドラッグを、金属の小さなカプセルに入れてネックレスにして肌身離さず持ち歩いている人がいる。「イザとなったらこれ飲んで死んじゃえばいいんだから」って言って、定職になんか就かないでブラブラ気楽に暮らしている。
この本がその金属のカプセルみたいなものになればいい。
その気になれば、いつでも死ねるという自由。生きるのが本当につらかったら、自殺してもいいんだという気持ちが逆説的に人々を生へと向かわせることがある。思えば、今の社会は自己啓発本、セミナー、SNSの隆盛など「生」の言葉に溢れている。ブラック企業のように過剰な「生」の言葉が過労により人を死に追いやっている場合もある。私は社会の閉塞感の一つに「生」の論理が関係していると考えている。逆に死の論理について考え孤独になること、生の論理から少し距離を置くことで他者に寛容になれると思う。そういう自由があってもいい。
現実からの脱出について別の角度から考えたい。2017年1月20日、アメリカ合衆国第45代大統領としてドナルド・トランプが就任した。度々、トランプの言動は物議を醸しニュースになっているが、まず就任後に大きな反発があったのは入国禁止令である。誰もが認めるようにアメリカは移民国家だ。人種のサラダボウルとも言われ、移民なくしてアメリカの発展はなかったと言えよう。そのような歴史のある国で就任早々イスラム圏7か国からの入国禁止の大統領令を発したのだ。その大統領令は多くの人々が入国拒否され大きな混乱をもたらした。ビザの有無にかかわらず多くの移民・難民が締め出された。中には、アメリカに家族がいるにもかかわらず入国ができなかったケースもあった。一方で、入国禁止は選挙時の公約の一つでもあり、トランプは大統領になったことで国民との約束の一つを忠実に守ったと理解することもできる。支持率は4割台で低支持率ではあるが、正当な手続きで入国しようとした中東の人々の権利を侵害したにもかかわらず、まだこれだけの支持者がいるということに驚くべきではないだろうか。この背景には雇用問題や差別感情があると指摘されているが、最も大きな要因は分自身への関心の強さではないだろうか。多くの国民にとって移民は普段意識していない存在だ。人々は仕事や勉強、家事などで精一杯で移民が不法滞在しているのか、移民の人権が守られているのかなどはニュースで流れてきたらチェックするぐらいのものだ。移民問題の現場に関与するのは運動家に委ねられてきたが、最近はSNSの隆盛に伴いデモの大規模化が進行している。これまで運動家によって支えられてきたデモに多数の素人が参入してきたのだ。
途中までしか書けませんでした。申し訳ございません。

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