日本国内における「南北問題」 −『あゝ野麦峠』に記録された物語を参照して
日本は南北だけでなく東西に広がる島国です。日本人にとって南北の問題を語るときの困難は国土の問題として立ち現れます。たとえばインターネットのウィキペディアのサイトで「南北問題」を検索すれば見ることができる黒い背景で白色に印刷された世界地図は、地球上における南北の富の格差が夜空に輝く光のように現れています。いま私たちはインターネット上で星空のように簡単に可視化された「南北問題」を見ることができます。たしかに赤道を境に北に先進国、南に途上国があるという位置関係を見て取ることもできます。しかし一方で、南北だけでなく東西を海で囲まれた島国に生きる私たちは、富の格差を表すいわゆる「南北問題」を、南北という方位の問題としてではなく海の向こう側との問題として捉えなければなりません。
今のように高度にグローバル化が進行していなかった明治から昭和にかけての時代には、製糸産業が日本を支えている産業の一つでした。私たちは『あゝ野麦峠』という映画でも有名な長野と岐阜の県境にある野麦峠という地名から諏訪湖周辺にある製糸工場で働く工女の物語を思い起こすことができます。また、山本茂実の著作『あゝ野麦峠』を読めば、輸出できる資源の少ない日本において外貨獲得のための製糸が重要な産業であった時代の、海の向こう側の国の経済に国内経済が翻弄される「南北問題」としての当時の外交を思い起こす事ができます。つまり、その時代に日本は、先進国ではなく発展途上国だっただろうことが推察できます。
一時期綿糸紡積が生糸に次ぐ輸出の花形になった時代もあるが、その内容は昭和13年と14年のたった二回の綿花の輸入と綿糸布輸出がほぼ同額になっただけで、あとは巨額な輸入超過で国際収支という綿花らは大変な赤字であった。こういうのを<賃機貿易>という。資源に乏しい日本貿易はほとんどこれであった。
また、山本茂実は日清日露戦争があった時代に工女や個々人が国の経済を一望する難しさを、工女の唄に一個人がなぜ日本は強固な軍備を整えることが可能だったのかということへの「想像力」を見出そうとしました。
男軍人女は工女
糸をひくのも国のため
山本により丹念に工女の唄が書き残されているので、私たちは今なおその時代の国内における労働の「南北問題」を当事者の等身大の思いとともに思い起こすことができます。すなわち県境にある野麦峠を工女が西か東に越えて出稼ぎにでて労働し、工場で生産された生糸は諏訪湖畔から南東方向に位置する東京に出荷され、日本は海の向こう側にある外国から外貨を得ていました。と同時に、その労働の中心にいた工女が工場で唄う歌には<糸ひき唄>と<エーヨー節>があったという事実から当事者の等身大の生活を思い起こすことができます。
工女の歌から工場での仕事中や工場への移動中に工女の群衆が口を揃えて歌う情景が目に浮かびます。また、日本ではお盆の季節には各地方特有の盆踊りの曲と合わせて全国的に有名な<東京音頭>や<炭坑節>があることを思い起こします。一方で、労働や収穫を労う場所で唄と踊りが共同体と個々人を結びつけていたことに思い馳せます。
私には日本人が等身大の「南北問題」を語ることの困難の背景に、生糸や石炭など数少ない輸出資源の生産拠点が散在・点在していたことがあるように思えてなりません。裏を返せば、点在する資源が東京という土地に集められるインフラが整っていたからこそ、生糸を外貨獲得のための資源として扱うことができたのでしょう。と同時に、私たちが等身大の「南北問題」を語ることの困難の背景には、日本人が脈々と培ってきた民謡の身体感覚があるように思えてなりません。兵藤裕巳のいう「われわれ」の身体は、演じられることを介して労働が個々人の精神と結びつき、唄に合わせて踊り演じることで一個人の精神が人格化してきたということを言い表しています。その精神を受け継ぐ私たちが同じ唄を聞くとき、イデオロギーに踊ることのない労働の「南北問題」が改めて知覚されるのではないでしょうか。
明治から昭和の初頭にあった労働と唄の文化は、現在でも盆休みの盆踊りの場で受け継がれています。明治時代を生きていない私たちは日本に生まれて以後、知ってか知らずかお盆を経験することでその音楽と唄と踊りの只中で育ってきたのです。この事実を今一度思いおこすとき、少し異なる現代が見られるのではないかという期待が私にはあります。それは<糸ひき唄>や<炭坑節>に代表される唄と踊りが交わった労働とその記憶が日本人をつなぎとめ、これからも国内外の南北に限らない中心と周縁の問題を和らげ日本人の唄と踊りの文化と成りゆくのだろうということです。
唄と踊りの文化に着眼しつつ現代に目を移せば、国会議事堂前を占拠したデモンストレーションを思い起こします。私たちにとって「デモが政治を変える」という当時のメッセージは、その中心にいた人にとっても周縁にいた人にとっても訴えかけるものがありました。あの様な政治に対する抗議行動は沖縄の基地問題や福島の原子力発電所の問題でも同様に見られました。しかし沖縄や福島に共通しているのは、当事者の<唄>があまり聞こえてこないことではないでしょうか。また、時間が経つごとに当事者の<唄>を思いおこすことの価値は高まる一方で、その機会が少ないことが気にかかります。今『あゝ野麦峠』の物語を参照することで、山本が工女や個々人が国の経済を一望する難しさを工場で労働中に歌われた唄に聞き取ったように、「当事者の等身大の」声や<唄>を聞き取ることで現代でも政治や労働の「南北問題」を再検討することできるのではないでしょうか。その重要性を感じること、しきりです。
参照文献
- 兵藤裕己 2005『演じられた近代 —<国民の身体とパフォーマンス—』岩波書店.
- 山本茂実 1968『新版 あゝ野麦峠 —ある製糸工女哀史—』朝日新聞社.
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