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移植批評宣言

序章 移植批評宣言に向けて

あらゆる芸術作品は文脈の中に組み込まれる。たとえば、太平洋戦争や地下鉄サリン事件のような出来事、あるいはニューアカデミズムやセカイ系などのムーブメント。それらに対する人々のイメージの集合が文脈である。イメージは変わっていく。一見離れているような作品同士も、遡ってみれば同じ文脈に原点が見出されることがある。あるいは、既存の文脈に対抗しうる大きな存在感を発揮する作品が登場すれば、文脈そのものが更新されるだろう。歴史が見返されるたびに、文脈は再定義されていく。作者も観客もそれぞれの立場から、イメージの集合である文脈に深く関わらざるを得ないが、なかでも批評家ほど文脈の存在に自覚的でなければならない職業はない。彼らは作品を独立した世界として語ることができない。批評とは、文脈のなかに隠れた作品を採掘し、あるいは作品同士をつなぐ新しい文脈を発見し、ふさわしい位置を与える行為だ。

現代のわたしたちにとって、最も大きな文脈は東日本大震災である。震災が芸術に与えた影響はとてつもなく大きい。新たな作品を生み出したという意味でも、作る手を止めさせたという意味でも。戦争と似てこの国、時代全体に根を引いている。だが、震災という文脈が特異なのは、ここ70年で最大規模の災害だったからではない。震災は突発的に発生し、時間を以前と以後に分けてしまった。原発をめぐる歴史はもちろん以前からあったが、契機となった地震そのものは理由を歴史に求めることができない。これに困ったのは批評家である。震災は親を持たない文脈であり、だからこそ文脈に組み込まれる作品とそうでない作品ははっきりと分かれる。芸術史を遡り、文脈への接合点を見つけようという批評の試みを震災は拒む。だから、これほど強大な文脈に誰も接続できない作品は、場違いなものとして震災をめぐる思考から排除される。震災後芸術の排他的な傾向は今後ますます確かなものとなり、文脈は固まっていくだろう。

しかし、わたしたちはそれに挑戦しなければならない。筆者がここで示したいのは、誰がどう見ても関係がないような遠く離れた作品にこそ秘められている、強固な文脈を転覆させる可能性である。異物が文脈のうちに回収されるのではなく、文脈が異物によって形を変えられてしまう。場違いな作品を文脈に流し込むことで、文脈の再構築を促す。そんな批評家の新しい仕事を「移植批評」と呼びたい。ここではその一例として、震災の文脈と美術家・福田尚代を組み合わせる。詳細は後ほど論じるが、福田の作品は震災の影響をまったくと言っていいほど感じさせない。唯一福田からのレスポンスとして挙げられるのは、彼女がTwitterにアカウントをもち、つぶやきはじめたのが2011年3月であったということだけだ。それはあくまで私的な行動に違いなく、美術の作品とインターネットへのつぶやきがどれほど関連をもつのかはここでは取り上げられない。福田が美術家として開催してきた展覧会や出版した書籍とその読者のイメージの集合が「美術家・福田尚代」であり、その文脈と震災との距離を捉えるべきである。

移植批評を展開するうえで、第1章に震災という文脈について、第2章以降に福田尚代という文脈について論じることとする。よって、第1章と第2章は当然ながら関わりが薄く、独立した章のようになるだろう。最後の第3章で、二つの文脈がどう関わりあえるのかが論じられる。

なお、本稿では美術作品を多く取り上げるが、掲載される媒体の都合上、該当箇所には画像へのリンクを表示する。

 

第1章 震災

1. 忘却

東日本大震災をめぐってどのような文脈が形作られてきたのか。震災の発生から今年の3月で6年が経つ。かつて停止を余儀なくされていた震災をめぐる芸術を目にする機会は近年断然増えた。その変化の根源にあるものはなにか、と問うことから始めてみよう。たとえば昨年の映画『君の名は。』は、震災のショックを観客の内に呼び起こした。批評家のさやわかが指摘したのは、同作が描く「忘却」への気づきである。「ぼくたちはいつかすべて忘れてしまう」と題されたその論文は、かつての『新世紀エヴァンゲリオン』における緊張のように、「アニメ的なもの」の氾濫によって特定のエモーションが観客のうちに呼び覚まされ得ること、『君の名は。』においてはそれが悲しみであったことを指摘する。悲しみを駆動する「アニメ的なもの」、それは時間の流れに逆らうように同一の姿形を見せるキャラクターたちと風景である。彗星落下による町の消滅という3.11と重ね合わされた大災害の以前と以後、決定的な時間の隔たりに人物たちも観客も気づかない。時間の流れや負ったはずの傷を「忘れてしまう」ことが、ストーリーとアニメ的手法により二重に描かれる。「震災の悲しみを思い出そう」、あるいは「瀧と三葉のように忘却を乗り越えれば、かけがえのない誰かにいつか出会えるはず」。制作陣の意図とは別の問題として、観た人は多かれ少なかれそんなメッセージを受け取ったように思う。しかしそこには違和感がある。そもそも思いだそうと言われて思いだせるものは、元々忘れてなどいない。忘却があったとしたら、それは震災の悲しみとは別のものではないだろうか。

『君の名は。』、あるいはほぼ同時期に公開された映画『シン・ゴジラ』を観た人は誰しも、いくつかのシーンに既視感を覚えただろう。災害現場を囲む黄色に黒縞のガードフェンスや、氾濫する河川からあふれだすボート。いずれも東日本大震災直後の報道のなかで、津波に襲われる東北の港町や、事故が起きた福島第一原発周辺の町に見られた光景だった。映画館で観客は「あのとき」を思い出し、椅子にもたれた背筋を思わず正す。発生から5年の時を経て、震災はフィクションのなかで再び目の前に現れた。商業的な成功を踏まえれば、忘れていた震災を思い出させることは、観客を映画に引き込む有効なエッセンスであることが、二作のヒットにより証明されたのかもしれない。だが、再び問いなおす。わたしたちが思い出したと思ったのは、本当に震災のことだったのだろうか。

未知の状況にとまどいながら、とにかく安全や節電や不謹慎でなくなるために、あらゆる娯楽や芸術が停止された震災発生当時。筆者を含むテレビの前の人々は、利益や機会の損失とは別の意味で困っていたと思う。なぜなら、テレビの向こうと自分たちのあいだに、大きな断絶があるように思えたからだ。それは地理的な行政区分や所属の違いを含めたさまざまな基準で存在していた。東北/その他の地域。沿岸部/内陸部。避難区域内/外。死者・行方不明者/生きているわたし。たとえば東京の筆者は生活には困らなかった。だが「あちら側」とまったくの無関係でもない。東京でも地面は揺れたし、計画停電も経験した。当事者とは言えないけれど、非‐当事者とも違う。しかし、両者のあいだには断絶があった。非常に曖昧だけれど、確かにある越えられない溝のように感じられた。言いかえれば、さまざまな「あちら」と「こちら」があり、立場をはっきりと規定できない、それゆえに語るべき言葉が見つからない自分の状況と、テレビの向こうで進行する惨状とのギャップに困っていた。

しかし5年余りの時間が経ち、「こちら」側の人々は徐々に立ち直っていった。正確には、溝を暗渠の下に覆い隠し、その存在を見えなくした。5年間のうちに唱え続けられてきたのは、橋をかけようという希望の言葉である。はじめは「がんばろう日本」から、つぎに東京オリンピックへと、希望の矛先はじょじょに華やかな連帯の証明へと変化していった。いまやフィクションのなかに姿を現した震災に対し、「こちら側」の住人は完全に制御下においたかのように振る舞えるようになった。「ああ、あの震災か」と。瀧が悲劇の未来から三葉を救おうと奔走するのも、ゴジラを冷温停止させた矢口に赤坂が告げる「この国はスクラップアンドビルドで立ち直ってきた」というセリフも、スクリーンに映るすべてが「こちら」の苦しみ、「こちら」の喜びなのだ。見えなかったけれどあったはずの「断絶」は、はじめから「こちら」しかなかったかのように、忘れ去られている。なぜ近年、震災についての大衆向け作品が相次いで現れたのか。2011年の東日本大震災に人々は言葉を失い、見えない断絶を感じていた。5年後の2016年に公開された2本の映画は、観客に再び東日本大震災を思い出させた。しかしそれは、発生当時には足元に横たわっていたはずの溝を見失うことで整理された「こちら」側の震災だった。わたしたちは震災を忘れていたのではなく、断絶があったことを忘れている。忘れたからこそ、震災をシネコンで語れるようになったのだ。

震災の文脈は、2016年の映画が明るみに出した「忘却の忘却」によって決定的な形を得た。これは震災後芸術の中心を成す傾向であることは間違いないが、震災の文脈にはもう少し異なる流れもある。つぎは、震災の文脈のなかで、中心に対して異なる想像力を提示しようと試みる芸術家の役割について考える。

 

2. 芸能と芸術

批評家の佐々木敦は『シチュエーションズ 「以後」をめぐって』という本のなかで、震災以後の芸術家が抱えた問題とその突破について述べている。「失語に抗って」と題された第1章は、圧倒的な現実を前に語るべき言葉を失ってしまった芸術家たちの苦難を辿ることから始まる。そして「常々思うことですが、芸術というものは、本来的には、究極的には、あってもなくてもいいものです」という率直な芸術(家)観を示したうえで、それでもなお「内的な必然性」に導かれて作られる芸術をこのように言い表している。

「せねばならない」ではなく「しないではいられない」ということ。「こうあるべき」ではなく「こうしかできない(こうしかならない)」ということ。やらなくてもよい、そうしなくてもよい、という当然さを乗り越えて表れるもの。否定(やらない/ではない)の否定としての能動性。責務として引き受けられる(押し付けられる)ものではなく、無為の権利を無根拠に逆転して露出する行為。 『シチュエーションズ』P.124

佐々木は震災以後の芸術家を大きく二分している。一方は「できることは何か」を自問する人々で、もう一方が「何をせずにはいられないか」に従った人々である。『シチュエーションズ』で取り上げられるのは後者の芸術家たちだ。たとえば、ドキュメンタリー映画作家でありながら、福島に行かず、節電で暗くなった東京を撮影した松江哲明。あるいは、福島第一原発から20.5kmの路上で、告知もせずにゲリラ的な公演『福島でゴドーを待ちながら』を敢行した劇団かもめマシーン。彼らは正反対の表現を選んでいるように見えるが、自分の外側ではなく内側から生まれた動機、つまり「内的必然性」に従ったという点で共通している。佐々木は二分された芸術家の一方をその動機によって特徴づけて詳しく論じたが、彼らと選ばれなかった者たちとをもう一度同じ机に乗せて名付けなおすとすれば、演出家・鈴木忠志が掲げる「芸能(芸人)」と「芸術(芸術家)」がそれにふさわしいだろう。

芸能と芸術は何が違うのか。鈴木によれば、日本の芸術が常に公共性を問われ続けることの背景に、両者の混同があるという(「演劇、暴力、国家」)。共同体を維持するためには抑圧が生じる。そのストレスから人々を解放するのは芸人の役割である。一方、共同体とは信仰を等しくせざる者のための行為が芸術であり、これは共同体に求められてその意に沿う行為である芸能とは区別される必要がある。鈴木のこの区分を、佐々木が指摘した震災以後の芸術家たちの振る舞いにあてはめてみるとわかりやすい。震災の被害を受けた人々のために「何ができるか」という問いに応えようとする作家は、創作の根拠が自身の外側にある。つまり、苦しむ人々を奉仕するべき共同体とみなし、その内側で「芸能」を通して役立とうとする。対して、「せずにはいられない」という一見無根拠な、裏返せば自分の内側に根拠を持つ作家は、共同体の外から異なる思想を「芸術」によって提示する。

共同体からの要請で生まれる作品と、芸術家自身の必要から生まれる作品。たしかに、両者は区別されて存在する意味があるだろう。では、なぜ佐々木は後者にこそ「誠実さ」を感じ、『シチュエーションズ』という本を書いたのか。震災以後の芸術家たちは半ば無意識に共同体内の役割を自問し、その結果「芸能」へと傾いている。震災後の文脈のなかで中心を成すのは「芸能」であり、中心から離れようとする「芸術」は何らかの困難を抱えているのだ。だからこそ、佐々木は(あるいは鈴木は)それでも「芸術」を試みる作者たちを支持した。では、「芸術」の困難とは何か。それを説明するには、佐々木が芸術の根本に見出した「内的必然性」を改めて定義しなければならない。

 

3. 内的必然性

必然性とは、そもそも曖昧で広い意味の裾野をもった言葉だ。哲学者の木田元は『偶然性と運命』という本で、必然性の意味を少しでも正確に捉えようとした和洋の哲学者のなかから、マルティン・ハイデガーを挙げている。木田が思考のとっかかりにしたのは、〈めぐり逢い〉の感覚である。人はまれに、特定の他者や言葉との出逢いに運命を感じることがある。ゲーテやニーチェといった哲学者たちも運命的な〈めぐり逢い〉の興奮を文字に残している。いったいなぜ、人には「偶然とは思えない」という内的な確信が生じるのか。木田はハイデガーの時間論をふまえて、偶然が運命に転じるその仕組みを説明している。木田がピックアップしたハイデガーの時間論の要点とは、人間は未来、現在、過去にまたがって生きているという「人間の時間化」である。

深い情動をともなうその出逢いをきっかけにして、これからこの人と共に生きてゆきたいという未来への企投がそこでおこなわれ、それとともに過去が反復され、いわば生きなおされて、外的で偶然的なものとしか思われない現在のこの出逢いが、あたかも自分のこれまでの体験の内的展開の必然的到達点であるかのように過去の体験が整理しなおされ、再構造化され、意味を与えなおされる。 『偶然性と運命』P.16

衝撃的な出逢いは、特権的な瞬間としてその人間の過去と未来を組み直してしまう。過去はすべて「この瞬間」にあり、未来はすべて「この瞬間」からはじまるのだ、という確信が、運命的な〈めぐり逢い〉の核心にある。

それをふまえて注目すべきは、木田が「時間の再構造化」というアイデアを、画家や彫刻家にとって作品の完成がいつ訪れるかという問いにも応用していることである。いかに多くの観客が未完成だと思おうとも、作者にとって作品が完成したと意識する瞬間がある。なぜなら、創作には明確なゴールがないからだ。ひとつの世界を形作ろうという志向はあるにしても、終わりなき過程のどこかでその志向が満たされたとき、そこが特権的な瞬間となる。結果、どんなにそれまで悩んだり右往左往を繰り返したとしても、作品のために不可欠な時間だったと過去が再構造化され、「まるでこの瞬間を目指して一筋に進んできたように見えるのであろう」と木田は述べる。

木田の議論は創作過程をかなり単純化しているため、例外はいくらでもあるだろう。しかし、仮に芸術家にとっての〈めぐり逢い〉の感覚、つまり作品の必然性が「時間の再構造化」によって生まれるのであれば、震災以降、「芸術」が不全に陥ったことにひとつの説明を加えることができる。震災とは、作品の完成によって再構造化される時間に回収されない、異質な瞬間だった。2011年3月11日は以前と以後という時間の切断線として記憶される。それは芸術家にとって、自身の文脈(時間)とはまったく異なる特権的な瞬間が目の前に立ちはだかっているということだ。震災という特権的な瞬間は、日本という共同体全体に時間の再構造化を迫る。そのとき、芸術家が共同体の時間に合わせたならば彼・彼女は「芸能」としての役割を負う。だが、芸術家からの特権の剥奪という「否定」をさらに否定するならば、佐々木の言う「否定の否定としての能動性」――「せずにはいられない」という内的な必然性を獲得する。それは「必ずしも結果を見越して為されるわけではない実験」だが、共同体から必要とされていない試みだからこそ、震災へと収束する共同体の時間を相対化し、結果として大きな必要性を帯びることになる、しかしその結果は作者たちにはわからない。わからないまま作品を作り続ける芸術家たちの振る舞いに、佐々木は「誠実さ」を感じたのだ。

ところで、冒頭で例として挙げた『君の名は。』についてもういちど振り返るならば、映画から感じられた「ひとつになったわたしたち」のイメージは、過去の記憶を再構造化した結果だと言える。映画のなかで、過去に訪れたカタストロフを時間の遡行によって回避した瀧と三葉が、ラストでふたたびめぐり逢うことはまさに示唆的である。これは時間の再構造化の冒険を描いた作品であり、同時に映画それ自体が「震災を乗り越えた」という共同体的時間の結節点でもある。『君の名は。』は共同体が欲していた「芸能」だった。

ここまで、震災をめぐる断絶の忘却、芸能と芸術の違い、〈めぐり逢い〉の構造を通して、震災という文脈の中心部と外縁部を概観してきた。次章は美術家・福田尚代の仕事をとりあげ、その固有の文脈を明らかにしていく。

 

第2章 美術

1. こども的なもの

2016年に刊行された福田尚代の著書『ひかり埃のきみ』は、著者の1980年代(幼少期についての文章を考慮すればさらに前)から現在までの仕事の集成である。副題には「美術と回文」と付されている。当初から現在まで、福田の仕事でその二本の軸が揺らいだことはない。文房具や本にまつわる美術作品を造りながら、回文を書く。筆者が初めて福田を知った「アーティスト・ファイル2010――現代の作家たち」展でも、彫刻や刺繍の作品と、パネルに印字された回文が並べて展示されていた。なぜ回文が美術館に展示されるのかと当然疑問を持つだろうが、二本の軸は独立した作品として作られながら、実は密接に関連している。議論を先取りすれば、福田の仕事を貫く手法「こども的なもの」という言葉で言い表してみたい。

福田尚代の作品を批評した文章は、書評を除くとそう多くはない。だが、そのなかで筆者が大きな示唆を得たものとして南雄介と西村智弘による文章がある。「こども的なもの」というアイデアは、両者の論にヒントを得た。国立新美術館学芸課(当時)の南は、福田が作品を制作しつづける理由は「日常的な生の動態からはなれるため」ではないかと述べている。また、美術評論家の西村は福田とジョン・ケージを結びつけ、ケージが「音楽以前」の音楽を追求したことから、「美術以前」の美術というアイデアをいただいた。二人の先行研究にはまた後ほど触れるが、誤解のないように付け加えると、「こども」は決して幼稚という意味ではない。日常で関わる社会に対する成熟した眼差しから離れること、そして美術という体系を学ぶより前に触れる世界、それが端的に表明されているのが彫刻や刺繍といった福田の美術なのである。また、同書に収録されたエッセイ「片糸の日々」をはじめとする散文も随時参照していく。福田の散文は自作解題の目的とは別に、美術と回文のひとつの背景に迫ろうとする三本目の軸でもある。作品を観ながら作者が考えていることも並列させ、異なる視点の交差を議論に取り入れてみたい。

ところで、文脈を明らかにするにはひとりの作者を批評するだけでは不十分だ。別の作者や作品と結ばれる線が文脈である。ここからは、福田の作品世界における3つの重要な要素――「形」「色」「私」について、それぞれ対照的であったり類似していたりする美術家たちを並べて論じてみる。対象の芸術家たちは、いずれも瀬戸内海の直島や豊島に作品を展開している。これは、2016年に開催された瀬戸内国際芸術祭を筆者が訪れたとき、これらの作品と福田の美術のあいだに結びつきを感じたからだ。瀬戸内の島が海に囲まれるように、作家たちを周囲に配置していくことで、中心にある福田尚代という文脈を浮かび上がらせていこう。

 

図1《煙の骨》

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図1は色鉛筆の芯を彫刻した《煙の骨》という作品で、形や大きさが同じものはひとつとしてない。非常に小さな彫刻の集成だが、これらはすべて、異なる女性の名前が刻印された色鉛筆から削り出された。女性の名前とは、福田が「読みついできた物語の作者と登場人物たち」であるが、具体的な名前は明かされていない。

ひたすら細くしてゆく。芯だけになってもまだ削りつづける。むきだしの芯はとてももろくて、少しでも意図を込めようとすればポキリと折れる。捉えがたい存在の片鱗、掬いとったかりそめの姿、亡くした人の名残と面影 『ひかり埃のきみ』p.196

《煙の骨》から生まれたもうひとつの作品が《山のあなた》だ。《煙の骨》の制作過程で折れてしまった色鉛筆の芯をふるいにかけると、砕けて粉になったものが降り積もり、山を形成する。もはやそれが鉛筆であったことも、元々は固有の色があったことも判別できない。《煙の骨》が物語の産みの親と子それぞれの遺骨のようなものだとすれば、《山のあなた》は遺骨が埋葬された墓地、あるいは慰霊碑でもある。福田が読んだ物語とは、関わることのない他者の生の記憶に置き換えられるだろう。ここには、モノの形が失われたあと、「記憶」はどこへ行くのかという問いがある。

形の消失の先に記憶の継承を具現化した二人の芸術家の取り組みを参照してみよう。香川県・豊島の施設にあるクリスチャン・ボルタンスキーの作品心臓音のアーカイブでは、音が形を代弁する。心臓音は世界各国で何千人もの希望者が収録したもので、豊島でも収録できる。鑑賞者は、そのうちの誰かの鼓動を、音に合わせて明滅するひとつの電球しかない部屋で見て、聞くことができる。もう何年か経てば、収録した人のなかから亡くなる人も出て、アーカイブは死者たちのアルバムという役割も負うだろう。一回、また一回と打ち鳴らされる心臓音とは一粒ずつ落ちていく砂時計のようなもので、はじまりから終わりへ向かっていく不可逆な人生を、映像よりもシンプルに実感させる。いなくなった人の記憶は通常、思い出の品という形あるモノか、あるいは象徴的な出来事や日付といった断面でしか語られ得ない。しかしボルタンスキーの作品は、それを経過してゆく時間として鑑賞者に把握させる点で新しい。

もうひとつの例は、おなじく豊島にて藤井光が発表した映像作品暗唱の家である。これは1965年から現在まで豊島の住民が直面している産業廃棄物の不法投棄問題を扱っている。瀬戸内国際芸術祭の正式出展作品ではないインディペンデントな取り組みであるからこそ可能なテーマかもしれない。藤井は、この映像作品において異質な音を継ぎはぎすることで、半世紀を超え歴史化したように思われる問題が、現在と地続きであることを観客に知らしめる。タイトルに示される「暗唱」とは、島の老婆たちが寺にあつまり唱える経文の響きである。そこに、産廃を回収し港のフェリーまで輸送するトラックのエンジン音や車体を洗浄する音が、異質なまま連続する。映像の終盤に映される名簿には、何人もの名前に花飾りがつけられている。花の数は、反対運動に参加して解決を見ないまま亡くなった人の数である。時代によらず変わらないであろう住民の読経と、一時的な光景だったはずの産廃の処理作業が、現在も続く日常的な音の風景として並置される。亡くなった人たちの無音の花飾りは、そのことへの強い違和感を表明しているように見える。

ボルタンスキーと藤井に共通するのは、どちらも音を介して失われたモノあるいは人生を引き継ごうとした点だ。音の表現とは時間の経過と切り離せない。実際、両者とも過去の時間、つまり記憶に鑑賞者の思考を導く作品である。では、福田の《煙の骨》が同じように記憶の媒介を必要とするならば、それは何だろうか。筆者は「細く、小さくする」という行為がそれだと考える。鑑賞者は、色鉛筆を極限まで削り、これ以上細くならないというところまで(あるいは粉になってしまうまで)形を失くしてしまう作者の行為を脳内で反復する。それは人間の火葬のようなものだ。皮膚や筋肉や髪が蒸発し、残った骨も小さな壺に押し込められる。参列者はついさっきまでそこにあった身体と、壺の大きさのギャップに驚く。モノを小さくするという行為は、直前までそこにあり、余白となった空間を強く意識させる。現在の姿が小さくなればなるほど、残された者のなかで記憶は大きく広がっていく。《煙の骨》は、かつて創造の道具として使われていた色鉛筆、果ては物語の作者や登場人物たちの生を鑑賞者のなかに起動する。そして最小の塵となった姿が存在を最も強く意識させるからこそ、それは「あなた」という二人称で呼ばれるにいたったのだろう。

 

3. 色

図2《書物の魂》

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福田尚代作品のひとつの傾向として、淡い色彩がある。図3の《書物の魂》は象徴的だ。白くぼんやりとした綿のような物体は、もともと本に挟まれるしおり紐だった。福田は読み終わった本から紐を切り離し、洗濯と天日干しを繰り返した。それは形をだんだんと崩され、一本一本が混ざり合っていく。

何年もかけて数百本のしおりを丹念にほぐしつづけていると、繊維をそれ以上細かくは分けられなくなる。色彩が完全に混ざりあい、空気をたっぷりと含んで淡い金色にしか見えなくなった。その雲をふと、なだらかな島の形にととのえる。真っ青な海原が出現する。誰もいない、光がさんさんとふりそそぐクリーム色の砂浜。虹色に泡立つやさしい波。あたたかな砂の上に横たわる。ゆったりとよせる波の音。最後に辿り着くのになつかしいところ。 『ひかり埃のきみ』p.193

福田美術の淡い色調。それはパステルカラーへのこだわりというよりも、色彩の漸減に近い。モノクロの世界観というわけではない。もちろん《煙の骨》の色鉛筆のように、作者による色の選択の跡が見られるものもある。しかしそれらも、恣意的な着色や配置ではなく、モノ本来の姿や、時間の経過によって褪せていくことへの肯定のように見える。《書物の魂》に見てとれるのは、色が抜け落ちたあと、何が作品を支えるのかという問いである。

別の作家の視点から考えてみよう。香川県・直島には、民家として使われていた建物や土地を改修し、美術作品に転用する「家プロジェクト」という作品群がある。ジェームズ・タレルの作品南寺/Backside of the Moonはそのひとつだ。平屋のように縦に長いその木造建造物は、周囲の民家で使われている焼杉板と同じように真っ黒な外見で、窓もない。中に入った鑑賞者は照明がない室内を壁伝いに歩き、突き当たったベンチに座るよう指示される。まぶたを閉じてまた開いても景色が変わらないほどの暗黒である。しかし座ったまま10分ほどじっとしていると、視界の中央に段々とホワイトボードほどの四角い図形が浮かんでくる。15分が経過すると、自分たちが広い部屋の一辺に並んで座っており、四角い図形は向かいの壁に設置されたものだとわかってくる。そのあたりで「部屋を自由に歩いていい」と指示される。恐る恐る向かいの壁まで歩いてみると、ホワイトボードのように見えていた図形はなんと窓で、向こうには仄明るいもうひとつの部屋があるとわかる。窓はうっすらと照明を当てられているのだが、その明るさは入室時からまったく変わっておらず、見えるようになったのは鑑賞者自身の目が暗闇に適応したからだった。

タレルの作品は、鑑賞者を色彩から新しい感覚へと開かせる。はじめは建物の外見も手伝って、黒という色がテーマの作品のように思わせる。しかし中に入ってみると、自分が放り込まれたのは闇であり、黒さえも見えない世界だと知る。さらに時間が経つと、闇の中でも部屋を歩いて回れるほどの視力を自分が獲得することで、光の視点に気づく。いや、別に作品を体験したからと言って鑑賞者の目が良くなるわけではなく、元々その適応能力はそなわっていたのだ。闇とは光の状態のひとつに過ぎない。《南寺》は、知覚できない存在が放っているはずの光を実体験させる。

ふたたび福田の《書物の魂》を見てみよう。そこには前述した《煙の骨》と同じように、福田が触れてきた物語が潜んでいる。しおりとは記憶の装置であるがゆえに、鑑賞者は物語の名残を作品に見つけようとする。しかし何本ものしおり紐が混ざり合った結果、本来持っていた個は文字通り脱色され、ひとつの集合体としてしか知覚できない。そこには鑑賞者に困難を体験させるという《南寺》との構造上の共通点がある。人間が色彩によって知覚できない世界を垣間見せること。先に引用した「片糸の日々」を見てみよう。作者のなかで、作品は豊かな色彩の世界を獲得している。もちろん鑑賞者に同じイメージがもたらされるということではない。重要なのは、「真っ青な海原が出現した」きっかけが、雲という不定形のモチーフから島というソリッドなモチーフへの変化であったということだ。バラバラになったしおり紐が、その後再び彫塑され、ひとつの確かな姿を得る。《煙の骨》がモノを削減することで物語を鑑賞者のなかに呼び覚ます作品ならば、《書物の魂》はその先、解体され知覚できなくなった物語が、死ぬのではなく集合して別の物語へと変貌するという「続き」を見せる作品だった。色とりどりのしおり紐から、「淡い金色」つまり光の塊へと凝固するという一連のプロセスは、状態を変えつつ地球上を循環する水のイメージに近い。わたしたちは福田の作品に、目に見える色彩ではなく物語の循環を読みとるべきなのだ。

 

4. 私

この章のはじめに「福田作品における3つの重要な要素」として取り上げたうち、ここまで形と色について論じてきた。すでにおわかりのように、福田にとってはどちらも「物語の象徴」であり、それを消失することが作品にとって大きな意味を持っている。だがその傾向は比較してきた藤井やボルタンスキー、タレルのような作家も同じである。彼らと福田の美術がはっきりと区別されるとしたら、繰り返すがそれは「こども的な」という形容詞による。色鉛筆を極端に削ったり、本のしおり紐を繊維状になるまでほぐすというシンプルな逸脱行為はすべて、こどもの手遊びの延長線上にある。手遊びとは、描画のために鉛筆を尖らせるという目的や、しおりとしての用途がモノから抜け落ちたとき、自由な状態になったそれらを別の姿に変えようという欲望である。福田はエッセイのなかで自身の美術体験を語り、モノの形や色が固定されないという状態は「万人が共有する幼年時代の視界」であると述べている。

デッサンとは、入口ではあたかも形や構造など、物質の存在を掌握するわざのように思われて、その実、描けば描くほど、物を物たらしめている結び目がほどけて溶けてゆく、無辺の領域に触れるすべではないだろうか。[……]着彩についても、類似する場面を思いだすことができるだろう。たとえば、リンゴとレモンを描きながらいつまでもじっと見つめていると、けっして絵の中だけの話ではなく、手もとのリンゴからとびだした赤色がレモンの上に点々と現れて、同時にレモンの黄色がリンゴの中に、さらには空中に散乱し始めて、ああ、ほんとうははじめからこうだったのだと、ふいに気がつく。 「パンくず、斜めからの光……」P.54

作者とはキャンバスやホワイトキューブに世界を固定する存在である、という鑑賞者が抱くイメージと、福田の言葉は真逆を行くものだろう。描画の基本であるデッサンと着彩からして、形や色の固有性がほどけていく行為だとみなす。つまり福田尚代の美術とは、こども的な視界で展開される固有性の消失に、物語の継承あるいは循環が託された「不在の美術」である。と、定義してもよいところだが、まだ大きな疑問が残っている。モノが持つ世間的な役割を薄めていく創作過程で、「作者‐私」はどのように意識されるのだろうか。福田ととても近いスタイルをもつもう一人の美術家、内藤礼と比較しながら考えてみよう。

図3《漂着物》

http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201611/images/PK2016110502100109_size0.jpg

図4《地上にひとつの場所を》

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図3は福田尚代による《漂着物》、図4は内藤礼による《地上にひとつの場所を》の外観である。前者は2016年の展覧会における展示で、後者は1991年の作品と発表時期に15年の差がある。しかし区切られたスペースに数百の小さなオブジェを配置する二作品は、相補的と言ってもいいような結びつきを見せる。両者とも箱庭的な作品をつくるにあたって、内藤は素朴な材料を組み合わせて緻密で立体的な空間をつくり、福田は消しゴムだけを変形させて無数の彫刻を平面上に配置した。素材とモチーフのチョイスも似ている。内藤の作品で用いられている素材は「籐(とう)、竹ひご、針金、木、種、葉、実、花びら、貝、石、砂、蝋、毛布、フェルト[……]」、一方福田の作品で消しゴムから彫り出されたのは「幼い頃に本を読んでいた寝台、かたわらの水枕、氷枕、絨毯の模様、ハクモクレンの花びら、おびただしい墓標と小舟、数多の銀河[……]手のひらに感触だけが残っていた子供部屋の灯りのスイッチ」とある。まるで、外遊びと部屋遊びがそれぞれ好きなこどもが二人、無心で手遊びに興じたかのようだ。公園で拾ってきた素材を使って内藤が箱庭を作り、福田が布団の中でふくらませた想像を消しゴムに乗り移らせる。

「こども的な美術」という文脈を同じくしている両者の違いは、「私」の立つ場所である。内藤は詩人・中村鐵太郎との対談のなかで、《地上にひとつの場所を》のプロトタイプとも言える大学の卒業制作Apocalypse Paleceが生み出されたときのことをこのように語っている。

箱庭を見るということは、自分は非常に高いところから見ているわけです。空から地上を見下ろすみたいに。非常に高い、離れたところに意識がいくのと、非常に小さくなった自分が、小さな構造物に導かれて、普段見ないぐらい小さなところに入りこんでいく。[……]そしてしかも、それを私に見られている。 『内藤礼〈母型〉』p.25

卒業制作の方針を担当教授にプレゼンする段階で、内藤は「見る風景ではなく、中に自分がいるような風景をつくりたい」と考えていた。作品のなかにいる「私」とは、上から見下ろす「私」と下から見上げる「私」が並立する、「フェッセンデンの宇宙」のような両義的な視点である。中村が指摘したように内藤を「同心円状に大きくなっていく作家」――ひとつの大きな作品を作りつづける作家だと見なせば、同心円の中心にいるのはアンビバレントなスケール感をもつ「私」なのだ。そして内藤の「私」観が最も鮮明に表出したのが、香川県・豊島にある豊島美術館母型(図5)だろう。そこで「私」は「こども」の先にあるイメージを獲得する。

図5《母型》

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《地上にひとつの場所を》と異なり、《母型》はモノが少なく広々としている。2000平方メートルにわたって建造されたシェル構造のひとつの空間は、外側から内側まですべて白く塗装されている。豊島美術館は文字通りの意味で、その空間だけが作品である。低い天井には二つの大きな穴が開けられ外の風景が見えるようになっているが、靴を脱いで入場した鑑賞者の多くは足元に目を奪われる。床のどこからか水が湧いており、そこかしこで水たまりが生まれている。床にはわずかな起伏があるため、水たまりはある瞬間一筋の小川となって流れ出し、作品中の水が集まってやがて大きな泉になる。驚くのは、強い撥水性をもった床の塗装により、水滴が水銀のように、あるいは尾を引いた生き物のように動きまわる様だ。おもむろに流れ出した水滴は、ひとつの命を得て地面を這ったのもつかの間、ほかの水たまりに触れた途端にその一部となって溶けてしまう。鑑賞者たちは思い思いの場所で座り、あるいは立ち止まって水の戯れを見下ろしている。

この体験だけでも深い印象を残す作品だが、実は足元を見下ろしたままでは、作品の核とも言えるものに気づかない仕掛けになっている。天井を見上げると、そこから糸が数本垂れ下がっている。よほど近づかないと色さえわからないほど細いその糸は、《母型》の中心部から下の人間の肩ほどの高さまで伸びている。水滴を「見下ろし」、天井の影にまぎれてよく見えない糸の根本まで「見上げる」体験を通して、初めて鑑賞者は作品の中心に「私」がいると気づく。《母型》は豊島の海に面した丘の中腹にある。周囲に集落はなく、林と棚田が広がっている。天井の穴からは木の葉が落ち、虫が迷い込む。建築を担当した西沢立衛が言うような「作品や環境のために建築が閉じ、しかし同時に開く」という《母型》の両義性は、極大と極小の視点を兼ね備えた「私」――つまり「母であり娘である」状態へと落ち着くのである。

 

5. 言葉

内藤が処女作から《母型》にいたるまで一貫してきたアンビバレントな「私」は、「母であり娘」の視点へと至った。福田尚代もまた、「同心円状に大きくなる作家」であるならば、その中心にあるのはどんな「私」だろうか。それは内藤のように、「こども」という手法と同時にはじめから根ざしていたものだろう。2つの象徴的な作品を見てみよう。

図6《書物の陽光》

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図7《言葉の精霊》

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図6は、本の頁や郵便物、名刺に刺繍を施したシリーズのひとつ《書物の陽光》だ。紙に書かれていた文字は、玉結びのように括られた糸の羅列になぞられて、ほぼ読みとることができない。また、図7の《言葉の精霊》は、福田の作品のなかで最も作者の手が加えられていないもののひとつである。古い本にかけられていたグラシン紙のカバーに、表紙のインクが写り、うっすらと文字が浮かんでいる。これは時間の経過による偶発的な出来事を見つけた福田が保存したレディメイドの作品だ。この二つは文字あるいは言葉が直接扱われた作品である。しかしそれは「扱われた」という単純な言葉に収まらない行為の結果のように思える。

先ほども引用した西村は、「美術家が言葉を活用することは少しも珍しくなくなっている」と前置きしたうえで、福田の特異性を言葉と深くかかわりながら「言葉を使わない」逆説に見抜く。

福田の美術作品は、言葉の不在を志向しているといえそうだ。しかし彼女は、単に言葉を消しているわけではない。福田がつくりだしているのは、本来言葉があるべき場所に言葉が存在しないという状態ではないか。 「沈黙と空白、あるいは言葉のパラドックス」P.59

形や色の固有性が消えた作品が反転して物語を動かすという「不在の美術」は、その中心に言葉がある。表現に正確を期すならば、「言葉があるべき場所にない」ことこそが中心である。《漂着物》をはじめここまで取り上げてきた作品はどれも、色鉛筆やしおり紐や消しゴムといった実用的な文房具から生まれてきた。それらは本来、言葉や文字に奉仕してきたモノたちだ。ならば、「言葉の不在」は、形や色の不在に先駆けてあるテーマではないか。

南は、「言葉の不在」を正面切って扱った先の二つの作品をこう表している。「《書物の陽光》にせよ《言葉の精霊》にせよ、他者の言葉を召喚して二重化し、その「死後の生」のようなものを現実化する作品である」。これは重要な指摘である。作品に使われる以前の文房具の一生がどんなものかといえば、作られたときの用途に従って利用され、運よく持ち主に大事にされれば最後まで使い切られるというようなものだ。しかし福田は「こども」であるから、文房具たちを本来の生から解放し、別の形に変えてしまう。その結果、彼らはわたしたちの前に作品という「死後」の姿で現れる。それは死体ではなく死後の生、あるいは第二の生である。さらに重要なのは、鑑賞者は異形のモノたちのうしろに「前世」の姿を幻視せずにはいられないということだ。元の固有性が失われる前のイメージと作品となった現在の姿を往復する内的な運動こそが、きわめて静的な福田の作品にダイナミクスをもたらす。

先ほど「文房具たちを生から解放する」と書いたが、少しやわらかく言いすぎたかもしれない。南は福田が「死後の生」を形成するために「他者の言葉を二重化する」手法に注目した。《書物の陽光》を見ればわかるとおり、ページに書かれた言葉は刺繍に覆われて読めなくなってしまっている。二重化という観点からすれば、これは文字を消したのではなくなぞったと言う方が正しい。強いて言えば「不可読の文字でもう一度書いた」のである。これには単なる言い換え以上の意味がある。書き言葉にとって、書かれることは生を受けることであり、消されることは死を迎えることだというのは直感的にわかるだろう。そのあいだに読まれること、つまり他者からの接触が挟まることで、書き言葉は生の意味(本来の用途)を果たす。しかし福田は本や手紙に与えられたその生をあえて奪い、死後の世界に無理やり連れて行ってしまう。「読めない文字で書く」とは、彼岸の言葉で書くということである。そこには、「あの世」と呼ばれる別の世界が「この世」と異なる文法を有していること、ふたつが決定的に分かたれていることへの冷徹な意識がある。福田作品がもつ一種の暴力性は、その現実に根差したものだ。そして筆者が考えるに、震災という文脈に対して福田はひとつ、この点にこそ大きな可能性を秘めている。

次章へと移る前に、「同心円の作家」福田尚代にとっての中心とは何かをはっきりさせておこう。福田はかつて北米に住んでいたころ、吹雪に覆われた冬の体験をこう綴っている。「肌身離さずにいたノートは雪に濡れ、暴風に紛れ、わたしの筆跡はなくなってしまった」。

木々の枝は銀色に輝く氷に密封されて、何もかもがおそろしくてうつくしく、いつもはやさしい言葉の粒子が、はげしい勢いで頬や目にぶつかってきた。ふいに気がつく。言葉は人が作ったものではない。水や雪や光の粒と同じく初めから世界にある。人間が存在したことのない宇宙の果てにもそれはある。 『ひかり埃のきみ』P.189

ここに記されているのは、言葉とは人に奉仕する道具ではなく、世界の一切を構成する要素なのだという認識の転回である。ならば、福田の仕事の原点にあるのは「言葉の不在」ではなく、「私の分解」ではないか。作品に用いられているのはすべて、作者自身が親しんできた所有物である。内藤のように天上と地上のあいだの「私」を体験させる美術ではなく、地上的な言葉に拠って立つ「私」の記憶を、より微細な微生物のような言葉がどこまでも分解することで現実となる美術。この場合、地上に対抗するのは天上ではなく地下である。福田は、偶然が積み重なり再構成された「地下の言葉」を発見し、苔むした手紙や朽ちた本のような姿を地上の鑑賞者の前に差し出す。そこにわたしたちは死を感じ、前世の生へと思いを巡らせる。

先に述べたように、福田は美術と回文の二つに取り組み続けてきた。福田にとって美術が分解された言葉の変貌を切り取る営みだとすれば、一方回文とは、分解された言葉がもういちど言葉として出現する現象である。第3章の前半では、福田の回文を通してどのように言葉が生まれ変わるのかを論じたい。後半では、その生の条件が震災という文脈において重要な視点を与えることを確かめていく。

 

第3章 回文

1. 掛詞

弓と鹿の音 ふっつりと喪

虹も溶けた だけど文字に戻りつつ

ふと おのが死と見ゆ

 

ゆみとしかのおとふつつりともにしもとけたたけともしにもとりつつふとおのかしとみゆ 『ひかり埃のきみ』p.116

福田の回文は、過去にも「回文集」という形で何度かちいさく美術館などで頒布されてきた。本のタイトルは『無言寺の僧』や『仮名齧り』のように回文の一部から引いてきた場合が多いが、一篇ごとの題は付されていない。最新作『ひかり埃のきみ』にも320篇あまりの長短様々な回文が収録されており、先の引用もそのひとつである。回文とは前から読んでも後ろから読んでも同じ文章で、しりとりや駄洒落のような言葉遊びとして誰もが親しんだことがあるだろう。しかし福田の回文はそのような「うまいことを言う」言語世界とは大きく異なっている。

南は福田回文の特徴を「数学の公式のような美しさ」と「呪術的な側面」の二つにまとめている。特に「呪術性」が「ある言葉とその文字を反転させた言葉とが思いがけない意味の連関を発現する」ことで、観客は真理に近い何かを垣間見るという。この感覚には深く共感できる。先ほどの回文を、たとえば普通の詩として読んでみよう。1行目の「弓と鹿の音 ふっつりと喪」という言葉から、鹿が狩りで人間に仕留められ、その命が途切れようとする風景が連想できる。そこから「ふと」3行目に目を移すと、「おのが死と見ゆ」という言葉により、死んでいく獲物に狩人自身の死が重ねあわされる様が目に浮かぶ。3行のなかに物語を読みとることができるわけだが、これが回文であると意識してみるとどうだろうか。「弓と鹿の音」の時点で、「おのが死と見ゆ」という結末が音により決まっているのだ。狩人が弦を引き、矢を放つという場面のなかに、すでに狩人の死が潜んでいるかのようである。福田の回文がもつ呪術性とは、はじめから読む場合と終わりから読む場合の音の一致が、言葉の意味に飛躍的に詩情を与えることによる。南が「真理に近い何か」とよんだのは、偶然としか思えない文字の連なりが必然に変わるという劇的な体験によってもたらされる。だがなぜ、音の一致が意味の必然性を強化するのか。考えてみよう。

ところで、日常的な言葉がまったく違う意味をもつ、という現象は特段珍しいものではないではないかと思う人もいるかもしれない。確かに、詩や歌詞など、通常とは異なる言葉の使い方を求められる表現はたくさんある。それは正しい指摘である。だからこそわたしたちは、たとえば和歌について成されてきた研究の一端から、福田尚代の回文についての重要な示唆を受け取ることもできる。

国文学研究家の渡部泰明は『和歌とは何か』という本のなかで、日常的な言葉の使用法からかけ離れた和歌という手法がなぜ1300年も続いているのかという素朴な疑問に共感しながら、日常から縁遠い言葉「だからこそ」失われなかったのではないかと論じている。渡部が提示したのは「和歌とは演技である」というテーゼである。和歌は言葉の演技、つまりレトリックによって、日常とは異なる儀礼的な言葉の空間を現出させることができる。

先ほどの「音の一致が意味の必然性を強化するのはなぜか」という問いには、掛詞(かけことば)についての解説を応用してみよう。掛詞とは、和歌を構成する二文がそれぞれ独立した意味をもつとき、互いの意味が接する地点として機能する言葉を指す。例に挙げられているのは小野小町の一首「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」である。「ふるながめ」が「経る眺め」と「降る長雨」という二重の意味を負う掛詞である。渡部によると、掛詞がリアリティを持って受け止められるとすれば、それは言葉の持つ意味ではなく、「言葉が存在していることそのものの重み」によるのだという。

和歌は、心情を抱えた作者と風景が偶然出会うことで生まれる。その偶然を、言葉同士が重なって存在している偶然に移し替えることで、掛詞は現実の驚きを再演することができる。さらに観客に驚きをこえて共感をもたらすために、和歌の定型がある。5・7・5・7・7の31音は、はじまった物語が決着する感覚、予想を観客にうながす。そして定型のなかに掛詞がぴたりとはまったとき、「ふるながめ」という偶然の言葉の出逢いが必然だったのだという確信を与える。

「偶然の音の一致が意味の必然性を強化するのはなぜか」、それは言葉の出逢いがもたらす驚きと、定型にあてはまる快感の二つが答えである。そして二つとも、回文には構造上そなわっている。南論文に挙げられている例を借りれば、「雪」からはじまる回文は「消ゆ」で終わる。前から読んでも後ろから読んでも変わらない、という定型からずれることなく、「雪」は「消ゆ」るものだという必然に結ばれた言葉の偶然の出逢いに、観客は驚く。

すべての言葉の結び目がいっせいにほどかれる瞬間、多声的で多義的な未知の組合せへの飛翔が湧きおこり、書き手の表層の思惑などひとりでに手ばなされることだろう。脳裏には、無名の速記者だけがのこされて、言葉みずからが明かす言葉そのものの秘密を全方向へと追いかけていく。 「パンくず、斜めからの光……」P.55

福田の美術は、言葉やモノを地上的な枠組みから解体し、その後の生を見出した。なかでも回文は、「地下的な言葉」の在り方として象徴的である。前後のどちらから読んでも音が同じという回文の構造には、言葉の生に含まれた死、言葉の死の先にある生が凝縮されている。言葉の偶然の連なり=死が、必然的な意味の連関=生を同時に生きている。

 

2. 形而上的偶然

ここまでの議論のなかに震災と福田尚代、両者の文脈が重なり合う「掛詞」を見出すならば、それは断絶と必然性というふたつの言葉である。第1章の議論を思い出してみよう。震災という文脈を、ふたつの問題が取り巻いている。ひとつは、「あちら」と「こちら」の断絶を忘れてしまうこと。もうひとつは、震災に芸術の必然性が奪われてしまったということ。

人はなぜ言葉を失うか、それは日常的な言葉の語彙を圧倒する体験にさらされたからである。当時「あちら」側の人に対して、語るべき言葉を持てなかったはずのわたしたちは、そのことを忘れて同じ言語を取り戻したと思いこんでいる。しかし現実はそうではない。「がんばろう日本」という言葉の隙間からこぼれ落ちたもの、わたしたちが言葉にできなかった何かは確かにあった。《書物の陽光》と題された「不可読の言葉で書かれた手紙」は、言葉になれなかったものたちが掬いあげられた船だ。読めるはずのものを読めなくすることで死後の生を与える福田の美術は、言葉を声高に叫ぶか忘れるかしか選べないわたしたちを立ち止まらせる。地上の言葉ばかりを追い求めるのでも、喪失感を忘却するのでもなく、「地下の言葉」へと沈めること。その回路はこども的な手遊びによって開かれている。

誰かが逃がした

誰かが隠したのだ

綺羅か言葉

詩はどこから来たのだ

詩句が書かれた

たしかに書かれた

 

たれかかにかしたたれかかかくしたのたきらかことはしはとこからきたのたしくかかかれたたしかにかかれた 『ひかり埃のきみ』p.129

言葉が意味から解放され、均質な文字の雲へと姿を変えたとき、福田の視界は偶然性に支配される。そして佐々木が「あってもなくてもいいものです」と言ったように、芸術は偶然の産物である。ならば、福田にとっての芸術とは何だろうか。

先に取り上げた哲学者の木田元は、ハイデガーと親交もあった日本の哲学者・九鬼周造がまとめた「形而上的必然性」という言葉を紹介している。それはこういうことである。偶然とは二つの異質な出来事が交差することで発生する。だが一見偶然にしか見えないその出会いも、過去を遡ればある必然へと収束するだろう。その必然もまた、偶然のように見える原因を遡ればやがて必然に到達する。つまり、人間がどんなに偶然だと思っていることも、神様のように見透かす存在からはすべて必然なのである。すべての必然の根源にある究極の偶然=形而上的偶然をのぞいて。

福田が回文づくりを通して触れる無辺の世界、それは言葉が意味による必然のつながりを避け、すべてが偶然に満たされている。それは実は偶然ではなく、人間に把握することのできない法則に支配された必然の世界なのだ。つまり、「私にとって直感や偶然ほど確かで理屈抜きに信じられるものはないからです」と述べる福田にとって、芸術とは形而上的偶然を内化して、世界に埋もれた必然を発掘していく仕事である。第1章で筆者は、震災以後芸術家は必然性を試されたと論じたが、そうではない。芸術家は福田のように、ただひとつの偶然を信じられるかを問われているのだ。

 

 

【画像リンク出典】

図1、図2 ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
http://www.yamasa.com/musee/events/kouenkai/20130601/

図3 中日新聞/CHUNICHI web
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201611/CK2016110502000213.html

図4 Webマガジン『コロカル』
http://colocal.jp/topics/art-design-architecture/naitorei/20130504_17540.html

図5 ベネッセアートサイト直島 豊島美術館
http://benesse-artsite.jp/art/teshima-artmuseum.html

図6 林浩平の《饒舌三昧》
http://mignonbis.at.webry.info/201305/article_2.html

図7 編集者/美術ジャーナリスト 鈴木芳雄のブログ フクヘン
http://fukuhen.lammfromm.jp/?p=4029

 

【参考文献】

木田元『偶然性と運命』岩波書店、2001
佐々木敦『シチュエーションズ 「以後」をめぐって』文藝春秋、2013
さやわか「ぼくたちはいつかすべて忘れてしまう」『ユリイカ』9月号、青土社、2016
鈴木忠志、東浩紀、上田洋子「演劇、暴力、国家」『ゲンロン1』ゲンロン、2015
内藤礼、中村鐵太郎『内藤礼〈母型〉』左右社、2009
西沢立衛「建築空間」『豊島美術館ハンドブック』直島福武美術館財団、2011
西村智弘「沈黙と空白、あるいは言葉のパラドックス――福田尚代とジョン・ケージ」『REAR』37号、リア制作室2016
福田尚代『水枕 氷枕記録集』山鬼文庫、2016
『ひかり埃のきみ』平凡社、2016
「パンくず、涙、斜めからの光、もしくは詩的実体としての美術について」『REAR』37号、リア制作室、2016
南雄介「福田尚代 回文と美術」『アーティスト・ファイル2010――現代の作家たち ファイル018:福田尚代』国立新美術館、2010
渡部泰明『和歌とは何か』岩波書店、2009

文字数:22827

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