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乗り遅れないこと、居座ること

二人の男がこちらを見ている。ひとりは資本主義の内部から、もうひとりはその外部から。

今年1月4日、朝日新聞は「『経済成長』永遠なのか」と題した特集を掲載した。成長を前提とした現政権の経済政策を「低成長を容認できない先進国特有の病」と断じ、GDPに回収されない豊かさに目を向けよと提示した。それに対し、読売新聞代表の渡辺恒雄氏はこう反論する。「成長をあきらめていたら日本は第4次産業革命に乗り遅れていく。日本は国際競争力を失うんじゃないか」(朝日新聞2017/01/31)。ここであえて言ってしまえば、朝日新聞が批判した経済政策を前面に押し出した現政権を選挙で選んだわたしたち日本人は、確かに渡辺氏の言う「乗り遅れる」ことへの危機感を抱いている。だが、それは人工知能やIoTがもたらす第4次産業革命に、だけではない。わたしたちが乗り遅れてはならないと血相を変えて飛びこむのは二輪馬車であり、汽車であり、蒸気船であった。それはかつて、『八十日間世界一周』においてフィリアス・フォッグが、世界の小ささを証明するために乗り継いでいったものたちである。

フランスの作家ジュール・ヴェルヌの諸作品は、明治時代の日本人に非常に愛された。長山靖生によれば、明治20年までに日本で翻訳出版されたヴェルヌ作品は、異なる翻訳者による同一作品を除いても15作に及ぶ(『日本SF精神史』)。なかでも『八十日間世界一周』(1873)は、昭和になってから編纂された『明治開化期文学集』(1931)に福澤諭吉らの文章と並んで収録されるほどの人気を博した。英国紳士フィリアス・フォッグが、召使いジャン・パスパルトゥーとともにロンドンを出発し、横浜をはじめとする諸都市を経て世界を一周する旅行記仕立ての物語である。SFがそう呼ばれるようになる前、その起源となった古典作品として名高い本作を巡って、長山は明治の日本人が示した反応と現代のわたしたちとのギャップを指摘している。長山が参照しているのは『明治開化期文学集』を編纂した木村毅による「巻末解題」である。以下、文体や漢字を適宜読みやすくして引用する。

さて此の訳書が出てからここに面白い逸話がある。幕府の遺臣で明治初期に於ける有名な新聞記者であった栗本鋤雲(筆者注:じょうん)が人に語って言ったそうだ。

「兎に角変わっていて面白い小説だ」

そしてその変わっている理由を鋤雲は次のように説明した。

「支那や日本の小説だと、災厄が四方に迫り、進退全く極まるの窮境に際し、之を救う者は神仏の加護に非ずんば、必ず狐狸妖怪の助力である。然るに此の小説を見ると、そうした窮境を救っているものは常に金である。――日本でも今後はこのように金が口をきく世の中になろう」

『八十日間世界一周』において金は、特に時間を買うために使われる。80日で世界を回るには、一分たりとも無駄にはできない。船が予定通りの時間に着かないのを見てとると、フォッグは大金を提示し、石炭を炉に流し込む船員たちを奮起させる。木村は「巻末解題」のなかで、栗本を「実に驚くべき卓見ではないか」と称賛した。なぜなら、木村は日本の西洋化とは「資本主義の組織と文化を取り入れるという事」であったと考え、その代表作として『八十日間世界一周』を全集に収録したのだ。「金が口をきく世の中」の到来を予見した栗本の感想があったからこそ、木村は本作を評価した。そして長山は、ここに現代と明治のギャップを見る。わたしたちにとってヴェルヌ作品の展開は、物語を神仏の加護や狐狸妖怪で説明するよりよほど合理的である。フィリアス・フォッグの姿は、確かに現代を生きる富豪の物語としても違和感がないのだ。栗本とわたしたちの齟齬は、あらゆる問題は金なしでは解決できない、という価値観にわたしたちが既に染まりきっていることを示している。

『八十日間世界一周』は紛れもなく現代の物語である。フォッグが旅に出たきっかけは、ロンドンから80日で世界を一周できると予測した新聞記事の実現可能性を巡り、友人と口論になったことだった。計画の実現のためには、馬車や船に乗り遅れてはいけない。予定通り進行させるためには金を惜しまない。そもそも明治期の日本は、「乗り遅れてはいけない」という焦燥を「富国強兵」のスローガンへと翻訳し近代化した国だった。産業革命と植民地政策に端を発する資本主義をリードしてきた英国人から学んだその危機感は、現代に至るまでわたしたちの血に受け継がれている。フォッグが仲間たちと交わした議論とまったく同じものが、2017年の新聞でも繰り広げられている。

朝日新聞が「永遠なのか」と疑問を呈した経済成長を、資本主義に置き換えてみることは間違っていない。なぜなら、資本主義とはその本質において「成長・拡大」を前提としているからだ。さらにそれは不断のものでなければならない。資本主義とは、純粋な価値交換の場である市場経済に「資本の成長・拡大」という要素を加えたシステムだ。資本家にとって、貨幣を中心とする自らの資本を増やすことが当然の前提である。資本主義の受容を巡る議論は歴史上繰り返され、今のところ「乗る」側が勝利を収め続けてきた。そもそも、広井良典いわく、資本主義とはその広義において、繰り返されてきた歴史そのものである(『ポスト資本主義』)。人類の歴史を省みたとき、そこには「成長・拡大期」と「定常期」を交互に迎えるサイクルが3回あった。サイクルの節目は、エネルギーを得る方法の変遷が象徴する。最初は狩猟・採集、次に農耕、そして産業革命。それぞれに人類はその人口や領域を「成長・拡大」し、やがて「定常」化してきた。現代は、産業革命後の3回目の定常期を迎えるか、あるいはさらなる成長期を続けるかの瀬戸際である。『八十日間世界一周』が発表された当時なら、実際に80日で世界を周ることは出来そうでまだ出来ない近未来の出来ごとだった。しかし木村によれば、『明治開化期文学集』が編纂された1930年代には、わずか23日で世界一周を成し遂げる者が現れていた。限りない時間の短縮、世界の縮小。記録が塗り替えられるたびにヴェルヌは読み返され、人々は資本主義にふさわしい「成長・拡大」を再確認する。

わたしたちは「豊かさ」を増しては落ち着き、また増そうとするサイクルを繰り返している。それが先鋭化し、スピードを劇的に増したのが現代の資本主義だ。だがさらに近時の世相を鑑みれば、その資本主義が新たな大きな矛盾にぶつかっていることを無視することはできない。今年1月20日に就任したドナルド・トランプ米大統領は、政治と経済の矛盾を体現する人物だと東浩紀は評している(「AERA」2/6号)。「政治は境界を守ろうとし、経済はすべてをつなごうとする」。その原理は衝突せざるを得ず、オバマをはじめとするこれまでの政権はその矛盾を解消すべく、経済のように政治を外に開く試みを続けてきた。しかしトランプはその試みを完全にあきらめ、矛盾を放置、あるいは強化することで前政権に不満を抱く人々の支持を勝ち得た。9.11から米国を蝕みつづけるテロへの恐怖を肥大化させた新大統領は、中東7カ国のイスラム教徒に入国禁止令を発し、矛盾はすでに世界中に新たな亀裂を生じさせている。

グローバル経済圏に頼る成長・拡大を否定しながら、自国の成長・拡大を推進せんとする政策。その対立は異なる形の資本主義同士の戦いのように見えて、じつは政治と経済という相反するシステム同士の、原始的な戦いへと時代が引きもどされたことを告げている。イスラム教徒の入国禁止令が政治からの攻撃ならば、一方の「トランプラリーに乗り遅れるな!」という投資家への呼びかけは、経済がトランプをも飛び乗るべき「乗り物」だとみなす意思表明である(「投信1」2016/12/08)。人間の「成長・拡大」への欲望は、「定常」へと向かうことなく、お互いを食らい合う二体の怪物へと両極化している。そのような時代に、どちらとも異なる第3の道を示すことはできるのか。現在の混乱の文字通り起爆剤となった9.11が起こったのは、世界の金融の中心地、ウォール街のすぐ近くであった。わたしたちが考えるべきもうひとりの人物は、かつてそこに暮らしたひとりの青年「バートルビー」である。

ハーマン・メルヴィルが1853年に記したその中編小説には、ウォール街に弁護士事務所を構えるひとりの弁護士と、そこに就職してきた青年バートルビーの数ヶ月間が描かれている。あらすじはこのようなものである。バートルビーは物静かな様子を買われて雇われるが、やがて弁護士の指示するあらゆる仕事を理由なく断るようになる。「私はそうしない方がいいのです(I would prefer not to.)」という決まり文句とともに。バートルビーはクビを宣告されてからも(You’re fired!と言われたわけではない)、事務所を出て行かず、だんだんと弁護士の精神を不安に陥れていく。ついに事務所を移転することに決めた弁護士だが、その後警察に連行されたバートルビーを案じ、留置所に見舞いに行く。そこで発見されたのは、食べることも拒み静かに息を引き取ったバートルビーの姿だった。

なんとも後味が悪く、読者に多くの謎を投げかけたまま終わる物語だが、大澤真幸がそこに見出したのは革命の可能性だった。革命とは、他でもなく資本主義を覆す革命である(『可能なる革命』)。大澤は「職業」の語源へと遡りながら、資本主義の本義を「外部・神からの呼びかけ」に応えることだと設定した。資本主義のもと行われる行動には「そうするほかない」という必然性があり、必然性こそが「外部からの呼びかけ」と言い換えられる。対して、バートルビーは純粋な偶有性を体現する人物である。偶有的なものとはつまり、「そうしないことができる」存在のこと。何度も繰り返される「わたしはそうしない方がいいのです」という言葉に象徴されているように、仕事をしないことを選択できるバートルビーは、いわば「内部からの〈呼びかけ〉」にだけ従う人物である。大澤は、資本主義の内側から脱出しないまま改善を叫ぶ多くの言説に疑問を投げかける。資本主義以外の未来を誰も想像できないなか、必然性に(言葉少なに)立ち向かう偶有性にこそ、革命の種子は潜んでいる。しかし一方で、大澤はその議論の途中で筆を置いているような印象がある。バートルビーの「何もしないこと」に可能性を見出しつつも、それが革命と言えるほどの力を持つ行動としてどのように発展するのかは語られていない。しかしここからはあえてその先に、ひとつの行動様式を見出してみたい。それは極めて単純だが、「乗り遅れない」ことを第一とするフィリアス・フォッグには絶対に真似できない行動である。

大島由起子による論考を手がかりにしてみよう。大島が提示したのは、アメリカ建国よりさらに前から迫害されてきたネイティブ・アメリカンの歴史をバートルビーが背負っているのではないか、という仮説である(「「バートルビー」に潜む北米先住民」)。作中に先住民とバートルビーの関係を示す直接的な言及があるわけではない。だが、事務所の中や留置所で常に「白い壁」に囲まれていたバートルビーは、事務所から出て行けと言われても出て行かず、そこに居座った。その姿は、フロンティアを「拡大」せんとする白人に追い立てられ、その権利を奪われ続けてきた先住民たちに重なる。そして「しない方がいいのです」という遠回しの拒否は、アメリカが選択してきた先住民政策とは別の選択肢がなかったか、というまさに偶有性を読者のなかに呼び覚ます言葉でもある。

人間が際限なく追い求めてきた「成長・拡大」の精神は、科学の発達や冷戦という新たな戦争の形など無数の要因をはらみながら、ひとつの兵器へと結実した。言うまでもなくそれは核兵器であり、アメリカは率先してその威力を試験してきた国だ。広島で、長崎で、そして国内で。人類最初の原子爆弾完成を目指したマンハッタン計画のために、先住民族ワナパムの人々は居住区を強制的に退去させられ、生活基盤を失った(朝日新聞 2015/09/17)。元居住区は放射能に汚染され、除染作業は道半ばである。他にも、アメリカの高レベル放射性廃棄物の中間貯蔵施設などの核開発の現場は、多くがネイティブ・アメリカンの居住区と重なっている。国内でありながら「周縁化」された彼らの土地は、常に「成長・拡大」の外側に置かれてきた。バートルビーが、後の金融市場の中心地となるウォール街の只中で居場所を失ったように。

お分かりのように、バートルビーが示す行動様式、それは「居座ること」である。より大澤の論に沿った形に直せば、「出て行かないことができる」ということだ。その理由は語られず、周囲が声高に掲げる必然性とも決して相容れることがない。純粋な偶有性は、「成長・拡大」を使命とする資本主義に静かな抵抗を示す。あるいは、自らのルーツが移民でありながら「アメリカは白人の国だ」と確信し、新たな移民を排除する人々とも重ならない。ちなみに、「居座ること」の重要性は日本においても同様である。ここでは詳細を述べないが、日本において原子力に土地を奪われた人々の姿を描いた坂手洋二の戯曲は、そのタイトルを『バートルビーズ』という。また、「居座ること」が、結局は人間が繰り返してきた「成長・拡大」に連なる「定常」のサイクルを言い換えただけなのか、それとも新たな在り方なのかを断定することも今はできない。だが、フィリアス・フォッグがわたしたちに宿した呪い――乗り遅れるなという呼びかけに、耳を貸さないことはできる。

 

*参考文献*

東浩紀「eyes 政治と経済の本質が衝突 トランプという「矛盾」」『AERA 2月6日号』朝日新聞出版、2017年

大澤真幸『可能なる革命』太田出版、2016年

大島由起子「「バートルビー」に潜む北米先住民――空間攻防とアメリカの負の遺産をめぐって」『身体と情動――アフェクトで読むアメリカン・ルネサンス』彩流社、2016年

木村毅「巻末解題」『明治開化期文学集』改造社、1931年

ジュール・ヴェルヌ著、鈴木啓二訳『八十日間世界一周』岩波書店、2001年

投信1編集部「トランプラリーに乗り遅れるな! 日本国債、レアル、米国ハイイールド債が人気に」『投信1』ナビゲータープラットフォーム、2016年12月8日

長山靖生『日本SF精神史』河出書房新社、2009年

ハーマン・メルヴィル著、牧野有通訳「書記バートルビー/漂流船」光文社、2015年

原真人「『経済成長』永遠なのか」朝日新聞、2017年1月4日

原真人「波聞風問 低成長論争 いま問われていることは」朝日新聞、2017年1月31日

広井良典『ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来』岩波書店、2015年

文字数:6057

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