文献の部(司書助手のそのまた助手・某の提供による)
1.
或る二十一世紀人の訊問記録その三。
問 地球コントロール委員会とは何か?
答 全世界の指導者グループです。十二人の有能な精神病医によって形成されています。
問 政治家ではないのか?
答 政治家というものは存在しません。昔のいわゆる政治、経済等、地球管理の事務の一切は、地球コントロール・センター内の巨大な電子思考機群によって自動的に処理されます。
問 では、地球コントロール委員会の仕事とはいかなるものか?
答 人間を常に精神的に管理します。有害な思想、無駄な観念、不潔な感情等を、完備した精神改造薬を用いてコントロールするのです。その結果、人間は物質的環境のいかんに殆どかかわりなく、自分を幸福であると思うことができるようになりました。
――谷川俊太郎「二十一世紀の教養」
「幸せだ」と回答する若者が増加していることを、功利主義的に見てよい徴候だなどと考えてはならない。あるいは、逆に、これを、己が置かれた状況を理解していない愚かな楽天の表出と解してもならない。若者の反応は、このどちらの見方をも否定しているのだ。彼らの多くが、「今の生活が幸せだ」と回答するのは、彼らには未だ多くの人生の時間が残されているにも拘わらず、その残された将来の中で、今よりも幸せになるとは想定できないからである。彼らは、前時代の若者より特に楽しく生きているから、幸せだと答えているわけではない。どちらかと言えば逆である。彼らは、愚昧な楽天家だから幸せなわけではない。むしろ、冷徹に将来を予想しているために、今を幸せと認定せざるを得ないのだ。将来、よりよくなると当たり前のように想定できないとき、人は、「今は幸せだ」と応える傾向がある。――大澤真幸『可能なる革命』
一方、東京に住む男子高校生である瀧の物語とは何であろうか。バイトや同級生とのカフェでの会話を楽しみそれなりに充実した生活を送っていた瀧は、三葉と入れ替わることによってこれまで感じたことのない充実感を味わうことになる。お互いが入れ替わった生活に置いて三葉に苛立つようなそぶりを見せることがあるが、それは本当の苛立ちではなく、内面における充実感の裏返しなのである。そして突然、瀧は三葉との入れ替わりが起こらなくなることに気付く。入れ替わりが起こらないと言うことは以前と同じ生活に戻っただけであるはずなのに、瀧は生まれて初めて「存在の空洞化に苛立つ」ことになるのである。――今井敦志「世界には空洞しかない」
生徒たちは桐島の復帰を待っている。高校という「世界」に桐島と言う触媒を加えたとき、というか桐島という触媒を加えた後にこれをわざと引き抜いたときに、生徒たちの間に、この「世界」から脱出したいという、強烈な願望があった、ということが明らかになる。たとえば、この高校のスクールカーストの上位にいる生徒たち、宏樹とか梨紗などは、何もない状況で、つまり始めから桐島などが存在しない学校生活を送っている状況で、「あなたは現在の生活に満足ですか」などという質問を出されれば、「満足だ」とか「まあまあ満足だ」とかと回答するに違いない。だが、高校生活の中に「桐島」を加え、その後に、これを消去してみると、「桐島が存在しない普通の高校生活」に、自分たちが深い不満を抱いていたこと、重い不幸の感覚を持っていたことを、生徒たちは思い知ることになる。――大澤真幸『可能なる革命』
ラスト直前、感動的でありまた奇跡的でもある「カタワレ時」の三葉と瀧の出会いのシーンにおいて、「空洞」のような盆地のふちでお互いに走り寄り、なかなか出会えない苛立ちのなかで奇跡的にお互いの姿を確認する。そして互いの名前を忘れないよう、ペンでお互いの手に名前を記すのであるが、その文字は消えてしまう。――今井敦志「世界には空洞しかない」
私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。――坂口安吾「文学のふるさと」
2.
或る二十一世紀人の訊問記録その一。
問 あなたはどういう方法で、二十世紀に出現したのか?
答 狭範囲時間遡行機によってです。
問 狭範囲時間遡行機とは?
答 過去方向に約百年以内の範囲の有効年限を持つ一種のタイムマシンです。
問 二十世紀に出現の目的は?
答 二十一世紀よりの逃避。
問 なぜ逃避を選んだのか?
答 「良き古き時代」(グッド・オールド・デイズ)に憧れたのですが、二十世紀に到着後、自分の誤りに気づきました。
問 誤りとは?
答 過去を夢見すぎました。
問 二十一世紀での職業は?
答 詩人です。
――谷川俊太郎「二十一世紀の教養」
歳月ではなく
われわれを老いさせるのは関係である
人と人との関係ではなくて 物と物との関係ではなくて
男と女の関係ではなくて
裂けた傷と裂けた傷の関係である
われわれは一瞬 こころを通り過ぎる刃の痛みがあれば
それを忘れるために こころをもっと奥へ沈める
すると傷は空を通りすぎる
そのようにして肥大してゆくものは
われわれのなかの何であるのか
――吉本隆明「〈沈黙のための言葉〉」
すなわちキャラクターたちは時間的な変移と凄惨な傷について必ず忘れてしまえる。だから彼らは平板で、「傷つかない」ようにも見える。しかし、その忘却、損なわれる記憶こそが彼らにとっての傷である。そしてその傷、失われる記憶への嘆きによって新海誠はエモーションを起動するのだ。――さやわか「ぼくたちはいつかすべて忘れてしまう」
実際、フネスは、あらゆる森の、あらゆる木の、あらゆる葉を記憶しているばかりか、それを知覚したか想像した場合のひとつひとつを記憶していた。彼は、過去の日々すべてを七万ほどの記憶に要約して、あとで数字によって固定しようと決心した。二つの考えがそれを思いとどまらせた。この作業は終わるときがないという考えと、それは無益であるという考えである。死のときを迎えても、幼年時代のすべての記憶さえ分類が終わっていないだろうと考えたのだった。――ホルへ・ルイス・ボルヘス「記憶の人フネス」
ただモラルがない、ただ突き放す、ということだけで簡単にこの凄然たる静かな美しさが生れるものではないでしょう。ただモラルがない、突き放すというだけならば、我々は鬼や悪玉をのさばらせて、いくつの物語でも簡単に書くことができます。そういうものではありません。この三つの物語が私達に伝えてくれる宝石の冷めたさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。――坂口安吾「文学のふるさと」
カフカの先駆者は、カフカから剽窃しているように見える。ボルヘスの発言において重要なことは、カフカの作品がなかったら、先駆者たちの(カフカ的)特徴が、それとしては気づかれることがなく、したがって存在していなかったことになっていただろう、という認識である。――大澤真幸『可能なる革命』
宏樹 将来は映画監督ですか?
涼也 え? うーん、どうかな。
宏樹 女優と結婚ですか?
涼也 ええ、いやあ、んー。
宏樹 アカデミー賞ですか?
涼也 うーん、でも、それはないかな。
宏樹 ん?
涼也 映画監督は、無理。
宏樹 じゃあ、なんで、こんな汚いカメラでわざわざ映画を……。
涼也 それは……。でも、ときどきね、おれたちが好きな映画と、今自分たちが撮ってる映画が、つながってるんだなって思うときがあって。本当にたまになんだよ、たまになんだけど、それがこう、なんか……へへ、逆光、逆光。(カメラを取り上げる涼也)
――映画:吉田大八『桐島、部活やめるってよ』
グラスは空のまま、酒の代わりに涙によって眼をうるませ、まんざら心地わるくもない悲しみに浸りながら、「あきらめるんだな、助手のそのまた助手よ!」と、にべもなく言い放ってみたくなるのだ。なぜって、君たちは世間を喜ばせようとすればするほど、ますます感謝されなくなる身の上じゃないか! できることなら、君たちのためにハンプトン宮殿やテュイルリ宮殿を空っぽにしてやりたいものだ! だが、涙は呑みこんで、元気いっぱいまっしぐらに最上檣(ロイヤルマスト)をよじ登っていくがいい。君たちよりも先に行った仲間が、七層の天界を掃除し、長いあいだ飽食してきたガブリエルや、ミカエルや、ラファエルらの大天使どもを追い払って、君たちが来るのを待っている。この地上では、君たちはただ打ち砕かれた心を寄せ合うばかりだ――だがあそこでは、砕けることのないグラスをあわせることもできるのだ!――ハーマン・メルヴィル『白鯨』
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