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藤田ニコルのすっぴんを晒すフジテレビが、ジャポニズムを崩壊させる


■ジャポニズム代表、
「侘び」とは何か?

日本語ネイティブの人なら、一度は聞いたことがあるであろう言葉「わびさび」。おもに茶道で使われる言葉だが、なんとなくわかりそうで、細かいことはわからない概念だ。

「さび」は、15世紀に銀閣寺をつくった足利義政たちが作り上げた美の概念といわれている。義政は当時、現代アートの不良集団ともいえる人たちとつるんでいた。広く畳が敷かれた部屋の中でいまでいえば、ワインパーティーのような感覚でサロンを開いていたという。花や書、能を舞うものなど新進気鋭のクリエイターを義政はどんどんプロデュースしていった。

彼らがかかげていたコンセプト「寂びたるもの」とは、端的にいうと不完全なもののほうが余韻があっておもしろい、という意味だ。満月より三日月のほうがおもしろい、このあと満月になる余韻があるから。桜満開の春の景色より、雪で真っ白なシーンと静まる景色のほうが寂びててかっこいい、このあと春の訪れがくるという余韻があるから。

余談だが、このコンセプトを戦後、鮮やかに展開してきた一人がジャニーさんだ。ジャニーズ事務所のタレントの多くは、何人もメンバーを集めてグループでデビューさせる。センターには王道のイケメンをもってくるが、脇にはSMAPなら草彅君、TOKIOなら城島君と、見ている人がなんだか寂しい気持ちになる表情をする人を配置する。背丈はでこぼこ、音痴でもボイトレさせずに歌わせる。不完全な少年美を楽しむ感覚は、寂びたるものを好んできたこの国のDNAを背負っているにちがいない。

「侘び」のほうは、もともとは「侘しい」「貧しい」という言葉からきているといわれ、豪華絢爛なものよりも、やつれている、一見ボロボロに見えるような茶碗などをたのしむ概念だ。

足利義政の時代にひらかれた茶会は、広い部屋にカネに物言わせて買い集めた中国の名品の茶碗や花瓶などを並べまくりラグジュアリーに楽しんでいた。しかし、千利休の2世代前あたりから、貿易で力を蓄えていた大阪・堺の商人たちは派手な茶会を嫌い、「侘び茶」というスタイルを確立した。世界中から最新の商品があつまる堺の港に、わざわざ田舎風の小屋をたて4畳半の狭い茶室で「侘びた」茶会をしたほうがかっこいいと提案したのだ。

禅をアメリカに広めた大家・鈴木大拙は、「侘び」とは「世間的な富・力・名に頼っていないこと、しかも、その人の心中には何か時代や社会的地位を超えた最高の価値をもつものの存在を感じること・・・」と熱弁をふるっている。

 

■「引き算の美学」とか言ってるやつは、侘びてない!

鈴木大拙のこの説明は、茶会で茶道具を鑑賞する側、いわばクライアントの意見にすぎない。侘びた茶道具を作る側、クリエイターであり受注側である人たちは「侘び」について違う見方を持っている。

千利休から茶会で使う釜を受注してから代々、釜をつくる職人の家を守ってきた大西家は現在、京都に「大西清右衛門美術館」を設立。2016年秋に公開した展覧会「釜から見た侘び」で、美術館館長・現役の釜師である大西清右衛門は、最近多くの人がイメージする「侘び」に違和感を感じると指摘している。

「浅はかな省略や、見ることの創造性を放棄する(中略)昨今、引き算の美学という名のもと、消極的なジャポニズムばかりが強調されることに、どこか不自然さを感じているのです。」

千利休が生きていた時代は茶碗は現代アートに近かった。同世代のアーティストに茶碗や釜を発注し、新作がいかにわびさびを醸しているか納品されるまでわくわく待っていたにちがいない。

しかし、現在、茶道で好まれる「わびさび」とは、長い年月を兼ねて汚れたり、欠けたり、さびたりした陶器の茶碗や鉄の釜など、自然な変化に重きがおかれるようになっている。利休から400年もたってしまうと、どうしても茶道具はアーカイブスになってしまう。作品が何百年も月日がたっても無事に今も存在していること自体に敬意を払ってしまい、当時の職人がクライアントによろこばれるために、必死にデコレーションしていた創意工夫に想像がおよばなくなる。大西氏はそんな茶人ばかりが増えることに警笛を鳴らす。無作為に変化していくもの、長い年月をかけてナチュラルに朽ちていくものだけが「侘び」ではないと叫ぶ。

クライアント(戦国時代なら千利休など)から発注された茶道具を、職人が納品するときは当然、新品である。ピカピカの新品であるにもかかわらず、あたかも何百年もの月日を野ざらしで雨や風をうけてきたような傷をカマしてクライアントに渡さなければならない。

いかに自然に傷んだような装飾をほどこすか。釜をつくる人々は、そこに最大の技術力とセンスを身に着けるために修行をしてきた。そして茶人は、まるで代々うけついできた何百年も昔の釜でお湯をわかすふりをする、茶会の前日にギリギリで納品された釜であろうとも。もちろん客人たちも「なんと風格のある釜なのでしょう。いったい何時代の釜ですか?」と大騒ぎして茶会をもりあげる。嘘だとわかっていながら茶会の企画者も客人も、目の前の茶道具が何百年もこの地球上に存在していた虚偽の歴史に拍手喝さいする。

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スクリーンショット◎大西清右衛門美術館公式サイト

http://www.seiwemon-museum.com/exhibition.html

 

大西氏はそんな嘘を重ねる茶会を積極的に評価する。

「静寂な境地へのあこがれと、装飾の喜び。無我への思考と、自己主張の欲望。朽ちてゆくものにあわれを感じ、その一方で侘びと隣り合わせの現実を愛おしむ。茶人は両方欲したのです。」

 

■SNSにあがる芸能人のすっぴんに、だれも真実など求めていないのに

戦国時代に信長や秀吉などVIPな男たちの間でもりあがった茶の湯は、明治時代には財閥や経営者、政治家を魅了し、第二次大戦あたりも阪急電鉄(松岡修造のひいじいさん)や東急電鉄の社長など大物が茶道具をたくさん集めていた。しかし、戦後は花嫁修業の習い事にシフト、ついに2010年代、新規で茶道を習う人はほとんどいなくなった。わびさびという言葉に親しむ人は20代には皆無かもしれない。

しかし、狭義の「わびさび」について考える人が激減した今も、日本には屈折した物の見方をもつ精神は形をかえて生き残っている。ストレートに自己主張をすることを歓迎する人種が多いこの地球上で、日本では「無我への思考と自己主張の欲望」を表裏一体あわせもち、ねちねちと鑑賞することに喜びを感じる人がたくさんいるのだ。

そこで近年日本で楽しまれてきたのが、SNSにたびたびあがる芸能人の「すっぴん」画像であった。

ヨーロッパやアメリカなどのスーパーモデルが、化粧を落としたぶざまな画像をインスタに載せる決死の覚悟と、日本の芸能人の「すっぴん」は違う。スーパーモデルは、飾り立ててきた虚偽の自分に罪悪感を感じ、まるで神に懺悔をするような覚悟をもって化粧をおとす。なかには、所属事務所から激怒され、高額なモデル契約を失ったり、素顔を公開した後、ランウェイを歩くことから本当に引退するスーパーモデルもいる。

しかし、日本の芸能人の「すっぴん」公開はそんな覚悟で臨んでいない。どうみても、何かメイクをほどこしていたり、絶妙なライトをあててきれいにみえるような加工をしているのはわかる。それでも芸能人SNSのフォロワーは「すっぴんのほうがかわいい!」「元気もらった!」「奇跡の47才!」などとほめたたえてテンションをあげるのだ。まるで、新品の茶釜を「何時代の骨董品ですか?」ときらきらした目で聞く茶会の客人のように。なぜなら、日本人は「無我への思考と自己主張の欲望」両方を欲する人たちだからだ。

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スクリーンショット◎藤田ニコル インスタグラム

https://www.instagram.com/niconico0220/

 

古くは聖徳太子が、大国の隋に「ぼくは、日出づる国の王子だよ☆」と手紙を送って隋の王を激怒させたというエピソードがある。所詮、日本が隋に勝てるような国ではないとわかっていつつも、無邪気にふるまった「すっぴんSNS」的行為を好む日本人ならではのストーリーだ。しかも日の本の国「日本」として21世紀現在も国名として使われている!第二次大戦後、一方で戦争を放棄した国だとピュアにふるまいつつ、ちゃっかりアメリカ軍に駐屯してもらい安全保障をやすやすと獲得した日本の狡猾で絶妙な政策も「すっぴんSNS」スタイルといえるかもしれない。

そんな「すっぴん」大国・日本、なのに、である。2016年10月12日、フジテレビ「有名人ギャップ大賞」がわれらの「無我への思考と自己主張の欲望」二刀使いジャポニズムをぶったぎるコンテンツを放送してしまった。藤田ニコルのすっぴん疑惑取材である。

たまにインスタに「すっぴん」画像をあげる藤田ニコルが、画像に加工をしていると疑惑をもった番組はニコルに追究する。するとニコルは「まあ、まあ、すっぴん」「確かに、モデルが(SNSに)あげてる『すっぴん』は全部ウソだもん」とコメントした。18才の可憐な女の子に何を言わせるんだフジテレビさんよ!おじさんは、そんなこたーとうに分かったうえで胸をおどらせて、風呂上がりと言い張る、にこるんインスタを楽しんでいたんだよ…。

そして、スピードワゴン伊戸田の目の前でメイクを落とすニコル。黒目を大きくするカラーコンタクトもはずした彼女は、顔色こそ少し悪くなったが、大きな二重まぶたはそのままであった。たしかに素顔はかわいいけれど、インスタ上でナチュラルを装い嘘をかました、にこるんのすっぴんで茶番を楽しむことがもうできなくなってしまうではないか!

たった数秒の視聴率のために、狡猾で下品で二枚舌でデコラティブで無邪気でナチュラルでバカなふりして最適の利益をえぐりとるような、えげつないすっぴんジャポニズムスタイルを、フジテレビが崩壊させてしまった。

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