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ジャニーズ・シングル南北論:関ジャニ∞が南下しすぎてドストエスフキーになった

■北上中:知る人ぞ知る楽曲職人がシングル曲を提供する時代
ジャニーズといえば古くは1980年代、アイドルへ楽曲提供する専門家がシングル曲を制作していた。「ベストテン」や「トップテン」といった生放送の音楽番組で生のオーケストラが伴奏して歌うことがしばしばあった。(今思えば豪華すぎる人件費の使い方だ!)
ギターだけでなく、バイオリンなどにもアレンジしやすい編曲、3分程度の生放送でサビが印象に残る曲が必要とされた。

歌謡曲を多角的に見たがるにオタクであればこの曲は筒美京平だ、こっちは馬飼野浩二だなどと制作側の話もその時代から気にしていたかもしれない。しかし当時、多くの中学・高校生は誰が作った曲など気にすることもなく、歌番組でシングル曲をたお小遣いをかきあつめ年に数回ドーナツ盤を買う…といった行動に出ていたのだろう。

 

■北極:誰もが知る有名アーティストがジャニーズに楽曲提供する時代
1990年代に入ってからは飛鳥涼と光GENJI「パラダイス銀河」、山下達郎とKinKi Kids「ガラスの少年」、スケボーキングと嵐「a day in my life.」、そしてスガシカオとSMAP「夜空のムコウ」など、有名バンド、シンガーソングライターがシングル楽曲を提供することが増えた。

デジタル音楽配信が生まれる前の時代、細長いシングルCDが飛ぶように売れた時代である。100万枚CDが売れるシングルが多発。年間チャートで10位以内に入るには200、300万枚売れないといけない時期もあった。

ヤマタツやスガシカオ…歌謡曲オタクでなくても、楽曲提供者がふだんどんな歌を作っている人か、誰もがが知っている状態となった。

当時はジャニーズ以外でも、小室哲哉が鈴木亜美、つんくがモーニング娘。、mcATがDAPUMPなど、楽曲提供者自体がお茶の間で知れ渡っているアーテイストであることが多発していた。だからジャニーズ事務所は単にその流行ににのっていただけと考えることもできるかもしれない。

しかし、ジャニーズが単に一部の女子中高生に消費されるアイドルを超えて、幅広い世代へシングル曲を通してテレビで認知を高めていく時代だったともいえる。

また、シングル曲はカラオケで歌われることも意識されてつくられていた。覚えやすいメロディーライン、1つの音符に1音がのっていて、練習せずともうまく言絶えるサビ。「せかーいで ひーとつ だーけーの はーなー」「あれからー ぼくたちはー なにかを しんじて これたかなー」国民誰もが容易に口ずさめるのサビ。この認知力の高まりで、ジャニーズは大幅にファンを増やしていった。

 

■北極付近で寄り道:ジャニーズ事務所公式のHIPHOP魂あふれるサンプリングトラック!

ちなみに、嵐「a day in my life.」はジャニーズのシングルの中でも抜群の企画力をもつ楽曲なので、ぜひ嵐がきらいというあなたにも聞いてほしい。

スケボーキングはHIPHOPを要素にしていたミクスチャーバンド。HIPHOPが誕生した際の最重要項目の一つ、サンプリングで最大限に遊んだシングルを作ったのだ。音楽におけるサンプリングとは、すでにある音源から1部分だけをコピペして新しいトラックをつくることをいう。

サンプリングは、ニューヨークの貧しい黒人の若者たちが楽器を買うお金もないなか、音楽を楽しむために発明された「ブレイクビーツ」を起源の一つとしている。レコードプレイヤーを2台用意して同じレコードをそれぞれのプレイヤーにのせる。1枚目のレコードでボーカルがなくなる間奏部分(ブレイクビーツ)だけを流す。間奏が終わりそうなころに、2枚目の同じレコードで同じ間奏の頭出しを出す。これを交互に繰り返すと、ボーカルのないかっこいいドラム音だけを永遠と聞けるのだ。

ディスコにいくおかねもなかった若者たちは道端でこのブレイクビーツを永遠とならし、踊ったり、ラップをのせたりした。これがHIPHOP文化の原型だ。

このブレイクビーツにラップをのせるアイディアが、サンプリングマシーンにうけつがれていく。お気に入りのレコードのかっこいいビートだけを1小節抜き出しループさせる。そこに新しく歌詞をつくったラップをのせて別の作品を作るのだ。

1990年代、音楽業界でHIPHOPが大流行して、メジャーの音楽となり、サンプリングの著作権が問題となった。有名なレコードのビートをサンプリングすると方角なお金をとられてしまうのだ。

そして、嵐の櫻井翔くんは20代前半、HIPHOPに興味を示していた。シングル曲にラップパートをつくりハードにラップする姿はサクラップとファンに呼ばれるほどだった。

おそらくこの櫻井君のオーダーもあったのではないかと思われる。「a day in my life.」では、少年隊の1980年代のヒットシングル「ABC」のブレイクビーツがサンプリングされているのだ。嵐、ジャニーズ事務所から公式にシングル曲を依頼されたスケボーキングが堂々と同じ事務所の大先輩の曲をサンプリングする許可を取って櫻井君のラップをのせた。これは商業HIPHOPの最大の遊び心であったのではないかと思う。嵐しか知らないジャニヲタの中学生は当時なにも把握してなかったかと思うが、少年隊を知る年齢で、音楽に興味があるリスナーであればこの茶目っ気のある企画にくすっと笑っていたに違いない。

世間で知られている旬のアーティストに楽曲を提供してもらうジャニーズ。ジャニヲタでなかった人が、アーティスト経由で興味をもちジャニーズのファンになっていく。シングル曲を通した顧客拡大!ジャニーズのシングル曲が北上を極めた瞬間であった。

 

■南下のはじまり:ファンクラブとコンサートツアーの肥大化

ジャニーズ事務所の売り上げといえば、広告出演料やテレビドラマの主演ギャラなどがイメージがつくかもしれない。しかしもう1つジャニーズには大きな売り上げの柱がある。ファンクラブ会費と、1年じゅう5万人クラスのドームで行われるコンサートツアーだ。

光GENJIの時代も、もちろんコンサートはやっていた。しかし1年に1回東名阪をまわる程度であったと記憶する。

まだ東京ドームなどでつかえる音響システム(走ったり踊ったりしながらオケをひろうイヤーモニターがなかった)や、3階席の人にもタレントが見えるような巨大モニター画面などの技術が未熟だったり、レンタル料も高かったので、たくさんのコンサートができなかったのではないかと推測する。

しかし、「北上」時代を通してジャニーズ事務所が、たくさんのグループを世間にしらしめファンクラブもたくさんできた。ファンクラブに入らないとコンサートのチケットが買えないシステムを導入したのだ。

これにより、タレント本人を生でみたいジャニヲタがファンクラブに殺到。ざっと主要グループを数えるだけでもSMAP、TOKIO、V6、KinkiKids、、タッキー&翼、嵐、NEWS、関ジャニ∞、キスマイ…グループごとにばらつきはあるが平均すると、1グループ30万人くらいはファンクラブ会員がいるのではないかと思う。入会費+年会費で5000円。単純に5000円×30万×10グループぐらいこれだけでも相当の売り上げになる。

5万人入る東京ドームで1つのグループが、1回のツアーでだいたい3日間くらいコンサートを行う。ここで毎回あたらしいペンライトをファンが買う。売価が2000円で、他にもバッグやパンフレットなどをかうと顧客単価がここでも5000円。これを年中どこかのグループがコンサートをするので売り上げはものすごいことになる。

さらには、テレビに出ない知名度の低いジャニーズJr.も帝国劇場、新橋演舞場など2000人クラスのハコで1年じゅうミュージカルなどを行っている。1回の公演での顧客人数は少なくても歌舞伎のように1か月(土日は1日2公演など)やるので売り上げと利益も大きいと思われる。

何が言いたいかというと、ぶっちゃけ、もうテレビや映画に出なくてもコンサートだけやってれば企業の売り上げは確保できてしまうということだ。

有名アーティストにシングル曲を提供してもらう「北上」をつづけ、お茶の間からふファンの数を増やしてきたジャニーズ事務所であったが、もうファンの数を躍起になって増やさなくても安定した売り上げと、メリー喜多川氏が専用ジェット機でハワイにいけるくらいの莫大な利益を得ることが可能となった。

しかも速水健朗氏は、ジャニーさん自身が若いころアメリカで夢中になったミュージカルをいちばん大切にしていると指摘している。事務所が大きくなり、テレビや映画へ出演するタレントも増えたがジャニーさんは、舞台の現場がいちばん好きなのである。

現に、2016年1月SMAP最初の解散報道があったときジャニーさんは一切コメントも出さず毎日帝国劇場でジャニーズJr.がやっているミュージカルを見に行っていたらしい。SMAPのテレビの売り上げや派閥争いよりも、10代の美しい少年たちがロープにつながりくるくると舞う姿をみたい!ジャニーさんとはそういうご隠居であった。

そして、こうした様々な背景をもとにジャニーズのシングル曲に「南下」が始まる!

 

■南極直前:匿名性のあるスタッフにシングルを作らせる嵐

2000年代あたりから、嵐をはじめとする中堅ジャニーズグループのシングルに異変が起き始める。作詞、作曲のクレジットを見てもだれかすぐにわからないのだ。たとえば・・・

リオ・オリンピック日本テレビの主題歌となった嵐のシングル曲を見てみよう。
Power of the Paradise(作詞:paddy、作曲:nobby、編曲:ha-j)。楽曲提供者が激しい匿名性をおびている。

一説によれば、ジャニーズは1990年代後半から、スウェーデンなど北欧のトラックメーカーに曲を依頼することが増えたという。匿名性がある名前の全部が北欧人の名前ではないだろうが一部で謎のアルファベット表記のクレジットがあれば北欧の人の可能性も高い。日本人の場合でも調べると、以前本人がボーカルのバンドをやっていたが売れずに解散し、ジャニーズの楽曲提供のスタッフにま割った人も多い。彼らもこのような匿名性のあるクレジットを使うことが多い。

(かといって、すぐに無名の彼らがシングル曲を提供できるわけではない。嵐のシングルは10曲のコンペで選ばれるという都市伝説もある。たとえ匿名性のある楽曲提供者でもものすごいコンペを勝ち抜いた曲が世に出ているというわけだ。)

そんな厳しいコンペを勝ち抜いてリオデジャネイロオリンピックの日テレタイアップの嵐のシングル、Power of the Paradiseの歌詞をすぐ口ずさめるだろうか。

私はムリだ。嵐の曲はサビのメロディーはかろうじて頭でなっても歌詞が口をでてこないものが多い。あらためてサビを歌詞をみると

Fly Fly Fly もう この瞬間
誰より高く はばたくため

とある。1つの音符に2音歌詞があてられている。しかもBPMを早いから歌詞が聞き取りにくいのだ。もう嵐のファンクラブ会員は鳥取県の人口を優に超えている。お茶の間のファンを拡大する必要もない。ファンでもない人がテレビに1回聞いた曲を口ずさめるようにごまをする必要がない。

嵐は、コンサートで映えるシングル曲を作り始めるようになったのだ。かろやかなダンスステップを邪魔しない曲、巨大トロッコにのって東京ドームをぐるぐる回りながらメンバーが客に手をふるとき邪魔にならないブレイクビーツのような曲。匿名性をもった楽曲提供者と嵐はどんどん南下していく。

さらに嵐はダンス重視でシングル曲は口パクで歌うことが多数。大野君の声を強めに4人の声を3和音などではもらせた無機的な加工が多い。感情をこめて怨念がましく歌詞を歌い上げるシングルではなく、シンセサイザーのようにさらさらとメンバーのボーカルも流れていく、口パクの様式美ができあがった。

高いギャラを払って大物アーティストにシングルを1曲作ってもらうより、匿名性の高い楽曲提供者にいくつも曲を提供させ、嵐がコンサートで心地よく使える曲をコンペで選ぶようになったのだ。

とはいえ、嵐のシングルにはお茶の間とつながる「タイアップ」という強力なコミュニケーションツールを今ももっている。日テレのオリンピック番組しかり、テレビドラマで主演をすればエンディング曲は嵐の曲がタイアップされる。まだファンクラブに入っていない視聴者を新規会員にしている間口は開かれているのだ。

 
■南極に到達か:関ジャニ∞のシングルは、タイアップもない、歌詞も聞き取らせない
そんな嵐を尻目に、先に「南極」にのぼりつめそうなシングル曲が2016年夏、発売された。関ジャニ∞「罪と夏」である。曲のタイトルこそドストエスフキーの名作のだじゃれでキャッチ―だがそれ以外の要素は南下の極み、南極圏に突入している。

まず、タイアップが何もない。南極だ!ちなみに1つ前のシングルは、錦戸亮が主演を務めた時代劇ドラマとタイアップをとっていた。今を時めく「レキシ」こと 池田貴史にドラマのテーマソングを依頼。しかしこれが関ジャニ∞史上ワーストにちかい売り上げとなってしまった。売れなかった要因のひとつは、レキシがジャニーズを敬遠してたのかあまり制作に時間をかけなかったことがあげられる。池田はラジオで「フェスで北海道にいったときホテルの中で1にちでつくった」といっていた。短時間で歌詞もねれておらずレキシファンが好きな笑いの要素がなく、BPMもおそいバラードとなっていまった。関ジャニ∞のファンは賑やかなシングルを好む傾向にあり、バラードはただでさえ売れない上に、レキシに依頼できたという期待とのギャップでますます売り上げが落ちたと思われる。と、前段が長くなったが、前回のタイアップの失敗があり、夏のシングルはタイアップをつけてもらえなかったのかもしれない。

「罪と夏」の作詞作曲は、若手クリエイター二人組でジャニーズでは初の依頼のようだ。
プロフィールを見ると以前、それぞれバンドのフロントマンをしていたようだが2014年あたりから楽曲提供の裏方にまわったとプロフィールに書いてあり、ジャニーズ南下シングルのひとつ匿名性がたもたれている。

そして、歌詞が絶望的に聞き取れない。1つの音符に、4音言葉がはいる譜割りもある。早口すぎるのだ。またラップとも言い切れないセリフ回しが早口で入る部分もありテレビで5回くらい見ても歌詞を口ずさめない。

なぜこんな南下の極みな曲をシングルにしたのか。関ジャニ∞はもうジャニーズ事務所に見放されたのか?筆者が絶望しかけていたとき、夏のコンサートツアーのパンフレットを入手した。

横山裕のインタビューによれば「今回のシングルは、コンサートツアーのための曲として企画した。」もはやテレビ番組を無視したつくりとなっていたようだ。たしかにコンサート会場ではオープニングで披露され、歌詞は聞き取れないがBPMもはやく手拍子でノリでもりあがれる、BGMのようなシングル曲だった。ジャニーズはどんどんファンクラブ会員へむかって内向きになり、テレビを無視した南極シングル曲を出すようになったのだ。しかも、前回のタイアップ曲よりも販売数は増えた。ジャニーズの企業としての利益率もあがった。

ジャニーズにとって、シングル曲は新規ファンを獲得するツールから解き放たれ、コアなファンとコンサート会場で楽しい時間を共有するためだけにつくられたBGMへと南下している。

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