音楽と言葉/グレン・グールドとゴルトベルク変奏曲
第一幕 音楽と言葉の小史
……もしも、今存在するものとは違った、パラレルな形で発達した現代の音楽を夢想することを許されたとしても、案外我々にはその想像の余地がもはや残されていないことに気づく。というのも、少なくとも西洋文化がまるごと否定されない限り、ラジウムや天体や電気が発見されない世界同様、音楽がプリミティブな状態のまま残されている可能性は極めて低いし、我々の感性が深刻な変容を向かえている可能性も低いからだ。加えて、音は最初に人が自我を持ったときからその傍らにあったものであり、その認識は、美学的な問題の前に、まず世界の法則の発見だった。そして何より譜面、コード、音階、それら、書かれ、記録されたものとしての現代の音楽世界の外の音楽を夢想することはいまや不可能だ。我々は重大な退化を経て、五線譜で表されない音楽を想像する力を失ってしまったのだから。
西洋は長い音楽における暗黒時代のあと、たった数百年の魔法で音楽を言葉にしてしまったが、その最初の一撃はやはり(言葉における旧約聖書がもたらしたあの一撃と同じく)、九世紀から広がり始めた最初の譜面音楽としてのグレゴリオ聖歌だった。西洋はまず、宗教音楽に対する素朴な注釈(ネウマあるいは対律)によって音楽という運動を書かれたものに移し替え始めた。音が書かれたものに移し替えられることは、それ自体がほかの自然現象の能記と同様に、神の威光を書き留める一つのパッションを通わせた試みだった。そしてそれはやがて、素朴な自然崇拝から神学ー科学信仰への推移を経て、音の能記と、音を通じた世界そのものの掌握に対する壮大な野心に変貌していくことだろう。しかし、その時はまだ、そこに聴衆自体の快楽は想像されていなかった。現代では不快ですらありえるその地鳴りのような単旋律の歌は、本来の意図とは裏腹に、ダイモーンの喚び声のようにおどろおどろしい。しかし、それはムジカ・ムンダーナ(天上の音楽)に向けられたムジカ・インストゥルメンタリス(楽器の音楽)の無力さ、そして能記され得ないはずの天上の音楽を再現しようとする自己の未熟さの自覚があったのではないだろうか。
だが言葉と音がひとつであったグレゴリオ聖歌の、聖なる三位一体の響きに満足しない人々が、素朴なシンフォニーのための一線ーー歴史的な第二撃ーーを書き加えたとき、天上の調べへ向かう野望は音楽(偶然にもそこには楽しみという意味が含まれる)と変貌し、同時に音楽は徐々に、聖なる単旋律、無伴奏の言葉=音楽から離れ、世俗音楽と交わり、快楽と複雑に近づくことになった。音楽と数学がその法則性への強い依拠によって比較されるように、音楽理論において、より単純な仕組みによって世界観全体、つまり神の創造したこの世界自体を理解することが求められる一方で、その奥深い快楽の源泉を紐解くとき、徐々にそれは書かれたものの複雑さとして、天上の音に対立していくことになる。この対立は、バッハのマタイ受難曲においてうががうことが出来る。神の言葉は未だシンプルなユニゾンで歌われる一方、誤解や矛盾を孕んだ言葉は複雑な対位法で歌われているような形で見出される。この一方で科学的な音の検分は益々進み、自然界の無調から音色の階層を発見するという作業や、諸所のコードの発見の後、徐々に音は見え、書き記すことのできるものになった。そして、近代において神が死に絶えるほんの数日前、五線譜の上で表現できない音楽はなくなったし、もはやそれを求める必要も忘れたのだった。
翻ってこの音楽の快楽の欲望は順調に育ち、今や、音楽の主部は五線譜の上の音符の列であり、レコードの溝であり、ハードディスクの記憶するビットデータであり、ひたすら能記され、蓄えられ、何度でも誰でも楽しむことができる「読み物」となった。だが音楽は自らを快楽装置に、そして書かれたものに変貌させるため、何百年か前にとある水路を埋め立てた。この音楽世界とは常に既に書かれたものの世界であり、音楽自体への出会いは、全て書かれた記号と形式にお膳立てされている。譜面においてもレコードにおいても、再生可能であることこそ第一の美質である。通り一面に良い演奏とは、まず持って「譜面通り」再生されているという意味合いを持ち、アーティストもライブではオリジナルのCD通りの正確な演奏が求められる。初めて聞いたのに耳にすぐ馴染むようなポピュラーソングは、常にお決まりのコード進行によって裏打ちされている。これらの出来事についてはそもそも嘆きようも論駁しようもない。(そして勿論、快楽自体が問題なのではない。問題は快楽のコード化、規範化、大衆化なのだ。)しかし繰り返すが、言葉の外における人々と音との出会いというものは、想像する余地がない。音楽の経験全体が、コードと進行という純然たる快楽と感性の原則の上に(例えフリー・ジャズのような全くの離反であっても)規定されているからには。
だが、このような当惑すべき事態の渦中にあっても、譜面と奏者の間、レコードと聴衆の間ではいつも何かが起こっている。そうだ、譜面は、ただの干からびた音の無尽蔵な蓄えであるはずがない。何百年前のものであれ、現代のものであれ、譜面が決定的に音楽とは異なるものであるのは変わらず、その歪みに向き合うピアニストたちが、それに気づかないはずもないのだ。
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第二幕 解釈者 グレン・グールド
……話は一夜を挟み第二幕へ移る。グレン・グールドの1955年、および1981年録音の「ゴルトベルク変奏曲」について語り始めたい。この曲は1742年にJ・S・バッハによって書かれた、最も有名な変奏曲のうちの一つである。この一時間足らずの曲は一つの低音主題について、まず美しいアリアをもって紹介し、その後に30もの多種多様な変奏曲を、時に激しく、穏やかに、華美に、幽玄に展開した後、最後に再びアリアで閉じるという構成で制作されている。その数学的な構成美や途方もないアレンジの引き出しの細緻を一旦置き、この曲についてその概観を与えるとするなら、グールド自身によるライナーノーツの最後の部分を引用するのが適切だろう。(グールド自身の言葉はまさに彼の演奏自体と人馬一体を成しており、インタビューだけを見てもその諧謔と底知れぬ深慮が窺い知れる。)
ーーそこに始まりも終わりも見据えず、真のクライマックスも結論も経ず、まるでボードレールの恋人たちが「気ままな風の翼によりそう」がごとき音楽である。それは感性的洞察を通したある統合によるものだが、しかしその統合は技術と研鑽から生まれ、その熟達をもって結ばれた統合でもある。そして芸術においても数奇なことに、この曲はその潜性力の最高潮において、われわれの潜在意識に訴えかけてくるのだ。(抄訳)
さて、この曲の正式名称は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」であり、およそ300年後に、カナダ人の若いピアニストであるグレン・グールドがこの曲を弾き直し、更に25年後の晩年に、完全に刷新した形で再び録音するという事態が、既に大幅な危険の横断を前提としていることが伺える。チェンバロは現代人にとってほとんど馴染みのない楽器だろうが、ピアノよりもか弱く繊細な響きを生む楽器であり、古楽器をモダン楽器で演奏し直すという行為に一定の批判は存在し続ける。(現に、グールドはローリングストーン誌のインタビューにて「チェンバロとピアノは明らかに違う楽器だ」と発言している。)だが、そのことは今は問題ではない。もっと正確に言えば、彼はそのことを含めて、譜面を演奏するという行為をまるごと扱い、問題化している。だからこそこの演奏は今でも燦然たる地位に預かっているのだ。
1955年に彼がこの曲をデビュー曲として録音したが、アリアから第一変奏に至るときに始まる強烈なチェンジ・オブ・ペースーーそれは1981年の版には、より強く叩かれる打鍵に変わったがーーには、いつでも横面を張るような強い衝撃がある。あるいは13変奏から14変奏に至る強調された苛烈さなどは、まるでバッハ自体の耐久強度を測っているようで、同時にいつでも演奏は我々に対して、音楽の教室で最初に与えられたバッハのあの陰鬱な肖像を、どれだけカリカチュア化できるか試すように迫ってくるようである。それらは、バッハ専門家の持つバロック特有の典雅さや幻想美への回帰ではなく、譜面の持つ実測的な効果を注意深く見聞し、深読みすることで先読みして波を形成する、一つの実験。
一つの主題から次々と別の言葉を引き出し、それらがあるルールのもとで矢継ぎ早に行われるという変奏曲の趣向において、それらは譜面自体がそうであるように、やはり演者にとっても連想ゲームのようにパロディ的であり、楽しげなものでなければならない。この点で、グレン・グールドは確かに偉大ではあったが、同時に常にひとりの、無口で孤独な大道芸人(ちょうどカフカの断食芸人)のようだった。彼は譜面から立ち上がると、おもむろに体操をはじめる。それは譜面自体のストレッチであり、快感原則の柔軟であり、音楽と言葉の間をつなぐ間接の柔軟もである。彼は、つねに誰も見ていない街頭の死角で地図を取り出し、数分ほどそれを押し広げたあと、急いで仕舞い、また次の街角へと去っていき。その繰り返しの中、休みなく一日を終える。これはゴルドベルグ変奏曲自体に格納された運動でもあったが、同時にグレン・グールドが拡張した運動でもあり、運動はこの変奏曲の中で休みなく持続されることになる。一つにはバッハ自体の拡大のために、もう一つはやはり奏者としての歓びのために。
そしてこの実験は、二十六年後の再録によって、更により高度な完成を迎えることに成る。1955年の初録から1981年の再録に至るまで、一人の人間にはあまりにも多くのことが起き得るし、取り返しがつかない断絶もあったことだろう。そして、それは彼のバッハへの解釈をまるごと更新するほどの厚みがあった。1955年に1分53秒で演奏されたアリアは、26年後の録音では3分5秒で演奏されることになる。彼は自らの25年を、バッハと自分の間にある300年と対立させるような形で、一つの視差を作り出した。つまり、彼は自らの中に横たわる二つの時間を、同じ譜面に向かって正確に記録することによって、バッハへの注釈を二重化させた。そしてそれは、丁度アリスタルコスが天体の距離の視差を利用してその実際の距離を測ったような方法で、バッハという譜面と我々の距離をより明らかにするように機能する。バッハという言葉をより柔軟に解釈するための、一つの基盤を作ったのだ。
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グールドはスヴャトスラフ・リヒテルについてのインタビューで、世界には二つの演奏家が存在すると語った。片方は、楽器のとの相関性をその本分とするアーティストであり、リストやパガニーニのような存在が代表的だろう。しかし一方で、スヴャトスラフ・リヒテルのように、演者と譜面との繋がりを示すアーティストが存在すると語る。そして私の見立てでは、まさに彼が語るこの第二のカテゴリーこそ、グールド自身が自己に任じているカテゴリーなのだ。
確かに前者のような超絶技巧のアーティストの演奏が、譜面との関係を差し置いて、演奏家の名において語られてしまうのは仕方のないことかもしれない。しかし後者に関してはどうだろうか。例えば、各人が同じ曲を譜面通りに弾いていても、演者の演奏によって与えられる印象にこれほど違いが出るのは、それ自体が非常に愉快で豊かなことだ。だが、いくつかの非常に稀有な演奏の中には、時に、それがどれだけの超絶技巧で行われているとわかっても、そんなことがまるで問題でない瞬間がある。それは譜面=言葉からでは逆算できないという関係上、常に譜面が取りこぼすものであり、コードと譜面によって完璧に説明された快感原則がひたすら覆い隠そうとする何かの存在を匂わせているのだ。そしてこのような存在自体に注意を向かわせることで、譜面全体の解釈を拡大してしまうようなアーティスト達がいて、それはリヒテルのシューベルトであり、グールドもまた『ゴルドベルク変奏曲』を通して行ったことだった。
そして、常に言表化を拒みつつも我々の感性の裏地にねっとりとこびりつく、手持ちのどんな情感や形容法もふさわしくないようなこの特別な感じ方、この解釈こそは、同時にレコードを聴く我々の、音楽と言葉(批評家)の問題でもある。確かにそれらピアニストのそれぞれの譜面との関係性は、「ピアニストの個性」のような紋切り型以外の形で名指すことが非常に困難だろう。だが逆に言えば、我々のこの感じ方の批評にはひとつの逆転の可能性がある。そこには、言葉にならないからこそ長く放置された鉱脈が、黄金の体験として残されているはずなのだ。ピアニストには譜面を解釈するという喜びがあるように、我々には奏者と譜面の持つ銀色の紐帯を見据えて、批評する喜びがある。我々は、ピアニストがその技術の髄を持って単なる再現性を超えて発揮するその権能に対して、常に身構えつつもあくまで不心得のままでいて、自身が持つ既存のヴィジョンを裏切るようなその奇襲を、あまさず受け止め、言表の可能性を模索する必要があるだろう。…それが音楽と言葉の密着の隙間に穿つ一撃になりえることを祈念して。
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