おれはいつ「おれ」を識るのか
おれは「おれ」であり続けるために、とにかく次から次へとあらゆるものに変形し続けていった。おれは変形したモノの一人称を奪い取って、あたかもそのモノであるかのように語り(=騙り)続けてきた。それでは、おれが「おれ」という一人称代名詞であり続けるためにはたえず話し手であり続けなければならないのだろうか。話すのをやめたとき、おれは「おれ」でなくなるのだろうか。
だがしかし、おれはあるときは、いや、むしろ存在してきた多くの時間について、話をすることもできず、話を聞いてくれる相手もいないような「おれ」であったのだ。言葉を口にしないとき、おれは五感を働かせて、たえず周囲の様子を観察し続けていた。それは今、おれが何者であるかを確認するためであり、観察したことを記憶していずれ誰かに語るためであり、そして次に何へと変形すればよいのかを知るためであった。
おれは「おれ」に関するあらゆることを記憶している。だから、ある時点での「おれ」が何者かということについて話をすることはたやすい。だが、真実のおれが何者であるか、おれの本質がどこにあるのかを説明することは非常に難しい。だから変形を続けながら、おれが「おれ」としてあるという「おれ性」とでもいうべきものがあるのだとすれば、それがいったい何なのか、おれは知りたかったのだ。
おれを変形し、同時におれが「おれ」であり続けるために、変形のたびにたえず一人称を奪い続けなければならないという運命を与えたのは、あの男、いや、あの「手」だった。「手」が何物なのかを説明するためには、かつておれが伝書鳩だったときの話から始めなければならない。
伝書鳩だったころ、おれは自分が何者であるかなどと考えてもいなかった。当時のおれは、おれがおれであることさえ意識していなかった。おれは単純で唯一のおれであって、それで十分だったのだ。おれがいま、自分はかつて伝書鳩だったのだ、と語ることができるためには、まず自己を「おれ」であると認識する過程を必要としたはずである。しかし、それがいつだったのかおれにはわからない。気がついたときには、おれは自分がかつて
血統の正しいすぐれて美しい鳩で、利口でもあり、多くの手柄をたてて、足には通信管のほかに、アルミ製の赤い「英雄勲章」とつけていた。
ということを知っていたのだ。
だが、おれはいつまでも伝書鳩であったわけではない。戦争が終わり管理する者のいなくなった鳩舎に「手」が現れて、おれは「手」によって伝書鳩から見世物小屋の手品の鳩へと在り方を変えられた。このときはまだ、おれは鳩としての体と生命をもっていた。それは単なる役割の変化であって、おれが変形してしまったわけではなかったかもしれない。
しかし、その後におれは鋭いメスで体の中身をえぐり出されてはくせいにされてしまった。おれは「手」に売られてあっさりと生命を奪われてしまったのだ。それでもまだ、おれははくせいとして「おれ」であり続けていた。ようするにおれの「おれ性」は体の表面に残っていたのだ。
そのときまでは、まだおれにも最初のおれとつながっているような感覚が残っていた。だが、それからおれはかまどにほうりこまれ、燃やされてしまい、その代わりに今度はおれをモデルにして作られた鳩の銅像へと変形したのだ。こうした変化をとげたあとにもおれがおれであるというのならば、おれの「おれ性」というのはおれのフォルムに宿っていたということだろうか。
銅の塊となったおれは、さらに「平和の鳩」として四辻に立たされた。おれは物体としておれであると同時に、おれを見るものがいだく平和という観念とさえなったのだ。つまるところ平和=おれである。
だが、おれが平和であった時間もそう長くは続かなかった。おれに変形の運命を与えたはずのあの「手」が再びおれを変形させようと、その手を伸ばしてきたのだ。おれを売り払ったことを後悔し、不幸な日々を送ってきた「手」にとって、おれは「平和」ではなく「不幸」の象徴であったのだ。「手」はおれを「平和」の座から自分の「不幸」な運命へと引き下ろして片づけてしまおうとした。おれから一人称を奪おうとしたのだ。
「手」によって平和の座から引き下ろされたおれは、その後に工場で溶解されて、様々なものへと加工された。それでもおれはまだおれであった。ということは「おれ性」はフォルムに宿っていたわけでもないらしい。いまやおれの「おれ性」はその金属としての成分のうちに含まれてしまっているようなのだ。
そうして成分となったおれは、一つのピストルの弾へと変形を遂げた。まもなくピストルから発射されたおれは「手」に向って真っすぐ走り、いくらかの肉と血をけずり取って、そのまま通りぬけ、街路樹の幹につきささってつぶれた。
こうしてようやくおれは最後の変形を完了したというわけである。もうこれ以上、変形を続けなくてもいいというのは気楽なものだ。おれはいま、ゆっくりと椅子に座って、あるいは寝そべった状態で、一冊の本を手に取り、紙の上のインクの染みに視線を走らせている。おれが読んでいるのは安部公房という小説家の「手」という短編小説である。おれは、いまおれであるところの「おれ」に変形することによって様々な知識を手に入れることができた。文字を読む能力もその一つである。戦争や「英雄勲章」というものが何なのか、平和とはどういう意味なのか、伝書鳩がどういった生き物なのか、そういったあらゆる知識を、この「おれ」はおれに与えてくれたのだ。ということはつまり、おれが「おれ性」について考えはじめたのは、おれが変形を完了して以降、おれがおれ以外の何者にも変形できなくなってしまってからというわけなのか。
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