批評家にとって「新・」とは何か
A.関連
2016年6月10日発行のメールマガジン「ゲンロン β3」に掲載された東浩紀の連載「観(光)客公共論 #10 批評とは何か(2)」において、東は1980年代の末まで日本の言論空間で大きな位置を占め続けていた「批評」というジャンルが、1990年代に入り自壊し始めたとし、その際の書き手の対応を大きく4つに分類している。
そのうちの一つとされ、東自身がその代表である「ゼロ年代批評」は、「批評」の「オタク化」(趣味化、ゲーム化)をその特徴としており、2000年代において批評の大きな流れとなっていった、ということが連載の中では簡単に紹介されている。
ところでこのような、それまであるジャンルをまとめていた「力」の失墜と「オタク化」という現象は「批評」以外のジャンルにもみられるのだろうか。
批評再生塾第1期の最終課題として提出された吉田雅史の論考「漏出するリアル~KOHHのオントロジー~」では、ラップの鍵概念とされる「リアル」が、日本語ラップ史の中でどのように変遷していったかを、以下のような流れで示していた。
1985~1994/昭和60年代にJ-RAPが象徴していたエンタメ主義への反撃としてハードコアラップによって持ち込まれた「リアル」は、1995~2004/昭和70年代には「帝国」=「渋谷」とその「周辺」「亜周辺」との対立構造のなかで、自分たちのほうがより「リアル」であるという「周辺」から「帝国」に対する反撃の文脈で使われるようになった。しかし、2005年~2014/昭和80年代になると、日米問わずラップ史を等価なデータベースとして獲得している「オタク」的な感性を持った新世代のアーティストたちの出現によって、これまでの対立軸が越境され、「反撃」=「リアル」の構造を無効化するような、いわば日本語ラップ史そのものに対する反撃が起こった。そうして反撃に依拠しないことこそが「リアル」であるという状況となることで、「リアル」の有効性が失墜してしまった。
こうした流れからは、これまでジャンルを構成していたあらゆる要素を解体してデータベースとして消費するようになった「オタク」たちが、かつてジャンルをまとめるものとして機能していた力や対立構造を無力化し、その中から自分好みの(萌え)要素を抽出して自在に組み合わせることで、より自由に、アクロバティックに活動を展開してくようになった様が見て取れる。
B.場所
吉田の論考では、本来「リアル」がもたらすのは悲哀と反撃の二つの要素であったが、日本語ラップ史は長らく「悲哀」を欠いており、KOHH と志人という二人のラッパーが、「私性」を持ち去ることによって「リアル」から失われていた「悲哀」を再生させたことが述べられている。
さらにラップから「私性」を取り払うことは、「悲哀」を取り戻すだけにとどまらず、ヒップホップの根底を流れる思想の一つとされる「セルフ・ボースティング(自己を誇る)」や、重要な理念とされる「レペゼンする(代表して誇る)」といった要素を希薄化し、過剰な私を語らないことによって「反撃」を「独歩」へと転回したとされる。
1994~2004/昭和70年代においては、「帝国」=「渋谷」対「周辺」「亜周辺」の対立構造が日本語ラップの中心としてみられていたというように、当時のラッパーにとって、自らの所属する場所を「レペゼン」することは大きな意味をもっていた。ラップから私性を持ち去ったとされる志人もまた、2003年頃には高田馬場をレペゼンして活動していたのだ。
しかし志人は、その後、「帝国」の「周辺」を離れ、いくつかの移動を経て、現在は「死を意識しながら、感覚を鋭くするため」に京都の山林の中で生活していることが示されている。
一方、KOHHはどのような場所をレペゼンし(あるいは求め)ているのだろうか。論考ではKOHHの出自についても言及され、彼が東京都北区の団地育ちであることが示されているが、引用されている彼のリリックからは北区の団地をレペゼンしているような内容は見られない。そこでここでは、引用されている彼の削ぎ落とされたリリックの中から、シンプルな言葉を拾い上げ、そこに刻印されているレディメイドの価値を読み取ることで、彼の求めている場所をそのままストレートに受け取ることにしたい。
次はどこに行く
渋谷 原宿
代々木とかがいい
(KOHH「Glowing Up」)
一見すると、これは「帝国」とそこに隣接する領土を表しているようにも見える。しかしここでは、その三つの場所が隣接しているある場所にこそ注目してみたい。実際に地図を俯瞰してみれば一目瞭然だが、三つの場所に寄り添うように存在するその場所こそ、『ゲンロン2』のインタビュー「種の慰霊と森の論理」で中沢新一が、東京のどまんなかに存在するサンクチュリア(聖域)と称した、明治神宮である。
C.時間
元号とは、君主がその支配権を空間のみでなく時間にまで及ぼすために建てる時代の名称である。元号は吉事や凶事を理由に改元される場合もあるが、日本においては1886年に一世一元の制(元号を君主の在位中に変更しないこと)が詔によって定められ、1889年には旧皇室典範第12条によって法的に明文化された。その後、1947年に施行された現皇室典範では元号の規定は明記されず、その法的根拠は一旦消失したが、1979年には元号法(第2項)により「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」と定められ、再び法的に明文化されている。
元号が変わるためには、君主の交代が必要である。しかし、ここでは日本語ラップ(および批評)について論じている以上、君主という言葉をそのまま用いることは適当ではないだろう。そこで以下では、君主を象徴という言葉に置き換えて考えてみたい。
D.再生
批評再生塾第1期の最終課題は「『昭和90年代』の『批評』」をテーマとして設定されていた。しかし、もちろん実際にこの課題が出されたのは「平成27年(正確には平成28年か)」である。では、それを「昭和90年」と読み替えることにはどのような意味があったのだろうか。
明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を御祭神として祀っている。昭和90年の今、その場所へと向かおうとすること、そこからは「私性」を取り払って「悲哀」を再生し、それを「リアル」であると実感するためには、何が必要だったのかが垣間見られる。
聖域とは、ある選ばれたもののみをその内部へと受け入れる、外とは隔てられた空間、ある種の孤独な場所である。また、明治神宮の造営がはじまったのは1915年、それは2015年から遡るとちょうど100年前となる。
このことは「悲哀」を再生し、さらに「反撃」を「独歩」へと転回するためには、孤独になるための外界から隔てられた場所に加えて、時間的にも「今」から遡行して距離をとることを必要としていたことを表しているようにもみえる。より極端に、志人にいたっては、明治・大正期よりもさらに前の時代に元号を更新するための「象徴」の存在していた土地=京都の森にまで遡ることを必要とした。
それでは、再生のためには「現在」における象徴から距離をとって孤立し、さらに「過去」に存在した象徴を求めて、ある程度の時間を遡行しなければならないのだろうか。
もし、そうしなければならないのだとすれば、批評を再生するために現在を「昭和」と読み替えることに意味を見出すことができるかもしれない。
「ゲンロン1」の「創刊にあたって」において、東は批評と現実の「関係しているようで関係していない」距離感について語り、批評とポリフォニーの呼び替えにも言及している。そこで「批評」は、現実と距離を取りつつも決して孤独なものとしては語られていない。批評とは、聖域に閉じこもり独歩をつづけるものではなく、道に迷って目的を失うことはあっても、好奇の喜びを求めて絶えず何かと関係しようとするものである。
あるいは昭和に拘泥し独歩を続けることによっても、一時的に批評を再生させることはできるかもしれない。しかしそれは、東が「少なくとも三年のあいだは復活させる」としている限定的な復活にすぎず、新たな転回によって先へと伸(延)びていくものにはなりえないのではないだろうか。
批評再生塾において、「再生」と謳われているものの意味は、単なる過去への回帰や、必死に聖域を囲い込んで希少なものを外界から守ることではなく、外側との距離を模索しながらも、これから先へと進んでいくための「新生」としてあるべきではないか。
E.批評
吉田の最終課題が提出された際のTwitter上のやり取りで、東は「……KOHHのYouTubeにはアクセスすらしていない……」「ヒップホップってなんか怖いよね(小波感」とコメントしており、その後、おそらく現在に至るまで、評価・価値判断をくだすほどにラップを聴きこんでいるとは考えにくい。
しかし、講評会で東は吉田の論考を支持し、最終的に吉田は総代に選らばれている。それは吉田の論考に、東にとって批評とヒップホップの間を越境し接続させるだけの力があったことを示しているのではないだろうか。
その後、2016年4月27日にゲンロンカフェで行われた「批評再生塾第1期贈賞式&第2期キックオフイベント」(くしくも「第1期」と「第2期」を越境・接続するようなイベントである)において東の前で、ラッパー/ビートメイカーたる吉田が自作のラップを披露し拍手を受けたということには大きな意味・意義があったといえるだろう。
総代となった吉田のスキルフルなヴァースによって締めくくられた第1期につづく第2(3、4…)期には、さらにそれを超えていくフック・パンチラインをもった批評を提示していくことが求められるだろう。
そこで奏でられる批評とは再生ではなく新生である。それこそが、今まさにあなたがこの文章を読んでいる、批評再生塾のプラットフォームである「新・批評家育成サイト」が「新」と冠されている所以ではないだろうか。
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