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死民批評宣言

 

1. 市民社会が生み出す「死民」

 

 民主主義という政治形態が「広告」と同じ原理から成ると言ったのは、柄谷行人である[1]。私たちは、広告が私たちを誘導する目的でつくられていることを知りながら、なおその広告に誘導され、商品を購入している。自分を動かすものの手の内を知りつつ、敢えて/主体的にそれに動かされているのだ。このような広告と大衆の関係は、民主主義社会における権力者と市民の関係にもそのまま当て嵌まる。民主主義を標榜する社会では、権力者は市民の支持を得て権力者となる。市民は、自分を動かす権力者の手の内を知りながら、敢えて/主体的にそれに動かされることを選ぶのである。

 権力者が市民の支持を得て権力者となる、民主主義のその心は何か。それは、平等の理念である。近代の民主主義社会は、中世の封建的身分制度の否定の上に誕生した。身分という政治上の差別構造を廃し、法の下に平等たる市民の同意によって権力が発動する政治形態を採択したのだ。だが、現実にはどうか。民主主義社会の至るところに、差別の構造が存在している。人種差別しかり、地域差別しかり。(それらの問題は、経済的不平等と相俟って、より複雑な相を呈している。)民主主義のシステムが、その理念に反して、差別構造を孕んでしまうのはなぜなのか。「広告」の原理は、そのカラクリをも説明してくれる。

 ひとつの広告が、大勢の人々を動かす。なぜそのようなことが可能なのかと言えば、それらの人々の間に、共通の欲望や性向があるからである。共通の欲望や性向をもつ人々の集合を共同体と呼ぶならば、ひとつの広告が通用する範囲は、ひとつの共同体の範囲を規定する。広告は、同時にまた、その共同体に共通する欲望や性向を強化する方向にも作用する。民主主義のシステムも、これと同様である。民主主義社会における権力は、共通の欲望や性向をもつ多数の市民の支持を得て、権力となる。ひとつの権力が支持を得られる範囲が、ひとつの共同体の範囲を規定し、同時にまた、選ばれし権力が、その共同体に共通する欲望や性向を強化してゆくのである。このようにして民主主義社会は、共通項をもつ者たちの結束を固め、一方で、共通項をもたない者たちを共同体の外側へと追い遣る。民主主義は、その原理のうちに、差別構造を孕む政治システムなのである。

 私たちはこれまでに、民主主義社会のもつ差別構造の犠牲者「死民」を、大量に生み出してきた。(つづく)

 

2. 死民の声をきく

石牟礼道子の『苦海浄土』を論じる。

 

3. 死民社会

石牟礼作品から読み解ける近代の想像力を徹底した先に「死民社会(市民が消滅し、すべてが死民となる社会)」を見出す。そこから再度『苦海浄土』を論じる。

 

[1] 柄谷行人「政治、あるいは批評としての広告」『言葉と悲劇』講談社学術文庫、1993年

文字数:1164

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