印刷

探求1854-20XX

 

世の中の「中心」にいるのは、いつだって、強い者、豊かな者、あるいは人気者。弱い者、貧しい者、人気のない者は、「周縁」に追いやられる。これはもう、普遍的な構造。絶対的事実。それを認めたうえで、私はこれから、「中心」にいる者の「中心性」について探求する。あるいは、「中心」にいる者の「中心性」のなさについて。

 

150年前の話から始めよう。江戸時代末期、長い鎖国の時代を終えるとき、日本は突如として西欧列強に囲まれた。西欧諸国はその前の数世紀をかけ、圧倒的軍事力をもって、世界中の国々を次々と植民地化していた。日本は幸いにも植民地化を免れたが、列強との不平等条約の締結を余儀なくされた。不平等な西欧諸国と日本の政治的・軍事的力関係は、日本社会の隅々にまで影響を及ぼした。衣食住のすべてにおける生活様式、身分制度や憲法・教育等さまざまな社会制度、思想や文化、ありとあらゆる側面で、日本は西洋化した。強い西欧諸国と肩を並べ、不平等関係を解消するために。もちろん、芸術の分野も例外ではない。西洋の美術・音楽・建築は、怒涛の如く日本へ雪崩れ込んできた。

一方で、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本美術が西欧の芸術に影響与えたという、ジャポニスムと呼ばれる現象がある。私たちは「ジャポニスム」と聞くと、開国によって日本美術の素晴らしさが西洋人の知られるところとなり、彼らに衝撃を与え、評価され、西欧芸術に大きな影響を及ぼした現象として、胸を張りたいような気分になるかもしれない。確かにそれはその通りなのだが、しかし、西洋の日本美術に対する評価が、あくまで上から目線だったという事実を見逃してはならない。

西洋人による日本美術の評価には、極端な偏りがあった。まず、浮世絵が極端にもてはやされたこと。中でも、葛飾北斎が極端に礼賛されたこと。また、浮世絵とは比べものにならないほど芸術性の高い仏教美術や水墨山水画が、ほとんど無視されたこと。このようなアンバランスな評価は、西洋に畏敬の念を抱き隅々まで模倣しようとした日本人とは対照的に、西洋人には日本文化や日本美術を正当に評価する気など端からなかったことを表している。彼らはあくまで彼らの都合で、日本の美味しい部分をちょいっとつまみ食いしたまで、というわけだ。「ヨーロッパが形成した日本のイメージは、いわば彼らがこうあって欲しいという願望に基づいた像であり、それこそがジャポニスムを性格づけて」おり、「ヨーロッパ人は、日本のありのままの姿を研究しようなどという、殊勝な考えは持っていなかった」のである(馬渕明子『ジャポニスム 幻想の日本』)。さらに、日本美術を紹介する西洋人の文章には、賛美の言葉とともに、日本への蔑視や優越感むき出しの表現が散見されることを馬渕は指摘している。

音楽の分野に広がったジャポニスムについても、同様のことが言える。サン=サーンスのオペラ・コミック《黄色い皇女》(1872年)、サリヴァンのオペラ《ミカド》(1885年)、メッサジェのオペラ《お菊さん》(1893年)、そしてプッチーニのオペラ《蝶々夫人》(1904年)などは、ジャポニスムの流れの中で生まれた作品である。また、ドビュッシーのピアノ曲や、ラヴェル、ストラヴィンスキーの歌曲などにも、日本美術の要素が溶け込んでいる。しかし、このような音楽の分野におけるジャポニスム、あるいはもっと広く民族主義運動の起こったのは、それらのすばらしさが正当に評価されたからというよりは、西洋における古典音楽の行き詰まりがあったからである。調性、機能和声、旋律、拍節法、形式のすべてにおいて、19世紀後半にはあらゆる手が使い尽くされていた。さらに、ワーグナーが半音階を導入したことによって、調性音楽は崩壊寸前となっていた。そんな中で、多くの作曲家たちが、自国の民族音楽や東洋の音楽との融合という方向へ活路を見出したのである。それゆえ西洋の作曲家たちにとって、ジャポニスムは、行き詰まりの打開策として用いられたさまざまあるエキゾシズムのひとつに過ぎず、日本の素材を表面的に用いただけの、日本美術の影響がどれほど実質的なものであったか疑わしい作品も多い。

西洋に対して全面的な追従姿勢をとった日本の態度に比して、日本に対する西洋の態度は、自分勝手で上から目線であり、両者の態度には歴然とした差があったのである。強者は弱者に対し、有無を言わさぬ圧倒的な影響力を及ぼし、強者は強者の都合で、弱者の利点だけを吸収する。これは「中心」たる者の行動原理であり、何も日本に特有の現象というわけではない。近代以降、世界中が如何に西洋化されてきたかということは、いちいち例を挙げて示すまでもない。

強い者が圧倒的な影響力をもつのはなぜだろうか。簡単な話だ。恐いからである。これは、国家間に限らず、一国内、一組織内、学校の一クラス内に至るまで、共通に言えることだ。力の強い者に逆らえば、やられてしまう。それが恐ろしいので、力の強い者にはみな従う。結果、力の強い者が大きな影響力をもつことになる。こうして強い者と弱い者の「中心-周縁」関係は、「支配-被支配」の関係となる。植民地化や不平等条約が最たる例だ。植民地統制下では、被支配者は支配者の真似を強制される。不平等条約締結下では、強くなるために、強い者の真似をする。結果、全面的な西洋化を遂げる。抗いようのない、圧倒的な影響力である。このような影響力のことを「支配的影響力」と呼ぶことにする。また、この「支配的影響力」を「中心」の「中心性」と定義しよう。

 

話を20世紀後半に移そう。上に挙げた軍事力の強/弱と並んで、とりわけ第二次世界大戦後の世界を色分けする尺度となったものに、経済力がある。現代の世界では、経済的豊かさのレベルによって、先進国-中進国-発展途上国といった呼称が与えられる。先進国と言われる国々が北半球に多く、発展途上国と言われる国々が南半球に多いことから、先進国-途上国間の経済格差問題は「南北問題」と呼ばれる。

経済的力関係が不平等な二者間では、軍事的力関係が不平等な場合と同様、両者の態度や及ぼし合う影響力は、非常にアンバランスである。「富者は貧者に対し、有無を言わさぬ圧倒的な影響力を及ぼし、富者は富者の都合で、貧者の利点だけを吸収する」という、上に述べたのと同様の構造が見られる。

ひとつ例を挙げよう。中国とインドの間に位置するブータンという小国がある。ブータンは、2015年のGDP世界ランキングで162位、一人当たりGDPの世界ランキングで128位という発展途上国であるが、GNH(Gross National Happiness)すなわち「国民総幸福」を国政の理念として掲げる「幸せの国」として世界的に知られる。

1972年の第四代国王即位演説にてGHNの理念が述べられ、1976年の非同盟諸国首脳会議にてGNHという標語が初めて用いられたが、当時その標語に注目する者は誰もいなかった。それから約30年後、2000年代に入ってから、俄かにGNHが注目され始めた。背景には、先進諸国の経済成長率が低迷し、行き詰まりの相を見せていたことや、心理学における幸福研究が盛んになり、経済学や社会学など多分野にも応用されるようになったことなどが挙げられる。先進諸国は、GNHこそが経済成長一辺倒だった国政を補完しうる理念だとして、GNHという標語をもてはやした。GNHは指標化され、世界ランキングが発表されるまでになった。

このような事態を受け、ブータンの第四代国王は、「わたしが提唱したことになっているこの標語が、いろいろな方面から注目されはじめたのは嬉しいが、独り歩きしている感じもする」と述べられたと言う(今枝由郎『ブータンに魅せられて』)。実は、GNHという言葉は、ブータン国内ではほとんど用いられていない。代わりに、「ガ・トト、キ・トト(喜び、幸せ)」という言葉が頻繁に用いられる。国王は、国や社会レベルでの幸福GNHを語ることはせず、仏教の教えに根差し、ひとりひとりの日常生活レベルでの「ガ・トト、キ・トト」を語る。

しかし、ブータン国王やブータン人の思想を理解し学ぼうという気など露程もない先進諸国は、GNHという標語だけをこぞって取り入れ、勝手に指標化し、国の目標・方針として掲げる。ちなみに、国連機関が発表するWorld Happiness Report 2016によれば、ブータンの幸福度は、世界第84位である。ブータン人にしてみれば、「何のことやら」という感じであろう。いや、かつてジャポニスムでもてはやされた日本人が満更でもなかったように、GNHブームで注目を浴びるブータン人も案外そうなのかもしれない。そう、先進諸国におけるGNHブームは、かつて西欧諸国が日本美術を自分勝手に取り込んだジャポニスム現象と酷似している。軍事的強者と同様、「中心」たる者の行動原理で、経済的富者は、自分の都合で貧者の利点だけを吸収するのである。

一方、先進諸国からブータンへの影響力はと言えば、有無を言わせぬほどに圧倒的である。「幸せの国」ブータンは、近代化・国際化の荒波から無縁かと言えば、全くそんなことはない。学校教育では英語が主要言語として用いられ、海外への留学生は年々増加している。英語に堪能で、国際的に活躍したい若者にとって、国内の僧侶になるというのは魅力的な将来の選択肢ではない。結果、仏教国ブータンの僧侶の社会的地位が低下している。海外に行かぬ者も、テレビやインターネットを通じて外国の様子を知っている。服装や生活スタイルは西洋化し、先進国の豊かな暮らしは憧れの的となっている。先進諸国がブータンに与える影響力は、抗えないほどに圧倒的なのだ。

豊かな者が大きな影響力をもつのはなぜだろうか。お金があるということは、単純に羨ましいことである。みな豊かな生活にあこがれ、豊かな者の真似をする。でもそれ以上に、豊かな者が大きな影響力をもつ理由は、お金を出す者が口を出す権利を得るのが世の常だからである。お金を出す者が口を出し、彼らの意見で世の中は動いていく。お金を出していない者は、なかなか口出しできない。だから世界の共通言語は英語だし、資金援助をする先進国側の論理で途上国は開発されていくのだ。お金を出す者が口を出す結果、豊かな者が大きな影響力をもつことになる。つまり、豊かな者と貧しい者の「中心-周縁」関係もやはり、「支配-被支配」の様相を帯びるのである。ここでも「中心」の「中心性」たる「支配的影響力」は健在である。

 

ジャポニスムとGNH--2つの事例を通して見えたのは、「強い/豊かな」者と「弱い/貧しい」者とでは、相手に及ぼす影響力の大きさに圧倒的な差があるということである。「強い/豊かな」者は「弱い/貧しい」者に対し、有無を言わさぬ圧倒的な影響力を及ぼし、「強い/豊かな」者は自分勝手に「弱い/貧しい」者の利点を吸収する。「中心」たる者の行動原理である。逆に、「弱い/貧しい」者が「強い/豊かな」者に与える影響は微々たるもので、「弱い/貧しい」者が「強い/豊かな」者から吸収するものは、取捨選択の自由はないと言ってよいほどに全面的である。私はこの現象を、「中心」の「支配的影響力」と呼び、それを「中心」のもつ「中心性」と定義した。

この「支配的影響力」という「中心」の「中心性」は、暴力的なまでに絶対的である。いくら山口昌男の論を以ってして、「周縁」のもつ活力が「中心」に導入されることで世界は活性化されるのだと言ってみたところで、この無慈悲な現実を覆せるわけではない。「周縁」たる幕末期・明治初期の日本や現在のブータンが、ジャポニスムやGNHをもって如何に「中心」を活性化させたからといって、それらが「周縁」であることに変わりはないし、「中心」は依然として「支配的影響力」をもち続けるのである。

「支配的影響力」に特徴づけられる「中心-周縁」関係は、世の中の力学的関係性を描写する上では、普遍的な構図のように思われる。しかし、本当にそうだろうか。私は、「中心」と「周縁」が入れ替わることもあるのではないか、などという話をしているのではない。入れ替わったところで、所詮は同じことである。あるいは、河合隼雄の「中空構造」のようなものを言っているわけでもない。「中心」が「空」であるがゆえに、「中心」に入れ替わり立ち替わり新しいものが出入りし、「中心」から離れたものはすべて「周縁」に残ってバランスを保っているというような構造も、やはり「中心-周縁」関係の一種である。そうではなく、「支配的影響力」をもつ「中心-周縁」関係とは全く別の構図を描ける可能性はないだろうかということを、少しく探求してみたいのである。

 

ここからは、21世紀の話をしよう。時代はインターネットである。インターネットが世界の秩序・構造を激変させている/させる可能性があることは、すでにさまざまな切り口で論じられている。ここでは、あくまで「中心-周縁」関係、「中心」の「中心性」に焦点を絞り、考察を進めたい。インターネットが生み出した、音楽界における特異な現象--「初音ミク」を例に取って。

初音ミクが引き起こした現象のひとつとして、アマチュアの創作活動の爆発的な連鎖が挙げられる。「中心-周縁」関係で言えば、「中心」に位置するプロよりも、「周縁」に位置するアマチュアの創作活動を膨大に生み出したのである。では、「周縁」たるアマチュアの創作活動は、どのような様相を呈したのか。「周縁」の集団の中には、やがて中心が生まれ、結局「支配的影響力」をもつ「中心-周縁」構造に落ち着いたのか、というのがここでの問いである。

初音ミクをめぐるアマチュアの創作活動の様相を、濱野智史は「N次創作」という言葉で表現する。「N次創作」とは、ある一つの人気コンテンツを元ネタにユーザーが多数の派生作品を創作する「二次創作」に対する用語で、あらゆるコンテンツが互いに元ネタになって派生作品が生み出される現象のことを言う(『アーキテクチャの生態系--情報環境はいかに設計されてきたか』)。

この「N次創作」なる創作の連鎖が促進された背景には、初音ミクの提供元であるクリプトン・フューチャー・メディア社が初音ミク発売3ヶ月後に開設した、コンテンツ投稿サイト「ピアプロ」の存在がある。「N次創作」では、元ネタが幾層にも積み重なるため、元ネタとなるすべてのコンテンツ制作者から利用許諾を得るとなると、大変な手間がかかってしまう。そこでクリプトン社は、ピアプロに投稿された音楽やイラスト、テキスト、3Dモデルを、ピアプロユーザー同士で自由に利用し合うことができるオープン・ライセンス体系を設計したのである。オープン・ライセンスによって開発を進めるというのは、ソフトウェア開発を中心に、インターネットの世界では常識となりつつある体系である。

さて、この「N次創作」を行うピアプロユーザー同士の関係とは、どのようなものか。N次創作をするにあたり、どのコンテンツを利用するかという選択権は、すべて創作者自身にある。これは、自分が取り入れるもの、影響を受ける相手を、自由に選べるということである。自分の都合で、他者の利点だけを吸収すればよい。この意味で、ピアプロユーザー同士は、「周縁」たるアマチュアが、みな「中心」の原理で行動できる関係だと言える。

「周縁」たるアマチュアが「中心」の原理で行動できる世界とは、どのようなものか。お互いがお互いに自分が取り入れるものを好きに選び合った結果、そこには多くの人に利用される、評価や評判の高い、いわゆる「人気」のコンテンツが生まれる。つまり、「人気者」としての「中心」が生まれるのである。

ところで、人気者には、強い者や豊かな者とは決定的に異なる点がある。「中心」に君臨する強い者や豊かな者が、「周縁」の弱い者や貧しい者から、大抵は好かれていないのに対し、人気者としての「中心」は、「周縁」の者たちから好かれているのである。好かれていることこそが、人気者たる所以であるのだから。つまり、「中心」と「周縁」の間に起こる力の向きを矢印で表すと、恐さを楯にする強者の場合「中心」→「周縁」となり、また、口出しの権利を振りかざす富者も「中心」→「周縁」となるのに対し、評価や評判の高い人気者の場合、「中心」←「周縁」と逆になるのである。「→」が「支配」を意味するのに対し、「←」は「支持」を意味する。これはどういうことか。これはつまり、人気者としての「中心」が、「支配的影響力」のない「中心」であることを意味する。すなわち、人気者としての「中心」は、「中心性」なき「中心」と言えるのである。

さらに、人気者が強い者や豊かな者と異なる点が、もうひとつある。強い/弱い、豊か/貧しいというのは、かなり明確に序列が決まるのに対し、人気ものというのは分散しやすい。つまり、人気者が「中心」にいる世界では、「中心性」なき「中心」が複雑に、複数に分散する。これはもう、「中心」の消失と言ってよい現象である。

 

現在、世界におけるインターネット普及率は、先進国で約8割であるのに対し、途上国では約3割に留まる。途上国にインターネットが普及した暁には、世界の構図はどのようになるだろう。世界中の人々が「中心」の原理で行動し、そうして生み出される無数の繋がりの中の「中心」は、「中心性」なき「中心」であり、しかもその「中心」は分散する。「中心」のない世界の登場である。

IBMのGIO(Global Innovation Outlook)は、未来の社会の姿を「プロジェクトからプロジェクトへと自由に飛び回る『一人会社』が何十億も出現する」と予測する。このような社会を動かすのは、インターネットを介し評価や評判を得る「人気者」の原理であろう。

そのような社会が実現する頃には、北は北を、南は南を、あくまで字義通りに、指差しながら発する言葉に過ぎなくなっているだろう。それ以上の付随する意味をもたぬ、北と南。あくまで、平和に、平穏に。中心の消えた世界で。

文字数:7400

課題提出者一覧