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静かなる意匠

 

『ビルマの竪琴』は、三日月湖の如くそこに留まらざるを得なかった、ある日本兵の記録である。

 

私は、第二次世界大戦終戦をビルマで迎えました。その後英軍の捕虜となりましたが、運良く私たちの隊は皆--自らビルマに残ることを選択した水島上等兵を除いてではありますが--日本へ帰国することができました。帰国後は、井上隊長が「共に日本再建のために働こう」と言っていた通りに、皆一生懸命に働きました。一生懸命に働き、国の再建に尽くし、天寿を全うしました。私たちの隊でまだ生きているのは、私ともうひとりだけです。水島の消息については、あれから一切聞きません。おそらくビルマで骨を埋めたのでしょう。
市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』で私は、ナレーターを務め、水島上等兵について語りました。ビルマから日本への帰国の船上で、井上隊長が水島からの手紙を読み上げたとき、私たちは、水島がビルマの地に散らばる戦没日本兵の霊を弔うために、日本へ帰らず僧としてビルマに残ることを決断したのだということを知りました。映画中では、そのとき私が感じたことを正直に語っています。

なるほど、私は今まであまり水島のことを考えたことはありませんでした。そのときだって、水島のことを考えていたわけではありませんでした。私の考えていたのは、水島の家の人があの水島の手紙を読んでどうするだろうということでした。私はきっと隊長がなんとかうまく言ってくれるんだろうなあと、そんな変なことを一生懸命心配していたのです。

この映画をご覧になった方々が、水島のことをどう見たかは分かりませんが--聞くところによれば、水島の崇高な行動を讃える声が大きかったようですが--家族の待つ日本へ帰り、国の再建のために働くことが何よりの望みだった私たちとしては、水島の選択に心底合点がいったわけではありませんでした。隊員の誰かが言った「水島のことは水島に任しとけ、人間にはそれぞれ好きな生き方があるさ」という言葉は、あの時分の私たちの水島に対する理解の程度をよく表していると思います。そんな風に、ある意味水島に対して冷淡だったとも言える私ですが、老境に入り、実は最近、水島についてよく考えるのです。それが老いのせいなのか、あるいは世の流れのせいなのかは分かりませんが、水島という人間と、彼の行動に対する見方が、以前とは少し変わったように思います。その考えの変化を、少しくここに記しておきたいのです。

 

1945年8月、日本は降伏し、ビルマの地にも停戦命令が下った。日本兵は皆、武器を捨てた。しかし、降伏を潔しとしない、すなわち降伏をするくらいなら戦って死んだ方がマシだと考える日本兵も、少なからずいた。ビルマの地の、三角山に立て籠もる日本兵たちがそうだった。そのような兵に対しては、英軍側も残滅の措置をとる他ないという。いや、ちょっと待ってほしい。三角山の日本兵に降伏するよう、同胞の日本人として説得に行かせてほしい。ならばそうしてみよということで、井上隊長率いる小隊から水島が選ばれ、三角山へと送られた。水島は、三角山へ半日かけて歩いて向かい、説得の後、二百里離れたムドンの捕虜収容所へ歩いて向かうこととなった。結局説得には成功せず、三角山の日本兵は皆爆撃されてしまったのだが、運良く生き延びた水島は、無念の想いで同胞の屍体の山から這い出し、ひとりムドンへ向かったのである。
ところで、もしこれが、現代の戦場であればどうだろう。恐らくこのような状況にはなるまい。水島が半日の道程を歩いて三角山へ向かう代わりに、井上隊長がその場に居ながらWeb会議を行うだろう。水島が説得に行くにしろ、Web会議で説得を行うにしろ、多分結果は変わらない。説得は上手くゆかず、三角山の日本兵は全滅し、水島は生きている(三角山へ行かないのだから)。彼らの辿る運命は結局変わらないように思えるが、ひとつだけ決定的に異なるのは、水島が三角山に居合わせないという、生き延びるに至るその過程である。それによって何が変わるか。水島は、自分が説得に行った先の日本兵が爆撃を受け屍体の山となったところを目撃しない。あるいは映像では見るかもしれないが。井上隊長やその他の隊員と一緒に、パソコンの画面を囲んで。

さて、水島はひとり三角山の爆撃から生き延びた。(場面設定を現代に移すと、水島は三角山へ行かず、そもそもストーリーが始まらないので、ひとまず水島が三角山に行ったところから話を続ける。)軍服を脱ぎ、盗んだ袈裟を着て、負傷した躰を引き摺りながら、皆がいるムドンへ向かう。空腹と疲労から倒れこんだ砂漠で、お布施(食糧)をくれた遊牧民に尋ねる。「ムドン どこか」「ムドン? 知らない」「南はどちらか」「あちらです」水島は指差された方角へ、再び脚を引き摺りながら歩く。歩く。歩く。
しかしこれが現代であればどうだろう。google mapを見ながら、迷うことなく最短距離でムドンへ向かうだろう。いや、そもそも歩かずに済むかもしれない。水島はスマホによって生き延びたことを隊に伝え、隊はGPSデータによって水島の位置を把握し、迎えの車を寄越すだろう。

映画中には、歩みを進める水島あるいは隊員たちの脚のアップの映像が、幾度となく現れる。が、現代の戦場からこの光景は消える。これは何を意味するか。
軍隊のあの独特の歩き方から考えよう。脚を必要以上に大きく動かす歩き方--これは、人を殺すという戦争の「野性」性を強調するものであるとは言えまいか。このことは、「野性」の否定の行為がどのようなものかを考えたときに見えてくる。例えば、中国で唐代末期から第二次世界大戦後まで続いた纏足、15〜16世紀にイタリアやスペインの貴婦人の間で流行したチョピン(30 cm〜1 mもの高さがある木製の履物)、江戸時代の女性が愛用した木履(ぽっくり)、現代の女性が履くハイヒールなどはすべて、「肉的なもの、野性的なものを規制する意志を表明」(鷲田清一『モードの迷宮』)するものである。「野性」の否定の象徴として、これら歩行を困難にする行為がある。ならば「野性」を強調する行為とは何か。それは、大袈裟な歩行である。そう、つまり、軍隊の行進のような。
戦場から歩行が消えるとはどういうことか。それはつまり、戦争における「野性」の否定である。人を殺すという本質的に野性的な戦争という行為から、「野性」が排除される。「野性」性なき野性の出現である。実感のない戦争とでも言おうか。

さて、歩くという行為がなくなると、水島が僧としてビルマに残ることを決意した決定的瞬間も、消失してしまうかもしれない。
水島は、ムドンへの道中夥しい数の同胞の屍を目にした末、英国人修道女の手によって戦没日本兵が葬られている場面に遭遇する。これを見た水島は、日本兵は日本人の手で弔わなければならぬと、ビルマに残ることを決心したのである。そして水島は、同胞の屍を埋葬すべく、来た道を引き返してゆく。
その後、橋の上で隊の皆とすれ違うのだが、日本へは帰らないと心に決めた水島は、ビルマ人を極め込み、知らぬ振りをする。隊の皆は、「水島そっくりじゃないか」などと口々に言いながら、脇を通り過ぎてゆく。
この場面も、現代では成立し得まい。お互いの位置情報は、GPSによって常に把握されているだろうから。

さらに、インコを介して水島と隊員がメッセージをやり取りすることも、現代ではあり得ないだろう。スマホで直接メッセージを送れてしまうのだから。

オーイ、ミズシマ、イッショニ ニッポンニ カエロウ
アア、ヤッパリ ジブンハ、カエルワケニハ イカナイ

このように、『ビルマの竪琴』のストーリーを成立させているありとあらゆる重要な場面が、時を現代に移しただけで、ほとんどすべて消滅してしまうのである。

 

ここで私が言いたいのは、現代の技術が戦争の様相をすっかり変えてしまうということではありません。水島が三角山へ行かず、同胞の屍体を目撃せず、英国人修道女による日本兵の葬儀に遭遇しなかったとしても、つまり水島がビルマに残る必然性が全くなかったとしても、それでもなお水島がビルマに残ると言った場合について、考えたいのです。
映画中で語った時には特に意識していませんでしたが、『ビルマの竪琴』は、水島がビルマに残ることの必然性を幾重にも描いています。水島がビルマに残ることを選んだのは、「好きな生き方」のひとつなどではなく、水島にはそれ以外の選択肢などなかったのだと、今では思います。
一方、このストーリーの場面設定を現代に移すと、水島がビルマに残る必然性が悉く失われてゆきます。それにも拘わらず、水島がビルマに残ったとしたら、どうでしょう。水島もその他の隊員も、三角山には行かず、映像で惨状を知るだけで、同胞の屍体は目撃せず、互いの位置は常に正確に把握され、メッセージは時差なく直接的にやり取りされる。そして歩かず、英国人修道女による日本兵の葬儀にも遭遇しない。どこにも水島だけがビルマに残る必然性が存在しない中で、もし水島だけがビルマに残る決断をしたとしたら、それは何が水島をそうさせたのでしょうか。「善意」でしょうか。
ならば、ここで考えたいのは、「必然」による善行より、「善意」による善行の方が尊いのかという問題です。「善意」という言葉の響きゆえ、一見そのように思われるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。善意は、意であるからして変わる可能性があります。また、善意から悪行が生まれてくることだってあります。それに比べ必然というのは、字義通り必然ですから、変わりようがありません。「善意」による善行より、「必然」による善行の方が、より純粋で崇高な行為と言えるのではないでしょうか。そう考えてはじめて、あの時の水島の行動は、善意から生まれたのでないからこそ尊いのではないかと思うようになったのです。その必然を与えられた水島は、他に選びようもなく、ビルマに残ったのです。だからこそ、その必然性を与えられた水島に対し、決して善意から生まれたのではない水島の行動に対し、彼が引き受けたであろう孤独に対し、心から敬意を表したいと、今思うのです。

 

蛇行する河川の流れは、カーブの外側の方が速く、内側の方が遅い。その結果、カーブの外側の侵食がすすみ、蛇行の曲率はどんどん大きくなる。曲率が大きくなりすぎると、なるべくなら真っ直ぐ流れようとする河川であるから、ついには短絡流路ができ、水はそちらを流れ、カーブの部分は取り残されて三日月湖となる。

『ビルマの竪琴』は、三日月湖の如くそこに留まらざるを得なかった、ある日本兵の記録である。

 

 

※ 『ビルマの竪琴』(2作目ではなく1作目)を擬態および批評の対象に選んだのは、この映画が纏う静けさの魅力を解明したい衝動に駆られたから。

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