完全変態
オーバーバランス・ホイールは、円盤の縁に配置された各区切りの中のボールが動き、円盤の重みのバランスが崩れることで、永久に回りつづける。一定の速さで、ひたすらに。それゆえ、オーバーバランス・ホイールは、ストーリーを生む装置とはなりえない。ストーリーが「変化」とほぼ同義だとして。そこにはリズムの緩急もなければ、静動の反復もない。外界からの働きかけを必要とせず、外界への働きかけもしない。変化もせず、反応もせず、自分自身で、ひたすらに回る。
あなたがもし、ストーリーを必要とするならば、動いているものは止められなければならず、止まっているものは動かされなければならない。永久運動も永久静止も存在しない、この世界においては。
ここで第一の疑問。変化のある世界には、その変化をもたらす何らかの「意思」があると仮定して、その意思は、動かす側のものか、動かされる側のものか。
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私はカリフォルニアで生まれ育った檸檬である。肌艶の美しい年頃になって(これが、私を育ててくれた夫婦が私を外へ出す理由であった)、私は京都へ来た。私は売られる。私は買う者(つまり、私を動かす者)の登場を待つ。私は買われるために、美しさを存分に発揮する。
私は待つ。私の美しさの虜になる男、私を別の場所へ連れて行ってくれる男の登場を。
一人の男が私を手に取った。男は私を選べるが、私は男を選べない。私の運命は、この男の手に委ねられている。私はこの男を気に入らなくても、とりあえず男の意のままに運ばれてゆくしかないのだ。しかし、本当にそうか? つまり、この男が私を手放すよう仕向けることはできないか。どうやって? 嫌がらせをして、ではない。ひたすらに与えることによって。
私はまず、この男に快さを与える。私のもつ冷たさを、病身で発熱しているこの男に与える。この冷たさは、男に快さをもたらす。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。[……] 握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
私は次に、この男に元気を与える。私の所有する香りを与え、私はこの病身の男を、一時的にせよ元気にさせる。
何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。[……] そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。
私は何一つこの男から受け取ってはいない。Give and Takeではない。私は与えるばかりで、男は受け取るばかりである。私はなおも与える。
--つまりはこの重さなんだな。--
その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり--なにがさて私は幸福だったのだ。
そう、この重さも、私が男に与えたものである。私は与えることで、この男の感覚を動かし、この男の心を動かし、この男を幸福にする。すべては私が動かしているのだ。
この男がその後丸善へ入ったのも、私がこの男に快さと元気と幸福というエネルギーを与えたからである。
どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
私は私の力で、男を魅了し、男にエネルギーを与え、男の手を使って、私を京都の果物店から丸善へと運ばせた。それから男は、美術の棚の前で画集を積み上げる。積み上げた画集の上に、私を置くために。男が私を手放すよう、私は男の美的創造力を刺激したのだ。
軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。[……] その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。[……]
--それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。--
こうして男は、ついに私を手放す。私は男に、快さを与え、元気を与え、幸福を与え、美的創造力を与え、このように与えつづけたことによって、男が私を手放すよう導いたのだ。
男が手放した時点で、私の動きは一旦静止する。そして次に私を動かす者の登場を待つ。あの男の妄想通りに爆発したりはしない。(あるいは爆発をしてみるのも手かもしれない。瑞々しい香り高き果汁を当たり一面に撒き散らし、次なる登場人物との運命の出会いにふさわしい演出として。)
(梶井基次郎「檸檬」の檸檬談)
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果たして、この男は自分の意思で檸檬を動かしたのか。あるいは檸檬の意思が、男の手を使って自身を動かしたのか。檸檬曰く、檸檬が男をそう仕向けたのである。男の手の中にある間、檸檬は男に延々語りつづけた。口を開かずとも、檸檬の存在そのものが、どうしようもなく。存在そのものが意思となって。手放されるべきものは、手放されるべき方向へ、しかるべき方向へ、進んでいくように。止まっていたものは動かされ、動かされたものは止まるように。
意思は動かされるもののうちにあり、動かす者は、物事は自分の意思によって動いていると錯覚するだけである。ものを持つ者は、そのものの支配を受ける。知らず知らずのうちに。
ここで第二の疑問。ものを持たぬ者の場合はどうだろうか。つまり、動かす者のみが存在し、動かされるものが存在しないような場合には。動く者が、おれの他に存在しないような世界では。世界はどのように進行するのか。永久運動、もしくは永久静止、あるいは?
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日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない。[……] 街中にこんなに沢山の家が並んでいるのに、おれの家が一軒もないのは何故だろう? [……] 電柱にもたれて小便をすると、そこには時折縄の切端なんかが落ちていて、おれは首をくくりたくなった。[……] 夜は毎日やってくる。夜が来れば休まなければならない。休むために家がいる。
おれは休まなければならない。休むために家がいる。その通り? 家がなければおれは、どこで歩みを止めればよいのか。いまここで歩みを止めればよい。どうやって? 例えば犬になって。電柱に縄でつながれた犬になって。「ご主人様の帰りをお待ちしております」そう言って、地べたに座り込めばよい。しかしそのためには、おれを縄で電柱につないでくれるご主人様が必要だ。しかしここにはおれしかいない。さて。
ふと思いつく。もしかするとおれは重大な思いちがいをしているのかもしれない。家がないのではなく、単に忘れてしまっただけなのかもしれない。そうだ、ありうることだ。
それならば、家の場所を思い出しさえすれば、おれは動きを止めることができる。
例えば……と、偶然通りかかった一軒の前に足をとめ、これがおれの家かもしれないではないか。[……] 勇気をふるって、さあ、ドアを叩こう。運よく半開きの窓からのぞいた親切そうな女の笑顔。[……]
「一寸うかがいたいのですが、ここは私の家ではなかったでしょうか?」
女の顔が急にこわばる。「あら、どなたでしょう?」
結局、女は「ここは私の家」だと主張してゆずらない。しかし、何としてもおれは家がほしい。そうでなければ、おれは歩き続ける羽目になるではないか。
ところで、家を持つとはそんなによいことか。家は人によってつくられ壊される。家は本来、動かされる側に位置するものだ。だが一度持ってしまえば、そうやすやすと家を動かすことはできない(物理的に)。結局動かされる側の家の動かないという意思に従って、本来動かす側の人間が動かされるのだ。家を持てば家に支配される。そんな家などいらないと、言えないものか。永久に回りつづけるホイールのように、塀のまわりをぐるぐると歩き続けることができるのなら。しかし、おれは休みを必要とする。ならばやはり、おれは足を止めるための家が必要だ。
あるいは家が見つからぬのなら、公園のベンチで休むという手もある。
たしかにここはみんなのものであり、誰のものでもない。だが [棍棒をもった] 彼は言う。
「こら、起きろ。ここはみんなのもので、誰のものでもない。ましてやおまえのものであろうはずがない。さあ、とっとと歩くんだ。[……]」
結局この世の中は、おれの持ち物である家がない限り、留まることができないようになっている。ならば。おれは繭になるしかない。繭? ご主人様が必要な犬になるのとは違い、繭に変態するのは、生物学的プログラムに則って人の手を借りずともできるゆえ。
絹糸に変形した足が独りでに動きはじめていた。するすると這い出し、それから先は全くおれの手をかりずに、自分でほぐれて蛇のように身にまきつきはじめた。左足が全部ほぐれてしまうと、糸は自然に右足に移った。[……] 胴から胸へ、胸から肩へと次々にほどけ、ほどけては袋を内側から固めた。そして、ついにおれは消滅した。
後に大きな空っぽの繭が残った。
ああ、これでやっと休めるのだ。夕陽が赤々と繭を染めていた。これだけは確実に誰からも妨げられないおれの家だ。
おれは繭になることで、ようやく動きを止めることができた。動く側から動かされる側への移行。
おれは、おれを動かす者との出会いを待つ。自分の意思でおれを動かしているつもりで、その実、おれの意思に従っておれを動かすにすぎない者との出会いを。
彼は繭になったおれを、汽車の踏切とレールの間で見つけた。
おれは「彼」に拾われる。「彼」はおれをポケットに入れる。ようやくこの世界に、動かす者と動かされるものの両方が揃った。これで世界は進行する。動かされるものの、おれの意思に沿って進行する世界の実現。
(安部公房「赤い繭」の主人公談)
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結論。あなたがもし動かせるものを何も持たないのなら、変化するこの世界においては、つまり永久運動も永久静止もできないこの世界においては、意思あるあなたが、まずは動かされるものになるべく、自ずから一時停止(完全変態)しなければならない。あとはあなたを動かす者の登場を待つだけでよい。そうすれば、結果的に、この世界はあなたの意思によって動くことになるのだ。
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