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夫婦の固い絆

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私には、この二人が「きわめて強い愛情によって結ばれている」夫婦にしか見えなかったため、今回の課題をどうとらえればいいのか、うまく理解できなかった。とはいえ、そういう夫婦であると想定したうえでの私の読みを書いていくしかないだろう。

 

「老雄大いに語る」というタイトルに、読者は自然に、老雄が何を語るのだろうという興味で読み始めるだろう。それに導かれるように、読者は、「老雄」がどういう場面で何を大いに語る」のかという関心をもって、このストーリーを追うことになる。

わずか8ページの物語のなかで、回想シーンの比重が大きいことに気づく。コマ数でいうと、普通のコマが28に対し回想を示す四隅が丸いコマの数は22。回想シーンは三つ。そのうち二つ目と三つ目が、夫婦の会話であり、この場面をどう解釈するかが夫婦関係を読み取る鍵になる。

物語は、老雄=主人公のサミュエル・クリンゲライン(52歳)が搭乗する惑星友人探査機プルート13号のTV中継画面から始まる。2年余の大旅行を経て、冥王星への着陸予定地点にさしかかる。TVのナレーションは、宇宙局長自身がパイロットとなった異例さを告げ、スタジオでは、サム局長の親友であり大統領補佐官カブレ氏のインタビューが行われている。

ここで最初の回想シーンが入る。そこでは、サム局長自身が搭乗員になることに対して、カブレ氏が「まったく理解を絶する」「とっぴょうしもない」と難じ、決定を取り消さなければ「宇宙局長の解任も止むなし」とまで迫る。しかしサムは、カブレ氏の汚職をにおわせて自分の主張を通すことに成功する。

ここでTV中継のシーンに戻り、カブレ氏がサムを「責任感の異常に強い男」だからと、サムが搭乗することに同意した表向きの理由を語る。

もう一つのTVカメラは、サムの自宅でインタビューを受けるサム夫人を映し出す。地球に電波が届くまでに5時間20分を要する冥王星に着陸して仮眠から目覚めたサム局長の、地球に向けた第一声が届くのを待っているのだ。

「あなたの英雄は何を語りかけるでしょうね。」という女性インタビューアーの質問に、夫人は、「想像もつきませんわ」「そりゃあ無口なんでございますよ」と笑う。

ここから二つ目の回想。素直に読むと、夫人による回想シーンが始まったように読める。

野菜ジュースのグラスを手に、困惑した表情を浮かべるサム。「ああ…この野菜ジュースだが…」と言いかけたところを、夫人が「いいえ お飲みにならなくちゃいけません きらいなのはわかってます。」とたたみかける。サムは「いや しかし これ……」と口を挟もうとするのを夫人は遮るように、健康のためだと(これまでに何百回もくりかえしてきたであろうセリフを)まくしたてる。続いて夫人もグラスに口をつけるが、タバスコの入れすぎに咳き込み、「なぜ早くおっしゃらないの!」「ほんとにあなたの無口にもあきれたわ!」と癇癪を起こす。サムにしてみれば理不尽な言いがかりだ。

ここで回想は終わり、夫人は「帰ってきたら…… まず彼の好物のジュースを……」とインタビューに答える。

 

この展開は、夫人が夫の無口さを物語るエピソードを思い出したあと、インタビューの場面に戻って「好物のジュース」の話をした、という流れに読み取れる。

しかし、本当に夫人の回想なのだろうか。夫人がサムのことを無口だと信じていることは疑いない。であるならば、サムが二度にわたって、野菜ジュースにタバスコを入れすぎたことを話そうとしかけていることが、夫人の記憶にちゃんと残っているのは不自然ではないだろうか。しかもそれを夫人が途中で遮って、独善的に夫に説教しているのである。夫人が「正しく」そのことを記憶しているならば、いや、それが起こった時点で、サムが何か話しかけていると聞く耳があったのならば、夫人は他ならぬ自分自身がサムを結果として「無口」にしている張本人だと自覚できるはずだ。サムは無口なのではなく、夫人が語らせないようにしているだけなのだと。

そのような自覚が夫人には欠けているので、となると、この回想シーンは、客観的な視点から「過去の事実」として描かれたものだと解釈すべきだろうか。そもそもこのシーンの、口うるさく、夫に理解のない夫人の描写は、いかにもステレオタイプで、夫人自身の回想であるなら、もっと自分を美化しそうなものだ。

また、この回想の前後に、サムは登場しないので、サムによる回想だという解釈はかなり無理があるだろう。

 

ここからTV中継の画面になり、5時間20分前に発せられた着地成功のしらせをキャッチしたことが告げられる。プルート13号に一人搭乗するサム(TV映像ではなく、客観描写である)。続いて、3つ目の回想シーン。直前のサムのアングルとほとんど同じ、真正面を向いたサムのバストアップで始まる。違うのは、前者が宇宙服、後者がパジャマであることだけだ。そのため、サム自身による回想であるように受け取れる。

ここでもまた、「いや……だからわしは……」と口を開きかけたサムをさえぎって、夫人が「いーえ おだまんなさい!!」と強く叱責している。強い口調で、サムの搭乗をやめさせようとする夫人。その禁止を振り切って、ようやくうるさい夫人のお節介から逃れて、二年余の長く静かな宇宙旅行を果たしたサムの感慨が込められている回想シーンだと、ひとまずは解釈できる。

しかし、夫人のセリフを、単なる紋切型としてではなく、ちゃんと読み直してみると、「妻であるはずの自分を結婚以来28年ずっと無視してきた」「なにをするにも夫は妻の自分に一言の相談もなかった」という切々たる訴えがなされていることがわかる。

これがもしもサムの回想であるならば、つまり、サムがこの通りに妻のセリフを記憶しているのならば、つまり、この会話が実際になされた過去の時点において、この通りに妻の言葉を聞き取っていたのならば、サムはただ単に妻が口うるさく独善的な女だとはみなせなかっただろう。なぜなら、そのように妻が主張するに至る何らかの真実がそこにあるはずだからで、サムがそれを聞き取る耳を(気持ちを)持っているなら、このような不毛な会話に終始することはないはずだからである。

ゆえに、この回想シーンがサムによるものだという解釈は無理があることがわかる。

ならばこちらもやはり、客観的な回想だろうか。であるなら、サムは実際、夫人の主張する通り、結婚以来ずっと妻に相談せずに自分のやりたいことを勝手にやってきた人間だったことになる。

にもかかわらず、これらの場面でサムは、激しい剣幕でまくしたてる夫人の形相に対して、小さく縮こまってただ夫人の怒りが通り過ぎるのを待つだけの気の毒な、被害者風に描かれている。ここに作者の、(二つ目の回想と同様)サムに同情的で、夫人には厳しい視点を感じてしまう。二つの回想は「客観的」な形をとりつつ、決して「中立的」ではないのだ。

夫婦の場面では夫人の言いなりのように装いながら、その実、行動では夫人を無視して自由にふるまってきたサム。二つ目の回想で、野菜ジュースが苦手なサムが、自分のだけでなく夫人のジュースにまでタバスコを入れた行動も、奇妙ではあるが、サムの言葉と行動の乖離が現れている。

 

冥王星到着のサム船長の第一声は、5時間20前に地球から送られたアグネス夫人の画像に向かって語られることになっている。

まさに語り始める場面が、このストーリーの最後のコマである。そして、タイトルが「老雄大いに語る」とつけられている理由がここで明らかになる。

「この瞬間をわたしはどんなに待ったことか!!」

「沈黙している おまえに向かって ひと言以上 しゃべる機会を どんなにかユメ見て来たことか……」

 

最初の回想シーンで、カブレ氏から、宇宙局長自身がパイロットになるというとっぴょうしもない決定」をくだした動機を聞かれ、答えなかったサムだが、ここで動機も明かされる。

うるさい妻の支配下にある地球から離れ、太陽系の最も遠くに位置する冥王星まで距離をとることで、ようやく初めて妻のくびきから(精神的にも)逃れ、話したいことを存分に話すことができる、というオチなのだろう。

宇宙旅行の経験というものは、人を大きく変える力を持っている。立花隆の『宇宙からの帰還』には、宇宙飛行士たちの劇的な変化が綴られている。けれども、サム船長の場合は、太陽系の極限までの孤独な大旅行も、何ら影響を及ぼさなかった。

夫人の微笑む画像が映し出された途端、歓喜の表情で、ツバキを吐きながら息せき切って「いいたいことは山ほどある わしは…… わしは……」とはしゃぐ様子は、まるで母親に駄々をこねてみせる甘え切った子どもだ。どんなに離れても、サムが片時も夫人の影響下から逃れ得なかったことを物語っている。と同時に、夫婦の関係性を、地球にいたときと同様、一片も疑わなかったことを示している。

サムとアグネス夫人には、回想シーンで見てきたとおり、大きなディスコミュニケーションがあり、今後も改善のきっかけは見込み薄だが、28年+2年間、互いが互いを必要とし、相手から必要とされていることを全く疑わないという意味で、確固とした揺るぎない絆で結ばれている。

作者の視線は、アグネス夫人のほうに意地悪で、読者の共感を得にくい人物に描かれている。しかし、サム局長は自分の希望を実現するために手練手管を発揮するそれなりに狡猾な人間であることは最初の回想でのカブレ氏との駆け引きでも明らかだ。

夫人を前にすると無口を通してきたのも、そのほうが自分のやりたいことをやるためには都合が良いからであり、努力して夫人の理解や了解を得る手間をかける気など最初から全くないのである。夫人にしても、夫が無口だと思っておくほうが自分が良い妻だと信じ続けることができて、何かとラクであり、真の対決など全くする気がない。というか、その可能性すらよぎることはない。

最後のコマのあと、サムはいったい何を語っただろうか。今さら夫人に向かって「いいたいこと」など、ないことに気づいたのではないか。

この夫婦は結婚以来、それぞれ自分本位に依存しあってきた似た者同士であり、双方にとってそのメリットは絶大で、揺らぐ要素がない。「きわめて強い愛情によって結ばれている関係」なのである。

 

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