Re: しんせかい
ただいま。
新開地の、震災のあとに建ったカブック覚えとる? ワークショップがあってん。何年ぶりかなぁ、おかあさんの昔の友達から券買わされた『しんかいち』ってお芝居、たしか中三の誕生日以来やから、わ、14年や。昔はもっとガラが悪かったそうやけど、あんまし変わってへんかった。ハワイアンかなんかそういうゆるーい音楽流れてるし、ごちゃごちゃちいちゃい呑み屋ばっかりやし、早めに着いたんでお茶でもしよおもてんけど、やっと見つけたのが昭和〜って感じのモーニングセットの模型が入口に置いてある熱帯魚泳いでそうな喫茶店で、ドアあけたらいきなり「モーニング終了!」いわれて「お茶だけです」いうたら「12時に閉めるで」、時間見たら11時50分やってん、は? 正午に閉店? ひさびさに「城」気分味わった。このままカブックにも入れんかと。「城」を報告するんが高校時代に流行ったんよ。カフカの城や〜って。
はいっ、お土産。フロインドリーブの小ミミ。お茶いれてくる。
……おかあさん、「天」て呼ばれてたん?
『しんかいち』のあのひとと付き合ってたんやろ?
「つくりごと」
同姓同名と思ったよ最初。ほら、元東大総長ってひとの三島賞不機嫌会見のな、他の候補作のヤマシタスミトって、なんかデジャブ感あってん。ネットで調べたら神戸商卒で、年もおかあさんと同じで、やっぱりこのひとだよねえぜったいそうだよねえ…。そんで、本屋さんで名前を探す癖がついてもうて、買ってきた。「新潮7月号」。じゃじゃ〜ん! 表紙に大きく山下澄人(160枚)「しんせかい」。
最初のほう読むね。
「あんたの話って何ひとつまともに聞かれへんわ」
天だ。天がそういったのだ。
これって一瞬、声がお天道様から降ってきたんかと、うまいなー。次。
天は高校の同級生で去年の春高校を卒業してからたまに会ったりしていた女で、しばらく遠くへ行くということをきちんと伝えようと昨日会った。
だからこの子、おかあさんだよね?
「さあ」
天の目に涙が浮かんでいた。何だかとてもひどいことをしているような気がしてきた。
呼び止めてもうしばらく一緒にいるべきだ。だいたい天とはまだ何もしていない。何もというのはセックスとかそういうことだ。それは、何というか、大変に、何というか、心残りだ。心残りな気が、する。
ここ変。気になる…。
あたし見つけたんよ。押し入れ片付けしてたら。手紙の束。 ごめん……、勝手に読んで。
これ最初に届いたはがきでしょ。消印は富良野郵便局。本と同じことが書いてある。
「元気。まださむい。桜とかまだ。勉強はまだ。もうすぐ入所式とかあって授業はたぶんそのあと。……」
なんか不思議。実物がこれですかぁ。ラベンダー畑の絵はがきや。
このひと、まだおかあさんのこと…好き…なん?
「30年も前の話…」
おかあさんに気づいてほしくて書いたんちゃう?
「ない…」
おかあさんももしかして…
山下澄人さん、何度も芥川賞の候補になってるんよ。どんどんさかのぼって古いのから読んでみた。時間に逆らういうか、行ったり来たり途中でまた折り返したり道草したり花を摘んだり迷ったりするみたいに、場所もそんなふう。不意に始まって唐突に終わって。うかつに読み飛ばせない。
一番おどろいたのは、一作一作進化してるっていうか、一つの小説のなかで生きて、次また別の人生を生きて、っていう、なんかそういう変化がこのあたしなんかでも感じられたんよ、それってすごいと思わへん? あはは、小説とかろくに読まへん人間やったのに。ところがさぁ、見て見て。
「小説や劇を好きだけど小説や劇を見ない人に読んでほしい」て!
そんであたし、そっか、小説も劇もあたしけっこう好きかも、読まないし見ないだけで、とか気づいたりして、目からうろこ。
ワークショップいうのも初めて参加してみたんよ。劇とは違うんやけど、各人の体験をまず書く、それをどんどんつなげてって、自分たちで演じる、いや、地で語るいうか、みんな役者やないから、あたしは7歳のあたしで、震災の時に隣のおにいちゃんの通てる灘中学の運動場に仮設便所を置いたらウンチが巨大なテンコ盛りになって1月やから凍ってあまり臭わんくてまだマシやった、夏やったら悲惨って見に行った話をね。7歳の役いうても、今の29歳の声のまんまで、もちろん完成度とかありえんほど低いけど、観客いうかたぶんいつも見に来てるモノズキな人やろうけど、『ブルーシート』好きな人ならこれ見なきゃ嘘ってすごい褒めてくれて、意味わからへんけどすんごいうれしかったぁ。
あ、山下さんも先生に褒められて、とてもうれしかったからはがきを書いたって。あった、これこれ。
「授業ではじめてセリフいったよ。先生にほめられた。役、というのは自分じゃない知らない誰かだ。 それが思い出すことなんてわからないから、役を作るって。 間、のところは数をかぞえていたら、間がよかったといわれた。3とか10とか4とか。ト書きにないことやるとおもしろい。元気か?」
おもしろいほんま演劇って。自分だけ先に感動して演じるともう全然最悪なんよ、難しいけどおもろいなー。
おかあさんからの返事。「元気。ほめられてんやねすごいね。手紙書こう書こうと思ってたら葉書が来てうれしかった。今度はわたしから出すね。彼女とかできた?」
でも、書きかけて送ってないはがき、たくさんある。なんで? 日付ないから順番わからへん。
「元気? ラベンダーすごいきれい。いま咲いてるん? あんた花の名前チューリップとヒマワリしか知らんやろ。 誰かと仲良くなった?」
「『時をかける少女』一緒に見に行ったね。原田知世めちゃかわいかった。ラベンダーの香りをかぐとタイムリープするんよね、そっちでタイムリープに気いつけてな」
「勉強がんばってますか? 木綿のハンカチーフになったりしてな。こっちのほうが都会やから、逆木綿やけどな。 でも歌のは恋人同士やから私らには 」
……これ全部、自分から出せんかった?
カフカは人妻だった恋人に大量の手紙を書いたんよ。日付なしで。一日に数通出したり。「あなたからの返事が待ちきれない」とか「返事がほしくて書いてるわけじゃない」とか「一番いいのはそのまま破り捨てることだ」とかね。それがちょうど『城』を書いてた時期と重なるんて。でね、順番まちがえると解釈が違ってくるん。恋人のほうからの手紙はカフカが処分してしまって残ってないんや。
「彼女とか、できた? できたっていわれたら腹立つけど。」
あ、また出てきた、セックスの話。
何で。ぼくに彼女ができると何で天の腹が立つ。天とはとくに付き合っているというわけではなく、だいたい付き合うということの意味がぼくはよくわからず、でも腹が立つということはそういうことで、そういうことというのはぼくと天は付き合っていたと天が思っている、思っていた、ということで、だけど天とぼくはセックスとかもしていない。
わざわざなんで二度も。主人公「スミト」が純朴で不器用な男子ですってこと? まあそういう十九歳男子のほうが彼女置き去りにする白状男よりは読者の共感呼ぶかも…
だいたいぼくはセックスなんか二回しかしたことがない。一度はそういう店の人で、一度は、誰だっけ。誰かとしたことは確かだ。誰かと、確か、した。誰だっけ。
うーん。思わせぶりやなぁ。二回だけの相手が誰か思い出せないとかふつーありえる? ほんとはどうなん? ほんま天じゃなかったん?
「アホか」
謎やなぁ…
やっぱりこれは、未熟な若いふたりが何もできないまま思いを封印してそれぞれの道を歩みましたマル、いうのが王道な気もするねん受験小説的には素直に読むのが一番いいんかな。だって、このあと天は……
あのね…、手紙の束と一緒に、これ入ってた。
母子手帳。
あたしが生まれた時のかと思ったけど、違った。
父親の欄が空白や。妊娠中の経過も二回の診察までで終わってる。流産したん? 中絶するつもりやったら、最初から母子手帳発行してもらわへんよね?
「元気? 地下鉄が学園都市までつながって、三宮まで直で行けるようになったんよ。飲み屋で知り合った人に紹介された服屋さんの工場で働いてるねん。 おばちゃんたちがすごく親切にしてくれて、なにかというと「新人類や」ってからかわれる。」
「黄色いハンカチーフいっぱい干しといたら、ある日ひょっこり帰ってくるかもしれんとか。高倉健好きやったやろ。 でも、何ひとつまともに聞かれへんようなひとのいうことなんかあてにならへんな。」
『若きウェルテルの悩み』もなんか気になる。塾の同期生が「スミトくんにきっといい」って貸してくれた文庫本、何度読みかけても退屈して半ページで寝てしまう、まったく中身は覚えてないんだけど感想を話すと「ああやっぱりスミトくんに読んでもらって良かった」といわれた。婚約者のいる女性への想いをこじらせて自殺するウェルテル。本が出た当時は自殺者が続出したんよ、そういうの「ウェルテル効果」いうそうやけど、ぜんぜんスミトと違うキャラな気もする、どうなんやろ。山下さんは何かのインタビューで「人が死ぬことをたいしたことと思っていない。コップが倒れるくらいのこと。自分が死ぬことも含めて」といってて、むしろ死の因果関係とか意志みたいなのを信じてないいうか。
元気ですか。わたしは元気です。毎日仕事忙しくしてます。伝えなきゃならないことがあります。今働いてる場所を紹介してくれた人と付き合ってます。結婚したいとその人はいっていて、 結局わたしらは付き合っていたわけではなかったみたいやし、少しだけ悩みましたが、そういうことになりました。そっちは彼女できましたか。高倉健になれたらいいね。ばいばい
何ヶ月ぶりかのおかあさんからの手紙読んで、スミトはざわざわしたんやて。ざわざわ…。返事に何を書いていいのかわからんくて、そうか良かったなと書く気になれんかったって。
……なんか涙出てきた。なんであたしが泣くんや。
母子手帳のせいや。
「知らん…」
「元気。雪がふってつもってまわりは白。寒い。零下三十度の日があった。でも零下三十度になったら作業は休みやからうれしい。町の成人式に出た。百人もいなかった。先生からも「はじめてのお酒」と「はじめてのたばこ」をもらった。」
「零下三十度とか想像できへん。バナナで釘を打てる世界やな。喘息出てない? 二十歳の誕生日おめでとう。同い年になったね。たばこは喘息に悪いから 」
今日のワークショップ、身障者いうか脳性麻痺の女の人も参加しててな、こう舞台を斜めにサーッと車椅子で登場するんや、かっこよかったで。震災のあとどうしても赤ちゃん育てたくて旦那さんと話し合って人工授精したんやて。結局妊娠できへんかったけど、出来るだけのことはやったから満足です、今でも自分のお腹のなかで子どもの私がジタバタしてます、なんやて。ああー、泣いてしもた。
そろそろ一年ですね。元気ですか。わたし結婚したよ。子どもが秋ぐらいに生まれる予定。自分が親になるなんて考えられへんけど親になったらがんばるわ。一年で何もかも変わるよね。元気でね
わあ! あたしついに登場や。
もしも、スミトとおかあさんが付き合ったまんま続いてたら、あたしはこの世におらんかったんやなぁ。そういう意味では、感謝、かな? いったい何に感謝かわからへんけど。
「雨…」
「しんせかい」の半年前の「新潮1月号」にな、「率直に行って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」って短編が載ってて。これ長いけどこのままタイトルなんよ。おかあさんと別れる何ヶ月か前の、塾の試験を受けに上京した時の話。
せっかくやから歌舞伎町行っとこ思て、深夜に宿から出かけるんやけど何度も道に迷って出直すうちに、突然、「ああもう死にたい」という考えが頭をよぎる。唐突に何の前触れもなく。二度目にまたよぎったあと、公園で寝泊まりしてる男の人からたばこをせがまれてあげたあと、「俺、これから死のうと思うんだよね」といわれて。
住んでる所は他の人たちみたいなダンボールやなくて、ブルーシートできれいに作られた小屋で、そこで練炭で死ぬっていうねん。そこに二人で入って、男が「(火を)つけるよ」といったそのあとのことは覚えてなくて、一睡もせず早朝同じ道を通ってベンチでたばこも吸ってみたけど、その男はあらわれなくて、
わたし、と呼ぶこれには無理だ。何時間か前のことすらあやふやなのだ。しかしこのからだ、この装置は違う。これまでの全てを記憶している。そのことをわたしが、ぼくが、思い出さないだけだ。思い出さないものがなかったことにはならない。
ねっ、おかあさん。ここ重要だよすっごく!
もう一度くりかえすけど、「しんせかい」では
だいたいぼくはセックスなんか二回しかしたことがない。一度はそういう店の人で、一度は、誰だっけ。誰かとしたことは確かだ。誰かと、確か、した。誰だっけ。
スミトは自分が自殺しかけたのかどうかすらあやふやで覚えていない奴で、でもそれは、ぼくが思い出さないだけで、からだという装置は全てを記憶してるわけなんよ。ウェルテルが自殺した小説も中身覚えてないけどちゃんと記憶してて感想いえた。誰かとしたセックス、その誰かを覚えてないとしても記憶は確かなわけ。そして、天とはセックスしていないって、二度も強調してるんよ。それはつまり、相手がおかあさんだといってるとしか、あたしには思えない。じゃあなぜ、そんな書き方をした?
おかあさんが他の男と、つまり、あたしのおとうさんになるひとと、結婚したから。それが答えです。
2016年下半期芥川賞は「しんせかい」! これはそういう小説。
あはは、あたしがいってもなんの価値も意味もないけど。こういうの褒められたとは思わへんやろな山下澄人さんは、うん。
ほんとになんでこの小説書いたのかな。ねぇおかあさん?
「つくりごと」
おかあさん…… もうこの世にいないってことを知ってるのかな山下さん。
あ。
天……。
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