老年の非・利己主義
イギリスの雲空の間を切っ裂くゴシック様式のアーチ群は豪風に寸分も揺るがない強さ、雨や雷を貫く鋭さを物語る。
敷き詰められた薄茶、肌、鉛色の石石の雨に濡れた革靴に数えられないほど踏みならされた、冷たくも滑らかな廊下を柱間からこぼれる真白な太陽の光が浸す。
大聖堂の張り付く緊張感が背筋にしのび寄る一方で、数多の高い柱に支えられた飛梁が確保する豊かな空間は母胎のような安心感でもって巡礼者を包み込む。
彫りの深い壁面、彫刻の劇的な存在感と迫力が訪れるものを感傷に浸らせる。
カンタベリー大聖堂は中世的、ともすればロマン主義的な宗教空間である。
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かつてキリスト教信者であった正宗白鳥は生来キリスト教趣味と関わりを持っていない異教徒としての回心の困難にあたり、次第にキリスト教の信じられなくなった自身を告白した。(正宗白鳥「行く処が無い」(1909))
白鳥自身は人生を知る必要も感じないうえに「現実はきらい」であるから、自身を満足させうる自身が信じうる宗教からの乖離を遂げたいま、小説を書くために仕方なく現実に眼差しを向けて生きているのだ、と述べる。
「死んだらおしまい」「曾てのような単純な宗教心があるならば」
当作では白鳥の抱える生の不安やネガティブな本質が前面に感ぜられる、彼は冷笑的なニヒリストである。とは繰り返し用いられてきた文言であるが、この使い古された批評文句のあとには信仰への失望、共鳴を求めて悩み疑う白鳥の鼓動や血脈、何よりその眉間に皺のよった懐疑的な眼差しがきれいに取り残されている。
かつて白鳥が陶酔していた内村鑑三は文章家、演説家として名を馳せて宗教家として聖書研究に傾倒したのち亡くなった。白鳥の過去、つまり憧憬の過去であるが、内村へのこの懐疑を知らぬ憧れと同居していた楽園状態の過去が、通称せらるあの「ニヒリズム」に再び血脈を通わせるはずである。私はそう信じて筆を進めることとする。
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それ等の文章は感傷的の述懐であって、作者自身それによって徹底的に慰められたり、安心を得たりしていたのではなかったのではないか。慰められたつもり、安心を得たつもりであっただけのように、私には思われる。我執の人、内村鑑三は最後までそうではなかったか。
(正宗白鳥『内村鑑三・我が生涯と文学』(1994)講談社 p.13)
白鳥曰く、内村鑑三は自身に対して「我々如何にして生くべきか」を問い続けた人であった。
白鳥は論考「内村鑑三」(1950)の中で自史を振り返るようにして、印象、噂話、体験を織り交ぜながら、感傷的なたちの内村の真なる基督教観や人生観がいかなるものか、その言明への共感の可否と照らし合わせながら好奇心旺盛に懐疑の視線とその筆を進めている。内村は1890年在職先の第一高等中学校で不敬事件を起こしたことでよく知られる人である。カーライルの『クロンウェル』に学んだらしい、権威者に対して頭を下げまいとする彼の信条の達成の後に見舞われた、世間やかつての学生と親戚からの四面楚歌に加えキリスト教徒から浴びせられた軽蔑の言葉に悩み、疲労した、彼の二度目の愛妻は感冒のために逝去した。
内村は不敬事件の実情をあらゆるところで弁明している。「文学博士井上哲次郎君に呈する公開状」では、「余が尊影に敬礼せざりしとは全くの虚偽に過ぎず、拝戴式当日には生徒教員とも尊影に対し奉て礼拝を命ぜられしことなし」と述べ、「内村伝」では基督教を傷つける手段に利用したと主張している。内村鑑三が白鳥において哲理の人でなく、感傷の人と呼ぶ理由がここにある。内村は一貫して世間への反抗心を持ち続けてはいるが、時や場所が違えばその主張や行動を正当化する言明が変わってしまうのである。
「今日の世では、戦争に敗れたからこそ非戦論者戦争憎悪論者が盛んに出現しているが、日清日露戦役の時には、戦争反対説などは何処にも現れていなかったものだ。」と白鳥が述べるように、昭和戦前時に戦争反対を唱える者は変人扱いされたという。社会運動や共産党政権の崩壊などをきっかけに生じた共産主義の零落以前には多くの知識人が共産主義を支持していたという話を聞く限り、そういった知識人の手のひら返しは世の常であるように思われる。
日清戦争を正義の戦争と呼んだ内村は、日露戦争の最中においては戦争絶対的廃止論者を名乗るようになる。戦争は人を殺す大罪悪であり、盗みし者の行為であると厳しく指弾した。もちろんキリスト教徒において殺人は罪悪であるから戦争は許されようがないのだが、他キリスト教徒が戦争廃止に大きく声明をあげなかったという白鳥の叙述から察するに、内村はキリスト教の利他主義的な思想に触発されて戦争廃止を訴えたというよりも、道徳への偏重主義ゆえにその熱烈な戦争廃止論を叫び続けたといえる。
反戦を叫び続けた内村であったが、実際には内村に触発されて反戦運動なるものが起こらなかったことや注目されずに弾圧も受けなかったことは、果たして内村の意図的たるところだろうか。かつて内村は彼の軍備撤廃論の中で西洋諸国に対しては武力を持ってでなく、聖書を持って戦争の正当性について詰問するべしといった語ったそうだが、白鳥は熱を込めて口撃を飛ばす頭脳明晰たる内村は果たしてそう信じきっていたのだろうかと疑っている。
内村鑑三はかつての儒教教育の影響から脱して、キリスト教によって「人間は生まれながらにして悪であり、罪深い存在である」と芯まで叩き込まれ、今生きることへの恐怖や来世に対する不安を覚えるようになったという。まだ若くダンテに造詣が深かったわけではない内村が『神曲』に激しい恐怖の念を覚えたというその理由は、それを内村が心読し自己をそこに見ていたからである。内村はその漠とした罪悪感に苛まれ、脱罪術と忘罪術を通って、来たるキリストの恵み、神への徹底的な信仰によって自身が救われうると信じ切ることで救いの道を見出した。白鳥も内村の生に対する恐怖には似た思いを抱いているようで、祖母から仏教で死や地獄極楽の話を聞かされたことで、すくすくと自身の本質にこのような不安感が染み付いてしまったと述べている。
内村の生に対する恐怖に幾分共鳴を覚える白鳥は、内村が感傷的な文体でもってキリスト教に対する絶対的な信仰を掲げるさまを見て、「慰められたつもり、安心を得たつもりであっただけ」ではないかと会議の視線を向けた。
白鳥は内村の演説は聴者を感動させる力を持っていたと絶賛しているが、その得意の講演会を行う会場については企画者を困らせてでも様々な理由をつけて変更を強いる一方で、戦前の天皇万歳とした世の風潮に対しては完全に争い切ることはできなかったし、キリスト教の教義に反して日清戦争を肯定した。内村の矜持と見える逆張りと世間への反抗における月並みを覚えるが、
白鳥は逆張りに通徹しない内村の、一見中庸なところにその本能的欲望が現れていると主張する。つまり内村の基督教に対する熱烈な感傷、その基督再臨説は不信の裏返しであるというわけだ。内村は「基督教は此世の教えでない」として来世における神の救済の正当性を主張する。しかし、白鳥にとって地獄や来世に対する不安は身近に感ぜられる一方で、天国の存在は甚だ希薄に思われるので、夢を信じて待ち続けんとする内村の熱狂的なキリスト教への信仰の述懐が信用に値するように思えないのだ。
そもそも内村は人類の真の郷土がこの世ではないと主張していながらにして、どうして反戦運動や言論活動などにあくせくする必要があるのか、ここにもその夢の浅さが認められると白鳥は指摘する。過去を正当化するための逃げ道としての理屈として道徳を振り回していた内村は、単独で出版した「東京独立雑誌」に憤慨罵倒揶揄嘲笑を羅列してその読者を失望させて手放してしまった。道徳の盾で守られていた内村のキリスト教観は白鳥への説得に足るものではなかったようだ。
ところで、内村はその後半生新約聖書の研究に没頭する。白鳥が注目したのは彼の基督再臨説と肉体復活説である。「東京独立雑誌」に覚えた内村への失望に反して、白鳥にとって「我々如何にして生くべきか」を考えさせる機縁となったという。
彼はかつて道徳家という利他主義の仮面を被って感傷的で迫力のある演説と筆力の滲むような力強い論考を書いていたおりに、西洋人のキリスト教徒とは区別された、自身の生来の武士道的思考でもってキリスト教に向き合ったいわば武士道的基督教趣味を自身のアイデンティティとしていた。新約聖書に則って理想郷をめざす愛国者として振る舞う内村であったが、西洋のキリスト教的な利他主義との乖離を迎えてしまう運命であった。
前5世紀のペルシア戦争をきっかけにして芽生えたともいわれる民族意識は、偉人の民族性を問題にして競い合う自身の民族の優越性を主張するというエピソードは世界史の雑学本で時折目にすることがある。民族のルーツや偉人との人種の同一性など生来の条件によって、自身の生まれや民族性を誇りにする人々は二十一世紀の現在どこの民族を見渡してもきっと珍しくはない。とにかく、過去の民族の歴史を自身のアイデンティティの核とするナショナリズムと「偶然生まれた国は愛するに足らず」と語る内村鑑三のいう愛国主義はきっと全く異なるものだろう。
同時代の日本文学を否定する一方で、外国文学や国内の古典文学などは評価していた内村はひょっとすると西欧民族に対する劣等感から大げさにも武士道的基督教趣味を掲げたと陳腐な揶揄に晒されてしまいそうではあるが、聖書研究に傾倒して晩年キリスト教の中心的な教義である利他主義の欠如から、内村の武士道的基督教趣味の本質を探っていくことができる。
内村はここではないどこかに対する憧れと自然に身につけた生への恐怖に突き動かされて、世間への反抗を文章と講演という形で提示しつづけてきた。しかし、内村は老いて生の恐怖へ対抗して安心を得るために、自身の物語を新約聖書の小説群に仮託するようになる。そうして内村は新約聖書の無謬説を唱えるようになり、キリストの再臨を条件にすることで絶対的なキリスト教への信仰を目論んだ。つまり、新約聖書のテクストを忠実に信じることで、利他主義というキリスト教の教義の対極にある利己主義から神への絶対的信仰を試みたのである。後年の白鳥にとって内村の新約聖書の無謬説やキリスト再臨説は突飛なものではあったが、相関主義に蔓延する世界群の中で確かに自身の生き方、死に方を問う論考であったことはどうやら間違いでない。
戦後に上梓された「内村鑑三」(1950)から、「行く処が無い」(1909)を眺めたとき、内村がかつて感じていたであろう相関主義への当惑と、キリスト教徒、つまり利他主義者という仮面を被った利己主義者である内村鑑三への失意が脈々と感じ取れる。
かつて内村と同様にあこがれの人であった若き白鳥は、失意の中現実以上のものを考えることもできないし、行く場所もないと吐露する。
戦後文学は振り返る文学である。
中世期時代の人の信じて居たような信仰に戻りたい、とこぼす若き白鳥であったが、もちろん中世という幼児期に回帰しようとする試みは決してうまくいかない。「内村鑑三」において「偶然生まれた国は愛するに足らず」と述べた内村に感銘を受けたと告白しつつ、「偶然生まれた国も、縁あればこそで、命懸けて愛すべき」と述べる老いた白鳥は内村のように徹底した利己主義には浸れないが、白鳥が不幸に生きたとは私にはどうも思えないのである。
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