ポップソングの彼方に消えた「わたし」
「あいつ自分語りばっかするからうぜえわ」
同じ電車、エレベーター、レストランで偶然居合わせた集団の会話において、ときおり耳にするこの言葉は非難されてる当人のいない場所、つまり影でのみ囁かれる。もちろん人に対する苛立ちを面と向かって言えるほど親しい関係でない限り非難や悪口は影で囁かれるものだが、Aの自分語りを聞かされて覚えるBの苛立ちと自分語りがしたいと考えるAの欲求のあいだにある断絶はいかようにして生まれてしまうのか。
だが多くの人々の中にもAが、俺の話を聞いてくれと叫びたい自分がいるだろう。私は2週間前に恋人に振られてから執筆に至る現在まで未練を引きづりながら課題である「苛立ち」について考えている。未練や喪失感を8000字でウジウジと語ることはできるが、もし私が読者なら「おまえが振られた話なんか知るかよ」と思うわけで、こう思われたら嫌だという感情がどうしても邪魔をして自分語りに全力を注ぐことができない。ただ本論に至るまでのしばらくの間、私性と密接に繋がった題材である感情について論じさせていただきたい。
以前、イギリス現代文学の作家であるカズオイシグロの代表作『日の名残り』の作品批評を英語で行おうというディスカッションの場でゲストにいらっしゃったカナダ人の院生の方が「主人公の考え方はサムライに似ている」という話を延々と語っていて私は「つまんねえ話すんなよ」という苛立ちと一種のオリエンタリズムに対する苛立ちを覚えた。その場はディスカッションというよりその院生の方の単独講演会になっており、私は早くトイレに行きたいのにこの人の全然話終わらないなと苛立っていた。
一方、かつての恋人に「もうあなたのことが信じられません」「以前から疑っていました」と言われた後の私の感情に苛立ちはなく、むしろ悲しみに満ちた状態であった。この怒りと悲しみの差異は一体どこからやってくるのか。それは「希望」の有無である。
『日の名残り』のディスカッションにおいて、私は「いま何か質問すれば話題の流れが変わるかもしれない」「いま教授に『トイレに行ってきていいですか』と言えばトイレに行けるかもしれない」といった希望を抱きながら、その時間を過ごしていた。しかし、かつての恋人に告げられた不信の意ののちに、私は「取り返しのつかないことをしてしまった」という絶望に包まれていたのだ。
自分語りの話に戻る。自分語りに苛立ちを覚えるとき、それはこの話が終わるという希望に照らされて初めて生まれる感情である。反対に、一体この話はいつ終わるんだと感じている時、私たちはその自分語りに絶望を覚える。
それでは自分語りがしたい、という欲望は一体どこからやってくるのか。この問題をコミュニケーションのふたつの形式から探っていきたい。
「今から10分間100人の前で即興スピーチを行ってください」と突然言われると、足は震え、額には汗をかき、瞳は明後日の方向を向いてしまうが、「今から10分間トピックは決まっていませんが私とおしゃべりしてください」と言われても足は震えないし、額に汗もかかないし、瞳は明後日の方向を向かない。一方向的なコミュニケーションが要求する情報を提示する担い手が自分一人であるためにそのプレッシャーの重圧が緊張を生むのだ。今私はこうして文章を書いているわけだが、同様にこの独白形式の言葉遊びにおいては語り手である私が提示する情報群によってコミュニケーションあるいはテクストの内容と方向が定められる。そして提示される情報とその観点に基づいて、聞き手によってそのコミュニケーションの価値判断が行われる。この原則はいかなる学問においても共通しているように思われるので、当論考では学術的コミュニケーションと呼びたい。
しかしながら、この学術的コミュニケーションでは太刀打ちできない、それどころか阻害になりうる場が存在する。恋愛における相互承認を目的としたコミュニケーションにおいては、提示されたテクストの整合性やロジックなどは必ずしも問題にならない。少なくとも男女間のコミュニケーションにおいては、相手の存在の肯定もしくは尊重が求められることはしばしば起こる。ここで、学術的コミュニケーションしか知らぬ者に悲劇が訪れる。トピックとなる情報にのみ焦点を当てるため、語り手の過去や感情を無視してしまうのだ。そしてやがて恋人は「わたし」を肯定されないことに不満を覚えて去ってしまう。
失恋のショックに耐えきれず、その感情を塗りつぶすようにして、ポップソングの歌詞に自分自身を投映させる。今の気持ちとはまったく整合しない明るい曲を聞いて憂鬱を違う感情で重ねて塗りつぶす。そうやって何度も自分の感情を塗りつぶしていくと、自分が考えたことや感じたことが誰かの口から聞いたことがあるような気がしないと安心して口に出せなくなってしまう。学術的な言語ゲームとポップソング、すなわち再生可能な匿名性のゲームにおいては共通のルールに属している安心感をあたえてくれるが、自分自身の感情やかつて沸き上がっていた熱意を奪い去ってしまう。
ポップソングは3分間だけ聞き手をここではないどこかに連れて行ってくれるが、聞く前と同じ私だけの場所には戻してくれない。
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