ゴドーを待つか否か
田舎道。一本の木。
夕暮れ。
ヴラジーミルがうつむきながらぶつぶつと語りながら、舞台をひとりで歩き回っている。まるで誰かに言い訳をするように「いや違う」「それはゴゴが…」とつぶやいている。
エストラゴン、出てくる。
ヴラジーミル おまえ!遅かったじゃないか。
エストラゴン さわらないでくれ!
ヴラジーミル、傷ついて押し黙る。
ヴラジーミル 土ぼこりくらい払わせてくれてもいいんじゃないかね?
エストラゴン あとで、あとで。
沈黙。
ヴラジーミル わたしはもうひとりでどこかへ行ってしまったほうがいいのかな……考えてみりゃあ、もうわたしたちも長い仲だが……ゆうべはどこにいたんだい?
エストラゴン ……
ヴラジーミル ひょっとして強盗にでもあったんじゃなかろうね?
エストラゴン (むっとして)だったらどうした?
ヴラジーミル それで…やっぱりぶたれたのかい?
エストラゴン ぶたれたとも。
ヴラジーミル ああ、こんないじめかたがあるかって……でもこうやって落ち込んでいても仕方がない。やはりおまえにはわたしが必要だよ。わたしがいたらこんなことにはならなかっただろうに。
沈黙。
ヴラジーミル 本は持ってきたかい?
エストラゴン 何をさ?
ヴラジーミル きのうここで言っただろう?
エストラゴン きのう…きのうはここに来たかな?
ヴラジーミル 来たとも!見覚えはないのか?
エストラゴン 本は……(服のポケットを探す)
ヴラジーミル きのうもここに来て丸一日一緒にいたじゃないか!
エストラゴン どんな本だったっけね?
ヴラジーミル きのう言ったじゃないか。どうして忘れるんだい?
エストラゴン なにを話した?
ヴラジーミル 強盗に盗まれたか。それとも道に落としたか。
エストラゴン 知らない。
ヴラジーミル なぜだ?
エストラゴン 忘れた。
沈黙。
ヴラジーミル わたしがもってきた本をふたりで読もうじゃないか。きのう買っておいたんだ。(ポケットから一冊の本を抜き出す。)こりゃあ新品同然だよ。
エストラゴン そうかな?雨ですっかりふやけちまってる。
ヴラジーミルがページをめくる。
ヴラジーミル おいゴゴ!おまえの名前が最初に載ってるじゃないか!
エストラゴン どこだ?
ヴラジーミル ここだよ。
エストラゴン 遠くてよく見えない。
ヴラジーミル わたしの名前ものっているじゃないか!
エストラゴン おい、おれの名前はどこだい?
ヴラジーミル ラッキーとポッツォものってる。
エストラゴン (居眠りをする)
ヴラジーミル ……おい……ゴゴ……ゴゴ!
エストラゴン ……どうして寝かせておいてくれないんだ?おれには読めないんだから。
ヴラジーミル 寂しくなったんだ。わたしが集中できるまで起きていてくれよ。
エストラゴン おれはもう行くぜ。(動かない)
ヴラジーミル ポッツォをおぼえてるかい?
エストラゴン ゴドーか?
ヴラジーミル 違う。ポッツォだ。
エストラゴン ポッツォ、ポッツォ……そいつとはいつ会った?
ヴラジーミル いつって……そりゃあきのうだろう。
エストラゴン おれたちはきのうポッツォに会っていたのかい?
ヴラジーミル そうさ。
エストラゴン この場所に見覚えがあるかい?
ヴラジーミル そうは言わない。でも本に書いてあるじゃないか。でも本に書いてあるんだから間違いない。たぶんそうだ。
エストラゴン じゃあ、どうするんだ?
ヴラジーミル 聞いてからにするか。
エストラゴン 誰に?
ヴラジーミル ゴドーさ。
エストラゴン ああそうか。じゃあどうしよう?
ヴラジーミル どうしようもないさ。
エストラゴン しかし、俺は我慢できない。
ヴラジーミル ここでわたしは本を読んでいるから、座っていてくれよ。
エストラゴン つまるところ、何が書いてあるんだい?
ヴラジーミル おまえあの時、いたじゃないか。
エストラゴン 気をつけていなかった。
ヴラジーミル そうだな……いつも通りだったよ。
エストラゴン いつも通り?
ヴラジーミル そうさ。
エストラゴン いつも……何をしていたっけね?
ヴラジーミル そりゃあ……待っていたさ。
エストラゴン ゴドーを?
ヴラジーミル そうだ。
エストラゴン 待ってるあいだ、おれたちは何を話してたんだ?
ヴラジーミル それは……(本を開く)
ヴラジーミル おかげで時間がたった。
エストラゴン そうでなくたってたつさ、時間は。
ヴラジーミル ああ、だが、もっとゆっくりな。間。
エストラゴン 今度は何をするかな?
ヴラジーミル わからない。
エストラゴン もう行こう。
ヴラジーミル だめだよ。
エストラゴン なぜさ?
ヴラジーミル ゴドーを待つんだ。
エストラゴン ああ、そうか。
エストラゴン それで、おれたちは何してたんだ?おれにはその本が読めやしないからな。
ヴラジーミル そうだな……(もういちど本を開く)
ポッツォ あるいは、おっしゃるとおりかもしれん。(坐る)いや、ありがとう。これでまた落ち着けた。(時計を見て)しかし、そろそろ失礼する時間だ、遅れるといかんから。
ヴラジーミル 時間は止まってますよ。
エストラゴン (時計を耳に当てて)そりゃいかん。そんなことは考えるもんじゃない。(時計をポケットに収めて)何を考えようとかってだが、それだけはいかん。
ポッツォ -いや、お二人とも、ありがとう。ではこれで-(ポケットを探る)-お二人の御幸運を-(探る)-(探る)-いったい、どこへ入れたかな、時計を?(探る)
なんてことだ!(ゆがんだ顔を上げて)秒針つきの、諸君、本物の懐中時計ですぞ。-
ヴラジーミル ゴゴ、きょうは何曜日だ?
エストラゴン きょうは月曜だ。いや、土曜か?それとも水曜?
ヴラジーミル ポッツォと会ったのは本当に昨晩だったかな?
エストラゴン そりゃあ……そうだろう。
ヴラジーミル それじゃあ……いつまでわたしたちは待たなきゃいけないんだ?
エストラゴン 何を?
ヴラジーミル ゴドーさ。
エストラゴン そりゃあ……やっこさんが来るまで。
ヴラジーミル きのうはここにいたんだな?
エストラゴン おれたちはここにいた、おれはそう思ってる。
ヴラジーミル いったいどうして……
エストラゴン 何だ?
ヴラジーミル いや……
エストラゴン おれたちはあしたも、あさってもここにいるんだ。
ヴラジーミル しかし……わたしたちはいつからここにいたのか。
エストラゴン えっ?
ヴラジーミル しかも、ここで何が起こったか、わたしたちは全然おぼえちゃいない。
エストラゴン (怒りつつ)ディディ、何が言いたいんだ?
ヴラジーミル もしかしたら、このままゴドーは来ないかもしれないってことさ。
エストラゴン そいつは考えなかった。あいつじゃなかったんだろうね?
ヴラジーミル 誰が?
エストラゴン ゴドーさ。
ヴラジーミル だから誰が?
エストラゴン ポッツォがさ。
ヴラジーミル 違う、違う!(間)違うよ。
エストラゴン 本には書いてないのかい?
ヴラジーミル 何が?
エストラゴン ゴドーさ。(舞台の端へ歩き出す)
ヴラジーミル わからない……もう何を考えればいいのか。わたしたちはどうしてゴドーを待っているのか(間)ゴゴ、待ってくれ!ひとりにしないでくれ!
エストラゴン しかし、おれはもうがまんできない。
ヴラジーミル わたしはいま生きてるのだろうか?ポッツォの時計が動いていたように、わたしの時間は動いているのか?何故ゴドーはわたしの前に現れないのだろう。この本に書いてあることが真実であるとして、わたしはいままで待つこと自体から目を背けていた。そうであるならば、いままでポッツォやゴゴと過ごした時間はゴドーの代理なのであろうか。そもそもゴドーは実在するのか?わたしは言葉に踊らされていたのか?
舞台袖からの声 あの…
ヴラジーミル、声の方を見る。
男の子 アルベールさん……
ヴラジーミル きみか。わたしを覚えていないんだろ?
男の子 ええ。
ヴラジーミル 来たのは初めてなんだろ?
男の子 ええ。
沈黙。
男の子 ゴドーさんが-
ヴラジーミル きょうは来られない。
男の子 ええ。
ヴラジーミル 明日も来るんだね。
男の子 ええ。
沈黙。男の子、走り去る。
エストラゴン どうした?
ヴラジーミル じゃあ、行くよ。
エストラゴン ああ、行こう。
ヴラジーミル ……
二人は、動かない。
作品名:サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
文字数:3542