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「童貞であること」を超えて-『東京喰種』にみる自己否定と自己肯定の葛藤

 少年マンガに登場する多くの主人公には、性的な経験が欠如しているように描かれる。少年マンガ界の永住の覇者『週刊少年ジャンプ』に連載されている富樫義博のマンガ『HUNTER×HUNTER』(集英社)の主人公であるゴン=フリークスも無邪気で子供らしい人物として描かれているし、同じく『週刊少年ジャンプ』に連載されていた岸本斉史の『NARUTO』(集英社)の主人公のうずまきナルトも異性に関心があるように描かれてはいるが、性体験がありそうな風には描かれていない。
 ところで、童貞であることは、童貞にとって堪え難い圧迫や恥ずかしさを覚えさせる。私は大学一年の時に、あるクラスメイトが唐突に「うっせえ童貞!」と叫ばれ、何も言い返せずもごもご口をつぐんでいた衝撃的な光景を目にした。これはいったいなんという言葉の力か、それとも童貞である男には容易には拭いきれないやましさと劣等感がこびり付いているのだろうか。
 別に童貞であること自体が悪というわけではないのだが、男である私にとってはどうしても少年マンガの主人公が童貞である意味を感じざるをえないのである。 

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 2011年から2014年まで『週刊ヤングジャンプ』で連載された石田スイのマンガ『東京喰種』は大学生の金木研がある事故をきっかけにして、人肉を食べることでしか生きられない喰種(グール)と呼ばれる生き物になってからの葛藤と思想の変容を描くダークファンタジーだ。身体が喰種に変化した金木は身体に起こった大きな変化に徐々に気づいていく。
 病院食を食べた金木は「味噌汁は濁った機械油みたいで飲めたもんじゃない…/豆腐の食感は動物の脂肪を練り固めたような気分の悪さだし/白米は口のなかで糊でもこねてるみたいだ/つまり全部不味い」とご丁寧すぎるくらいに食レポしている。喰種である金木は人肉以外の食べ物を恐ろしく不味く感じてしまうのである。友人の永近英良(金木はヒデと呼んでいる)と向かったお気に入りのレストランでもハンバーグが喰種である金木の口に合わず、「豚の内蔵を舐めてるみたいだッ!!!」と丸々吐き出してしまう。その後、水以外に口に含められるものが見つからない金木は、自宅の冷蔵庫を漁って唯一コーヒーだけは飲めることに気づく。ストーリーの進行上当たり前だが、飲み物であるコーヒーだけでは餓えは満たせないので、どうしても人肉を喰う必要が出てくる。
しかし身体が喰種になったことは認めてもすっかり心を入れ替えて人間を喰えるようになるわけもなく、気持ちは人間のままである。そのため自らが喰種であると自覚した後も人間の肉が喰えない。私は以前テレビで芸人がアフリカのとある国の現地民の主食である親指2つ分くらいの芋虫をうまそうに食べているVTRを観た事があるが、現地民がその様子を見て満足げにしているさまが今でも忘れられぬほど印象的だった。つまり、「食事」というのはある文化に適合する上で主要な習慣なのである。人間としての喰種としての食事が取れない金木は両方の社会で危機に貧しているのだ。

 『東京喰種』には金木の性体験の欠如と、押さえきれず表出する情動を感じさせる場面も多々存在する。
 マスク屋のウタに「…カネキくんは恋人とかいないの?」と聞かれたときには、頬を赤くし驚いた様子で「えッ!?いないです…!居たことない…」と返事している。ここでは金木の童貞を明示する性体験の欠如が確認できる。前述した友人のヒデとお気に入りのレストランでハンバーグを待っている場面では、女性店員のスカートの絶対領域から見える太ももを見つめて涎を垂らしている。なんともヤバいやつである。もちろんこれは喰種である金木にとって、太ももを食欲の対象として見ているわけだが、女性の肉体を涎が垂れるほどの欲望の対象にする金木の視線に読者が性的な視線を感じてしまうのは当然だろう。
 ここではコーヒーはどう考えても「大人の飲み物」の提喩であり、女性店員の太ももに向けられた視線と涎からは、性的な情動が感じられる。とすれば金木の食事の変化と肉欲の表出から、人間から喰種へ変化する過程が子供から大人への成長と重ねられていることがわかる。

 古代ギリシア三大悲劇詩人のひとりであるエウリピデスの『ヒッポリュトス』は、官能の世界を穢れたものであると嫌悪する青年ヒッポリュトスがセックスの神であるアプロディーテの怒りを買い、道ならぬ恋に巻き込まれ命を落とす物語である。この物語には性行為が社会参入の提喩として用いられており、社会は若者の純粋な孤独への追求を許さないというテーゼが存在している。大人になるには社会の一員になる必要があり、それを拒めば生きてはいられないということだ。

 同様に『東京喰種』でも、社会への参入を拒否して純粋な若者としての命を落とすという物語の原型が存在している。金木は知人や友人を失う恐怖に突き動かされ、自身の空想で他者の命を奪い生きていく決心をこう語っている。

「アオギリ」だけじゃない 僕の居場所を奪う奴は 容赦しない
僕の平穏を脅かす奴ならだれでも
-僕は-「喰種」だ

 しかし金木が意図して食べるのは人間の肉ではなく、喰種の肉である。自分が喰種であることは認めたものの、このように喰種の社会で迎合的に生きようとはしていないため、非常に不安定な精神もとい身体状態にある。そして金木は常に強くあらねばならないという脅迫的な観念に駆られているため、時に理性を失って暴走したり、多重人格的な言動を見せる。

「この世のすべての不利益は当人の能力不足」
-ぼくがよわいとみんな殺されちゃう だいじな人みんな 「あんていく」のみんなも
万丈さんたちも トーカちゃんも ヒデもッ…
生きるってのは他者を喰らう事… だから喰うんだよオ!!仕方ないよねええ

 この金木の発言は面白い。大事な人を守るという行為に執着しているが、その他者との間に生きる事は拒否している金木の自己破滅的な生き方がうまく暗示されている。私が言いたいのは、ふんぞりかえって仕方ないと開き直るその姿勢は孤独をこじらせた童貞のヒステリーを感じる、そういうことである。
 もちろん、前述したように社会参入を拒むこの思想では生き抜くことはできないので、金木は最終巻で喰種捜査官である有馬貴将に駆逐されてしまう。まさに「うっせえ童貞!」と叫ばれた私のクラスメイトが一瞬で口をつぐんでしまったように、金木研は『東京喰種』から退場するのである。

 ではどのようにして金木のような童貞は他者のなかで生き方を志す事ができるのだろうか。残念ながら、この答えは『東京喰種』にはない。『東京喰種』の続編である『東京喰種:re』で、金木は戦闘シーンにおける回想で友人のヒデにこのように諭される。

…色々ゴタクならべて “死にたい” だの “消えたい” だの
お前は生きる理由が見つからねーだけだろ
ーんなモンすぐ見つかるって せっかく拾った命無駄にすんな

-かっこ悪くても、いきろ。

 童貞である金木はヒデに生きることを肯定され、醜くても不安定でも他者と生きることを選択する。金木は今まで他者に生きる事を肯定的に受け入れられた事、つまり他者に必要とされた事がほとんどなかった。自分は不必要な存在であるという負い目が、自己破壊的なアイデンティティを形成したのである。もちろん、この話は童貞が童貞である事を恥じる理由そのものである。

 童貞がどうして童貞である自分を肯定できないのか。それは他者に必要されていない、存在を肯定されていないという自負があるからに他ならない。金木は童貞卒業ではなく、ヒデという貴重な友人を通して、自己肯定を獲得したのである。

  *

『東京喰種』は人間から喰種という変化を経た主人公、金木研が自己肯定を獲得するまでの葛藤を描いた物語なのである。少年マンガの主人公が童貞であるのは、自分の存在を肯定するまでの道筋として不可欠の存在である「他者」の存在を明示するためだったのである。

 しかし、友人も作れないほどコミュニケーション能力とやらが壊滅的で心も容姿も醜い人間にとっては、文字通り生きていく事すらままならない非常に厳しい道が残されてしまった。困ったものである。要するに、『東京喰種』は「対人関係抜きでこれからの時代、人生は面白いか」という重要な問題を突きつけてしまったのだ。

(模倣対象 小谷野敦)

文字数:3410

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