印刷

それでいいじゃないか。 〜ポスト資本主義の二人〜

 
 
仮に 仮にですよ 仮に 本当にですね
いや もうやめましょうこんな話は
僕は 今こうやって 高まってることがすべてなわけですよ
だからね 仮にとか もしもとか もう止めようじゃありませんか
僕は歌うわけですよ だから
オィオィオィオィ Come on !!

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

それは冒頭、思いついたままに語り始めてしまったかのように、仮定の話を始める山口 隆の独り語りから始まる。山口 隆とはサンボマスターのボーカル兼ギターであり、サンボマスターとは日本のロックバンドの名前だ。山口の独り語りはこれから歌う『そのぬくもりに用がある/Album Version』の導入にもなっている。ここで山口が切り出す「仮に」とは、「今」という状況を<IF>の世界に置き換える試みであり、突き詰めればそれは「今」の否定だ。ところが山口はその「仮に」を提示したときと同じ唐突さで引っ込めてしまう。そして「もうやめましょう」という自身の冷静な言葉を接ぎ穂に「今こうやって 高まっていることがすべてなわけですよ」と「今」を否定するだけではもはや収まりの付かない程に高まってしまった自身の感情を自らの感情に飲み込まれまいと自身の外側に確保した立ち位置から伝えようとする。彼が伝えようとした何かか何であるかを問うこと、それが本論の目的である。

 

すべてを握りしめて 僕はどこへ行く
君よ なぜに泣いているの
優しげな言葉はいつだって
胸の奥ではずっと光っているんだぜ

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

「すべてを」から始まるこの歌は、「すべてを」と歌いあげながらも実際には何も「握りしめて」いないかのような印象を残す。しかし少なくとも「僕」は、それが言葉の上だけであったとしても、すべてを握りしめている。では何を握りしめているというのか。それは冒頭で山口が「仮に」と切り出して「今」を否定しようとしつつも前言を翻した躊躇を引き合いに出せばやはり、それはとっさに否定したい、生理的に拒否したい「何か」なのだ。しかもそれを握らざるを得ない状況に「僕」は置かれている。とするならば「胸の奥ではずっと光っているんだぜ」という言葉こそが「僕」が握りしめたい何かではないかと考えることはできよう。そしてここでとにもかうにも明らかにしておきたい最も大事なこと、それは「僕」と「君」の間の距離だ。すべてを握りしめる「僕」の世界と泣いている「君」の世界は「優しげ」な言葉で結び付けられている。しかし胸の奥で光っている何かは胸の奥で光っているだけだ。その光は「僕」の世界を照らさない。「君」の世界を暖めない。胸の奥でだた光っているだけだ。想像できる者だけがその存在を信じることができる。そんな類いの光だ。

そう、これは資本論だ。

「僕」が握りしめている、いや握りしめることを当たり前のように求められる何かとは何だ。その正体を明らかにするため山口は歌う。無目的に立ち上がる「僕」と悲しみに泣き暮れる「君」の対偶性を。「僕」と「君」の間に「言葉」を挟むことで成り立つ「僕」ー「言葉」ー「君」という流通の形態を。そして流通に欠かせない時間のことを、山口は歌う。そして遅れて現れる「あなた」のことも。

 

声が聞こえたのは あの河のほとりの方
忘れはしないよあなたとの ぬくもりという名のケモノ道

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

ここでいきなり過去形が現れる。この一節は、まさに時間差についての一節だ。「売るために買う」という資本の冒険。売れないかも知れないのに、しかし売るために買わなくてはならない。その時間差がまだ現れぬ「あなた」の登場をここで予見する。「あなた」とは誰なのか、それは「君」のことなのか。それとも「僕」なのか。その時間差が答えより先にコーラスを求める。

 

涙流れて 愛が生まれる
愛が生まれて 五月雨になる

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

流通が立ち上がる。涙は愛に、愛は五月雨に。やがてこの流通の内に交換以上の何かが生まれてしまう。時間差が生み出す何か。「僕」と「君」の間に挟まれていただけの「言葉」がしかしそれはやがて「僕」と「君」を挟みはじめていく。「僕」だけに/「君」だけに価値があったはずの「言葉」が「僕」と「君」を包み込む世界で交わされはじめ、感化され、適応されることで「僕」と「君」の二人にとって共通の価値を持つ双方向性を備えた「言葉」になっていく。それは良いことなんだろう。たぶん。しかしそれは資本論がささやく一般的等価形態への変態でもある。言葉は「僕」と「君」の間で共通の価値を持ち、流通することで貨幣へとその性質を変えていく。流された涙が手渡した愛が価値として届けられ、愛が手渡す五月雨もまた価値として届けられていく。かつて「僕」ー「言葉」ー「君」だった形態がやがて「言葉」ー「僕/君」ー「言葉」というもう一つの形態に変態する。交換としての言葉が資本としての言葉に変わっていく。もちろんそこには剰余価値が生まれている。

 

いつも僕らだけ いつも損してる
いつも騙されている そんな気がしていたの
僕はあなたの事を ずっと愛してるなら
僕はあなたの事を 失うわけはないだろう

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

受け渡してきた気持ちを「僕」/「君」の中の世界だけに積み重ねてさえいればそんなことにはならなかったのに自信のない「僕」と「君」はそれを二人して共有できればと願った。それこそが言葉に埋め込まれた呪術的な魅力だ。愛を金で買うことには誰もが懐疑的になるが、言葉で愛を手に入れようとすることについて人は頓着しない。そして二人は「あなた」を獲得する。無自覚的に獲得した「あなた」の胡乱さを二人は頓着しない。むしろ「あなた」は「僕」と「君」の二人を等しくそして心地よくつなぐ、に違いない。そしてその心地よさは「僕」と「君」のそれぞれにそれぞれなりの後ろめたさをひっそりと植え付けていく、はずだ。幸福は足し合わされ不幸は分け合えるとは、恋人になりたい二人が描く都市伝説に過ぎない。あるいは広告代理店がばらまく幸せな書割だ。二人の世界を築いた二人は、それぞれが誠実であるほどに自分自身の過ぎた幸福を敏感に感じ取る。いつだって私の方がより多く受け取っている、と。そして「僕」は/「君」は幸福を分け与え、不幸は自身の胸の内に潜ませて相手に知られまいとする。自分自身の受け過ぎた幸福の帳尻合わせをするかのように。そして不均衡だけが共有されないままに蓄積する。
そして二人の目の前に悪魔が立ち現れる。悪魔のそのあまりに堂々としたたたずまいに二人は結束を高めるが、二人の内に沈殿した不均衡が高まった結束に耐えきれず内側の亀裂となり、程なくして内壊が始まる。

 

すべてをなくした僕と すべてを許した君さ
今 手に握っているものは ぬくもりという名のケモノ道

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

不本意な何かを握らされた「僕」は「僕」なりの誠実さでそれを守ろうとするが結果的にすべてをなくしてしまう。「君」はといえば「君」なりの寛容さで二人の間に生まれた不均衡を甘受してしまう。確かにここには悪い奴はいない。あれこれと言えば言えないこともないが、ただ二人は二人でいるという戯れに魅せられただけの小さき二人でしかなかった。しかしなくした「僕」と許した「君」の二人が寄り添い立つそこは今や見通しのよい荒野となり、その周縁が見せる光景は二人が小さき二人であることとは関係なく、あからさまに周縁であった。それが資本のやり方だった。「僕」と「君」が近づき、見つめ合うほどに死角は増え、その増えた死角を資本が塗り潰していく。周縁はそうやってできていく。増えていく。

 

涙流れて 愛が生まれる
愛が生まれて 五月雨になる

涙流れて 愛が生まれる
愛が生まれて 五月雨になる
愛しき日々よ

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

時間差をともなうことで挟まれる側にいた「言葉」は挟む側の「言葉」へと変質する。ここで明言できること、それはその逆はないということだ。そこには資本が内包する可塑性が静かに立ちはだかる。「僕」が/「君」が手にした価値は手放しがたく、それ故「言葉」は呪術的に立ち振る舞うようになる。そして時間も同じだ。時間は元に戻らない。どちらか一つだけであればともかく、言葉も時間もとなると人はそれを絶望的と感じる。そして受け入れる。いつだって後からわかるだけなのだ。そういうものと受け入れる。愛しき日々だけが、周縁を見つめる小さき二人の、ただ二人の後ろにある、と。

 

そこで山口は吠える。周縁に立つ二人。それが本当なのか。それが最終通告なのか。それが「僕」の/「君」の信じたすべてだったのか。

 

oh Yeah oh Yeah
俺は言葉にできないからギターを弾くわけですよ
oh Yeah

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

「今」を否定することを善しとせず、<IF>を想定する道を選ばなかった山口はここで言葉に頼るなとシャウトする。言葉に頼るなと言葉で訴える自己矛盾を山口は自覚している。しかし山口の自己矛盾に山口自身が自覚的になるほどには聞き手は、「僕」は、「君」は、そのことに気付いていない。その時間差を山口は見逃さない。シャウトが「言葉」に変態する間隙に山口はビートを刻み込む。刻んだ音符を山口は一小節に放り込む、乱暴に、乱雑に、これ以上ないほどに細かく刻んだ音符を一小節に放り込み続ける。溢れんばかりの音符を放り込むがしかし一小節は溢れない。いやむしろ音符を短く刻み込むほど一小節はその幅を広げていく。窓が開いていればカーテンは揺れる。ならばそうだ、窓が開いているためにはカーテンが揺れればいい。山口は可能的無限の窓を開けようと今までにない速さでビートを刻む。

 

子供の頃に願った夢は 僕は 結局 何も叶いませんでした
だから 何だっていうんですか
僕にはソウルミュージックという音楽があって
ロックンロールという音楽があって
だから君を… 愛しき君を…
そういうことなんですよ僕は それだけなんですよ僕は

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

しかし現実で山口が稼げる時間はほんのわずかだ。だから語りすぎてはいけない。使いすぎてもいけない。そして、期待に応えないことも時間を稼ぐことに少しは役立つだろう。先を急ぐ姿勢を隠さず、しかし結論を急かない。わかりやすい回答などもってのほかだというスタンスは、重要だ。
山口はシャウトする。すべての敗北を。すべてのあきらめを。すべての後悔を。そして残されたわずかな手がかりを。
しかしここで山口は「愛」を語らない。それはなぜだ。対象とすべきは実在としての「愛しき君」だからだ。

 

すべて忘れて ただただ音楽のためだけに生きる男

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

山口はこうも語る。「君」さえも忘れるのだと。

 

すべてをなくした僕と すべてを許した君さ
今 手に握っているものは ぬくもりという名のケモノ道

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

『そのぬくもりに用がある』が提示するこのフレーズはここで三度目の登場になるが、「君」さえも忘れた「僕」にとってのこの言葉は単なる繰り返された、既存の価値を示すために提示される剰余価値を纏った「言葉」ではない。ここで提示されるフレーズは今の「僕」そのものと交換できるだけの、「君」さえも忘れた「僕」のかつて「僕」が語ったままの「言葉」に過ぎない。資本的でない言葉。その「君」さえも忘れた「僕」の「言葉」はどこに向かうのか。それが「愛しき君」である。「僕」の単なる交換可能な言葉は「愛しき君」の「愛しき」と交換される。ただ交換されるだけだ。蓄積もしない、痕跡も残さない。ただ、上書きされるだけの言葉が今「僕」が手に握っているものなのだ。

 

「言葉」が有する資本的な性質は確かに「僕」と「君」の愛しい日々を担保する。それは間違いないことだろう。しかしその一方で「言葉」がもたらす疑惑もある。資本主義がもたらす疑惑は恐慌をもたらすが、それは蓄積された利潤によって相殺される。「僕」と「君」の「言葉」がもたらす疑惑も蓄積された愛しい日々によって相殺される。しかし山口は問うのだ。そこに、蓄積された愛しい日々に、過ぎ去った記憶にすがりつくことを善しとするのか、そこにぬくもりはあるのか、と。
東浩紀は『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』で「郵便的誤配」の可能性を指摘している。確実性を棚上げし、1回性の限界を好意的にかつ前向きに捉えようという提案だ。山口は言葉もまた郵便的に誤配してはどうかと、いや、誤配できる、と断じている。「愛しき」君に宛てた「僕」の言葉を「君」は「君」のコードで聞く。「僕」はそれで良いと思うし、「君」もそれでいいじゃないか、と。それで愛しき日々が手元に残らなくとも「今」手元にある確かなぬくもりがあればそれでいいじゃないかと、山口は訴える。

 

涙流れて 愛が生まれる
愛が生まれて 五月雨になる

涙流れて 愛が生まれる
愛が生まれて 五月雨になって

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

もちろん、愛しき日々という蓄積がなくなったが故に、「僕」と「君」は動き続けなくてはならない。心地よさからかけ離れた不安の中で二人は動き続けなくてはならない。止まらない列車に飛び乗った二人は資本主義的な「言葉」から遠く離れたどこかで、この愛し合う二人は出会い損ねる二人を始める。

 

oh Yeah Baby comeon Yeah Yeah

今言葉が あなたの言葉が
俺の胸に 俺の胸に突き刺すぜ Yeah Yeah Yeah
そう 尊いものになってるぜ ベイビー
そして その ぬくもりにだけに用がありました

『そのぬくもりに用がある/Album Version』サンボマスター

出会い損ねるばかりの二人が交わす言葉は甘さから遠く離れている。突き刺さる言葉の不安と痛みと引き替えに「あなた」と出会え直した二人は今、ぬくもりを実感する。それは共感ではない。それぞれがそれぞれの「あなた」と出会い、それぞれがそれぞれの感じ方で感じるぬくもりなのだ。

 

ポスト資本主義の二人はいまだ出会えていない。

 

文字数:5921

課題提出者一覧