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ぼっち文学を考える  〜 絲山秋子と「待つ」と「終わり」と 〜

◎誰もいない/来ない旧校舎の空き教室

 

挿入歌

 

かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと
言われ続けたあのころ 生きるのがつらかった

『待つわ』あみん

少年は教室でひとり、
聞こえてくる可憐な声を、ただ聞いていたのです。

 

 朝になると痴漢はいなかった。テーブルの上に設計事務所の名刺が置いてあって、名刺の裏に「おはよう! 先に出掛けるね。また」と黒いペンで書いてあった。私はメッセージの裏の無意味な名前を眺めた。

『イッツ・オンリー・トーク』絲山秋子P91

ドアを長方形に開いたその奥に、
少年の姿を認めた少女は、つい立ちすくんでしまいました。

 

 眼鏡をかけた恰幅のいいおやじは、いらっしゃいませと言って一瞬おれの顔を見たが、そのあとまた、カウンターの奥に座っている三十代くらいのカップルと話し続けた。

『エスケイプ』絲山秋子P42

聞いていただけの少年は、
戸惑う少女の中に後ろめたさを見ました。

 

 おれは人生をだめにした。
 だけど、中年からだってまだ人生はたっぷり残っている。こいつがなかなか難儀だ。若いときはそんなこと考えてなかったからね。

『エスケイプ』絲山秋子P10

少女は自分の中の後ろめたさを、
少年が借りたがっていると思いました。

 

「ああ」
 気のなさそうな返事をするのに苦労した。
 和臣が、ここに来ていたいんだ。おれは、ビールを飲みながらおやじにどんな探りを入れようか考えていた。慎重に、怪しまれないように。

『エスケイプ』絲山秋子P100

陽の光はひさしに遮られ、教室には涼しさだけが取り残されていました。
さぞかし外は、夏の空に雲がぽかほかと浮かんでいることでしょう。

 

 品川駅は東京駅みたいにしみじみしていなくていい。万感の思いをたたえた人なんかいない。華々しい出発も涙の別れもない。昔の人みたいに、列車の中までずかずか入り込んでくるような、うっとおしい見送りもいない。つまり、無機質で味気ないってことでもある。プラットフォームは靴やや文具店を変わらない、目的を持った人の通過点だ。

『へたれ』絲山秋子p88

少女は少年に、後ろめたさを押しつけ、
少年は少女から、後ろめたさを奪いました。

 

 どうする? 先生の言った通り帰る?」
「帰るわけなかろうもん」
 そんな気持ちは全然なかった。猫山医院は、あくまでも薬の補給基地なのだ。だからといって目的地なんかない。あたし達は二人とも、糸の切れた凧なのだ。

『逃亡くそたわけ』絲山秋子P104

少年は少女に、本当のことしか話しませんでした。

 

 目が三つないからと言って嘆く者はいない、というどこかの国の諺を思い出した。
「自分が斜視だって意識するようになって思ったんだけど、例えば赤って色があるとして、本当にみなそれが私の見ている赤に見えているのかな。ゆうこの顔だって、私に見えている顔と他の人の見えている顔は違うのかもしれない」
「そんなこと誰にもわからないよ」

『スモールトーク』絲山秋子P131

少女は少年に向き直ります。

 

 あいつを探しているわけじゃない、おれは自分に言い聞かせた。あいつがいるわけがないのだ。

『エスケイプ』絲山秋子P48

少女は、自分が何も見ていないことを、
少年が知っていることに安心しました。

 

 入社して配属部署が決まって上司に挨拶に行くと、最初に「女性らしさを生かして仕事をしてください」と言われた。それでやっと気がついた。私は自分が犬だと思っていない犬だった。野良で育ったのに愛玩犬だったのだ。今思うと、上司は女性総合職なんてどうやって使ったらいいのか判らなくて気が重かったんだろう。

『勤労感謝の日』絲山秋子p38

ふたりは、それでやっと、
恐い夢から目覚めたみたいな、静かな気持ちになれたのです。

 

◎終わりのはじまり

 

実をいえば、
少年は友だちを待っていたのです。

 

 二分か、三分か、甚だしく長く退屈な沈黙が過ぎた後、石田は本当に泣いた。戦前の女のように顔を手で覆って泣いた。ティッシュの箱をひざにのせ、それで時々洟をかんだ。 野枝は助手席で小山のように動かなかった。
 いつまでも泣き続ける石田の横で、野枝は強い眠気をこらえていた。

『ラジ&ピース』絲山秋子P79

でも、待つだけでした。

 

 それがもし本間だったら彼は三十五にもなって童貞ということはなかったし、勃起不全に悩むこともなかったかもしれない。しかし何もなかった。意識もしなかった。出遅れ組は呆れるほどの時間をむしっては捨て、むしっては捨てしている。

『イッツ・オンリー・トーク』絲山秋子p55

隠さずにいえば、
少女は会いにきたのです。

 

 恋をすると私はブスになる。だから私のブスは辰也のせいでもある。なぜだか判らない。なんかモードが変わるから、としかいえない。

『sympathy for the devil』絲山秋子

でも、知ってもいました。

 

 沢音は言わなかった。最後に警部に電話したときに、時間ができたら飲みに行きませんか、と十代の告白のように真剣に誘ったのだが、ええ、機会があればぜひ、と気のない返事が来たことを。

『ラジ&ピース』絲山秋子P88

ふたりは、ただ同席しただけのふたりでした。

 

 なごやんが細い目になってつんけんするので、あたしは低い声で、まっすぐいこ、と呟いた。この車にも慣れてきた。あたしの脳にはキョクアジサシのように南へ行く、ということだけが刻み込まれていて、それ以外に正しいことは何一つないように思われた。

『逃亡くそたわけ』絲山秋子P107

退屈していたのはどっち? 迷っていたのはどちら?

 

 ああ、堂々巡りだ。ほかにどんな可能性があるというのか。またバイトか。バイトなんて可能性あるのか。バイトから正社員なんてぞっとする。そうなった連中がバイトにどうあたるか、どれだけ汚い仕事をさせるのか、俺が一番知ってるじゃないか。俺は適当なところですらかるしかないじゃないか。

『before they make me run』絲山秋子P112

沈黙が残りました。

 

◎空き教室に陽が沈む

 

わからないことを考える。

 

「なんで辻森さんと離婚したんだろ」
「エッチが下手だから?」
 笑っちゃいけないと思うけど遠井は笑ってしまう。
下手なんですか?」
「んな相対的なこと自分でわかるわけないだろ」
 辻森さんも苦笑いする。

『back to zero』絲山秋子

考えることは楽しい。

 

 下着が増えた。小田切と会うたびに新しい下着を着ける習慣がやめられない。決して見られることなどないのだが、新しい約束ができると日向子はいそいそとブラジャーとパンツを買いに行く。腋と、足のうぶ毛を剃る。予定が延期になるたびに、新しい下着はクロゼットで恥をかき、むだ毛が伸びる。

『小田切孝の言い分』絲山秋子

楽しいから考えたくなる。

 

 時間がカボチャの煮付けみたいに余っていた。ボクは嫌いだったなあカボチャって。いくら食っても減らないんだもの。

『不愉快な本の続編』絲山秋子

少年は考えることで得ていった。
そして、強くなれた。

 

 早く帰ってやんなきゃなー。
 昨日出てきたのに、美樹のことを思い出すのが久しぶりな気がする。しかし彼はいつまでも、何かを待つような面持ちで湖面を眺めていた。
 和臣の夏休みはまだ二日残っている。

『アブセント』絲山秋子

少女は考えることで節約していった。
そして、身軽になれた。

 

 私は今更律儀に謝る太っちゃんの太っちゃんらしさが懐かしくてたまりませんでした。どうしたって最後は井口さんに頼らなければやっていけないのです。
 死者はみんな遺族に頼っているのかもしれない。
 そんな気がしました。それは単なる思いつきで、深いものではないです。

『沖で待つ』絲山秋子

ひとりぼっちのふたりは、同席して思ったことがある。
それは、なんか違うんじゃないかって、こと。
気付いたんじゃない。思っただけだ。

 

 隣接ってなんだろうと思うと、ピアノの鍵盤で言ったら不協和音なんだよな。黒鍵でも白鍵でもそうだ。ドレミファソラシドは一つ空けないと調和にならない。

『不愉快な本の続編』絲山秋子P57

だから身軽になっても少女は動けない。

 

 彼女の顔に浮かんだ、歪んだ表情はやがて皮肉な笑みになろうとしていた。しかし僕がそれを見届ける前に彼女は踵を返して歩き出した。
 その背中に、ちょっと待てよ、と僕は言えない。
 変わるよ、改めるよ、なんでも努力してみるよ、と僕は言えない。

『下戸の超然』絲山秋子P179

だから強くなっても少年は動けない。

 

「誰かと一緒に寝るの,久しぶり。すっごい安心する」
「寝るときは一緒でも眠りに落ちるときは独りだぞ」
「うん、眠るときと死ぬときは独りなんだ・・・」
 それから二人は静かになった。彼らは言い夢を見るだろうか。河野も安堵と疲れを感じてソファーの上で寝返りをうった。

『海の仙人』絲山秋子

そしてふたりはひとりぼっちのまま。

 

◎終わりの終わり

 

ふたりのひとりぼっちは、
まだ夢の中にいるかのような、ぼんやりしたひとりぼっちでした。

 

 随分昔の話だけど、闇夜に木の枯れ葉を這っていた芋虫がぽとりと、古井戸の格好をしたこの世に落ちた。それが僕の単方だった。生まれ落ちたこの世は、闇夜の井戸の底よりも絶望的に暗かった。

『不愉快な本の続編』絲山秋子

でも少年は、不公平に見積もっても、
少女の方がひとりぼっちだと思いました。

 

「ダイナモか、やっぱり」
 信澤はため息をついた。
「今はダイナモってのは使ってないんだよ。オルタネーターって言うんだ」
「そうか、オルタネーターか」
 そう言われれば、そんな気もしたけれど、いつの間にかダイナモが死語になっていたとは知らなかった。

『ダイナモ』絲山秋子P154

だから少年は少女にスマホを向けてみたのです。
本当は、何かをしたかったのだけど、何かってなんなのかわからなかったから、
スマホを向けてみただけでした。意味なんてありませんでした。

 

「負けんなよ、片桐」
 沢田がそっぽを向いて言った。澤田の、片桐に対する思いやりはずっとそこにあって、枯れ葉いつでもそれを取り出すことができるかのようだった。河野は澤田の優しさを羨ましく思った。

『海の仙人』絲山秋子P97

写真でもない、動画でもない、記録されない映像がただ流れるだけのスクリーンの中で、
少女は、すこし睨んで、すこし笑って、すこしずつ話をはじめました、

 

 最近、同居人の部屋から聞こえてくる音は荷造りの音だったのだとわかった。
 約束を破ったのは私だし、修復不可能なのだからそれも仕方のないことだった。
 私はそのメモをゴミ箱に捨てた。

『2 + 1』絲山秋子P83

ひとりぼっちの少年とひとりぼっちの少女は、それでもいつまでもどこまでもひとりぼっちでした。

 

Quod Erat Demonstrandum

文字数:4314

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