辺縁から思考する
◇1.
押しボタン式の交差点の赤信号を無視して老人が独り大通りを横断し始めたのだが彼は足が悪いのか歩幅が小さくて少しずつしか通りを渡ることができないために青信号で交差点に侵入してきたトラックは老人を避けるように対向車線にはみ出しながらもゆっくりと走っていかなくてはならないその様子を赤信号で待ちながら見ている私たちはそこに何らかの違和感の残像を見ているがそれが何であるかに気付かないのはそれに気付かないようにしている目配せという用心があるからであってだからこそ人は何かを語りかけようとする誰かの声に耳を傾けるのだけど例えばそれが掘り起こされないように丁寧に埋めた何かを掘り起こそうとする誰かの訴えであったりすることに気付いたとたんに関心を失ってあらかじめプログラムされた行動に移行する自動人形になってしまうことの中にこそ私たちが抱えさせられている違和感の実像があることに気付ける隙があるのだけれどもそれさえも私たちが備えている用心深さのためにその可能性が芽生える前に摘み取られてしまう様子を体現しているのが急に減速したトラックに向けてクラクションを鳴らしたタクシーの運転手であったのだが彼はその老人の存在に気付いた瞬間にクラクションを鳴らすことを止めてしまい老人を避けたトラックの列に静かに追従していくその様を誰もが何の疑問ももたないままに当然のこととして受け止めていることについて当の老人は何を思っているのかと思い立ってから私は老人に聞くべき質問を何一つ用意していなかったことに気付いて改めて私自身が単なる傍観者でしかなかったことをひどく後悔してその後悔が私をむち打つその痛みは果たして老人を傷つけたりするのだろうかと考えたそのとき既に老人は通りを渡り終えて人混みの中に紛れていて世界は通常運転に戻っていってしまったために私が感じた違和感を周囲の誰かと共有しようとしても他の誰もそもそも初めから何も感じていないしその共有を可能にするためのトリガーになり得る老人は既に見えなくなってしまっていて誰とも共有できないままの違和感だけがそれぞれの心にぽつんと取り残される無限未連鎖的疑連続不可能性ともいえる違和感に苛立ってしまうのだ。
【タクシー運転手の証言】
前を行くトラックが急に徐行するもんだからさ、勢いでクラクションを鳴らしたんだよ。当然だろ、客を乗せているんだから何もしないっていうわけにはいかないんだよ。したらば客が事故でもあったんですかねっていうじゃない。クラクションを鳴らしたこともあって、青信号ですから飛び出しですかねとか答えたんだ。したら客も何が起きているのか見てみようって身を乗り出してきてさ、最近色々物騒だからねとか話し始めるじゃない。お客と話すのも久しぶりだったからね、でもその時さ。あの老人が見えたんさ。身を乗り出していた客も老人の格好を見た瞬間に興味をなくして、またスマホを操作し始めてさ。それで客との会話は終わり。しょうがないよね。最近はどの客も決まってスマホをいじっているから声かけづらくてさ、何考えているかわかんない人が多いよね。このところは客と雑談することなんてめっきりなくなっちゃって、本当に自分が運転手なんだなって実感するばかりだよ。ま、運転手なんだけどね。え、老人の性別かい。そりゃ男だったんじゃないの、よく見ていなかったけど、きっと男だよ。通りをどっちの方向に向かって行ったかなんて知らないよ。見てないしさ。
【青信号を待つ親子の会話】
子ども:赤信号は止まれでしょ、ぼく知っているよ。京子先生もそう言ってたもん。
母親:ほら、その話はいいから、黙ってなさい。
子ども:あのおじちゃんはだめだよね、赤信号なのにね。
母親:ねえ、静かにして。ほら、今日は京子先生いたわよね、先生と何して遊んだの。
子ども:お歌を歌った。でも安田くんが邪魔するんだ。タンバリンを使っているのはぼくなのに。ぼくのを取ろうとしたんだよ。
母親:それで安田くんはどうしたの。
子ども:ぼくね、京子先生にいったんだ。そしたら先生が安田くんに言ってくれた。仲良くしましょうねって。
母親:よかったね。京子先生好きだもんね。
子ども:うん、京子先生はちゃんと見てくれるから好き。京子先生ならあのおじちゃんにも言ってあげると思うんだ。
母親:うん、そうだね。あ、青信号だよ。今日の夜ご飯は何かなぁ。
◇2.
振り返って考えるのはもしも大通りを渡る老人が麻で仕立てた上品なサマースーツに身を包んでいて黒服を着込んだお付きの人を二・三人引き連れていたりしたらとか車イスに乗っていたり白い杖を持っていたりしたらとかいう状況であってあるいは老人ではなくスマホを手にした人々がわらわらと道路にはみ出しながらゲームに興じているというような状況であればまた別の反応が(しかもその状況を見守る人それぞれの生活に応じた反応がその場で)無尽蔵に生まれては消えするのだろうがそうならなかったのには確かな根拠と理由があってそれはその老人の両足に纏わり付くように引っかかっている擦り切れ破れたコンビニのビニール袋の不自然さであったしそのコンビニ袋が少し前には長靴の代わりになっていたことは雨に濡れた路面を見れば誰もが簡単に連想できるだけでなく長靴の代わりにコンビニ袋を両足に履く理由にも簡単に思い至れてその他にも夏の終わりとはいえ日中の服装としてはおよそ不釣り合いな風通しの悪い動くたびにシャリシャリと音を立てる素材でできたどこであれ着の身着のままで朝を迎えられる装いとも無関係ではないことは明らかであってそうした姿を見せつけられた人が思考停止に導かれるメカニズムとはなにかというところにこの状況がもたらす緊張感がその場を覆うのだけどそれは押しボタン式の信号機という使用頻度の少ないともすれば無視されてしまう場所で起きた辺縁的な状況であってその辺縁に対する中心がどこにあるかはよく分からないのだが少なくともその老人が中心ではないことは人混みに紛れ行方も分からない状況から容易に判別できる。
【精神科医 中井久夫の最終講義から抜粋】
一般にシステムの失調はその中心部分ではなく、辺縁的なものにまず現れます。天候不順による農家の危機が、ぎりぎり農業で成り立っている寒冷地や荒れ地に先ず現れるのもそれです。北海道大学の数学者・津田一郎らは、心臓の失調が顕在化するのに先立って指先などの末梢の血液循環に障害が現れることを示しています。分裂病の場合も沈黙している部分がほんとうは問題なのかもしれません。
『最終講義 分裂病私見』中井久夫
【友人との電話での会話】
私:この前ね、公園で考え事をしながら散歩していたんだけどね。
友人:なにそれ、面白いこと。
私:どうだろう、ぼくには面白いことだったんだけどね。
友人:へえ、なんだろう。
私:芝生の中に遊歩道があってね、その両脇に子どもの背丈ほどの高さの植木が植えられていてちょっとした仕切りになっているんだ。まあ仕切りっていっても所々に人が出入りできる隙間がある適当なやつなんだけどね。
友人:ふーん、それで。
私:その遊歩道をぼんやり歩いていたらさ、植木の切れ目からボールがさ、芝生が敷かれた方からとんとんって転がってきてさ、ほらよく言うじゃない、ボールが転がってきたらその後を子どもが追いかけてくるから注意しなさいって。
友人:ああ、あるある。交通事故を予防しようぜ的ドラマで定番のやつね。
私:そうそう、それとまったく同じ状況なんだよ。そのことに気付いた瞬間、急にどぎまぎしてさ、子どもの姿なんて植木に隠れて見えないんだけど、これはタイミング的に出会い頭にぶつかるやつだって思ったんだ。
友人:それでそれで。
私:もしかしてって思ったら、なぜか次の瞬間にはそれがさ、もしかするはずの確定事項になっているんだよね。頭おかしいのかよって思ったけど、あのときほど、どうしてぼくはここでハンドルを握っていないのかって本気で呪ったよ。せめて自転車でもよかったのに。でもぼくは呑気に散歩なんかしていやがって、ほとほと絶望的なほどに後悔したよね。
友人:どんだけだよ。
私:まあ、公園の遊歩道だから車なんか入れないんだけどさ。
友人:あはは、そりゃそうだ。で、結局どうなったんだよ。
私:もちろんボールを追いかけて子どもが出てきたんだよ。そしてぼくはその子どもが飛び出す一瞬前にさ、そうさまさしくあれは一瞬前だった。予告された殺人の記録は止めることができなかった記録だけど、ぼくは足を止めた。ぼくはやりきったんだ。与えられた好機を生かし、出会い頭にぶつかることもなかったってことさ。もう頭の中ではファンファーレが響きまくって大変だったよ。
友人:ファンファーレは大げさだけど、実際にはなかなかないよね。知識として知っているなにかに実際に出会うってことはさ。
私:そうなんだよなぁ。ほら、過去に戻れる能力を持った高校生が自分の欲しい未来を実現するために何度も過去に戻ってやり直す映画があったじゃない。あの登場人物ってこんな感覚で日々すごしているんだって思ったよ。これから先に起きることが分かるってすげーことだよ。
友人:あの映画って、たしか主人公の行動のとばっちりをくってさんざんな目に遭う男の子がいたよね。お前のその行動も映画のあの彼のような存在を生み出していたりしてな。
私:そうだっけ。そんなやついたっけ。今まで何度も見たけど覚えてないなぁ。いた?
友人:いたよ。
私:そうなんだ、いたんだ。覚えてないなぁ。まあいいか。
◇3.
あるいはもうひとつの想像世界においてその老人が押しボタンを押して青信号に変わるのを待つその横に私が歩み寄って立つという状況を仮定したときに私の胸は高鳴るのだろうかという想定問答は可能だがその胸の高鳴りの内訳は二つのタイプに大別することができそのひとつがその老人がそうなってしまったこれまでの経緯を考えたときに起こる胸の高鳴りであってでは二つ目といえばそうした状況があることは知識として知っていたが現実世界で起きているリアルな問題として今まさにこの瞬間に向き合っているという機会に巡り会えたことに胸が高鳴っているということであるのだがしかしその一方で胸の高鳴りどころか無視したい衝動に突き動かされあるいはどんよりとした気分になるという可能性も否定できないのだがそのケースにおいても大きく二つのタイプに大別できるのであってひとつが私の横に立つ老人が象徴する何かについて考えることそのものを避けたいと思っているケースであり二つ目がそうした状況があることは分かっているしそれに対する解決策も必要だし解決のために尽力することにやぶさかではないのだが今現在がその途中経過にあるという現実を目にしてしまうことで問題に取り組む熱意を失ってしまう恐さからであって言い換えれば受験勉強でがんばっているけど模擬試験でE判定とかの結果を見ると急にやる気がなくなってしまうような恐さあるので今はその老人の姿を直視したくないというケースがあるのだけどよくよく考えてみれば特に何の感慨も持たないままにその老人のすぐ横に立っていたという可能性あるいはその老人を市井の人々と変わらない存在として受け入れていてもはや気付かないという状況を考慮していないことに気付いて改めて私は凍り付いたのだ。
【キャバレーの幕間役者とプロデューサーの会話】
プロデューサー(P):困りますよ。
芸人(A):お疲れ様です、佐藤さん。
P:お疲れ様です、本当に。わかっているんですか、今日の状況。
A:はい、大丈夫です。
P:大丈夫って、わかってないでしょ。客席を見ましたか、静かだったでしょ。もう、前前前世からダメでしょ。
A:はい。
P:はいって、もう。君の同期は三人とも成功して、神木くんなんて映画にも出たっていうのに。
A:そんなこといえば、私だって・・・
P:少しは売れてるって言いたいの?
A:はい。
P:バカにしてんの。いえ、バカにしているでしょ。
A:いえ、佐藤さんをバカにするなんて、そんなことは。
P:違います。お客です。お客をバカにするのもたいがいにしなさいって言っているんです。彼らはここに何をしに来ていると思います。笑うために来ているんです。お金と引き替えに笑いを買いに来ているんですよ。
A:はあ。
P:はあって、なんなんなんですか。それを君が客席をあんなに静かにさせちゃうから。
A:何かまずかったですか。
P:はあ。まったく、何にもわかっていないんですね、君は。(ため息をついて)お客さん考えちゃったでしょ。もう気付いたはずですよ。
A:えっ、何をですか。もしかして本当はヘタだってばれちゃったんですかね。佐藤さん、もしそうだったら・・・
P:やっぱりバカね。そうじゃないでしょ。静かになった客席でお客さんが考えたこと、それは。
A:それは。
P:「今日は見に来て損したな」って気付いたんですよ。
A:なんだ、よかった。ばれてなかったんだ。
P:だ、か、ら。私は、決めました。
A:どうします、何を決めたんですか。ぼく、がんばります。
P:もう、いらない。
A:えっ。
P:戦力外通知です。はい、おしまい。笑いを取れるようになったらまた考えましょう。
A:えっ。
P:では、さようなら。
A:えっ。
P:もう踏み込んでこないで。だから、わたし忘れることにしたわ。
暗転
◇4.
私が誰かがみんなが語る概念としてや理屈としてや可能性としての中心と辺縁のことを少しでも気にかけているのであればあるいは考えているふりをするのであるならばその言説の発端は確かに私や誰かやみんなが見聞きした「現実の状況」からであることに気がついて欲しいのであってその「現実の状況」とはまさしく私や誰かやみんなが体感した違和感の残像によって抱えさせられてきた違和感の実像なのであって今求められているのはそのことに気付けたことを明確に態度として認めることができるかであるのだがもちろんいきなり現状を直視することは耐えられないので認知はするけど態度として表明することは勘弁してほしいという意見もまた尊重されるべきであるしいやむしろそうした態度にこそ現状における問題の認識と課題への到達率を稼ぐ手段としての最適性があるのではないかと私は疑っているのでありそれというのも物事は静かな環境にその身を置かないと冷静な考察ができないというこれまでの経験からの帰結であるしそれが隣人を信じるということであってそれが通用すると信じるに値する理由とはつまり中心とは辺縁の隣人であるからだ。
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