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回転台の上で観る景色はそんなにも綺麗か?

僕らはかなり平和な社会に生きている、と、感じている。身の回りの人はそこまで簡単に死ぬような災難を負っている、とは、あまり考えない。やるべきこと、なされるべきだと言われることはいつもちょっとずつ辛いのだけれど、それでも一日一日を続けてゆくことは不可能じゃない。あるいはその今やっていることを手放してしまうべきだと考えるときもあるけれど、それもすべて平和のため。誰もあなたが苦しむ姿を望んでいるわけではありません(汚いので隠してください)。

でも、ちょっと汚いところが見えるから面白いんじゃないか。

 

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1904年(明治37年)、尾崎亮司を中心人物として小田原の史跡を保存する小田原保勝会が発起された。尾崎らを中心とした小田原小学校の明治37年同窓会の中でも史跡保存に興味を持つ者が集まり、資料の収集やそれに関する歴史談義から会は端を発した。後に大正3年には規約が整えられ、「小田原において史跡・名勝天然記念物の保存を為すを目的とし、併せて町の繁栄を図ること」と、よりはっきりとした内容になる。名所旧跡の保存、より一般的に小田原の紹介をするべく絵葉書の発行、雑誌の刊行、講演会の開催などなどを行い、町繁栄のために観光客の誘致を志す団体だと定めたのであった。

小田原保勝会の功績といえば、何と言っても小田原城跡のお堀埋め立て阻止運動である。事の起こりは財政難であった当時の小田原町が小学校と高等女学校を小田原城跡のお堀埋め立てによって土地を用立てようとしたことから始まる。その国への出願は1927年(昭和2年)12月に許可を受ける。出願を知った保勝会は関連組合や団体に呼びかけ、徒党を組んで反対運動を展開した。結果として中堀のみの埋め立て、制限ある伐木となり、城跡の破壊は最小限のものとなった。

明らかに以上の尾崎らによる動きがなければ小田原城の現状のあり方はあり得なかった。のだが、現状の小田原城の状態も実はかなり問題が含まれている。

確かに周知の通り、今年2016年5月に天守閣の耐震改修工事を終えリニューアルオープンし、順風満帆な集客を果たしている。ニュースを見れば何も問題はないかのようでもある。むしろ熊本の震災に対して募金を行い、余裕すら見せている。

2016年10月下旬、実際の小田原城の様子はこうだ。堀を渡るために住吉橋を通り、大きな石段を一歩一歩上がってゆく。小田原城本丸の正門である常盤木門をくぐり、木々が生い茂って若干薄暗い本丸に到着する。門から向かって左手を向くと、檻が見える。

 

檻?

 

檻が見えるのだ。よく神社や寺には幼稚園や保育園が備えてあって、その際小動物を飼うために檻や飼育小屋が用意されるが、そういった類のものだ。実はその檻の中に猿が飼われている。というか2009年までは象も飼われていた。

 

象?

 

ちょっとまって欲しい。そもそも筆者は小田原城について述べていたはずなのだが、いつのまにか動物園の話にすり替わっている。というか本当に小田原城に動物園があるのか?ある。そして遊園地もある。というか小田原城が今建っている場所に、かつて観覧車があった。

 

 

いやいやいや、ちょっとまって欲しい。それはなんでもイメージし難いと思ったあなたはどうぞ写真を御覧いただき(http://blog.livedoor.jp/tenbosenkaisha/archives/769405.html)、まあ廃城令とかあったしそんなものでしょうと思ったあなたは、なぜ観覧車が天守閣跡に設置されたのかについて考えていただきたい。のだが、まずはやはり残っている写真について見てみる。「天守閣跡」の表示の後ろに、ごく小型のゴンドラが写っている。現在の天守閣を知っている我々からすればこの写真はちょっとしたシュールな写真である。ここに「小田原城」のキャプションが付けはネット掲示板で貼られるAAのようである。これは明らかに小田原城ではないし、天守閣跡でもなければ観覧車でもない写真のできあがりである。

だがこれは全くお笑い草ではない。もちろん愉快な観覧車ではあるが、少なくとも意味が通らないなどと乾いた笑いを投げかけるような代物ではない。リンク先の記事をお読みになった読者の方はおわかりだと思うが、第二次大戦後の小田原城址は石垣すら放置された状態であり、その状態を憂えた市民らによって「天守閣一石積運動」が始まった。集まった資金で天守台の石垣が再築され、1955年、その天守台の上に観覧車が乗せられた。観光客を呼び込むことで一層の資金調達を目論んだ戦略であった。

ちなみに上記の尾崎が行ったお堀埋め立て阻止運動よりもずっと以前、約60年前の1870年(明治3年)にはすでに取り壊しとなっていた小田原城天守閣。一体尾崎は何を見、思ってお堀の埋め立てに異議申し立てを行ったのだろうか。

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残念ながら、社会は全然小田原城化していない。もちろん当然、それはごくありきたりな人々の反応ではある。すべての土地に小田原城はないし、小田原城のような城郭が必要なわけでも、かつてあったわけでもない。明治となって軍事的施設が不要と判断されたために小田原城天守閣も取り壊されたのであり、巨大な建築には莫大な建築・修繕費用がつぎ込まれることを意識しなければならない。作って終わりではないわけだ。

もちろん世の中には続くものもあれば続かないものもあって、それぞれの企画、催し物の内容や趣旨から、続くことを狙って行われる行事もあれば一発うちかましておしまいですパターンももちろんある。狙いはそれぞれで決められていればそれでいいのであるし、まあ決められていないのであればそれもそれで。。。という感じであろう。筆者が問題にしたいのは、続いてゆく人々の行いの中でも、必ずしも理路整然としていないが、とはいえ人をなんともなく引き寄せるがあまり続いてしまう、そんな行事、催し物、社会の少なさである。

先程、理路整然としていないと書いたが、何も理路が全くなければいいわけでもない。小田原城址の上に観覧車があったことは上記のとおりだが、観覧車のてっぺんで見えた風景は城からの眺めと合致する。すなわち観覧車は天守閣のプロトタイプであったとも言える。観覧車に乗った、あるいは観覧車からの眺めを想像する人々に、小田原城天守閣がどのようになるのかを想像させ、賭けさせた。城址に観覧車という一風変わった組み合わせで人々に理路を組み立たせ、納得させた。それそのものがなぜそうあるべきなのかの理由はないものの、人にそれがそうあること(観覧車)を考えさせ、体験させ、納得させ、しかもその後の未来(小田原城)を見せる、そんな社会的事象は現代においてそう多くは見当たらない。

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人々はもはや成功を十分に信頼しているとはいえない。どこかで何か失敗をするかもしれないと十分に未来を予測しようとする。とにかくある事柄を未来においてなそうとするならば、その事柄についてサッと調べようとする。ニクラス・ルーマンによれば「信頼は『多義性の許容度』を強化する」(p.25)という。現代社会において人々は未来の多くを信頼せず、現在わかっていることを前提にしなければ気が済まず、多義であることは許容されづらい。未来の可能性について出来る限り分析し、大体これとこれとこのパターンがあると予想(ルーマンはそのことを複雑性の縮減と表現する)してゆく。

「信頼にみちて行為する者は、あたかも将来において規定された可能性しか存在しないかのように、己を投げ出す」(p.33)。私たちはかなり縮減に長けている。縮減は出来るのだが、縮減されたところの情報を元手に行動することが苦手なのではないか。あるいは他者が縮減を元に行動しようとしているさなか、「もっと縮減が必要だろう」と邪魔をしてしまう。

縮減しすぎるのも問題だ。小田原城址に展望台ができた、ではダメなのである。観覧車は危ないとか、展望台のほうが安上がりだとか言っていては人々の心をつかむことはできない。まずは愉快であること。その上で考えさせるような縮減が必要である。そしてゆくゆくの小田原城天守閣再建造を熱望すること。そのための努力を惜しまないこと。愉快であるから行動できるのである。

 

では、どんどん愉快になってゆく縮減とはどのようなものか。そしてやっぱり再度確認するべきなのはすべての土地において小田原城はないという事実である。縮減しようにも一体何から手をつけたらいいのやら。だから何かを見つけなきゃならない。探さなきゃならない。別にルーツとか歴史的なものじゃなくてもいい。例えば観覧車のようにぐるぐる廻る風車(かざぐるま)とか。風車を広い場に何個も飾って風が吹くのを待ってみる。風が吹いて全体が一斉に回り出す。サーっと全体が鳴る。風車には色も付けてあって、皆の思い思いの羽が回っていた。そう、でもそれは失敗だった。綺麗だったけれど意味はなかった。意味を生み出すだけの力が無かった。縮減した先の意味を生み出すためには力が必要だった。風車は突き刺さったところの広場を、そこは貝塚だったので貝塚を、信頼していなかった。果たしてここで己は回ってもよいのかと疑問に思いつつ、風車は回っていた。

確かに失敗だった一方でこのケースには注目するべき点もある。風車は綺麗で愉快だったという点である。回るという要素には愉快さが含まれている。愉快さとは要素で決まるようだ。つまりどんな目的に向かっていようが、あるいは目的が曖昧で何にも向かっていなかろうが、愉快なものは愉快であるし、愉快ではないものは愉快ではないようだ。(おそらく回転するという動きにある物事の違った側面を見せるという意味が愉快さを産んでいるのだが、ここではとにかく回転=愉快ということでよかろう)

愉快である要素を持った事物を投入することによって場の意味を縮減すること。それができる事物を発見すること。そのためには投入する事物の愉快性と投入される場が持つ力の双方の研究が必要であるということ。なぜしなければならないのか、ではなく、そこにあるからあることをする、へ。失敗を恐れてはならない。失敗をして、失敗に対して見つめ返してやらなければならない。ある、がわからなかったから失敗したのだ、ということを把握すること。「知らなかった」では済まない事柄もあるということを思い知ること。

 

どこでもいい、なんでもいいの時代はもうすでに終わってしまっているのだから。

 

 

参考

広報小田原2007 2/1日号(p.13)

https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/odawaraArch/10932/pdf/0932_20070201_h.pdf

小田原城がリニューアル 初日入館料は熊本城修復に

http://www.sankei.com/life/news/160501/lif1605010031-n1.html

天守閣復興瓦一枚運動-小田原市デジタルアーカイブ

https://www.city.odawara.kanagawa.jp/darc/item/113/

小田原城が55周年

http://www.townnews.co.jp/0607/2015/05/23/284522.html

ニクラス・ルーマン『信頼 社会的な複雑性の縮減メカニズム』

文字数:4621

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