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跳ねっ返りを見つけるための音楽とことば

新海誠監督、映画『君の名は。』の音楽から始める。

なぜ『君の名は。』について述べるのか。それは筆者の個人的な物語に起因する。しばし論点を申し上げるべく、筆者の物語にお付き合い頂きたい。

今でも大問題ではあるが、私は記憶力が圧倒的に悪い。まだマシになったほうだ(と言いたいのだ)が、当時は今以上に酷かった。本当に君の名が覚えられなかった。仲間であるはずの吹奏楽部員の名前が、今日聞いても明日忘れている状態だった。そんな私だったので、人とコミュニケーションを取りたい一心ではあったけれども、人に話しかけるのはすごく苦手だった。名前を覚えていられないので呼びかけられないのだ!

しかし、すべてを忘れているならば「忘れたことすら忘れている」可能性もある。しかし、それはなかった。なぜか。それは君ら三人がいたからである。

三人とも美人で、よくモテていた。三人のうちのどの娘が好きだとか、みんな言い合っていた。注目の的だった。一人の女の子が、僕のことを呼んでこう言うんだ。「私の名前、分かります?」って。すごくニヤニヤしてて、多分「先輩、私の名前、半年、いや一年も一緒に合奏してるのに、全然覚えてないなぁ」って、思ってたんじゃないかな。美人三人は僕の焦ったリアクションを見て、クスクス笑っていた。ある時そんな三人が笑っているのを見て、みんながネタにし始めた。それはみんなが僕を笑い、僕も自分のあまりの記憶力の低さに自分で笑った、最高の時間だった。

 

さて、僕はある時気がついた。その美人三人の中でも、とびきり美人の一人が、僕のことを好きなようだということに。

 

当時の僕としては、もしそうだったとしたら、とても怖いことだった。可愛すぎる君が近づいてこようとすると、僕は逃げた。とても卑怯だった。僕はその前に恋愛沙汰でかなりやらかしていて、確実に人を傷つけていたので、同じことは繰り返さまいと必死だった。とにかく僕が逃げることで彼女自身が僕を嫌えばいい、というなんとも傲慢なやり方でことを収めようとしたのだった。「誰も傷つかせない」という身勝手な思いだけが先行していて、やり方から結果から、すべての経路において君を傷つけた。

以上の回想は単に筆者の罪滅ぼしの意識からのみ書かれたものではない。この回想が頭のなかでフラッシュバック(妄想響鳴)する度に、こうした筆者の過ちをことばにせずに胸の内に押し込めておくことで、筆者は世界を生きるに値しない場所へと書き換えてしまっていた。


 

 

RADWIMPS『君の名は。』より「スパークル」。2分30秒ほどまで指回りとしては早いものの、拍子としてはてくてくと徒歩で進んでゆく。大切な人と出会う、それまでの長い長い道のりを丁寧に辿ってゆく。ある目的に一直線とはいかない。迷い、壁にぶつかり、様々な人に出会い、別れてゆく。

「まどろみの中で~」以降はそれまでの曲調に加わるように、これからの道のりがどのようになるのか、その明るい展望が高らかに歌い上げられる。大切な人に出会うのは一瞬で、そここそが人生の素晴らしき瞬間であり、その後は再びゆっくりとしたペースに戻り、あるいは華やいだ音も聞こえる。

ところで、人と人が出会うということは並大抵のことではない。にもかかわらずこの曲は平然と運命の人との出会いを歌い、「世界は生きるに値する」と主張している。青春において人と出会うことはあまり強い意味を持ちえない。ただ出会い、何か反応しているだけで相手のことなどあまり気にかけない。しかし、その出会いとはやはり後から考えれば後の人生において相手を気にかけるための材料となる。「生きるに値する」世界を作り上げるための道具となる。

さて、ここで考えたいのは、あることを歌うことによって、別の言いたいことを表現してゆく音楽の、あるいは歌詞の転写性である。例えば、音楽の歌詞において「世界は生きるに値する」ということばがまさに選び取られることはありえない。そのような直接的なことばは音楽に付け加えられるところの詩の時点で排除される。言いたいことを表現するために、別のことばを使って読み手に目的の内容をイメージさせなければならない。あるいは曲のテンポや曲調を使って曲のイメージを聴者にふくらませるよう促さなければならない。

ここでより詳しく分析しておかなければならない点は、ことばと音楽の意味の持ち方についてである。ことばは必ず二面的に意味を持つ。ことばの意味は表があれば裏もある。いや、裏しかないのである。特に音楽の歌詞として扱われてしまうと、その傾向はより強くなる。音楽がどんどんと流れてゆくために、それに載せられたことばが複雑な意味体系を思考している暇はないのである。一方の音楽はより多様な意味やイメージを持ちうる。テンポが早くなり遅くなり、高音から低音までが響くことにより、多彩な時間、場、物体、現象、状況を表現しうる。

もちろん音楽の多様な意味合いを持ちうる性質は、ことばの二面的な意味の持ち方に助けられてもいる。多様な意味合いであるだけでは意味として発散しすぎてしまい、何を意味しているのか、特にその分野に詳しい者でない限りわからなくなってしまう。より音楽をわかりやすくするための補助線として歌詞ということばは重要である。

 


 

そうかといって音楽に歌詞ということばを付けることは絶対条件ではない。無くても音楽は音楽である。そして歌詞ということばが付かずとも音楽は意味を持ちうる。音楽にことばは不要だという意見も筆者の耳に入ってくる。ことばではない何かで人とつながることが大切で、音楽はその一つだとその人は言った。

ことばにならない咽び、ため息、咳、叫び、震え、揺さぶりを無性に表現したくなる時がある。もうどうすることも出来ないし、かといって黙っていたくもない。何かを表現したいのだが、どうしたって表現できるわけでもない。

音楽に合わせてどんどん身体を揺さぶってみる。はたから見れば変態である。近づきたくはない。何を考えているのかわからないだろう。無理もない、聴いている本人もなにも考えていないのだから。そこには根本的にことばが抜けている。そういう経験は「ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY」で済ませてしまえばいい。ビリビリと電気が流れるように身体を痙攣させ、背中に感じる鳥肌を人工的に作ってしまえ。

どうしたって身体に感動を求めてしまうことば不要の音楽価値説には人間の孤独を色濃く反映させてしまう。例えばYahoo!知恵袋で「たったった」ということばをキーワードに検索をかけたところ、執筆当時、約376件(※1)がヒットした。ここにはことばが全く欠如してしまっている人々の悲痛な叫び、咽び、あーあーあーが聞こえる。もう頭のなかでガンガンとその曲がなっているけれども、それをどのように言ったら人に伝わるのかもさっぱりわからず、あー、とかうー、とか言うしかなくなっている。もしかしたら誰にも伝わっていないかもしれない。

それでも、たったったーでもなんでもいいから、とにかくそれっぽい曲を挙げてもらうことで、記号で音楽を「検索」しようとしている。だが、その「検索」が、求めている情報を探し当てるとは限らない。全く無鉄砲な情報ばかりが書き込まれる可能性も十分にある。それでも質問することを辞めることができない。それ以外に選択肢があるとは思えない。止むに止まれぬ質問の書き込みとそれへの回答はGoogle他、Web検索からの流入も含め、同様にもがき苦しむ同志へ向けられる。

もはやこれでは「検索」とはいえども現状の技術では半ば以上の確率で負ける賭け、大博打打ちの仕業である。雀士の色川武大は自身のエッセイ『うらおもて人生録』で九勝六敗を保つよう目標にせよと語っていたが、果たしてこの「検索」勝負、九回も勝つことのできる勝負なのだろうか。いや、むしろこれはやはり勝負ではない。到達したい情報は曖昧であり、勝負というよりも窃盗、追い剥ぎに近い。人から情報収集という仕事の結果を盗み取っている。とはいえ質問と答えという公開された場での行いであるため、何もずるいわけではない。ただ自分の探す曲を見つけ出せればいい、あるいは別の自分が面白いと思える曲に偶然、回答者の回答から得られる楽しみを見つけるのもいい。気軽な戦法である。いやこれこそコミュニケーションである。偶然が生まれるからこそYahoo!知恵袋は人々に愛されている。ことばの齟齬が多いサービスではあるが、熱量は高い。知っていることを共有し、相互に追い剥ぐことが人間の分かち合いというものである。

 


 

ことばのない音楽から必死に表現をひねり出そうとする人々の激烈さはわかった。ではことばを作ることを触発させるような音楽作品とはどういうものなのだろうか。何が音楽からことばを書き出そうとさせるのか。なぜある音楽について、これこれこういう表現をしていると思えるのか。なぜ音楽を説明したいと思うのか。

ここで取り上げるのはBuddy RichのBackwoods Sideman(※2)である。ぜひ注に書かれたリンクのライブ音源で聞いていただきたい。どうもCD音源ではその「懐かしさ」がわからない気がするのだ。(※3)

「懐かしさ」とは?筆者はこのBuddy Richが演奏した時に生きていたわけでもないし、この音源を昔聞いて、もう一度聞き直して懐かしいと感じたわけではないのだ。ただ、初めて聞いたときからこの音源は「懐かしさ」を表現しているのだと考えている。ただし、Buddy Rich特有の素早いドラムさばきでその余韻に浸っていられぬまま、さっさと通り過ぎてしまうのでなかなかそのことが理解されていないように思う。

27秒あたりまで導入のファンファーレ。その直後にピアノとサックスで音量を落としてゆく。32秒あたりからサックスの協奏。最初から最後まで裏でピアノとベース。ピアノがベースのようにベンベン弾いているのも面白いので聞いていただきたい。

1分11秒あたりからサックスソロ。時を颯爽と駆け抜けてゆくサックスの歌声はかつてなど振り返ってブツクサと不満などまったく言わない。この世は歌うことができるために生きるに値するのであり、それ以上でもそれ以下でもないことを証明する。こんなにも過去を顧みないのに「懐かしい」とはどういうことなのか。それは次の段落で明らかになる。

3分28秒あたりからサックスソロの掛け合い。そう、前段落の2つのサックスソロは彼ら二人の昔話だったのだ。二人して笑って昔話を話しているところにBuddy Richのドラムソロ。流れる時間だけが強く意識させられる。人間などちっぽけなもので、ただただバタバタと早く進んでゆく時間。ソロも終わり再び人々の待つメロディ、ファンファーレへ。

 

これを初めて聞いた時、僕は16、7歳で、折りたたみ式の携帯電話、ソフトバンクの携帯でようやくYouTubeを閲覧できるようになった頃だ。その頃は分割して映像が見れるか見れないかの瀬戸際で、本当にいらついた。友達と共有できないじゃないか。でも、その共有したいBackwoods Sidemanはきちんと見れて、スピーカーに繋いで聞いたりした。友達はBackwoods SidemanよりもTime Checkの方が断然お気に入りだったみたいだけど、本当に分かってないなと内心呆れていたのは本当にいい思い出で。確かにTime Checkの方がダンディだけれども、そこにはBuddy Richの心情は無いよ。ただただ身体を打ち込み、一つに収斂してゆく音楽しか無いんだ。それじゃあおかしみが無いじゃないか。余裕がないじゃないか。確かにストイックなあり方は格好がいいけれど、これでしかないBuddy Richなんて、もう少し厚みを見ようよ。所詮早打ちしかできないってBuddy Richを評価しているのかい?いや、所詮というわけではないけれど、それでも早打ちと一番マッチするのがTime Checkかもしれないって?うーんそうかもしれないなぁ・・・しかし、Buddy Richって案外もっともっと情緒に訴え、感動を呼び起こすドラマーだったんだって考えてみると、面白いじゃないか・・・

 

ただ笑って話したかった。それだけで十分だった。日々の悩みを共有して、二人で笑いあって、また世界に立ち向かう力を蓄えるような関係が築けたら。

 

こうやって音楽をことばで説明しようとしないと、本当に僕とすべての人の関係はダメになっていく。コミュニケーションを途絶えることが一番この世で避けるべきことだ。最終的には孤独である僕らは何らかの形でぶつかり合う以外に、響鳴させること以外に、生きている意味など無いではないか。やっぱりたったったーで音楽を表現していてはダメだ。それはその時にとって仕方のない表現ではあったけれど、もう少し先を見据えなければなるまい。アンダンテ、とか、ピアニッシモ、とか、ちょっとでもいいから雑誌を読んでみるとかが必要かもしれない。生きている意味を得るための音楽への説明を。

 

最後に、再びRADWIMPS『君の名は。』に戻ろう。曲は「夢灯籠」。ぼんやりと始まる。眠っていてはっきり定かではない。何もわからなかったし、次に何が起こるのかもわからない。それでも歩み続ける。叫び続ける。ありえない理想を、夢を語り続ける。現実ばかりが突きつけられる現状をどう変えるのか?一体どうやったら現状すべてを認識できるのか?無理だ無理だと逃げ続けるのか?全てではなくても現状を把握するためには、やはり声を上げ続けなければならない。声は届くし、さらに反響するからだ。跳ね返ってくることばを聞かなければならない。どんなに辛いことばが投げかけられようと、それでもただ自分の表現のフォームを見つけるためには、フォームを見つけることのできることばが投げかけられるまでは、試みを辞めるべきではないのだから。もう少し、もう少しの辛抱が必要なのだから。

 

以上の文章のまとめとして。ことばがなければ音楽による価値の導入はありえない。それは価値がことばによって育まれるものである以上に、音楽による解釈の多様さをまとめ上げることができないからである。ことばがあるからこそ音楽は映える。音楽は人にかつてをイメージさせ、ことばや思考を喚起させる。これから先、未来においてどうするのかを音楽は常に人に問い、その問いに対してことばで、あるいは音楽で回答せよと、人と人がつながることで回答せよと迫り続けている。

 

※1

http://chiebukuro.search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RCL5gHK.FX5ngAtVdNY.B7?p=%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F&class=1&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

※2

https://www.youtube.com/watch?v=0vQFTqDKfhc

※3

CD音源のBackwoods Sidemanは酔っ払いがあーだこーだ言っているかのようで、締りがない。ピアノの音も全然聞こえない。ピアノがバンバンうるさく鳴って、もっと面白くなったのがライブバージョンである。

文字数:6209

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