印刷

スクールで批評を学ぶということ

佐々木敦は『ニッポンの思想』の中で「ゼロ年代」の「批評=思想」界は「東浩紀ひとり勝ち」と書いている。揶 揄などもこもってそう言われている状況があると書いているのだが、実際問題、私が現状の批評界を考えても他の人 もおもしろい本を書いていたりはするが、いろんな活動総体を考えるとやはり「東浩紀ひとり勝ち」の状況であると 認めざるをえない。そんな東浩紀が代表を務める株式会社ゲンロンが運営する「批評再生塾第1期」の中からいかなる批評家が生まれるのか。ゲンロン第2号の座談会の中で大澤聡が「九九年まで『群像』の新人賞の選考委員を務め、評論部門から柄谷スクール的な文芸批評家を多数排出していく。」と述べているが、ここでは比喩として使われているスクールという言葉が、批評再生塾ではメイン講師は佐々木敦が勤めるとはいえ最初と最後の課題に東浩紀は登場してくる文字通りのものとなっている。座談会の中での大澤聡の言及は簡単なものだが、たしかに柄谷が数少ない批評の登竜門の選考委員を務めることによって文芸批評家となった人材の傾向に影響を与え、また文芸批評のあり方にも影響を与えたことはいなめないだろう。そのような状況を踏まえつつ上北氏の「擬日常論」で気になったことを述べたい。

上北氏の批評は各章でマンガの内容の説明とそれについて考えるうえで必要とされる他の思想家の引用などによる論理を展開する部分で構成されている。2の「ポスト・セカイ系としての『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』」の論理を展開する部分を見てみよう。

 セカイ系の解釈は論者によって多岐にわたるが、ここでは東浩紀『セカイからもっと近くに』(2013年)における「主人公と(たいていの場合は)その恋愛相手とのあいだの小さな人間関係を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった大きな問題に直結させる想像力」という定義を参照し、高橋しんが『花と奥たん』を『最終兵器彼女』の後(ポスト)に描いていることと時を同じくして、浅野いにおも『デッドデッドデーモンズ』でポスト・セカイ系の想像力に挑戦していると考える。簡単にあらすじを説明しよう。

とりあえずセカイ系の定義はいいとしてもそのあと、さらっとポスト・セカイ系の話に話題がずれている。もしかしたらここで書名の出てくる東浩紀『セカイからもっと近くに』を読んでいたら、さらっと理解できる話なのかもしれないが、幸い今の時点で私は読んでいなかったので、ここはおかしいと指摘できる。もちろん私はここで不親切だとクレームを入れたいだけではない。ここは上北氏の「擬日常論」において肝心な論理が出てくる場所なので丁寧すぎるぐらい丁寧に書いた方がよいと思う。他の人間はそんなに簡単に人の説明に納得してくれないものなのだ。そして、この後、結構長いあらすじの説明があった後、ポスト・セカイ系の説明がくるのだが、正直、間が空きすぎている。先に引用したところで一度ポスト・セカイ系の説明をしておいてからもう一度ポスト・セカイ系の話をする方がいいと思う。

 上空に「母艦」があらわれようが、そのことについて外国人から何を言われようが、セカイ系的な「世界の終わり」などでは、彼女たちの日常は揺るがない。『デッドデッドデーモンズ』がポスト・セカイ系たる所以は、セカイ系が「きみとぼく」という最小単位の関係が中心だったのに対して、「女子たちの共同体」という関係性が世界の終わりとどう向き合っているかを描いている点にある(『花と奥たん』においては奥たんが属する「残され主婦」のコミュニティがそれにあたるだろう)。その関係性は「きみとぼく」の閉じた関係より固く結ばれている――けれど、だからこそ非日常の到来では揺るがなかった彼女たちの日常は、その一人が死ぬことによって、途端に揺らぎ始めるのである。

そしてこの内容なのだが正直分かったような分からないようなという感想である。というかここでの話はいいとしても最後に出てくる地震の話との関わりを考えるとコミュニティの話でよいのかと疑問に思う。私を含め読者を全てを納得させるためにもう少しここの論理の説明をくどくどとして欲しいところだ。

上北氏の「擬日常論」はポスト・セカイ系の想像力とポスト震災の日常とを「擬日常」という言葉を軸にあわせて思考することにより双方への新たな理解を深めることができるというかなり現代の日本においてアクチュアルで核心をつく射程をもった批評だと思う。ただ論理を展開する箇所が短すぎて読後の感想がわかったようなわからないような、というものになる。講評会で東浩紀に指摘された宮台真司のあたりで論理がひっくり返っているというような現象も、宮台真司の言葉をひっぱってくるだけでなく本の中で展開されていた論理をもう一度自分の言葉で批評文の中で語りなおしていればおそらく避けられた問題と思う。上北氏にはせっかくのおもしろい面白い主題の批評なので「小説TRIPPER」には書き直した文章が掲載されるということだが、さらに書き直してマンガのあらすじ部分よりも論理の説明の文章の方が長いくらいの批評を書いてもらいたい。

さて、この文章を読んだうえで、当初とりあげたこのようなスクールで批評を学ぶことについて考えてみたい。上北氏の批評は東浩紀ひとりにのっかっているというわけではないが、影響が小さいとも言えず、第三者から見るといかにも東浩紀門下生という見られ方をする可能性は高いと思う。ただその議論の射程は広く深く今後の活躍しだいでは東浩紀を食う可能性もありうる。翻って考えてみると、「群像」新人賞が柄谷スクール化したと言うが、もう一つ短い期間存在した福田和也が選考委員を務める「新潮」の批評部門新人賞から出てきたのは大澤信亮氏などであり、「群像」から出てきた批評家と違いがあるとはいいづらい。もちろん大澤信亮が受賞した2007年には柄谷行人はとうの昔に「群像」の選考委員を降りているので、まだ選考委員をやっていたら「群像」に出していた可能性はあるのだが、そんなことをぐだぐだと考えるよりも、その時々の批評界で支配的で影響力の強かった批評家の影響を受けて新人が出てくる可能性は高いという話で終わりにした方が見も蓋もない話になるが正しいだろう。上北氏の話に戻れば、講評会での佐々木敦の話によれば一年間の間ではまれば良いものを書く、着々と思考している筋が見受けられるということだった。見も蓋もない話ばかりになるが、どこで思考しようとも着々と地に足をつけて思考することが、誰かの影響下だけにとどまらない批評をする道しるべであり力となるのだろう。

ところで、最初に取り上げた佐々木敦の『ニッポンの思想』には何度も「東浩紀ひとり勝ち」という言葉が出てくる。あれだけ何回も書くということは、この本を読 む若者達よ、さあ東浩紀を倒せといっているようなものだ。強烈なアジテーションではないが、あれだけひとり勝ちと 言われたら、『ニッポンの思想』という本を読むような人がそれでいいなどと思うわけはない。アジテーションになんて乗っかりたくない若者が多い現代において、読者に影響を与えるにはああいう書き方一番なのかもしれないと思えた。あの本によって蒔かれた闘争の種とこの批評再生塾で着々と育つ批評の芽は育ってしまえば見た目になんの変わりもない。もちろん来歴が気になることもあるがそれよりどれだけ大きい木に成長したのかが問題だろう。

最後に自分の立場について述べてこの文章を終わりにしたい。いろいろと書いてはきたが正直スクールで批評を学ぶなんて恥ずかしいという気持ちはぬぐいきれないところはある。しかし、何もないとなかなか書かないのだ。今回のこの文章も何のアイデアも思い浮かばずとりあえず普通のことでいいから仕上げようと思っても普通のことも中々文章にならず大学一年の時のレポート提出の気分を思い出しながら書いている。恥ずかしい文章ではあるが今の自分の出発点はここからなんだと思っている。絶望してるわけではない。この程度しか書けないということを踏まえて対策を練ろうという気持ちでいっぱいである。一年間では足らないという気はしているが、最後まで粘って少しでも自分の成長につなげたいと思っている。


佐々木敦『ニッポンの思想』 講談社 2009年
東浩紀編『ゲンロン2 慰霊の空間』 ゲンロン 2016年

 

文字数:3450

課題提出者一覧