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<彫琢>批評宣言

<彫琢>批評宣言

 

0:プロローグ

 

いいか、ミュージシャンは音楽のなかに自分の居場所と役割を自分でみつけなければならない。それができないなら故郷にでも帰ることだ。

マイルス・デイヴィス

 

まだ名前のついていない新しい現象が胎動しつつあるのなら、それをどうやって言語化することが可能なのだろうか。ある音楽ジャンルを維持させるために存在した既存の美学、それを支える伝統的な楽器間に存在していた関係性の構造を崩し、それらの諸関係性を新しい言葉で再構築しなければならないだろう。そして、部分と部分をつなぎ合わせ、全体化や普遍性を志向するのではなく、諸関係を文化的に<彫琢>=展開(Elaboration)していくこと。そのような文化人類学者のような視点が、今日の芸術家、及び批評家に求められているのではないか。

 

その出自自体が非合法的かつサブカルチャー的であったジャズは、ハーレムルネッサンス、ビバップの革命、モードジャズやエレクトリックジャズなど、20世紀にかけて目覚ましい発展を遂げたが、ハイアートとして認知されるようになると、文化としての推進力を失いつつあった。

 

しかし近年になって、特に2010年以降にかけて、ネット環境の浸透や音楽製作周辺のテクノロジーの進化に伴い、ポスト・ヒップホップ世代のジャズは、ヒップホップやクラブミュージックなどに大きな美学的影響を受け、以前のジャズとは異なる存在感を発揮し始めた。よく知られているように、ピアニスト/キーボーディストのロバート・グラスパー(1978-)がその運動の核として活動を続けている。

 

幼少時からゴスペルやR&Bも弾きこなし、同時代のヒップホップをも聞いて育った彼は、やがてジャズをも吸収した。そして、その個性的なバックグラウンドから磨いた音楽的手法と、同時代的な感性でもって、ジャズという制度の内部で大きな成功を収めたのだ。その後、2012年にリリースしたアルバム『ブラック・レディオ』はグラミー賞を受賞し、世間の大きな話題を集めた。それは、ジャズの制度内からは周縁と見なされるが、しかし実際には多くの人間によって親しまれている、ヒップホップ、R&B、ソウルと言ったブラックミュージックを統合していく運動であったため、いわゆるジャズの内部からは白眼視されたのだ。ただ、それ以上に、ジャズから異なる音楽ジャンルへと向けた関係性の新しい構築があった。以降、現在に至るまで、彼はこの路線を継続し、もはや一つの時代を築いた感さえある。

 

グラスパーの構築したポスト・ヒップホップ世代ジャズのプラットフォームには、多くの若くて有能な音楽家が集結し、実際に新たな創造的磁場を形成している。しかし、その連帯の輪の中にいながら、最もバウンダリーな場所に、位置しており、独自の手法でもって音楽文化を<彫琢>しようとしている、金髪の若い日本人音楽家がいる。彼の名をBigYukiと言う。

 

 

ポスト・ヒップホップ世代のグラスパー、BigYukiと本論に入る前に、これらの事象の背景になっているヒップホップミュージック(厳密にはラップ・ミュージックと称する説もあるが、この論文では便宜上以下ヒップホップとする)の影響をまず考慮することから筆を進めたい。

 

 

1:1ヒップホップにおける演奏史1 ターンテーブルの登場

 

それは1973年の夏、ニューヨークのブロンクスで起きたDJクール・ハーク、本名クリーヴ・キャンベルの伝説じみた逸話から始まる。

 

1955年、ジャマイカのキングストンで生まれた彼は、12歳になった時にブロンクスへ移住した。父であるキースはレコード収集家であったため、幼少時からレゲエ、ジャズ、ゴスペル、そしてカントリー音楽に接することが出来た。1970年に、ハークは近所のサウンドシステムを使ってDJパーティーをし始めるようになり、R&Bのバンドの休憩時にレコードを回し始めた。そして、1973年にDJとしての評価を得て、ジャマイカ式のサウンドシステム、移動式の巨大なスピーカーやアンプにターンテーブルを用い、ブロックパーティーを行うことになる。ハークは、そこで若者たちの反応に注目して、最も好み盛り上がるのは楽曲の間奏部分、つまりブレークであることに気づき、二台のターンテーブルに同じレコードを二枚かけ、それらを交互に流すことによってブレークを引き延ばすことに成功した。これがいわゆる「メリーゴーラウンド」と称されるターンテーブルのテクニックであった。ハークと並んで同時期のヒップホップ創始者と称される、アフリカバンバータ、グランドマスター・フラッシュらもほぼ同時期にそのパーティーに参加し始めた。その熱狂の中、ターンテーブリストの作るビートに合わせたラッパーやダンサー出現し、ヒップホップ・カルチャー(ブレークダンス、グラフィティ、DJイング、MCイング(ラップ))が命名され、形成されたと言われている。それは革命的なことであった。

 

例えば、大和田俊之は、ターンテーブルのテクニックによる価値観の転倒をこのように言及している。

 

ハークにとってレコードの「カッコいいところ」とは「歌のパート」ではなく、間奏の(しばしばドラムやパーカッションやベースだけになる)「リズム・ブレイク」である。一般的に楽曲の主要な要素だとみなされる「歌」を無視し、本来副次的であるはずの「間奏」のみをプレイする。 こうした価値観の転倒がポピュラー音楽の歴史上、どれだけ革命的なことであったか。

 

この影響力は計り知れない。西洋古典音楽はおろか、それまでのポピュラー音楽においても、歌やメロディー、あるいは楽器のソロ演奏をまともに聴取することが、音楽の聴き方の主流と思われていたのだ。しかし、その美学にあらがって、ブレークが一番かっこよいと認めるという、価値観の転倒こそが、ヒップホップの革命であった。そこにはやがて創造神話が生まれる。中心的存在としてターンテーブルを主体としたプレイバック機器が、人々の目に焼き付いていたのだ。そしていわゆるヒップホップ純粋主義者たちの価値観として、ヒップホップの中枢にそれらの機器があるのだという確信が強く残ることとなり、その創造神話からは、楽器演奏という古典的な技術は大きく後景に退くこととなった。これは、ヒップホップにおける、古典的な楽器とターンテーブルを中心とする機材と言う、諸関係性のなかでの楽器の後退であった。

 

1:2ヒップホップにおける演奏史2 サンプリングの美学

 

ヒップホップには、サンウリングに関する2つの強固な美学が存在することになる。ひとつは真正なヒップホップには暴力的なサンプリング性が存在しなければならないと言う美学で、もうひとつはその中にノイズがひそみ、そこには暴力性が潜んでなくてはならないという美学である。

 

例えば、美術批評家の椹木野衣はこう論じている。

 

サンプリングに関して認識論的に言及すべき最大の問題は、それが「引用」ではないということに尽きる。たとえば「引用」が、他者をいかにして自己に調和させるか一綴りの自己表現の小宇宙に首尾よく配置させるため、という問題だったようにしては「サンプリング」は引用しない。それは略奪だ。

 

ヒップホップにおけるサンプリングもまた、一種の暴力とも言える略奪性が必須とされた。それは時空を隔てて録音されたレコードを暴力的に併置して、背後の脈略を破壊するような略奪性であった。また、物理的な音として、サンプリングされたものにはブレークビーツとしての強烈性が求められ、また他のレコードの音源からサンプリングすることによって音楽機器の制約上、不可避的に生じる音響的なノイズの感覚が必要となった。

 

その美学的な観点から、ヒップホップのプロデューサーは、楽器演奏の音を中心から周縁においやり、サンプリング行為や、そこで生じるノイズ性などに、大きな価値と、ヒップホップというジャンルの真正さを見出したのだ。それはトラック全体を作ることや聞くことに比重が大きく移り、今までの楽器主体の音楽概念や美学的基準の諸関係性を変化させる大きな契機となった。

 

 

1:3 ヒップホップにおける演奏史3 サンプリングと製作

 

1987年から1992年の黄金時代には、ファンクやブレークビーツを多くサンプリングして名曲が作られ、ジャズやファンク、ソウルといった昔の名盤をサンプリングして次々とヒット作が生まれた。さらなるテクノロジーの進化は、サンプリングという手法を、より手っ取り早くこなす自由を、ヒップホップのプロデューサーに与えたのだ。やがて、ターンテーブル周辺のテクノロジーとして、ハードウェアサンプラー、ソフトウェアサンプラー、DTM(デスク・トップ・ミュージック)という具合に、ターンテーブルの周囲にある製作機器は少しずつ多様性を許容され始めた。例えば、DJシャドウは、『エンドトロデューシング』(1996年)を発表したことによって、ハードウェアサンプラーの魅力を世に伝えたのだった。

 

しかし、他方ではサンプリングの流行には著作権法に抵触する危険性が生じた。メディアの耳目を集めたのが、1989年に往年の人気ロックバンド、タートルズが自作の「ユー・ショウド・ミー」がデ・ラ・ソウルの「トランスミッティング・ライブ・フロム・マーズ」を使用されたと訴えたとき、またビズ・マーキーがその歌唱の部分がギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」に酷似されていると訴えられたときである。これらの訴訟により、サンプリングベースで作られた作品をレコード会社がサポートしていくことに、実質的な制限をかけることとなった。

 

また、黄金時代以降は、元々予算が潤沢なアーティストでなければ、サンプリングという手法の試みが難しくなった。プロデューサー達は、サンプリング元がわからなくなるようにするために、切り刻んだり、断片化したり、フィルターをかけるなどしてサンプリングのテクニックをさらに発達させた。

他方でヒップホップにおいて楽器の演奏は、サンプリングが何らかの理由によって出来ない場合、特に法に触れることのないインターポレーション(ある音楽を演奏して録り直すこと)されることもあった。

 

つまり、著作権法上の制約という観点から、法律的な問題に関わりうるサンプリングに変わる手段として、インターポレーションという手法が、一つの手段となるきっかけとなったのだ。この手法が一般的になるにつれ、演奏とサンプリングの製作時における関係性は変化したと言える。

 

 

1:4 ヒップホップにおける演奏史4 ザ・ルーツ

 

音のプログラミング一辺倒になっていたニュースクール最後の時代に、ヒップホップの生演奏をするほぼ唯一の実力バンドとして、長年に渡って名声を手に入れ、そしてこれからもその名が真っ先に挙がり続けるのがザ・ルーツだろう。1987年の結成以降、多くのメンバーの入れ替えが行われているが、ドラマーのクエスト・ラヴとMCのブラック・ソートが長年その中心にいる。ジョゼフ・シュロスが外野の音楽プロデューサー達にインタビューしたところ、多くの者は楽器主体の演奏に問題を見ていないが、サンプリング性というヒップホップ上の特質が見られないので、本物に聞こえないのだという風に聞かされたのだという。このような経過から、研鑽を行うこととなった。ザ・ルーツのマネージャー兼プロデューサーのリチャード・ニコルスによると、ドラムの音色をより荒々しくするために、クエスト・ラヴのドラムの音色編集には相当の時間をかけたとのことだ。「シングス・フォール・アパート」には、まるでアナログレコードを流しているかのような細かいノイズの音が聴こえる。そして前作から比べて、音圧が格段に上がった荒々しいドラムの音色が鳴る。多大な研鑽と実験をしたことにより、伝統的な楽器を使用しながら、ヒップホップのプロダクションで作られたドラムサウンドの「リアル」という目標を達成したのだった。

 

これは、伝統的な楽器の音色を汚すことによって、ヒップホップにおけるブレークビーツのサンプル性を演出することに成功した初期のケースと言えるだろう。ヒップホップのトラックという、伝統的な音楽の外部から持ち込まれた美学に魅了されたことによって、ドラムの演奏家は、ブレークビーツを模倣するという情熱が生じた。つまり、本物の楽器とサンプリングされたビートの真偽が逆転し、その関係性が変わって久しく、一部のブレークビーツに影響を受けた演奏家は、それを模倣する努力を惜しまないほどに、そこに価値を見出した、という事実があったということだ。(また、しかし、ザ・ルーツの模倣したものは、当時流行していた、今となっては時代遅れでローファイに見える、ループ主体のヒップホップであったことも明記しておかねばならない。)

 

 

1:5 「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」に見る、最近のヒップホップとジャズの演奏

 

2015年、アメリカの人気TV番組「レート・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」で放映された、ケンドリック・ラマーによる「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」(これにはグラスパーも参加している)発売時のパフォーマンスを覚えている方はいるだろうか。このとき、ラマーは、大掛かりな編成のバンドに、レコーディングされたものとは異なる新たな編曲で生演奏をさせた。それを背後に従え、パントマイム調の身体の動きとともに切れ味の鋭いラップを行った。演奏は一流の音楽家による、緊張感に満ちた強烈なもので、ラマーは、その演奏に絡み合うかのように、ネクストレベルの凄みを惜しげもなく披露した。

 

プロデューサーであり、かつジャズミュージシャンとしてのバックグラウンドをも持つテラス・マーティンは、共にレコーディングを行ったラマーについてこう語る。「彼のラップはまるで管楽器奏者のようだった。シンガーとかMCとか言うレベルじゃない。ジャズマンのようだったよ」。ラマーは、ラッパー兼プロデューサーという人種に必要とされる、音楽制作時において具体的に鋭いイメージを描く能力を有するだけでなく、一つの楽器としての声を、そのリズムや音色の制御を、完璧にこなしていたようだ。

 

このパフォーマンスは単に演奏として優れているだけでなく、いくつかの点で、ヒップホップにおけるラップと楽器の演奏の関係性が大きく止揚されたと認識をするにふさわしい、ある一つの事件でもあった。

 

伝統的には、ヒップホップのパフォーマンスは、MC、ハイプメン(メインのMCのラップにかぶせてラップする人)、そしてDJから構成される。しかし、DJの動きは基本的に客席から見えることがなく、サウンドシステムからシンプルに曲が流れるのみなので、自然と集客のために観客自身が参加できる環境であるということと、観客にダンスを続けさせるということが暗黙裏に要求されるテクニックとなってくる。一般的に言うならば、バックグラウンドに優れたDJがいることよりも、優れたライブバンドが熱演することにより、見ているだけの観客の興味は持続される。特に、スクリーン向こうにいる観客には、ダンスでの参加は必要とされず、テレビでのパフォーマンスにおいては、視聴率を稼ぐのにライブバンドによるパフォーマンスの方が視覚的な注目を集めるだろう。また、相当の大物である、アナワイズ、ビラル、サンダーキャットなどが一同に介して演奏したのだ。そして、この背景にはフィジカルが売れず、まして実際の販売店が消滅しつつある中、YouTubeなどでも閲覧可能になることを見越した上で、国民的な番組でアピールするプロモーション戦略があると考えることもできる。そこでは、あからさまなトラックの再生にラップを載せるだけではなく、ラッパーとミュージシャンのレベルの高さを示す必要性があった。

 

また、サンプリング的な観点から見ても、曲の一部とされて楽器で演奏された他人の曲の一部はあったが、プレイバック装置によって流されたサンプリング音源は存在しなかった格段の演奏力が、サンプリングの美学の欠落という、昔のヒップホップ原理主義者が抱いていただろう疑念を埋めたのであった。また、サンプリングのノイズ的な要素を埋めるのに、サンダーキャットの音響的なベースが効果的に対応した。この文脈において、演奏とラップの距離は限りなく縮まった。このような新しい基準のもとでラップと演奏の美学的基準が絶妙に調和されることとなった。

 

結局、ラマーが『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』でやろうとしたこと、それは、テラス・マーティン、フライング・ロータス、カマシ・ワシントン、ロバート・グラスパーといった仲間たちの間で共有されていた豊富な音楽的バックグラウンドから、新しい音楽を作る可能性への挑戦であっただろう。彼ら各々が内面化しているバックグラウンドには、ジョン・コルトレーン(ジャズ)、パブリック・エネミー(ヒップホップ)、サンラー(ややアンダーグラウンドなジャズ)、ツーパック・シャクール(ヒップホップ)、セロニアス・モンク(ジャズ)そしてスヌープドッグ(ヒップホップ)といった多領域に渡る先人たちの音楽がある。それらの文脈をヒップホップの器の中で最大現に引き出して<彫琢>して作られたアルバムなのだ。そのとき昔のヒップホップによって切断されていたはずの、ラップと演奏との新しい関係性が観客の眼にも露となったことが証明され、またヒップホップこそが、ジャズや他の音楽に大きな霊感を与え、または実際に演奏家に良い実験のチャンスを与える、一つのプラットフォームになりうることが証明された。グラスパーを中心とするジャズ演奏家がポスト・ヒップホップ世代のジャズと言われるのも、理解出来るだろう。

 

 

 

2:1 グラスパーの登場

 

ポスト・ヒップホップ世代のジャズの中心的人物であるロバート・グラスパーが、『キャンヴァス』でジャズピアニストとして颯爽と老舗レーベルとして著名なブルーノートからメジャーデビューを決めたのは、参加した『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』からさかのぼること、11年前の2005年のことだった。ゴスペルで養われた和声感覚、抜群のグルーヴ感覚とスキル、そして流れるような俊敏なソロ。そしてジャズ界のレジェンドであり、同時に多ジャンルを越境した、ロールモデルとなっている先輩のハービー・ハンコックの曲がカヴァーされているのが印象的だ。しかし、当初は楽器編成で言えば、オーソドックスと言えるピアノトリオであった。

 

メジャー2作目にまた、ジャズのピアノトリオのアルバムをブルーノートから出しているうちに、「F.T.B」やトラックメーカのJ DIllaに捧げた「J.Dillalude」など、ヒップホップのグルーヴを使用した楽曲が見られるようになる。

 

元々10代のとき、ニューヨークのニュースクール大学で学び始めた最初の日に、出会ったのが前述したネオソウル歌手のビラルであり、最高の親友となり、プロフェッショナルな意味での協力者となり、コンスタントに共演する仲となった。また、ザ・ルーツの(これも前述の)クエスト・ラヴとの邂逅がヒップホップを知るきっかけとなったと言う。

 

つまり、そんな体験をしてきたグラスパーは、実験的なこと、あるいはよりマスの聴衆に向けて音楽を表現したい欲求があり、ジャズという領域は狭く感じてしまったのかもしれない。次のブルーノート3作目の「ダブル・ブックト」は、前半がジャズメインのトリオで、後半がヒップホップメインのエクスペリメントという編成で、彼の両面性が半ば不自然な形で現れたアルバムとなってしまった。

 

 

2:2 グラスパーの『ブラック・ラジオ』

 

かくして、2012年にグラスパーはアルバム『ブラック・レディオ』を出した。エリカ・バドゥ(ネオソウルの歌手)、レイラ・ハサウェイ(ソウル、R&Bの歌手)、クリセット・ミッシェル(R&Bの歌手)、レディシ(R&Bの歌手)、ヤシーン・ベイ(モスデフとして知られるMC)、ミシェル・ンデゲオチェロ(ベーシスト、ボーカリスト)といった、ジャズとは全くくくれない面々を一曲ごとに絡ませ、楽曲においてはシャーデーから、白人のニルヴァーナやデヴィッド・ボウイの曲までカヴァーし、広い層のファンに人気を博した。このアルバムは、55回グラミー賞ベストR&Bアルバム賞を受賞している。

 

これは元々やっていたR&Bやソウルの文脈から人を集め、集合的にブラックネスを標榜し、集大成的に行ったアルバムに他ならない訳だが、彼を追う多くのジャズミュージシャンにとっては、ジャズの外部にも出て、他のブラックミュージックにも興味を持ち、あわよくばそこで実力を発揮せよ、あるいは社会に向けては、衰退している領域とは言われているジャズだが、この分野から出てくる人間の実力の程を明らかにすると言う、大きなパフォーマティヴ性を帯びた意味を持つことになる。

 

ちなみに、グラスパーはダウンビート誌の2012年4月号でこのような発言をしている。「何か悪いことが起きても構わないと思うほど、ジャズにはうんざりしてしまった。叩かれるのは痛みを伴うが、いつか目覚めさせるだろう。ジャズはでかいケツ叩きが必要だと思うよ。」どうやら、保守的とも言えるジャズの周辺の環境に対して、ある程度の見切りをつけてしまったようだ。

 

このアルバムでの彼の演奏はジャズリスナーから見れば、ソロも少なく、かなりシンプルである。様々なゲストを召喚して、自分はピアノとフェンダーローズで伴奏をしたのだが、それはむしろサポート役に近く、自分の名前を冠したアルバムとしては、作曲家としてはともかくプレイヤーとして物足りなく感じてしまう。しかしその分、教条的なハイアートと化してしまっているジャズから参加音楽家を豪勢にし、より身近なヒップホップ、R&Bやソウルへアプロ―チをして多くの人間と共に共同作業をした、いわば社会的転回とでも言うべきものだった。

 

 

2.3 グラスパーのホーリズム

 

社会科学的に言えば、このようなグラスパーのブラックカルチャーをキーワードにした運動は、ホーリズムとでも言うべきものである。例えば清水高志によるとそれは次のように定義づけられる。

 

全体が諸部分を超えるものとしてあって初めて、諸部分も成り立つのだ、という立場であり、単一の不可逆なプロセスのうちで多数性や諸部分を考えていく思考である。

 

これは、グラスパーの戦略の中では、ある程度の恣意性や差別性が含まれてしまうのが問題点として挙げられるだろう。ブラック性を標榜して排除されてしまうことあるいは、黒人でも取り上げられない実力者が出てくる可能性もある、いわば狭義の政治の問題としても考察出来る対象ではある。しかし、グラスパーの場合、最も彼にとって難儀であるのは、彼の演奏楽器というモノの制約上から自分の提唱するホーリズムの中心にい続けることができない、という事実である。彼は実際、優秀なピアノ奏者であり、またフェンダーローズ奏者であるわけだが、今のところ彼の活動の中心となっているネオソウルの場で、彼が音楽語法の新たな開発を行っているようには考えられない。なぜなら、基本それらのジャンルは俗に黒っぽいコードとされるメジャー9thやマイナー9thなどの定型的なコードの組み合わせで成り立っており、歌手や他の奏者を伴奏のように支えるスタイルでは、新しい音楽技法の開発はとうてい困難であるように思われるからだ。つまり、ネオソウルの路線を継続してそこで伴奏に徹している限り、グラスパーが鍵盤から音楽的な新しさを演出するのは困難なのだ。

 

大局的にみるならば、現在進行形のジャズとは、その創造性の中心がグルーヴと音響の時代である。J.DIllaのような、意識的によれたビート性を志向するヒップホップを愛聴してきたグラスパーにとって、ドラマーの作るグルーヴはサウンドの肝となる。全体的な流れとしては、マーク・コレンバーグ、クリス・ディヴ、リチャード・スペイヴン、マーク・ジュリアナというドラムヒーローたちがその可能性の中心にあった。また、音響的操作という目を向けるならば、個性的な演奏を行うベーシスト、サンダーキャットなども含むことが出来るだろう。そして彼らもまた、ヒップホップやドラムンベースと言ったクラブミュージックから大きな影響を受けているポスト・ヒップホップ世代のミュージシャンたちであった。

 

我々は、そこにさらにもう1人、先鋭的な音楽活動をする日本人BigYukiを付け加えることが出来るだろう。

 

 

3.0 BigYukiの登場

 

BigYukiは、2015年、アメリカの著名なジャズ誌である「ジャズ・タイムズ」誌が行った読者投票の〈ベスト・シンセサイザー奏者〉部門で、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ロバート・グラスパーに次いで4位に選出された日本人プレイヤーであり、既に、前述されたような著名なミュージシャンとの共演を果たしている。例えば、長らくヒップホップの中心を走ってきたトライブ・コールド・クエスト、タリブ・クエリ、そしてビラルや マーク・ジュリアナらの作品に参加しているのだ。このような、ヒップホップの人脈のつながりはまさしくポスト・ヒップホップ世代の音楽家と呼ぶのにふさわしい。

 

いわゆる奏者としての彼の歴史を描写すると次のようになる。日本で生まれクラシックピアノを学んだ後渡米し、ボストンの音楽大学でジャズを学ぶ。しかしコンテンポラリージャズのような、いわゆるジャズ奏者としての道を進むことはなく、音大のアンサンブルルームにあるオルガンでロニー・スミスなどのオルガンジャズを研究しながら、ボストンにあるジャズ・クラブにてサム・キニンジャー(ソウライブ/レタスのサックス奏者)、マーク・ケリー(ルーツのベーシスト)、チャールズ・ヘインズ、テイヴィ・ネイサンらの演奏に衝撃を受け、彼らのスタイルを学ぶことを決意する。そこで腕を磨き、やがて多くの演奏の仕事を手にする。また、教会で黒人音楽のルーツであるゴスペルも弾くようになる。さらにはゴスペルのアーティストとして有名なドゥービー・パウエルによるシンセの使い方などを研究した。

 

また、一流のヒップホップアーティストとのレコーディングは、彼に大きな創作上の霊感を与えたように予想される。例えば、Qティップのレコーディングの場面だ。彼はこのように話す。「Qティップが、頭の中の音をミュージシャンに説明して、それをみんなで演奏していく行程をとり、出来上がった音楽の「90%が彼の頭の中で鳴っている音楽で、10%だけミュージシャンの領分」で、「最後の10%、ちょっとした隙に自分で聴こえた音、感じた音をポロン、って入れるんです。それがハマったときのティップのテンションの上がり方がハンパなくて」そんなトライブ・コールド・クエストのアルバムの中に、彼が8曲もクレジットされている。ヒップホップ製作の現場に仕事で携わることによって、得られる音楽的な充実度のほどが伝わってくるようだ。

 

 

3:1シンセベース

 

彼が演奏家としてユニークなのは、低音部でシンセベースをこなしつつ、高音部でピアノやシンセなどではクラシック的な構築美を持ったアルペジオをこなすということにある。演奏者数から言ってシンセベースを志望するものは少数であることから、ノウハウを教えてくれる先達も少なかったと思われるが、その困難を独力で突破した。さらに、音色の異なる高音部と低音部を同時に弾くためには、ある程度の技術の習得が必要となる。この技法を習得することで、2つの部分を調和するバランス感覚を生かした作曲や、プレイヤーとして懐の深さを備えることにもつながったと考えられる。

 

さらに、シンセベースはオルガンジャズやファンクでのセッションのみならず、ヒップホップやテクノ、ほか様々なクラブミュージックの構造を学ぶのを容易にした。シンセの音響的なレイヤーの使い方など、凡庸な鍵盤プレイヤーが習得しえないスキルを習得することに成功したのだ。そしてそれはトラックミュージックの美学を理解するための音楽的思考を醸成することに役立つことは容易に想像ができるだろう。実際に彼の音楽的趣味は多様であった。古典的なジャズやファンクもさることながら、ポストダブステップと言われたジェイムス・ブレイクや、フロストラダムス、エイラブミュージック、スコーンといったクラブミュージックであり、ハドソン・モホークやTNGHTといった、現在メジャーのポップミュージックにも影響を与えているトラップミュージックも視野に入れている。グラスパーの後を追うタイプの他の演奏家から、このような濃厚なクラブミュージック的な影響を読み取る可能性は希薄であり、BigYukiが希少な存在であることは間違いがない。

 

 

楽器と言う道具=モノに諸要素と諸関係性が内在している。だが実際にシンセベースほど現在において多角的な文脈に媒体として振る舞える楽器も少なく、まさにそれはBigYukiが達見の持ち主だったと言うことが出来る。

 

 

3:2 Greek Fireの分析

 

BigYukiは、満を持して、ビラルのバンドでも共演したランディ・ルニオン、タリブ・クエリのバンドで共演したダルー・ジョーンズの2人を迎えて製作したデビューアルバム『Greek Fire』を2016年6月にリリースした。それはトラップやスクリューといったクラブミュージックも取り入れながらも、ジャズやヒップホップやロックなどの要素が混ざった作品であった。特筆すべきことに、全ての曲には、それぞれ異なるジャンルの音楽が断片的に入っており、そして短い間で曲の継続性を保ちつつジャンルが移り変わり、リスナーを飽きさせることがない。またネオソウルの歌手であるビラルやクリス・ターナーにメロディーを歌わせているのだが、曲のタイトルや歌詞などは、他のアーティストに夜甘い楽曲とは一線を画す、SF的かつどこかハードボイルドでシュールなものだ。例えば、映画『ターミネーター』に登場する人類抵抗軍の指導者である「ジョン・コナー」、『マトリックス』に由来する「ブルー・ピル」「レッド・ピル」といった曲のタイトルが付けられていて、リスナーに壮大なイメージを喚起させる。

 

また、音楽面が個性的である。このアルバムではいわゆる即興的な部分は限りなく抑制されている。その代わり、彼のトレードマークとでも言うべきクラシック的な美しい、しかし鋭角的で構築的なアルペジオが全曲に渡って遍在しているし、それがヒップホップ的なドラムのグルーヴやギターのディストーションの音などと絶妙に融和しているのだ。しかし、大半の曲が3、4つのジャンルを包含している用に感じられる。

 

アルバムの気になる曲の短い解説を加えると以下のようになる。

 

<レッド・ピル>

美しい下降するアルペジオが続く。しばらくすると、いきなり、ロック調となり、歪んだギターがリフを繰り返す。終盤で実験的電子音楽のようなシンセの音が、ノイジーになって終わる。3つのジャンルが存在している

 

<ジョン・コナー>

哀愁を帯びたギターのワルツのコードから始まる。ビラルの歌い方は奔放だが、ちょっとした間の外し方や装飾音のつけかたなどが天性のものを感じさせる。階段を登っていくようなイメージでワルツと合わせるとポリリズミックな上昇アルペジオが続く。一度の間があったあと(トラップミュージックのドロップに似たような間である)、ビラルの声が電子音響され、かなりシュールに聴こえる。3、4つのジャンルが同居している。

 

 

<パラダイス・ディセンデッド>

グラスパーを思わせるペンタトニックなメロディーだが、対位法的にしっかりとしたベースラインが、グラスパーの即興的なジャズ、あるいはネオソウル的な美学からの切断に成功している。続いてクラシックの出身を思わせるMaj7の音のアルペジオが、シンプルだがギターと重なり合い、美しく響く。

中盤の間奏では、BigYukiらしい、クラシカルかつ整合的なアルペジオの音が高速で動いていく。4つのジャンルが交互に順番を替えて存在している。

 

<ブルー・ピル>

これもまた美しいピアノのアルペジオから入るが、叙情的なピアノのコードとファンク的なギターの音が不思議な整合性を与えている。後半からはトラップを思わせるよな、信号音のようなシンセ音のフレーズが続く。終盤には、またBigYukiの美しいと感じさせるアルペジオで締める。3つの部分に分けられる。

 

<グリーク・ファイア>

現代音楽の巨匠オリヴィエ・メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」に影響を受けたとされる曲。少し不安げな半音階的なフレーズが続く。そこにロック的なドラムが絡んで少しポップになったかと思いきや、またあらたに上音部に移行した半音階的なフレーズが鳴る。いきなりダブのような曲調になる。どこかアウトローでブルージーなギターがむせび泣く。シンセで加工された女性の声のようなコーラス音が曲に雄大さとシュールさを付け加える。

4つの部分に分けられる。

 

 

 

 

3:3 Greek Fireについて

 

この作品では、大半の曲の中に、様々なジャンルが3、4個ほど詰め込まれている。ヒップホップ、ロック、トラップ、クラシック、そしてジャズ的名要素。しかし肝心なのは、一曲の中で、その曲の継続性が完全に破壊されることがなく、しっかりとまとまりを持って作曲がなされていることには留意するべきだろう。つまりある特定のジャンルの一部分をまず作曲し、そうした断片をそれぞれ別のジャンルで何曲もつくり、それらをつなげて、編曲する試みがなされているのだろう。それは、ジャンル自体の諸関係を複数回つなげることによって、そこで生じる差異や入れ子状的な世界を自ら彫琢してゆく行為に他ならない。これはある意味において、サンプリングの美学に通じるものがあるが、文脈を切断するような暴力性は低く、むしろ接合自体を増大していく、そのような複数性を感じる。

 

それはBigYukiのレイヤーに対する意識や、対位法的なベースラインに対する配慮が行き渡っているからにほかならない。そしてさらに、そこには特定のジャンルに対する深い理解があるように思える。

 

ここでグラスパーと対比してみよう。BigYukiもグラスパーも、ジャズの世界、を経験したのちにそこから飛び出し、既にヒップホップのアーティストとのコラボレーションを行っていることが共通している。グラスパーは、ブラックカルチャーを標榜し、ネオソウルの歌手とのコラボレーションに向かうことになった。そしてそれは一種のホーリズム的なアプローチであった。

 

一方、BigYukiは周りのポスト・ヒップホップ世代の音楽家もまだ手を付けていない、先鋭的なクラブミュージックを取り入れた演奏を行いつつある。そして彼には人種的な条件として、ブラックネスを標榜する条件はあらかじめ失われている。つまり、多元的で包摂的なアプローチではなく、部分の関係そのものを直接再考することによって、諸関係を彫ホーリズムを無効化する試みがとられていると言えるだろう。

 

アルバムの中心にクラブミュージックがある訳ではなく、取り込んだ音楽になんらかの階層性があるわけでもなく、またそれはいわゆる価値相対主義的なポストモダンと言う訳でもない。むしろ、いくつものジャンルを包摂することによって、そのような接合自体の特殊性を増殖する創造的な試みではないだろうか。

 

 

<結論>

ヒップホップは、その特殊性により、先進性により多くの刺激を演奏家に与えつつある。その中でロバート・グラスパーはジャズからネオ・ソウルへと軸足を移し、その中でヒップホップの創造性を提示することとなった。ポスト・ヒップホップ時代のジャズ、あるいはまだ名のない音楽は、現在多くの創造的な磁場が作られ、多くの若く有能な音楽家によって躍動しつつある。その中でBigYukiもまた、ベースシンセという特殊な場所から出発し、新たな音楽的果実を生み出しつつある。ロバート・グラスパーの運動がホーリズム的なアプローチを取るのに対し、BigYukiの音楽製作の仕方は非ホーリズム的である。多ジャンルの配置の仕方が独特であり、そこに彫琢する意志を感じる。

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

 

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Williams, Richard “TO Pimp a Butterfly: The Shape of Jazz to Come?” April 10, 2015. Web.

To Pimp a Butterfly: the shape of jazz to come?

文字数:16106

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